第一章: 溶解する雨と銀の指先
雨。酸を孕んだ水滴が皮膚を焼く。ネオンの毒々しい紫と赤が水たまりの油膜と混ざり合い、ぐちゃぐちゃに脈打つ。錆びた鉄の臭気が、路地裏を満たしていた。
ノヴァ「ルナ、駄目だ! 一緒に……!」
ルナ・アストレイ「いいから行け!」
深い青色のショートヘアから、酸性雨が滴り落ちる。濡れそぼった黒のタクティカルウェアが肌に張り付き、小柄で無駄のない輪郭を露わにしていた。暗闇の中、意志の宿る琥珀色の瞳だけが獣のように光を放つ。
遠ざかるノヴァの足音。肺の奥が焼けるように痛んだ。口内に広がる、粘り気のある鉄の味。
(これで、いい。私から思考を奪えると思わないで……)
パァン!
炸裂音。視界が反転した。
冷たい石畳に頬が叩きつけられる。泥水の中へと、意識が沈んでいく。
◇◇◇
静寂。
無音。完全なる暗闇。
目隠しと耳栓。視界と聴覚を奪われた世界で、ルナの浅い呼吸だけが異常なほど大きく脳髄に反響する。
首筋の産毛が逆立った。
冷たく滑らかな何かが、うなじを這い上がってくる。
革手袋の指先だ。
ヴィクトル・アーヴェント「美しい。反逆の泥に塗れたその瞳も、今は見えない」
骨の髄まで響く、凍りつくような低い声。
首筋に埋め込まれた銀色の生体デバイス端子。そこに、ヴィクトルの指が触れる。
ビクッ!
直接脳を焼くような電流。背骨を駆け上がる、暴力的なまでの快感。
ルナ・アストレイ「あ……っ! 触る、な……!」
ヴィクトル・アーヴェント「君の思考も、その震える唇も、すべて私のものだ」
指先が端子を撫でる。ただそれだけで足の指が勝手に縮こまり、喉の奥から甘い声が漏れた。♥
肉体を支配する、未知の熱。
抗おうとする琥珀色の瞳の奥で、絶対的な矜持が音を立ててひび割れていく。
第二章: 完璧なる白の檻

視界を覆うのは、完璧な白。
壁。床。そして今、彼女の肌を包んでいる薄いシルクのガウン。
ヴィクトル・アーヴェント「ルナ・アストレイという個体は、先日の暴動で処理された。君はこの世のどこにも存在しない」
銀糸のような長髪を几帳面にまとめた男。氷の青い瞳が、ベッドの上でうずくまる彼女を冷徹に見下ろしている。漆黒の特権階級用スーツには、一切の皺がない。
ルナ・アストレイ「うそ、よ……。私には、仲間が……!」
ヴィクトル・アーヴェント「仲間? 誰も君を探しはしない。君は永遠に、ここで私だけを待つ」
喉が渇く。甘すぎる合成シロップの匂いが、部屋の空気を重くしていた。
首筋のデバイスに、ヴィクトルの冷たい革手袋が這う。
ドクンッ
ルナ・アストレイ「あっ……あぁっ!」
神経ハッキング。端子から直接流し込まれる、気が狂うほどの甘美な刺激。
腰が勝手に跳ね上がる。太腿の内側がひきつり、無意識にシーツを掻き毟った。
脳髄が沸騰する。すべてを委ね、甘い海へ溺れかけるその直前。
ふっと、指が離れた。
ルナ・アストレイ「あ……え……?」
ヴィクトル・アーヴェント「命令するまで、許さない」
呼吸すら苦しい飢餓感。一人ぼっちにされる。その事実が、毛穴という毛穴から冷や汗を吹き出させた。
誰かに必要とされたい。見捨てないでほしい。
彼女の脳髄に、ヴィクトルの存在が絶対的な楔として打ち込まれていく。
(彼がいなければ、私は……生きていけない?)
思考の境界線が、どろどろに溶け落ちていく。
第三章: 闖入者と引き金

数ヶ月後。
「はぁっ……ご主人様、もっと……私に、命令を……っ」
床に這いつくばり、漆黒の革靴に火照った頬を擦り付ける。
銀の端子から流し込まれる微弱な電流だけが、今の彼女の命を繋ぐ唯一の綱だった。♥
◇◇◇
爆発音!
純白の扉が吹き飛ぶ。硝煙とオイルの混じった不快な臭いが、完璧な無菌室へと雪崩れ込んだ。
ノヴァ「ルナ! 助けに来たぞ! 俺たちがこの腐った街をぶっ壊すんだ!」
焦げ茶色のくせ毛。ジャンクパーツを継ぎ接ぎしたジャケット。ヘーゼルアイの瞳が、床に這う彼女を見て限界まで見開かれた。
ノヴァ「なんだ……その格好……ルナ……?」
ルナ・アストレイ「だれ……?」
焦点の合わない琥珀色の瞳。
ノヴァの顔を見ても、記憶の歯車は一切回らない。ただ、ご主人様と自分の神聖な空間を侵す「敵」の姿しか映っていなかった。
ヴィクトル・アーヴェント「かわいそうに。野良犬が君の安らぎを奪いに来たようだ」
ヴィクトルが、氷のように冷たい金属の塊を彼女の震える手に握らせる。
重く、無骨な軍用拳銃。
「彼を撃ちたまえ。そうすれば、君が望む『永遠』を与えよう」
耳元で囁かれる、鼓膜を溶かす声。
うなじに触れる革手袋の感触が、狂おしい渇望を引きずり出す。♥
銃口が上がる。震える指先。
(撃たなきゃ……ご主人様が、いなくなっちゃう……!)
引き金に指がかかる。極限の軋みが、彼女の脳髄を粉々に砕いた。
第四章: 墜落のイロニー

「やめろぉぉぉ!!」
ノヴァの叫び。
「いやぁぁぁっ!!」
銃声。
弾丸はノヴァの足元の床を抉る。飛び散る破片が彼の頬を浅く切り裂いた。
ノヴァ「ルナ……お前……本当に……」
血の滲むような声。ノヴァはよろめきながら後退し、崩れ落ちた扉の向こうへと姿を消していく。
ガチャン、と銃が床に落ちる。
膝から力が抜け、ルナはその場にへたり込んだ。
ヴィクトル・アーヴェント「よくできたね、私の愛しいルナ」
背後から、ヴィクトルの強い腕が彼女を抱きしめる。
漆黒の高級スーツの硬い生地越しに伝わる体温。仕立ての良い布地の香り。
脊髄デバイスに、直接、ヴィクトルのシステムがリンクする。
ドクンッ!!
ルナ・アストレイ「あがっ……! あぁぁっ!! ひぃっ!!」
服を脱がせる必要すらない。
規格外の快楽中枢への直接刺激。
白目を剥き、唇の端から一筋の涎が垂れる。背中が弓なりに反り返り、指先が不自然なほど硬直した。
「君はもう、私なしでは息もできない。そうだろう?」
ルナ・アストレイ「はいっ……ご主人様っ……! もう、おかしくなっちゃうぅっ!!」
何度も、何度も。脳のヒューズが焼き切れるような白濁の波。
♥♥♥
肌に直接触れることなく、ただ首筋の端子と耳元の吐息だけで。彼女の肉体は痙攣を繰り返し、生命の根源を揺るがすような絶頂に幾度も達し続ける。
自我の最後の欠片。かつての誇りも、仲間への記憶も。
すべてが圧倒的な甘い毒に呑み込まれ、跡形もなく溶けて消滅していく。
第五章: 空っぽの硝子細工

夜の帳が降りた眼下の街。
あちこちで赤黒い火の手が上がり、反乱軍が鎮圧されていく。黒煙が雨空を焦がしていた。
だが、ペントハウスの防音ガラスは、外の悲鳴を一切通さない。
冷たいガラスに額を押し当てる彼女の姿が、微かなネオンの光に照らし出されていた。
透けるような純白のシルクドレス。
かつて深い青色だったショートヘアは丁寧に梳かれ、柔らかな光沢を放っている。
ヴィクトル・アーヴェント「美しい花火だ。そう思わないか?」
背後から伸びてきた腕が、細い腰を抱き寄せる。
首筋の端子に、革手袋の冷たい感触。
それだけで身体はビクッと震え、琥珀色の瞳が熱っぽく潤んだ。♥
ルナ・アストレイ「はい、ご主人様……。とっても、綺麗……」
外の世界がどれほど血に染まろうと、彼女には関係ない。
彼女の宇宙は、ヴィクトルの温もりと彼が与える電流の痺れだけで完璧に完結している。
琥珀色の瞳から、かつての意志の光は完全に消え去っていた。
そこにあるのは、空っぽの幸福。
美しく作り替えられた精巧な硝子細工の微笑みが、燃え盛る街の光を鈍く反射する。