第一章: 深夜二時の肉挽き音
ズン……ズン……と、床下から這い上がる鈍い重低音。
鼓膜を直接圧迫するその振動に、鳴海詩乃は跳ね起きる。肌に張り付くオーバーサイズのシルクパジャマを硬い指先で握り締め、色素の薄い茶髪を乱したままベッドを滑り降りた。
午前二時。底冷えする廊下の闇へ踏み出した途端、鼻腔を刺したのは鉄の錆びた匂いと微かな獣臭。
心臓が肋骨を激しく叩く。足裏に伝わるフローリングの冷たさに、奥歯がカタカタと鳴る。
異臭の源は、普段は固く施錠されている地下調理室。わずかに開いた鉄扉の隙間から、青白い蛍光灯の冷徹な光が漏れ出している。
詩乃は大きく見開いた瞳を引きつらせ、息を殺してドアの隙間に視線を滑り込ませた。
視界の先、銀縁眼鏡をかけた長身痩躯の夫――鳴海惣一が無機質な三白眼で巨大な出刃包丁を握りしめている。
普段の穏やかな微笑みは完全に消え失せ、冷酷な執刀医そのものの貌(かお)を覗かせる。
透明なビニールエプロンには、べっとりと赤黒い飛沫が飛び散っていた。
鳴海 惣一「ミリ単位で骨を断ち切る必要があります……。詩乃に見られる前に、狂いなく仕上げましょう」
ドゴッ、と骨を叩き割る凄まじい破壊音。
惣一の手元には、白いシーツに包まれた異様に巨大な肉塊が横たわっていた。
刃先が肉を断ち、骨を砕く生々しい感触が、床を通じて詩乃の足先までビリビリと響く。
鳴海 惣一「記念日にふさわしい、最高の生贄だ」
この家、絶対に何かが埋まってる……次は、私の番だ。
冷や汗が首筋から背骨へと一気に伝い落ち、詩乃の指先が激しく痙攣する。
浅くなる呼吸を必死に抑え込みながら、震える手でスマートフォンの画面をタップした。
義弟である蓮司へ、位置情報と共に『たすけて、殺される』と震える指でSOSを送信した、その瞬間――。
カチャリ、と背後で乾いた金属音が響く。
氷のように冷たい指先が、背後から詩乃の華奢な肩を鷲掴みにした。
鳴海 惣一「詩乃、起きていたのかい?」
「ひっ――!」
暗闇の中、惣一の眼鏡の奥で双眸が爛々と光っていた。
第二章: 突入と血塗られた祭壇

「動くなサイコ野郎! 詩乃さんに指一本触れさせねえぞ!」
轟音と共に玄関の鉄扉が蹴破られ、蝶番(ちょうつがい)が悲鳴を上げて吹き飛んだ。
革ジャンを翻し、短髪を逆立てた矢萩蓮司が特殊警棒を構えて地下室へ怒涛の勢いで突入してくる。
鋭い眼光で兄を捉えるや否や、鍛え上げられた体躯で惣一の背中へ躊躇なく飛びかかり、冷たいタイル床へ組み伏せた。
矢萩 蓮司「現行犯で締め上げてやる! てめぇ、何人の人間を解体しやがった!」
床に押し付けられた惣一は、眼鏡を歪ませながらも、血走った両目で銀色の作業台を見つめて叫び声を上げる。
鳴海 惣一「蓮司、離せ! 頼む、今だけは手を止めないでくれ! 鮮度が落ちてしまう!」
関節を極められながらも狂気じみた執着で作業台へ手を伸ばす兄の姿に、蓮司の背筋に冷たい戦慄が走った。
鳴海 詩乃「れ、蓮司くん……! その台の上に……遺体が……!」
詩乃はへたり込んだまま、青ざめた唇を震わせて作業台を指差す。
ステンレスの台座の上には、真っ赤に染まったシートに包まれた巨大な物体が横たわっていた。
ポタ、ポタと滴り落ちる赤黒い液体が、白いタイルの目地を濃密に染め上げている。
矢萩 蓮司「覚悟しろ惣一……全部、全部暴いてやる!」
蓮司は荒い息を吐きながら警棒を握り直し、血塗られたシートの端を力任せに引き剥がした。
第三章: 最凶のサプライズディナー

バサリと剥ぎ取られたシーツの下から、鮮烈なサシの入った極上の紅色の肉塊が姿を現した。
それは人間の四肢などではなく、百キログラムに及ぶ特注黒毛和牛の極上A5ランクの半身である。
床一面に広がっていた赤黒い飛沫からは、血臭ではなく、芳醇なカシスと熟成バルサミコ、上質な赤ワインの甘く濃厚な香気が立ち上っていた。
矢萩 蓮司「……は? なんだこれ……肉……? え、牛……?」
蓮司の手から特殊警棒が滑り落ち、カランと甲高い金属音を立てて床を転がる。
惣一は拘束が緩んだ隙に床から静かに身を起こし、歪んだ銀縁眼鏡の位置をミリ単位の狂いもなく直した。
鳴海 惣一「結婚三周年記念日です。以前、詩乃が『死ぬほど美味しい極厚ローストビーフが食べたい』と言っていたでしょう」
鳴海 詩乃「え……あ、あの……じゃあ、あの血の匂いは……?」
鳴海 惣一「煮詰めた特製ベリーソースです。元外科医の技術を活かし、繊維を一切傷つけずに筋膜を剥離していました。断面の美しさこそが、愛の証明ですから」
惣一は至極当然といった表情のまま、巨大なステンレスバットから湯気を立てる完璧なロースト肉を取り出し、鮮やかな深紅のバラの花束を詩乃へ差し出す。
詩乃の膝から完全に力が抜け、冷たい床へへたり込んだ。
恐怖で張り詰めていた糸がプツリと切れ、喉の奥から乾いた吐息が漏れる。
矢萩 蓮司「……兄貴、紛らわしい真似すんじゃねえよ! ドア弁償しろ!」
顔を真っ赤にした蓮司が頭を抱えて唸り声を上げる横で、詩乃の瞳から大粒の涙が零れ落ち、やがて腹の底から突き上げるような笑い声へと変わっていった。
惣一が静かに歩み寄り、床に座り込む詩乃の前で優雅に膝を突く。
薄手のパジャマ越しに、熱を帯びた大きな手が詩乃の細い腰を強く引き寄せた。
♥至近距離で重なる熱い吐息と、香ばしくスパイシーな肉の芳香。[/Heart]
耳元に触れる惣一の唇が、甘く湿った熱を帯びて微かに震えている。
鳴海 惣一「さあ、冷めないうちに召し上がれ。僕の可愛い共犯者……今夜は朝まで、僕の愛を味わい尽くしてください」
地下調理室に、狂おしいほど甘美で過剰な記念日のディナーが幕を開けた。