第一章: 硝煙と舞い降りる白
硝煙の匂い。砲弾の轟音。
ボサボサの黒髪に、灰色の泥が容赦なく降り注ぐ。
焦げ茶色の双眸が、血塗られた塹壕の縁から上空を睨み据えた。オイルと黒土が繊維の奥までこびりついた分厚い耐火つなぎ。首元に引っ掛けた旧式の飛行ゴーグルは、分厚いレンズの右半分にクモの巣状のヒビが入っている。
少年整備兵、エル・クラフト。
[Impact]轟ゥゥゥンッ![/Impact]
至近距離で炸裂した砲弾が、鼓膜を暴力的に揺さぶる。
土塊と共に、内臓をひっくり返したような生臭い血の臭気と、鼻腔を焼く硝煙が押し寄せた。
口内に広がるのは、じゃりじゃりとした砂粒と強烈な鉄の味。
吐き気を堪え、エルは天を仰ぐ。
分厚い鉛色の雲が、一瞬だけ裂けた。
覗いたのは、目が眩むほどに澄み切った青。
神の領域とされ、禁忌の烙印を押された空の真実の姿。
[Think]綺麗だ。……ひどく、残酷に。[/Think]
地下格納庫。
湿った冷気が肌を刺す薄暗い空間の奥深く。
エルは息を殺し、油塗れのスパナを握り直す。
巨大な防湿シートの向こうに隠された、銀色の流線型。
旧世代の遺物、『銀の翼』。
金属の表面をそっと撫でる。氷のような冷たさが指先から伝わり、エルの唇が微かに綻んだ。
[A:エル・クラフト:興奮]「シリンダーの圧は正常だ。……うん、いける。燃料ポンプの遅延も直したよ」[/A]
誰もいない空間で、早口に呟く。
[A:エル・クラフト:興奮]「まだ飛べる。エンジンは、死んでないんだ」[/A]
規則正しい駆動音を想像するだけで、心臓の拍動が心地よく跳ねる。
だが。
[Tremble]ガタガタガタッ![/Tremble]
突如、頭上の防空壕の天井が凄まじい音を立てて崩落した。
パラパラと崩れ落ちる瓦礫。
埃が舞う中、開いた大穴から『それ』は真っ逆さまに落ちてくる。
[FadeIn]墜落する、白い鳥。[/FadeIn]
硬いコンクリートの床に叩きつけられる寸前、エルは反射的に飛び出していた。
鈍い衝撃。腕の中で骨が軋む音。
抱き留めたのは、ひどく小柄な少女だった。
泥と煤に塗れた、軍服を模した豪奢で窮屈な純白のドレス。肩のラインで切り揃えられた、月光のように滑らかな銀髪。
ゆっくりと、少女がまぶたを開く。
呼吸が止まった。
そこに嵌め込まれていたのは、透き通るような青い瞳。
ただ、どこまでも虚ろで、一切の光を宿していない。
[A:ルミア・ノア:冷静]「……あ」[/A]
ひび割れた人形のような声。
重力に縛られ、命の価値を放棄した者の、底知れぬ暗闇。
少女の瞳の中に、エルは世界の理不尽な重さをはっきりと見た。

第二章: 錆びた鳥籠と微かな熱
オレンジ色のランタンの光が、油の匂いが染み付いた地下室をぼんやりと照らし出す。
[A:ルミア・ノア:冷静]「申し訳ありません。私のせいで、あなたの服まで汚してしまいました」[/A]
軍事研究所の刻印が打たれたチョーカー。白い首筋に食い込む冷たい金属。
ルミア・ノアと名乗った少女は、起伏を完全に欠いた声で呟く。
[A:エル・クラフト:照れ]「気にしないで。……もともと、泥と油まみれだ。ここは」[/A]
エルは工具箱を探りながら、視線を床に落とす。
彼女は「使い捨ての歌姫」。兵士たちの士気を上げるためだけに作られ、消費される存在。
[A:ルミア・ノア:冷静]「直しているのですか。その、鉄の塊を」[/A]
[A:エル・クラフト:興奮]「鉄の塊じゃない! これは……飛空機だ。空を飛ぶための、翼なんだよ」[/A]
早口で捲し立てるエルの声に、ルミアは目を瞬かせた。
[A:ルミア・ノア:悲しみ]「空。……私には、縁のない場所です。私は、そのために作られた人形ですから。いつか落ちて、壊れるだけの」[/A]
カチン。エルの手からレンチが滑り落ちる。
胸の奥を、冷たい刃で抉られるような感覚。
[A:エル・クラフト:怒り]「違う。壊れるために作られた機械なんて、ない」[/A]
彼は立ち上がり、銀の翼のプロペラを指差した。
[A:エル・クラフト:興奮]「オイルを差して、歪みを直せば、必ずまた動く。……君だって、同じだよ」[/A]
ルミアの凍りついた青い瞳の奥で、何かが微かに揺らぐ。
エルの服から漂う、鼻を突く重油の匂い。
響き渡る金属の打音。
それは、死と隣り合わせの戦場にあって、奇跡のように穏やかな時間だった。
[FadeIn]ふと、ルミアの唇の端が、ほんの数ミリだけ持ち上がった。[/FadeIn]
[A:ルミア・ノア:喜び]「……温かいのですね。あなたの手は」[/A]
初めて見せた、微かな微笑み。
その瞬間、エルの脳裏に強烈な誓いが焼き付く。もう二度と、大切なものを失わない。
だが、無情な足音が静寂を切り裂いた。
硬い軍靴の響き。
[A:ヴァルガン大尉:冷静]「油の匂いが外まで漏れているぞ、クラフト」[/A]
暗がりから現れたのは、無数の弾痕が刻まれた漆黒の軍服。
右目を覆う眼帯。無精髭を蓄えた顎には、火のついていない質の悪い煙草が咥えられている。
ヴァルガン大尉。
[A:エル・クラフト:恐怖]「た、大尉……これは、その……!」[/A]
エルの喉が引きつる。親友の兄。そして、親友を死に追いやった自分を憎んでいるはずの男。
ヴァルガンは残った左目でルミアを一瞥し、冷たく吐き捨てる。
[A:ヴァルガン大尉:冷静]「明日、その『歌姫』は敵陣の結節点へ向かう。輸送列車に乗せてな」[/A]
[A:エル・クラフト:驚き]「……え?」[/A]
[A:ヴァルガン大尉:冷静]「最高司令部からの特命だ。彼女の喉に内蔵された起爆装置を使い、敵の防衛線を内側から吹き飛ばす。つまりは、人間爆弾だ」[/A]
エルの視界が、真っ白に明滅した。

第三章: 届かない指先
雨の匂いが混じった、錆びた鉄の臭気。
深夜のプラットホーム。冷たい雨が、容赦なく降り注ぐ。
[A:エル・クラフト:絶望]「逃げよう、ルミア! あの翼なら、二人乗っても飛べる! 夜の内に雲を抜ければ——!」[/A]
ずぶ濡れになりながら、エルはルミアの細い手首を掴む。
だが、彼女の足は微動だにしない。
[A:ルミア・ノア:悲しみ]「……ダメです、エル」[/A]
彼女の冷え切った指先が、エルの手をそっと解いた。
[A:ルミア・ノア:悲しみ]「私が逃げれば、作戦は失敗。この部隊も、あなたも……反逆罪で全滅します」[/A]
[A:エル・クラフト:怒り]「そんなの、関係ない! 君が死ぬなんて、絶対に嫌だ!」[/A]
[A:ルミア・ノア:喜び]「ありがとうございます。……私を、人間として扱ってくれて」[/A]
ルミアは静かに睫毛を伏せ、濡れた純白のドレスの裾を揺らして踵を返す。
死地へ向かう、黒光りする無機質な装甲列車。
開いた扉の中に、彼女の華奢な背中が吸い込まれていく。
[A:エル・クラフト:絶望]「ルミア!!」[/A]
手を伸ばす。だが、その足は鉛のように重い。
脳裏にフラッシュバックする、過去の光景。
[Glitch]『エル、操縦桿を——』[/Glitch]
[Glitch]炎。墜落する試作機。血塗れの親友の顔。[/Glitch]
自分が空を飛べば、また誰かの命が散る。
吐き気が込み上げ、胃液の酸っぱい味が喉の奥を焼いた。
[Shout]プォォォォォォンッ![/Shout]
鼓膜を劈く警笛。
蒸気を吹き出し、車輪が鈍い摩擦音を立てて回転を始める。
遠ざかる最後尾の車両。
膝から力が抜け、冷たい石畳に崩れ落ちた。水たまりに波紋が広がり、エルの歪んだ顔を映し出す。
喉の奥で詰まった嗚咽が、声にならずに漏れた。
指先が、血が滲むほど固く握り込まれる。
[A:エル・クラフト:狂気]「……動け」[/A]
這いつくばったまま、泥水を啜るように唸る。
[A:エル・クラフト:狂気]「動け……動けよ、俺の足ッ!!」[/A]

第四章: 血塗られた銀翼
格納庫に、暴力的なまでの爆音が響き渡る。
[Pulse]ドクン、ドクン、ドクン。[/Pulse]
銀の翼のV型12気筒エンジンが、獣のような咆哮を上げた。
熱を帯びた排気ガスが、エルの頬を容赦なく叩きつける。
操縦席に飛び込み、震える指で計器のスイッチを次々と弾いた。
[A:ヴァルガン大尉:怒り]「降りろ、クラフト!!」[/A]
滑走路の前に立ち塞がったのは、大型の軍用拳銃を構えたヴァルガンだった。
銃口が、真っ直ぐにエルの眉間を捉えている。
[A:エル・クラフト:興奮]「どいてくれ、大尉! 俺は……俺は彼女を助けに行く!!」[/A]
[A:ヴァルガン大尉:怒り]「貴様が飛べばどうなるか、分かっているのか! ……弟の二の舞になる気か!!」[/A]
エルの額から、どっと冷や汗が噴き出す。
だが、操縦桿を握る手から力は抜けなかった。
ゴーグルの奥で、焦げ茶色の瞳が真っ直ぐに大尉を射抜く。
[A:エル・クラフト:怒り]「親友の命を奪ったのは、俺だ。……だからこそ、俺の翼は、もう誰の命も落とさせないッ!!」[/A]
火花が散るような視線の交錯。
数秒の沈黙。
ヴァルガンは短く舌打ちをし、ゆっくりと銃口を下ろした。
無精髭の口元から、咥えていた煙草を乱暴に吐き捨てる。
[A:ヴァルガン大尉:冷静]「空を見上げる暇があったら、銃の手入れをしろ。……だが、今日だけは例外だ」[/A]
大尉が道を譲る。
[A:ヴァルガン大尉:怒り]「死ぬなよ、小僧!!」[/A]
[Impact]ゴァァァァァァッ!![/Impact]
スロットルを全開に叩き込む。
銀の翼が、夜の闇を切り裂いてカタパルトを飛び出した。
強烈なGが全身を座席に押し付ける。
直後。
[Flash]ドドドドドォォォンッ!![/Flash]
夜空が、一面の紅蓮に染まった。
敵の対空砲火。無数の曳光弾が、光の網となって眼前に迫る。
[A:エル・クラフト:恐怖]「うぉぉぉぉぉぉッ!!」[/A]
操縦桿を乱暴に倒す。
機体が悲鳴を上げ、左翼の装甲が紙屑のように吹き飛んだ。
飛び散った破片が風防を突き破り、エルの左頬を深く切り裂く。
生温かい血が顎を伝い、口の中に鉄の味が広がる。
だが、視線は決して逸らさない。
眼下の荒野を、黒い蛇のように疾走する輸送列車。
[A:エル・クラフト:興奮]「見つけた……!!」[/A]
機首を真下に向ける。
重力に身を任せ、対空砲火の嵐の中を、一直線に列車へと降下した。
メーターの針がレッドゾーンを振り切る。

第五章: 黄金の海
[Shout]ガシャァァァァンッ!![/Shout]
銀の翼の降着装置が、列車の屋根に激突し、火花の尾を引いた。
摩擦熱でタイヤが焼け焦げ、鼻を突くゴムの異臭が充満する。
風防を蹴り破り、エルは燃え盛る列車の屋根へと飛び降りる。
凄まじい風圧が体を吹き飛ばそうとした。
這いつくばり、最後尾の車両へ向かう。
扉の強化ガラスをレンチで叩き割る。
中にいたのは、両手を拘束され、床にうずくまるルミアだった。
[A:エル・クラフト:興奮]「ルミア!!」[/A]
[A:ルミア・ノア:驚き]「エル……!? どうして、あなたが……」[/A]
[A:エル・クラフト:喜び]「迎えに来た! 君の翼に、なるために!!」[/A]
拘束具を外し、彼女の細い体を引き寄せる。
だが、限界だった。
敵陣の砲撃が、列車の先頭車両に直撃する。
[Impact]ドゴォォォォォォンッ!![/Impact]
爆発の衝撃波が最後尾まで伝わり、車体が宙に舞った。
足場が崩壊し、エルとルミアは真っ逆さまに虚空へと放り出される。
上下の感覚が消失する。
吹き荒れる風の音。
エルは、空中でルミアの手を力強く引き寄せる。
[Sensual]
空中で二人の体がぶつかり合う。
エルはルミアの華奢な背中に腕を回し、自分の胸に強く押し当てた。
ドレス越しに伝わる、彼女の震える体温。
[A:エル・クラフト:愛情]「怖いか」[/A]
エルの問いに、ルミアは首を横に振る。
銀糸のような髪がエルの頬を撫で、柔らかな香りが鼻腔をくすぐった。
彼女の細い腕が、エルの泥まみれの背中を強く抱きしめ返す。
互いの鼓動が、重なり合って一つのリズムを刻む。
絶対に、離さない。
[/Sensual]
分厚い黒雲の層に、二人の体が突っ込む。
冷たい水滴が全身を打ち据え、視界が完全に奪われた。
息もできないほどの暗闇。
だが、その闇を抜けた瞬間。
[FadeIn]世界が、反転した。[/FadeIn]
呼吸を忘れた。エルの肺から、すべての空気が抜けていく。
眼下に広がっていたのは、見渡す限りの雲海。
昇り始めたばかりの朝日が、雲の絨毯を眩い黄金色に染め上げている。
光の奔流が、二人の体を優しく包み込んだ。
朝の澄んだ冷気が、肺の奥深くまで満ちていく。
戦争の炎も、血の匂いも、鉄の重さも、ここには届かない。
[A:ルミア・ノア:喜び]「……綺麗」[/A]
ルミアの透き通る青い瞳に、黄金の光が反射して輝いた。
絶望の底にいた人形は、今、初めて自分の意志で世界を讃える。
[A:エル・クラフト:喜び]「あぁ。……これが、本当の空だ」[/A]
落下しているはずなのに、まるで浮遊しているかのような錯覚。
誰にも奪われない、絶対的な自由。
繋いだ手と手から伝わる確かな熱だけが、彼らが生きているという命の証明。
光の海へ向かって、二人は静かに落ちていく。
その顔には、微塵の恐怖もなかった。