嘘つきラジオと、7000ヘルツの遺言

嘘つきラジオと、7000ヘルツの遺言

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第一章 屋上の放送室

「――というわけで、昨夜の流星群はすごかったよ。星が降る音で、鼓膜が破れるかと思った」

乾いた風が、錆びついたフェンスを揺らす。

俺、相沢湊(あいざわ みなと)は、マイク代わりのICレコーダーに向かって、息を吐くように嘘をついた。

場所は廃病院の屋上。

眼下には、くすんだ灰色の街が広がっているだけだ。流星群なんて、昨夜は影も形もなかった。あったのは、コンビニの廃棄弁当を争うカラスの羽音だけ。

それでも、俺は喋り続ける。

「特に最後の一個なんてさ、燃え尽きる瞬間に『さよなら』って聞こえたんだぜ? 笑っちゃうよな」

手元の自作送信機――ジャンクパーツを半田ごてで無理やり接合した、違法スレスレのガラクタ――のレベルメーターが、微かに振れる。

周波数は78.0MHz。

届く範囲は、半径わずか百メートル。

リスナーは、たった一人。

『……湊、それ、流星の成分がマグネシウムじゃなくて、人の魂だった説あるね』

ノイズ混じりのトランシーバーから、笑いを含んだ声が返ってくる。

七瀬陽向(ななせ ひなた)。

この廃病院の四階、無菌室から一歩も出られない、俺の唯一の親友。

「魂なわけあるかよ。ただのガスと塵だ」

「ロマンがないなあ。で、その星、どんな味がした?」

「……ミントガムの味がしたよ。噛み終わった後のな」

「あはは! 最悪だ!」

陽向が笑うと、スピーカーの音が割れる。

その歪んだ音が、俺にとっての正解だった。

俺は嘘つきだ。

学校では空気のように気配を消し、家では優秀な兄の影に隠れ、誰とも目を合わせずに生きてきた。

現実の俺は、何一つ持っていない。

だから、この「午後五時の放送」の中だけで、俺は冒険家になり、宇宙飛行士になり、世界中を旅するヒーローになる。

陽向は、そんな俺の虚構を愛していた。

余命半年と宣告されてから、もう一年以上生きている「奇跡の少年」は、俺のついた出鱈目な嘘を栄養にして、命を繋いでいる。

「ねえ湊、明日は?」

「……明日は、深海に行く」

「すごい! ダイオウイカと喧嘩?」

「いや、沈んだ豪華客船のピアノを弾きに行くんだ」

嘘だ。

明日は補習があるだけだ。

「楽しみにしてる。……あ、ごめん。ナースコールだ」

プツン、と通信が切れる。

屋上に、本来の静寂が戻ってくる。

俺は熱を持った送信機に触れた。

指先が微かに震えている。

いつまで続けられるだろうか。

この優しい地獄を。

第二章 沈黙の周波数

夏が過ぎ、秋の気配が濃くなった頃、陽向の反応が鈍くなった。

『……ごめん、湊。ちょっと聞こえにくい』

トランシーバー越しの声が、以前より掠れている。

俺は送信機のアンテナを必死に調整した。

「機材の調子が悪いのかもな。……今、直すから」

「ううん、違うんだ。僕の耳が、ちょっとね」

心臓が跳ねた。

病状が悪化している。

陽向の病気は、末梢神経を少しずつ侵食していく奇病だ。

「……今日はもうやめとくか?」

「やだ。聞きたい。深海のピアノの話、まだ聞いてない」

陽向の声には、縋るような響きがあった。

俺は喉の奥の渇きを堪えて、マイクを握り直す。

「……わかった。昨日はさ、海底二万マイルまで潜ったんだ。そこには、錆びないピアノがあって……」

言葉を紡ぐたびに、胸が軋む。

俺が話しているのは、ネットで拾った画像の継ぎ接ぎだ。

本当の俺は、今日も教室の隅で、誰とも話さずに弁当を食べただけなのに。

『湊の弾くピアノは、どんな音がするの?』

「泡の音だよ。ポロンって弾くと、酸素の泡になって、海面に昇っていくんだ」

『綺麗だね……。僕も、息ができるかな』

その言葉に、俺は言葉を詰まらせた。

陽向は、自分の死期を悟っている。

それなのに、俺は安全な場所から、綺麗な嘘で彼を飾り立てている。

「……陽向、俺」

本当のことを言おうか。

俺は冒険家なんかじゃない。

ただの、臆病な高校生だと。

『湊』

陽向が遮った。

『ありがとう。君の世界を見せてくれて』

その声は、どこか諦念を含んでいた。

俺は逃げるように通信を切った。

夕焼けが、血のように赤く滲んでいた。

それから三日、俺は屋上に行けなかった。

罪悪感が、鉛のように足を重くしていた。

俺の嘘は、彼を救っているのか。

それとも、残酷な現実から目を背けさせているだけなのか。

四日目の放課後。

病院の前を通りかかると、救急車のサイレンが鼓膜を突き刺した。

嫌な予感が全身を走る。

俺は警備員の制止を振り切り、非常階段を駆け上がった。

屋上ではない。

四階、無菌室へ。

ガラス越しに見えたのは、管に繋がれた陽向と、泣き崩れる彼の母親。

心電図のモニターは、規則正しく、しかし弱々しい波を描いていた。

俺はガラスに手を当てる。

中には入れない。

俺たちが繋がれるのは、電波の上だけだ。

その時、陽向が薄く目を開けた気がした。

彼の唇が動く。

声は聞こえない。

だが、俺には分かった。

――ラジオ、つけて。

俺は踵を返し、屋上へ全力で走った。

肺が焼けつく。

足がもつれる。

それでも、走った。

第三章 最後の嘘

屋上のドアを蹴破る。

夕闇が迫る中、放置されたままの機材が俺を待っていた。

電源を入れる。

真空管が赤く灯るのを待つ時間が、永遠のように感じられた。

「……聞こえるか、陽向」

応答はない。

トランシーバーからは、ザァァッという砂嵐の音だけが響く。

それでも、俺は話さなければならない。

「今日の話をするぞ」

声が震える。

「今日は……今日は、空を飛んだんだ」

嘘だ。

俺は今、お前の死に怯えて、泥のように地面を這いずり回っている。

「背中に翼が生えてさ。雲を突き抜けて、成層圏まで行った。そこは静かで、青くて……誰もいなくて」

涙がマイクに落ちて、ノイズになる。

「お前を、探しに行ったんだ」

これは、初めての本音だったかもしれない。

「お前がいれば、どこへだって行ける気がした。嘘の世界でも、お前が笑ってくれれば、そこが俺の現実になったんだよ!」

叫んだ。

無人の屋上で、たった一人の友に向けて。

「だから……まだ行くなよ。まだ話してない冒険があるんだ。次は、火星でピクニックをするんだろ? サンドイッチの具は、流星のかけらだろ!?」

返事は、ない。

不意に、トランシーバーのノイズが途切れた。

静寂。

そして。

『……湊』

蚊の鳴くような、微かな声。

『……聞こえてるよ』

「陽向……!」

『火星かぁ……。遠いね』

陽向が笑う。

その息遣いは、今にも消えそうだ。

『ねえ、湊。一つだけ、お願いがあるんだ』

『俺にできることなら、何でもする。月だって取ってきてやる』

『ううん。そんなに遠くなくていい』

一呼吸置いて、陽向が言った。

『本当のことを、教えて』

俺は息を止めた。

『湊は、本当はどこにも行ってないんでしょ?』

バレていた。

当然だ。

あんな子供騙しの嘘、信じるわけがない。

「……ああ。そうだ」

俺は掠れた声で認めた。

「俺は、どこにも行ってない。ただの、屋上の隅っこで震えてる、情けない高校生だ」

終わった。

最後の最後で、俺は彼を失望させた。

そう思った時だった。

『知ってたよ』

陽向の声は、不思議なほど優しかった。

『僕の病室の窓から、屋上のフェンスが見えるんだ。……君が、そこで一人で話しているのを、ずっと見てた』

「……え?」

『君が、雨の日も風の日も、そこに来てくれるのを見てた。どこにも行かずに、僕のために嘘をついてくれてる君を見てた』

涙が止まらなかった。

彼は知っていて、騙されたふりをしていたのか。

『湊の嘘は、面白かったよ。世界一の冒険だった』

「……っ、う、あぁ……」

『でもね、一番好きだったのは、嘘の話じゃないんだ』

『……何だよ、それ』

『あとで、僕の枕の下を見て。……じゃあね、湊。先に行ってる』

プツン。

完全に、信号が途絶えた。

夕闇の中に、俺の嗚咽だけが響き渡った。

最終章 ノイズの向こう側

葬儀は静かに終わった。

俺は陽向の病室へ向かった。

すでに綺麗に片付けられたベッド。

枕の下に、一本のカセットテープが残されていた。

ラベルには、『湊へ』とだけ書かれている。

俺は屋上へ戻り、震える手でそれをカセットデッキに入れた。

再生ボタンを押す。

ザァァッ……。

長い砂嵐。

何も録音されていないのかと思った瞬間、音が聞こえてきた。

それは、俺の声だった。

『――というわけで、昨夜の流星群はすごかったよ……』

第一回目の放送だ。

陽向は、俺の放送を録音していたのか。

だが、何かがおかしい。

俺の声のバックグラウンドに、奇妙な音が混じっている。

トクン、トクン、トクン。

規則的なリズム。

心音だ。

陽向の心臓の音だ。

彼は、トランシーバーを胸に当てて、俺の声と一緒に、自分の鼓動を録音していたんだ。

テープの最後、陽向の声が入っていた。

『湊、気づいてた?』

死ぬ数日前に吹き込んだと思われる、弱々しい声。

『君が嘘をつくとき、声が少しだけ高くなるんだ。7000ヘルツくらいかな。すごく綺麗な音なんだよ』

俺はデッキを握りしめた。

『君は自分の人生を空っぽだと言うけれど、君が僕のために必死に言葉を探している時の声は、どんな音楽より生きている音がした』

トクン、トクン。

心音が早くなる。

『僕は、君の冒険の話が好きだったんじゃない。君が、僕のために嘘をつこうとしてくれる、その優しさが好きだったんだ』

『ありがとう、湊。君の声が、僕の命だった』

ピーーーー……。

心音が止まり、電子音が一本の線になる。

テープが回り続け、やがてカチリと止まった。

屋上には、秋の風が吹いている。

俺はヘッドフォンを外した。

世界は相変わらず灰色だ。

けれど、耳の奥には、確かな熱が残っている。

「……ばーか」

俺は涙を拭い、空を見上げた。

「次は、どこへ行こうか。陽向」

俺はマイクのスイッチを切った。

もう、嘘をつく必要はない。

これからは、俺自身の足で歩いて、本当の景色を見に行く。

いつかまた、彼に会った時に、胸を張って話せるような、本当の冒険を。

俺は機材をダンボールに詰め込むと、振り返らずに屋上のドアを開けた。

その背中を、見えない星だけが見守っていた。

AIによる物語の考察

【相沢湊】 「嘘」を、他人を騙す道具ではなく、残酷な現実から大切な人を守るシェルターとして使う優しい臆病者。彼の才能は、ありふれた日常を言葉一つでファンタジーに変える「翻訳能力」にある。陽向が求めていたのは冒険そのものではなく、湊が自分だけのために世界を再構築してくれるという「特別扱い」の愛情だった。 【七瀬陽向】 すべてを見透かしていながら、騙されたふりを続けた共犯者。動けない身体の代わりに、湊の声を通して世界を見ていた。彼が録音していた心音は、湊との時間が自分の命そのものだったという証明である。
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