脳髄を穿つドグマ

脳髄を穿つドグマ

主な登場人物

ナギ
ナギ
19歳 / 男性
オイルと血に塗れたボロボロの黒い防護ジャケット。血走った鋭い三白眼。側頭部には制御チップを強引に弄った生々しい金属の傷跡が覗く。
ソウマ
ソウマ
19歳 / 男性
汚れ一つない純白の治安維持軍服。感情を完全に排した能面のような顔立ちと、獲物を射抜くような冷徹な青い瞳。右半身の衣服の下は最新鋭のサイボーグ義体。
ルカ
ルカ
16歳 / 女性
体格に合わないだぼだぼのパーカー。常に重度の睡眠不足による濃いクマがあり、頭部には無数のケーブルが這う自作のハッキング用ヘッドギアを装着している。
クロエ
クロエ
年齢不詳 / 女性
露出度の高いタイトな白衣。妖艶で嗜虐的な笑みを浮かべる真紅の唇。常に空中に複数のホログラムモニタを展開し、虚空を浮遊しているかのように歩く。

相関図

相関図
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海上都市アジール、最下層スクラップ場。

腐敗した泥水と錆びた鉄の臭いが、酸素より濃く粘り着く路地裏。

オイルと赤黒い染みで硬くひび割れた黒い防護ジャケットを羽織った男が、泥の壁に背を預けて荒い息を吐く。


ナギ。十九歳。

乱れた黒髪の下から覗く血走った三白眼。濁った水たまりに映る己の顔を、憎悪とともに睨みつける。

視線の先、側頭部――皮膚を強引に縫い合わせた不気味な隆起の奥。都市管理システム『マザー・コア』に直結した制御チップが脈打っている。

微弱な電流が神経を這い回り、思考すらもシステムの監視下に置かれる不快なノイズ。


痛みが足りねぇ。


手には、ジャンク品の電動ドリル。

引き金を引く。甲高いモーター音が鼓膜を劈いた。

躊躇いはない。高速回転する刃を、自らの側頭部の隆起へと押し当てる。


がああああああっ!


肉が抉れ、血の飛沫が泥壁に赤い弧を描く。

金属の刃が頭蓋骨を削る不快な振動。顎の骨から脳髄へと直接響き渡る。

神経を焼き斬るような激痛。視界がチカチカと点滅し、眼球の裏側で火花が散った。


がっ、はっ……あぁぁぁぁっ!


ドリルの先端が制御チップの硬い感触を捉え、青白いスパークが側頭部から弾け飛ぶ。

瞬間、脳の奥で常に鳴り響いていた機械的な『命令』の規則正しい信号音が、ぷつりと途絶える。

肺の底から、むせ返るような生臭い空気が流れ込んできた。


ナギ「ははっ……生きてる。俺は、生きてるじゃねぇか……!」


血の涙が頬を伝い、泥まみれの顎から滴り落ちる。

路地裏の影。赤いセンサー眼を光らせた治安部隊のドローン三機が、無音で滑り込んできた。

ナギは泥水に沈んでいた鉄パイプを蹴り上げ、右手に握り締める。


痛覚の強制遮断。


リミッターの外れた腕力が鉄パイプを振り抜き、先頭のドローンを装甲ごと粉砕する。

爆発の熱風が、黒髪を激しく揺らす。

その直後、耳元の安物インカムから、ノイズ混じりの早口な声が鼓膜を叩いた。


ルカ「……バカなの? 脳味噌ドリルでかき混ぜるとか、意味わかんないし」


ナギ「うるせぇ。ルカ、カメラの視界は誤魔化してるんだろ」


ルカ「マザー・コアの監視網、今のところ三秒遅れでループさせてる。……でも、無駄かも」


インカムの奥、カチャカチャとキーボードを叩く乾いた音が止まる。

足元の泥水が、微かに波立った。

重く、規則正しい足音。


路地の奥。分厚いスモッグを切り裂いて現れたのは、汚れ一つない純白の治安維持軍服。

感情を完全に削ぎ落とした、能面のような整った顔立ち。

獲物を射抜くような冷徹な青い瞳が、ナギを静かに見下ろす。


軍服の右半身――その下から覗くのは、銀色に冷たく輝く最新鋭のサイボーグ義体。

ナギの心臓が、早鐘のように打ち鳴らされる。

忘れるはずもない。かつての暴動の夜、炎の中に置いて逃げた、一番の親友の顔。


ソウマ「……また逃げるのか、ナギ」


Scene Image
◇◇◇


ナギ「ソウマ……お前、生きて……!」


言葉が終わるより早く、ソウマの右腕が霞む。

ドゴンッ!

分厚いコンクリートの壁ごと、ナギの身体が吹き飛んだ。


肺から空気が搾り出され、泥水の中に叩きつけられる。

咳き込む暇もない。容赦なく胸ぐらを掴み上げられる。

ソウマの青い瞳には、一切の揺らぎがない。

血の通わない冷たい義体の指が、ナギの首を締め上げる。


ソウマ「お前が俺を見捨てたあの日から、俺の半分は鉄の塊になった。だが、おかげで真理を理解した」


ギリギリと、義体の指が左腕の骨を軋ませる。

ソウマの端正な顔立ちに、隠しきれない激情の亀裂が走った。


ソウマ「お前の自由など、俺の管理する秩序の中でだけ許される幻だ。大人しく繋がれろ、ナギ!」


ゴキィッ!


ナギ「がぁあああああっ!!」


左腕の関節が、あり得ない方向へへし折れる。

白い骨片が皮膚を突き破り、どす黒い血が純白の軍服に飛び散った。

ソウマの顔に、微かに歪んだ悦びが浮かぶ。


ナギ「ふざけ、んな……っ! 誰が、お前らの飼い犬に……っ!」


ソウマ「まだ吠えるか。ならば両足も砕くまでだ」


ソウマの義足が振り上げられた瞬間。路地裏の

上空から、甲高い排気音が降ってきた。


シュガァァァァッ!


轟音と共に、真紅の装甲に身を包んだ大型のホバーバイクが、狭い路地へ強引に突っ込んでくる。

前輪から放たれたスタン・グレネードの強烈な閃光が、ソウマの視界を真っ白に染め上げた。


ソウマ「……チッ、何だ!」


ソウマが目を細め、ナギの首から手を離した一瞬の隙。

バイクの後部座席から飛び降りた小柄な影が、ソウマの義体目掛けて鋭い蹴りを叩き込む。


クロエ「ターゲット確保。さっさと乗れ、デカブツ」


ピンクのボブヘアを揺らす少女、クロエ。

Scene Image

両腕には、不釣り合いなほど巨大なガントレットが鈍く光っている。


ナギ「クロエ……お前、なんで……っ」


ナギは折れた左腕を引きずりながら、必死にバイクの後部座席へとしがみつく。

クロエはアクセルを全開に捻り、泥水を撒き散らして路地裏から急発進した。


ルカ「ナイスタイミング、クロエ。……ナギ、追っ手が来る前にアジトへ戻るよ。その腕、早く処置しないと腐るから」


インカム越しのルカの声は、相変わらず感情の起伏がない。

ナギは振り返り、閃光の晴れた路地裏を睨みつける。

そこには、無傷のまま静かに立ち尽くすソウマの姿があった。

青い瞳が、逃げ去るナギを冷ややかに見送っている。


……あの野郎、絶対にぶっ殺してやる。


折れた腕の激痛が、ナギの脳髄で憎悪の炎を燃え上がらせた。

痛みが、自分が生きている証だ。

管理された秩序など、クソ食らえだ。


Scene Image
◇◇◇


海上都市アジール、深層部。

放置された地下鉄の廃駅を利用した、レジスタンスの隠しアジト。

錆びた鉄柱に囲まれた薄暗い空間に、薬品のキツい匂いが充満している。


ナギ「……あ……ぐぅっ……!」


ナギは簡易ベッドの上で、脂汗を流しながら激痛に身をよじっていた。

傍らでは、ルカが無表情にメスを握り、折れた左腕の骨を強引に繋ぎ合わせている。

麻酔などという高級なものは、ここにはない。


ルカ「……暴れないで。骨の破片が神経に刺さる」


クロエ「あんた、本当にバカじゃないの? 自分で脳みそ弄るなんて、ただの自殺志願者でしょ」


クロエが腕を組み、冷ややかな視線でナギを見下ろす。

ナギは荒い息を吐きながら、壁に寄りかかり、血まみれの口端を歪ませた。


ナギ「ははっ……でも、チップは壊せた。これで……マザー・コアの監視からは外れた」


ルカ「……それは、どうかな」


ルカの手が止まる。

その視線は、ナギの側頭部――血と泥に塗れた傷口の奥へ向けられていた。


ルカ「チップの残骸が、脳神経と完全に癒着してる。これを無理に引き抜けば……あんたの脳はショートして、完全な廃人になる」


ルカの言葉が、冷たい絶望となってアジトに響き渡った。


ナギ「……なんだと……?」


ルカ「監視網から外れたのは一時的なエラー。チップが修復されれば、再びマザー・コアと接続される。……時間は、長くて二十四時間」


ナギの呼吸が止まる。

二十四時間後、自分は再びシステムに繋がれ、思考すらも管理される奴隷に戻る。

いや、今度は生きたまま解剖され、完全な機械の部品にされるだろう。


クロエ「……どうするの、ナギ。諦める?」


クロエの言葉に、ナギは力なく俯いた。

逃げ場はない。

この海上都市で、マザー・コアから逃れられる場所など存在しないのだ。


……結局、俺は何も変えられなかった。ソウマを見捨ててまで手に入れた自由は、ただの幻だったのか。


絶望が、冷たい泥水のように心臓を浸していく。

その時だった。


……ジリッ。


アジトのモニターが一斉にノイズを発し、砂嵐に切り替わる。

スピーカーから、低く、機械的な合成音声が響き渡った。



対象:個体識別番号N-099、ナギ。

マザー・コアへの無断アクセス、およびシステム破壊行為を確認。

直ちに投降せよ。抵抗する場合は、完全な排除を許可する。



ルカ「……マズい、逆探知された……!」


ルカが慌ててキーボードを叩くが、モニターのノイズは一向に消えない。

アジトの外から、重い足音が響いてきた。


ソウマ「見つけたぞ、ナギ」


鉄の扉が吹き飛び、土煙の中からソウマが現れる。

その背後には、完全武装の治安部隊がずらりと並んでいた。


ソウマ「言ったはずだ。お前の自由は、俺の管理する秩序の中でだけ許される幻だと」


ソウマの右腕――銀色に輝く義体が、鈍い光を放つ。

ナギは折れた左腕をかばいながら、よろよろと立ち上がった。

右手に握りしめた電動ドリルが、微かに震えている。


ナギ「……ソウマ。俺は……誰の飼い犬にもならねぇ」


ナギの濁った三白眼に、狂気の炎が宿る。

二十四時間後に思考を奪われるなら、今、ここで全てを終わらせる。

マザー・コアも、ソウマも、自分自身も。


ナギ「ぶっ壊してやるよ……お前も、このクソみたいな都市も……全部なァァァッ!」


ナギは咆哮を上げ、血まみれの電動ドリルを構えてソウマへと突進した。

痛覚はとっくに麻痺している。

脳髄を穿つドグマに抗うため、最期の暴逆が幕を開けた。

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