圧縮された空気は、常に腐敗した生ゴミと錆びた鉄の臭気を孕んでいる。
ここは地下三千メートルの廃棄物処理層。天井から垂れる汚水が、泥濘と化した床をピチャリと叩いた。
油と泥で黒く固まった髪を掻き毟り、ヨミはケラケラと喉を鳴らす。
継ぎ接ぎだらけで本来の色を失った囚人服。煤にまみれた布地の下では、骨ばった肩が小刻みに揺れていた。
その顔に張り付く常軌を逸した三白眼が、薄暗い電球の下でギラギラと異様な光を放つ。
[A:ヨミ:興奮]「だからさ、上はマジでパラダイスなんだって。俺、知ってんじゃん。光るゴミが降ってくる場所、そこが入り口なんだろ」[/A]
血と泥に塗れた絵本の切れ端をひらひらと揺らしてみせる。
ヨミの隣で、痩せこけた体躯をさらに丸め込んでいるのはハルだった。
怯えたように下がる垂れ目は、周囲の暗がりを絶えず泳いでいる。
ガチガチと鳴る歯の音とともに、血に染まった指先を口元に運び、ボロボロの爪を噛みちぎった。
[A:ハル:恐怖]「でも、看守に見つかったら、また飯抜きだよ……。ヨミ、もうやめようよ、ね?」[/A]
[A:ヨミ:狂気]「笑えよ、自由はすぐそこだぜ!」[/A]
ヨミの瞳には、目の前の冷たい岩盤など映っていない。
虚ろでありながら熱を帯びた視線は、幻の青空だけを見据えていた。
[Impact]「このゴミ虫どもがぁ!」[/Impact]
鼓膜を劈く怒声とともに、空気を切り裂くような破裂音が響く。
[Flash]青白いアーク放電が散った。[/Flash]
ヨミの背中を強烈な痛みが鞭打つ。
肉が焦げる嫌な臭いが、鼻腔に深くこびりついた。
パリッと糊の利いた制服を身に纏いながらも、だらしなく突き出た腹が権威を台無しにしている男。
看守のゴートは、無駄に装飾の施された電磁警棒を振り下ろした姿勢のまま、醜く顔を歪ませた。
[A:ゴート:怒り]「貴様らはここで死ぬまでゴミを分ける運命である! 楽園など存在しないと、その腐った脳髄に刻み込みたまえ!」[/A]
痛みに背を反らせながらも、ヨミの口角は吊り上がったまま。
ハルは頭を抱え、薄汚れた床に這いつくばって震えている。
ゴートがさらに警棒を振り上げようとした、その瞬間だった。
ヨミはゴミの山から拾い上げた宝物を固く握りしめる。
それは赤く錆びつき、柄のひしゃげたスプーン。
[A:ヨミ:冷静]「うるせえな。俺は忙しいんだよ。道を開ける作業でさ」[/A]
迷うことなく、分厚い岩盤の隙間へとスプーンの先端をねじ込んだ。
ガリッ。甲高い摩擦音。
[Pulse]キリキリと金属が悲鳴を上げ、次の瞬間、パキリと乾いた音を立ててスプーンが折れる。[/Pulse]
弾け飛んだ先端が、岩盤の奥に隠されていた配電盤の隙間へと吸い込まれた。
ジジッ。不吉なノイズ。
[Flash]バチバチバチッ![/Flash]
激しい火花が吹き荒れる。
施設全体を照らしていた無数の水銀灯が、断末魔のような瞬きの後に一斉に沈黙した。
完全な漆黒が、三千メートルの底を飲み込んでいく。

[Glitch]「……あ? なんだこれ」[/Glitch]
視界を奪われた暗闇の中、ヨミの軽薄な声だけが浮かび上がった。
冷気が足元から這い上がり、得体の知れない静寂が空間を支配する。
遠くで、何かが崩れるような轟音が鈍く響き始めた。
[A:ハル:狂気]「ヒッ……ヨミ、どこ!? 暗い、暗いよ!」[/A]
錯乱したハルの手が空を切った。
暗闇のなかで何かに激突し、必死にしがみつく。
布の感触。そして、でっぷりとした肉の弾力。
[A:ゴート:驚き]「なっ、何をする! 離れたまえ、この汚らしい手がぁ!」[/A]
[A:ハル:絶望]「違う、ヨミじゃない! ご、ごめんなさい、ごめんなさい!」[/A]
もつれ合う二つの影が、泥濘の上を転げ回る。
泥水が跳ねるなか、鈍い打撃音とゴートの情けない悲鳴が重なり合った。
その混沌を切り裂くように、鼻を突く強烈なオイルと硝煙の匂いが割り込んでくる。
暗闇の奥で、チリチリと導火線の燃える小さな赤い火種が揺れていた。
[A:バグ:興奮]「とりあえず、全部吹っ飛ばせば通れるッスよ!」[/A]
顔の下半分をオイル塗れの布で覆い、全身にガラクタを巻きつけた大男、バグ。
彼の狂気じみた奇声とともに、火種のついた円筒形の物体が放物線を描く。
カラン、コン。
[Think]あ、これ跳ね返ってきたじゃん[/Think]
ヨミの脳裏を、極めて冷静な思考がよぎった。
[Shout]ドッゴォォォォン!![/Shout]
鼓膜を突き破る爆音。
足元のコンクリートが粉々に砕け散る。
強烈な爆風が三人の体を宙へと跳ね飛ばした。
壁面の巨大な下水管がひしゃげ、茶色く濁った汚水が鉄砲水となって吹き出す。
腐臭を放つ泥流に飲み込まれながら、ヨミはゲホゲホと汚水を吐き出した。
視界の端で、爆発によって吹き飛んだ太い鉄パイプが空を舞う。
ゴーン!
ゴートの側頭部にそれが直撃し、白目を剥いた巨体が泥水の中へズブズブと沈んでいく。
[A:バグ:喜び]「ヒャハハ! 最高のスプラッシュッスね!」[/A]
濁流に流されながら、ヨミの手が沈みゆくゴートの制服を掴み取る。
引っ張った拍子に、ポケットから一枚のプラスチック片が滑り落ちた。
薄明かりの中で泥を拭うと、そこには擦り切れた金色の印字がある。
『地上の楽園行き・特急片道切符』
ギラリ。ヨミの三白眼が、獲物を見つけた獣のように輝いた。
[A:ヨミ:狂気]「ほら見ろよ! やっぱりあるんじゃん、チケット!」[/A]

壁に空いた巨大な大穴の向こうからは、轟々という風鳴りが響いてくる。
地上へと続く排気シャフト。
その入り口には、直径十メートルはあろうかという巨大な換気扇の回転刃が、肉挽き機のように唸りを上げていた。
刃の隙間はわずか。タイミングを間違えれば、一瞬で細切れの肉片に変わるだろう。
[A:ヨミ:興奮]「行くぜ、お前ら! この肉の塊をクッションにするんだよ!」[/A]
ヨミは気絶したゴートの襟首を掴み、泥に塗れた重い体を引きずる。
躊躇という概念は、彼の脳のどこにも存在していなかった。
[Pulse]ドクン、ドクン、ドクン。[/Pulse]
血の巡りが異常な速度で跳ね上がり、呼吸が荒くなる。
[A:ハル:絶望]「無理だよ! 死んじゃう、絶対に死んじゃうよ!」[/A]
[A:バグ:冷静]「爆薬が濡れて火がつかないッス……。最悪ッスね、これ」[/A]
泣き叫ぶハルと、肩を落とすバグを置き去りにして。
ヨミはゴートを盾にしながら回転刃へと飛び込んだ。
[Impact]ギャリギャリギャリッ![/Impact]
無慈悲な刃がゴートの制服ごと肉を食いちぎる。
飛沫となって肉片と血が舞い散った。
生温かい液体がヨミの頬にへばりつく。鉄錆の強烈な味が唇を濡らした。
[Shout]「ヨミィィィィィ!」[/Shout]
背後から、ハルが弾かれたように飛び込んでくる。
しかし、滑る泥に足を取られた。
ハルの両腕が、ヨミの右脚にガッチリとしがみつく。
その重みで、ヨミの体が回転刃の方へ大きく傾いた。
[A:ハル:愛情]「ヨミがそう言うなら、絶対そうだよね……? 置いていかないで、お前がいなきゃダメなんだ!」[/A]
顔中を血と鼻水で汚し、執着を宿した垂れ目がヨミを見上げる。
脚に食い込む指先は爪が剥がれ、赤黒い血を滲ませていた。
ヨミの顔に、満面の笑みが浮かぶ。
口角を限界まで引き上げ、歯を剥き出しにして嗤った。
[A:ヨミ:狂気]「重いんだよ、離れろっての!」[/A]
遠慮なく蹴りを叩き込もうとするが、ハルの拘束は異常なほどの力で解けない。
もつれ合った二人の体は、そのまま肉挽き機の隙間へと滑り込んでいく。
刃が肩の肉を掠めた。激痛が脳髄を焼き切る。
視界が血の赤で染まり、意識が遠のく中。
強烈な突風が二人の体を上空へと吹き飛ばした。

[Blur]ジリジリと、網膜を焼くような光。[/Blur]
呼吸をするたびに、肺腑が焼け焦げるような痛みに襲われる。
ザラザラとした赤茶けた砂塵が、二人の血まみれの顔に降り注いでいた。
ゆっくりと体を起こしたヨミの目に飛び込んできたのは、彼が信じたパラダイスの光景。
いや。
見渡す限りの、焦土。
空は毒々しい赤黒いガスに覆われ、太陽は不気味な血の色に霞む。
瓦礫の山となった高層ビルの残骸。
大地には草木の一本すらなく、白骨化した残骸が風に吹かれてカラカラと乾いた音を鳴らしている。
[A:ヨミ:冷静]「……なんだよ、これ」[/A]
手元の『地上の楽園行き・特急片道切符』へと視線を落とす。
吹き荒れる風が、砂とともに印字を削り取っていく。
裏面には、色褪せたピエロのイラスト。
そして『マクミラン・テーマパークへようこそ!』という能天気な文字。
単なる、戦前の遊園地の入場券。
それ以上でも、以下でもない、ただのゴミ切れだった。
ウィィィン。無機質な駆動音が地鳴りのように響き渡る。
瓦礫の陰から、複数の赤いセンサー光が立ち上がった。
銀色の装甲を砂埃に汚した、多脚型の自動殺戮マシン。
その無機質な砲口が、一斉に二人へと向けられる。
[System]《ターゲット確認。未登録の新種変異体。駆除シークエンスに移行します》[/System]
圧倒的な現実。
三千メートルの泥濘を這い上がり、肉を切り刻まれながら掴み取った自由の正体。
それは、秒読みで訪れる確実な死の荒野にすぎなかった。
ハルが隣で震えている。
だが、その震えは怯えによるものではない。
ハルの口から、ヒクッ、と奇妙な音が漏れた。
そして、ヨミもまた。
腹の底からこみ上げてくる、どうしようもない衝動。
[A:ヨミ:狂気]「アハハ……」[/A]
[A:ハル:狂気]「フフッ……アハハハハ!」[/A]
[A:ヨミ:喜び]「見ろよハル! 最高じゃんか、ここ! ゴミしかねえ!」[/A]
[A:ハル:喜び]「ヨミがそう言うなら、絶対そうだよね! アハハハハハハ!」[/A]
互いの血に染まり、ボロボロに引き裂かれた顔を指差して、二人は大地を転げ回った。
[Tremble]腹を抱え、涙を流し、肺の空気をすべて絞り出すように笑う。[/Tremble]
泥濘の底で培った狂気は、この終わった世界において完璧な生存戦略として機能していた。
四方から迫り来るレーザーの照準が、彼らの体を真っ赤に染め上げていく。
[Shout]「アハハハハハハハハハハハ!!!」[/Shout]
有毒ガスに満ちた荒涼たる世界。
腹の底からの大爆笑だけが、どこまでもどこまでもこだましていく。
空気を焼き焦がす熱線の雨が降り注ぐ直前まで、彼らの笑い声が途切れることはなかった。
残されたのは、血と硝煙。
そして、満たされたような鉄錆の味だけだ。
ただ、狂気だけが、そこに在った。