第一章: 灰色の雨と琥珀色の炎
鉄錆の臭いを孕んだ夕立が、鉛色の空から絶え間なく降り注ぐ。
前髪を伝う雨滴が頬を打つ。窮屈な指定制服はスラックスの折り目まで完璧だが、首元のネクタイだけが息苦しさを訴えるように緩められていた。雨の帳の底、光を反射する瞬間にだけ、神崎蒼の虚ろな瞳は群青の煌めきを宿す。
打ち付ける冷たさに身を浸し、彼は巨大な鉄フェンスの向こう側を見つめていた。見えない海の底に沈殿したような、出口のない白亜の学園都市。
水たまりを蹴る派手な音が、単調な雨音を断ち切った。
振り返る視界を、強烈な色彩が撫でる。潮風に吹かれたような無造作な銀髪。水滴の滴るセーラー服の袖を乱暴にまくり上げ、彼女は裸足のままコンクリートを蹴っていた。
燃え盛る夕陽のような琥珀色の瞳が、蒼の群青を真っ直ぐに射抜く。
[A:星野 海音:興奮]「ねえ! そこから何が見えるの!」[/A]
[A:神崎 蒼:冷静]「……何も。ただの壁だよ」[/A]
[A:星野 海音:喜び]「嘘だね。君の目、すごく遠くを見てたもん」[/A]
濡れた指先が金網を掴み、爪先が引っ掛けられる。ガシャリ、と硬質な音が鳴った。
[A:神崎 蒼:驚き]「危ないよ。電気信号が流れてる。見つかったら……」[/A]
[A:星野 海音:冷静]「見つかる前に飛べばいいでしょ!」[/A]
星野海音の唇の端が、挑発的に持ち上がった。彼女の放つ熱量が、周囲の雨粒さえ蒸発させてしまいそうだ。
[A:星野 海音:愛情]「あそこまで走ろう。この壁の向こう側、一緒に見に行こうよ」[/A]
[A:神崎 蒼:悲しみ]「どうせ僕らには、どうにもできないよ。ここは鳥籠だ」[/A]
蒼が目を伏せるより早く、海音はフェンスから飛び降りた。泥水の跳ね返りなどお構いなしに、鼻先まで距離を詰めてくる。琥珀色の瞳孔が、微かに収縮した。
[A:星野 海音:怒り]「諦めるの、上手になりすぎじゃない?」[/A]
固く閉ざしたはずの古傷を、薄刃でなぞられたような痛覚。蒼の喉が小さく鳴る。
[Think]なぜ、君はそんなに……眩しいんだ。[/Think]
耳障りなサイレンが白亜の校舎から響き渡ったのは、その時だ。赤色灯の明滅が、海音の銀髪を不吉な色に染め上げる。
[A:星野 海音:興奮]「あーあ、見つかっちゃった。またね、群青色の君!」[/A]
彼女は裸足のまま、夕立の奥へと駆け出していく。置き去りにされた足元で、水たまりが小さく波打つ。冷え切った蒼の指先には、確かな熱が残されていた。

第二章: 夜鳴く時計と氷の刃
深夜の旧校舎。ノイズ混じりのラジオが、砂嵐に似た音楽を垂れ流している。
窓辺に腰掛け、冷めきった紅茶を喉に流し込む。舌にへばりつく苦渋が、泥のように重い夜の空気をわずかに中和した。
手元に散らばるのは分解された古い懐中時計。ピンセットを操る指先が、微かな足音を捉えて静止する。
[A:星野 海音:喜び]「またいじってるの? それ、直るの?」[/A]
闇から滑り出た銀髪が、身軽に窓枠を乗り越える。手にはラムネの空き瓶。
[A:神崎 蒼:冷静]「……直らないよ。歯車が欠けてるからね」[/A]
[A:星野 海音:愛情]「直らないものを直そうとするのって、ロマンだよね!」[/A]
蒼の隣に座り込んだ海音の肩が、わずかに触れる。薄い制服越しに伝わる体温。漂ってくるのは塩辛い潮風の匂い。海を知らぬこの街で、彼女だけがその記憶を纏っていた。
[A:神崎 蒼:照れ]「君は、どうしてそんなに外に出たがるんだい」[/A]
[A:星野 海音:悲しみ]「……海鳴りが、呼んでる気がするから」[/A]
琥珀色の瞳が一瞬だけ揺らぐ。その奥にへばりつくのは、ひび割れた硝子にも似た怯えの色だ。蒼はピンセットを置き、彼女の横顔から目を逸らせなくなった。
[Pulse]ドクン、ドクン。[/Pulse]
鼓動が跳ねる。止まっていたはずの心臓の歯車が、ひどい軋みを上げて回り出す。
[Sensual]
無意識に伸ばした指先が、海音の頬にかかる銀髪をそっとすくい上げる。耳たぶの温もりに触れた瞬間、彼女の肩が小さく跳ねた。
[A:星野 海音:照れ]「……蒼?」[/A]
[A:神崎 蒼:愛情]「君の髪、月の光みたいだね」[/A]
朱に染まる頬。息を呑む気配。琥珀と群青が交錯し、二人の距離は不可逆の数センチへと縮まっていく。
[/Sensual]
だが、その静寂はカツンという硬質な靴音に無残に踏みにじられる。
[A:氷室 朔:冷静]「夜間の外出は、学園規定第十四条に違反する」[/A]
闇が裂けた。
白磁の肌に銀縁眼鏡。特注の純白を纏う長身の青年が、ドアフレームに寄りかかっている。氷室朔。氷塊のような三白眼が、二人をただの標本として見下ろしていた。
[A:神崎 蒼:驚き]「……生徒会長」[/A]
[A:氷室 朔:怒り]「自由は人を壊す毒だ。秩序こそが唯一の救済である。君たちのようなバグは、システムから速やかに排除されなければならない」[/A]
眼鏡の奥で、冷酷な光が明滅する。
[A:氷室 朔:冷静]「星野海音。お前の体内で進行している『それ』が、これ以上周囲を腐敗させる前にな」[/A]
[A:星野 海音:恐怖]「ッ……!」[/A]
咄嗟に胸元を握りしめる海音。彼女の呼吸が、急激に浅く乱れ始めていた。

第三章: 落ちる羽根と冷たい嘘
鼻腔を刺す消毒液の匂い。蛍光灯の冷徹な光が、リノリウムの床に白く反射している。
数時間前。彼女は蒼の目の前で突然崩れ落ちた。血の混じった咳と共に銀色の髪を床に散らす様は、撃ち落とされた鳥そのものだった。
過度な抑圧が引き起こす致死の奇病『鳥籠病』。
胸元に黒い羽根の痣が咲き誇り、やがて呼吸のすべてを奪い去る。
[A:氷室 朔:冷静]「彼女は特別病棟へ移送する。神崎、君は教室へ戻れ」[/A]
鋼鉄の扉の向こうへ隔離されていく海音。蒼は閉ざされゆく隙間に指をねじ込み、強引にこじ開けようと抗った。
[A:神崎 蒼:怒り]「待って! 海音! なぜ隠してたんだ!」[/A]
隙間から覗く顔は死人のように蒼白だ。それでも彼女は震える唇を無理やりに引き上げ、残酷なほど眩しい笑顔を作ってみせた。
[A:星野 海音:冷静]「……私、一人で飛べるって言ったでしょ」[/A]
[A:神崎 蒼:悲しみ]「嘘だ! 君の手、あんなに震えてるじゃないか!」[/A]
[A:星野 海音:怒り]「もう、私に構わないでッ!!」[/A]
[Impact]ガチャン!![/Impact]
無情な音と共に、扉は完全に閉ざされる。指先を弾き出され、蒼は冷たい床に崩れ落ちた。
[A:神崎 蒼:絶望]「……あ……ああ……」[/A]
詰まった嗚咽が漏れ出す。フラッシュバックする過去。手を伸ばしても届かなかった親友の死顔。また同じ過ちを繰り返すのか。期待通りの「完璧な歯車」として、一番大切なものを見捨てるのか。
[Pulse]ドクン、ドクン、ドクン。[/Pulse]
伏せた視界の隅に、一枚の紙切れが落ちていた。先ほどまで海音が握りしめていたものだ。
しわくちゃの紙片には、学園の外へ続く秘密の抜け道が描かれていた。

第四章: 嵐の夜、壊れた歯車
狂ったような風が窓ガラスを打つ。
深夜の学園は、猛烈な暴風雨に呑み込まれていた。
泥にまみれた制服のまま、蒼は特別病棟の暗い廊下を駆け抜けた。荒れた呼吸のたび、口内に鉄の味が広がる。明日の朝、海音は記憶と感情を奪う「矯正手術」にかけられてしまう。
[A:神崎 蒼:興奮]「間に合え……! 間に合えッ!!」[/A]
足音を消す技術などとうに捨て去った。泥水を蹴立て、螺旋階段を一気に駆け上がる。
最上階の手術室前。そこには、純白を一糸の乱れもなく着こなした朔が立ちはだかっていた。
[A:氷室 朔:怒り]「愚かな。その扉を開ければ、お前も破滅するぞ」[/A]
[A:神崎 蒼:怒り]「どけ。僕は、あいつを連れて行く!」[/A]
懐から引き抜いたスパナを構える蒼。朔は鼻で嗤い、中指で眼鏡を押し上げる。
[A:氷室 朔:狂気]「自由を求める者は、皆同じ目をしている。……かつて、私の前で息絶えた妹と同じだ」[/A]
[Flash]ピシャァァン!![/Flash]
閃光が廊下を青白く照らし出す。氷塊のような三白眼が、ほんの微かに震えたのを蒼は見逃さなかった。眉間が引きつり、握りしめた拳が痙攣を起こしている。
[A:氷室 朔:悲しみ]「自由が彼女を殺した! だから私は、この狂った世界からすべての不確定要素を排除する! 秩序こそが、彼女への贖罪なのだ!!」[/A]
[A:神崎 蒼:怒り]「違う!! それは君が、傷つくのが怖いだけだろ!!」[/A]
[Shout]「自己犠牲で誰かが救われるなんて、そんなの嘘っぱちだァァァッ!!」[/Shout]
剥き出しの咆哮が、嵐の轟音を真っ二つに裂いた。

第五章: 世界が青に染まる前に
振り下ろされたスパナは朔の頭上をかすめ、背後の壁で激しい火花を散らす。
見開かれた両目。後ずさる足。完璧なシステムに致命的な亀裂が走った瞬間だった。
その隙を突き、蒼は手術室の扉を蹴り開ける。
息を呑んだ。
無機質な手術台の上で、海音が意識を手放しかけている。胸元の黒い痣は、すでに首筋まで達しようとしていた。
[Sensual]
スパナを投げ捨て、細い体を力強く抱き起こす。氷のような肌。蒼は彼女の背に腕を回し、己の熱をすべて注ぎ込むように強く抱き締めた。
[A:神崎 蒼:愛情]「海音……! 目を開けてくれ!」[/A]
[A:星野 海音:悲しみ]「……蒼……? どうして……」[/A]
[A:神崎 蒼:興奮]「一緒に行くって、約束しただろ!」[/A]
[/Sensual]
海音の腕を肩に回し、立ち上がる。
背後で朔が膝を折る音を聞き流し、振り返ることなく屋上への階段を目指した。
[A:星野 海音:驚き]「蒼、足が……もう……」[/A]
[A:神崎 蒼:怒り]「僕が支える! だから、諦めるなッ!!」[/A]
[Pulse]ガンッ! ガンッ![/Pulse]
重い鉄扉に体当たりを繰り返す。肩の骨が軋み、激痛が走った。それでも歩みを止めるわけにはいかない。
[Impact]バアァァァン!![/Impact]
蝶番が砕け散り、二人の体は外へと投げ出された。
[FadeIn]……光。[/FadeIn]
嵐は嘘のように消え去っていた。
冷たい風が頬を撫でる。眼下に広がるのは、見渡す限りの未明の海。
地平線の彼方から、圧倒的な朝焼けが世界を黄金に染め上げようとしている。
[A:星野 海音:喜び]「……海……」[/A]
琥珀色の瞳に、鮮やかな朝陽が反射する。胸を侵食していた黒い痣が、光を浴びて淡く溶けていくような錯覚。
[A:神崎 蒼:愛情]「ああ。君の言う通りだった。僕らは、飛べる」[/A]
群青の瞳が、夜明けの空の色と完全に溶け合った。
海音は蒼の手を強く握り返し、裸足のままフェンスの縁に立つ。
塩辛い朝の空気を、肺の奥底まで吸い込んだ。
壊れた時計の針は、もういらない。
二人は繋いだ手を離さぬまま、眩い光の奔流へ向かって、力強く身を躍らせた。