第一章: 錆びついた風向計と白き翼
鉄錆の臭気。肺を焼くような白霞が、重く大気に澱んでいる。
浮遊都市第七層の最果て。ひび割れた石畳の発着場に立つ、廃材まみれの風向計が軋みを上げて北を指した。
吹き荒れる風に無造作な癖っ毛を揺らし、首にかけたゴーグルを指先で弾く。油と煤にまみれた古びた飛行服のルカは、琥珀色の瞳で鉛色の空を射抜くように見つめている。
[A:ルカ:興奮]「風が呼んでるんだ、行かなくちゃ」[/A]
口内に広がる泥の味を、忌々しげに吐き捨てる。分厚い雲の向こう側。誰も見たことのない『青』を求めて。
[Pulse]その時。[/Pulse]
頭上の雲海が、不自然に渦を巻いた。
微かな乱気流。直感が脳髄を叩き、ルカが視線を跳ね上げる。
白霞のカーテンを引き裂き、空から「何か」が落ちてくる。
少女。
ダボついた灰色の修道服が風を孕む。透き通るような白髪が乱舞し、深い銀色の瞳が、地上で立ち尽くすルカの眼差しと交差した。
[A:イリス:恐怖]「あ……」[/A]
[Impact]背中に、不完全な白い翼。[/Impact]
忌まわしき奇形か、神の悪戯か。折れ曲がった白い羽根が、毒の雨に濡れて千切れ飛んでいく。
ルカは無意識に大地を蹴り飛ばしていた。
限界を超越した脚力で宙へ跳躍する。迫り来る硬い石畳から庇うよう、その細い身体を両腕で力強く抱きとめた。
[Impact]激しい衝撃。[/Impact]
肺から空気が押し出され、視界が白く明滅する。
激痛に顔を歪めながら目を開くと、鼻先が触れる距離に彼女の顔がある。
雨粒が銀色のまつ毛を濡らし、かすかな吐息が頬を掠めた。
[A:イリス:悲しみ]「どうして……私なんかのために」[/A]
[A:ルカ:冷静]「馬鹿言うな。空から落ちてきたやつを見捨てるほど、俺の血は冷たくないよ」[/A]
口角を引きつらせ、痛みを誤魔化すように笑う。
直後。空を覆う白霞の奥底から、けたたましいサイレンが轟いた。
統治局の漆黒の飛行船団。サーチライトの凶悪な光筋を無数に投げかけながら、猛然と降下してくる。
毒の雨。逃げ場のない鉄の牢獄。
巨大な砲塔が、身を寄せ合う二人へと冷酷に照準を合わせた。

第二章: 星明かりの海図
[A:ガルド:怒り]「馬鹿野郎が! 厄介事背負い込みやがって!」[/A]
無精髭の口元で、葉巻の先端が赤く爆ぜる。分厚い革コートを羽織るガルドの右腕から、無骨な機械義手のきしむ音が鳴り響いた。
薄暗い飛空艇のコックピット。焼け焦げたエンジン油と、古紙の匂いが立ち込めている。
ガルドは盛大に舌打ちを鳴らしつつ、熟練の挙動で操舵輪を切り裂くように回し、艇を都市の排気ダクトの隙間へと滑り込ませた。
船室の片隅。イリスが静かに目を閉じる。
血の気のない唇からこぼれ落ちたのは、祈りのような歌声。
[FadeIn]透き通る旋律が空気を震わせた瞬間。[/FadeIn]
船内を満たしていた有毒な白霞が、嘘のように澄んだ空気へと浄化されていく。
だが代償は残酷だ。彼女の白い肌から急速に体温が奪われ、細い指先が激しく痙攣を始める。
[A:ルカ:恐怖]「やめろ! お前、それ以上歌ったら……!」[/A]
[A:イリス:愛情]「いいんです。私なんて、どうなっても。あなたが……生きられるなら」[/A]
[Sensual]
都市の排気熱が遠ざかる深夜。
格納庫の天井窓から射し込むわずかな星明かりが、二人の輪郭を淡く照らし出していた。
ルカは無言で歩み寄り、氷のように冷え切ったイリスの小さな手を、自身の両手で包み込む。
オイルに塗れた武骨な指と、透き通るような白い指が、熱を分け合うように絡み合った。
「自分の命を粗末にするな。俺が守る」
ルカの体温が、彼女の震えを少しずつ溶かしていく。イリスの銀の眼に、薄い膜のような涙が浮かぶ。
触れ合う肩の温もりだけが、この狂った世界で唯一の真実に思えた。
[/Sensual]
ガルドが背を向けたまま、一枚の古びた羊皮紙をテーブルに放り投げる。
『青空の海図』。かつて彼が妻と共に目指し、そして永遠に失った夢の残骸。
[A:ガルド:冷静]「空は死に場所じゃねえ。生きて帰るための道だ。……忘れるなよ、小僧」[/A]
重い静寂が降りた。
[Glitch]ガガ……ピーーーーッ![/Glitch]
突如、計器盤の針が限界を超えて振り切れる。真っ赤な警報ランプが船室を血の色に染め上げた。
窓の外。星空を完全に覆い隠すように、数百もの統治局艦隊が浮上し、彼らの退路を断っていた。

第三章: 檻の街と引き裂かれた空
[A:ヴァルガス:冷静]「無駄な抵抗である。その羽根虫を渡し給え」[/A]
外部スピーカーから響く声は、氷の塊のように抑揚を欠いていた。
旗艦の甲板。一切の隙がない純白の軍服を着こなしたヴァルガスが、銀縁眼鏡の奥で冷徹な光を放つ。
時計の針のように正確に。無慈悲に。巨大な砲列が火を噴いた。
[Impact]轟音。[/Impact]
飛空艇の装甲がひしゃげ、木片と鉄の破片が散弾のように降り注ぐ。
ルカの額が割れた。生温かい血が頬を伝い、口の中に酷い鉄の味が広がる。
ガルドが義手を軋ませて操舵輪にしがみつくものの、心臓部たるエンジンは既に黒煙を上げて沈黙していた。
[A:ルカ:絶望]「くそっ……! 動け、動けよぉぉ!」[/A]
[A:ヴァルガス:冷静]「自由などという幻影が破滅を招く。秩序こそが、人類が羽ばたくための唯一の翼なのだよ」[/A]
冷たい雨が叩きつける甲板。
イリスが、ふらつく足で立ち上がった。
視線の先。そこには、血まみれで倒れ伏すルカの痛々しい姿がある。
[A:イリス:悲しみ]「やめて……もう、傷つかないで」[/A]
彼女は胸の前で小さな両手を組み、ゆっくりと、死神の待つヴァルガスの艦へ向かって歩き出す。
「私が行きます。だから、彼らを見逃して」
[A:ルカ:恐怖]「イリス、待て! 行くな!」[/A]
ルカが血に染まった手を伸ばす。あと数センチ。
だがその手は無情にも空を切り、冷たい雨粒だけを掴み取った。
無数の銃口に囲まれながら、白い翼の少女は鉛色の空の彼方へと連れ去られていく。
膝から力が抜け、濡れた甲板に崩れ落ちる。
喉の奥で詰まった嗚咽は音のない叫びとなり、土砂降りの雨音に無残に掻き消された。

第四章: 命の火、光の柱
統治局本部。天を衝く幽閉塔の頂。
祭壇を思わせる巨大な機械の核に縛り付けられ、イリスは自らの命を燃やしていた。
都市全土を覆う白霞を、彼女の命を濾過器として浄化する狂気の儀式。
足元から、肉体が少しずつ光の粒子へと崩壊していく。
[FadeIn]大気が白く発光し、天使の羽根のように天へ昇る。[/FadeIn]
[A:イリス:喜び]「あぁ……綺麗……」[/A]
[Think]これでいい。私の命に、やっと意味ができた。[/Think]
だが、その時。
塔の外壁を這い上がるように、爆音を轟かせる炎の塊が迫っていた。
[A:ガルド:狂気]「死に場所は……自分で決めるぜぇぇ!!」[/A]
片翼を失い、完全に火だるまと化したガルドの飛空艇。
葉巻を噛み砕き、義手から凄まじい火花を散らしながら、防衛網の巨大な主砲へと一直線に突撃する。
[A:ヴァルガス:驚き]「ガルド! 貴様、狂ったか!」[/A]
[A:ガルド:興奮]「ルカ! 俺たちの空を取り戻せぇぇ!!」[/A]
[Flash]白昼夢のような閃光。[/Flash]
鼓膜を突き破る爆発音が、塔の上部を丸ごと吹き飛ばした。
燃え盛る瓦礫。黒煙。機械油の焼けるひどい悪臭。
その業火のトンネルを突き抜け、限界までチューンナップされた小型艇が、塔の内部へと絶死の突入を果たす。
琥珀色の瞳に決死の炎を宿したルカが、血の滲む手で操縦桿を握り締めていた。
[A:ルカ:怒り]「イリスゥゥゥッ!!」[/A]
防衛システムから放たれる高熱の光線が、小型艇の装甲を紙切れのごとく削り取っていく。
外装が剥がれ落ち、火の粉がコックピットに荒れ狂う。
機体は完全に、崩壊の臨界点に達していた。

第五章: 青に焦がれた鳥たちの終片
[Pulse]激しい鼓動が、世界を支配する。[/Pulse]
崩壊する塔の内部。重力が狂い、巨大な瓦礫がスローモーションのように宙を舞う。
光の粒子と化し、今にも消えゆくイリスの身体。
ルカは粉々になる機体から身を乗り出し、荒れ狂う炎と風の壁を越え、右手を限界まで伸ばした。
[A:ルカ:絶望]「ふざけるな! お前がいない空に、何の意味があるんだよ!」[/A]
指先が熱風に焼かれ、皮膚が裂ける。
それでも。琥珀の瞳はただ一点、少女の銀眼だけを射抜いていた。
[A:イリス:驚き]「……ルカ」[/A]
彼女の胸の奥深く。強固に縛られていた呪いの鎖が、音を立てて砕け散る。
犠牲になるための道具じゃない。
本当は。一緒に風を感じたかった。生きたかった。
[A:イリス:愛情]「生きたい……! あなたと一緒に、空を!」[/A]
[Impact]二人の手が、ついに重なり合う。[/Impact]
その瞬間。
イリスの背にある不完全な白い翼が、目を焼くほどの強烈な光を放ち始めた。
周囲の白霞を喰らい尽くし、飛空艇の残骸と共鳴した光は、巨大な《光の翼》となってルカの機体ごと包み込む。
[System]《限界突破・風の道》[/System]
限界を超越した推力。
音すら置き去りにした一筋の光の矢が、世界を覆う分厚い白霞の天井を完全に突き破った。
[FadeIn]絶対の静寂。[/FadeIn]
狂暴な風の音が消え、視界を塞いでいた有毒な雲海が足元へと遠ざかる。
澄んだ冷たい空気が、ルカの無造作な癖っ毛を優しく撫でた。
ひび割れたフロントガラスの向こう。
そこには、この世界の誰一人として見たことのない、圧倒的な絶景が広がっている。
海のように深く、果てしなく透き通る『青』の天井。
真昼であるにもかかわらず、宇宙の深淵を覗くような星々の光が、ダイヤモンドの粉末のように瞬いていた。
[A:ルカ:喜び]「……これが、本当の空」[/A]
ルカの胸に寄り添うイリスの背から、忌まわしい奇形の翼はとうに消え去っている。
温かい光を帯びた銀眼から、真珠のような涙が一粒こぼれ落ちた。
錆びついた世界から飛び立った二羽の鳥は、終わりのない青空の海へ、静かにその翼を滑らせていく。