灰雪に燃ゆ、狂愛の篝火

灰雪に燃ゆ、狂愛の篝火

主な登場人物

アビス
アビス
22歳 / 男性
灰色のボロボロの軍用防寒コートを着込み、首には常にガスマスクを下げている。無精髭が生え、睡眠不足による隈が目立つ鋭い三白眼。全身には獣や人間と戦って得た無数の刃傷や銃創が刻まれている。
シロ
シロ
16歳 / 女性
透き通るような病的なまでに白い肌と、色素の薄い長い銀髪。サイズの大きすぎる男物のセーターと継ぎ接ぎの防寒具に身を包んでいる。目は虚ろで焦点が合いにくく、毒の雪の影響で視力の大部分を失っている。
グレイ
グレイ
35歳 / 男性
煤けた世界に似合わない、規律正しさと清潔さを残した旧時代の防護服。右目に眼帯をしており、残された左目は常に氷のように冷たい光を宿している。姿勢が良く、理知的な雰囲気を纏う。

相関図

相関図
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鉛色の空から、音もなく猛毒の灰が雪のように降り積もる。

崩壊したコンクリートの隙間から吹き込む風が、腐った獣の死骸と錆びた鉄の匂いを運んでくる。

外界は命を削る地獄。だが、ストーブに焼べた湿った木材が爆ぜる狭い廃屋の中だけは、異様なほどの熱を孕んでいた。


``

アビス「……動くな。絡まってる」

灰色のボロボロの軍用防寒コートを纏う大柄な男、アビスは、首から下げたガスマスクを指で押し下げながら低く呟く。

無精髭が広がる顎をシロの細い肩口に擦り寄せ、大きな手で彼女の色素の薄い長い銀髪を梳いた。

荒れた指先が首筋をなぞる。そのたび、シロは小さく身を震わせる。


シロ「ふふっ……アビスの手、とってもあったかいね」

サイズの大きすぎる男物のセーターに包まれた華奢な体。

病的なまでに透き通る白い肌が、揺らめく炎に照らされて微かな朱色に染まる。

``


シロは虚ろな目を細め、焦点の合わない視線をアビスの方へ向けた。

毒の雪に侵されたその瞳は、もう彼の輪郭を辛うじて捉えることしかできない。


アビス「うるせぇ。お前が冷え切ってるだけだ。余計なことは考えるな。俺の言う通りに生きていればいい」

ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、アビスの鋭い三白眼は睡眠不足を示す深い隈の奥で熱っぽい光を帯びている。

全身に刻まれた無数の刃傷や銃創。それが、彼がどれほどの地獄を這いずり回ってこの小さな命を守り抜いてきたかを如実に物語る。


シロ「他の誰のものにもならないで。ずっと、私だけのあったかいアビスでいてね?」


俺の命は、とうにお前のものだ

声に出さず、アビスはシロの細い指をきつく握りしめる。

失われた幼い妹の姿が脳裏をよぎるたび、胸の奥を掻き毟るような焦燥に駆られた。この体温を失えば、自分は間違いなく狂い死ぬ。


その甘美な空間を、凄まじい轟音が粉々に打ち砕く。


バリンッ!!

窓ガラスが粉々に吹き飛び、強烈なサーチライトの白い光が廃屋を真昼のように照らし出す。


アビス「……ッ!」

アビスは反射的にシロを庇い、コートの裏に隠した大型サバイバルナイフを引き抜く。

外には完全武装した数十人の兵士。銃口をこちらに向け、隙間なく包囲陣を敷いていた。


Scene Image
◇◇◇


ブーツが瓦礫を踏み砕く規則正しい音が響く。

部隊の中央から歩み出てきたのは、煤けたこの世界には酷く不釣り合いな男。

規律正しさと清潔さを残した旧時代の防護服。


グレイ「無駄な抵抗はおやめなさい。周囲は完全に制圧しました」

右目を覆う黒い眼帯。残された左目は、まるで氷点下の湖底のように冷ややかな光を宿している。

男の佇まいには、一片の揺らぎも存在しない。


アビス「てめぇら……俺たちの領域に踏み込んで、生きて帰れると思うなよ」

獣のような唸り声を上げるアビスに対し、グレイは薄い唇をわずかに動かした。


グレイ「私は中央管理局のグレイです。交渉に来ました。大局を見なさい。個人の些末な感情など、世界を救う役には立たないのです」

グレイの視線が、アビスの背後に隠れる銀髪の少女へと固定される。

グレイ「その少女の血液は、灰の毒素を中和する特異な抗体を持っています。人類の未来のために、彼女を解剖させていただきたい」


ドクン、ドクン、ドクン。

アビスの心臓が耳障りな音を立てて跳ね上がる。


アビス「……なんだと?」

グレイ「解剖すれば彼女の命は保てないでしょう。しかし、世界を救うことができます。代償として、貴方には安全な地下シェルターでの永住権と、豊かな物資を約束します。極めて合理的な取引です」


世界を救う?

ふざけるな。

シロのいない世界に、何の価値がある。


グレイの隣で、交渉人の男が一歩前に出る。

「ほら、お前も馬鹿じゃないなら分かるだろ。そのガキ一人の命で——」


ザシュッ!!

言葉は、粘着質な水音によって遮られた。

アビスは一切の予備動作なく跳躍し、交渉人の喉元にナイフを深々と突き立てる。


アビス「死ね」

ゴボッ、ヒューッ!

頸動脈から熱い鮮血が間欠泉のように噴き出し、アビスの顔と灰色のコートを真っ赤に染め上げる。

血の錆びた匂いが辺りに充満した。


グレイ「……理解できませんね。なぜ自ら死を選ぶ行動を取るのです?」

グレイがわずかに眉をひそめるのと同時に、アビスは狂った獣のように部隊へ突っ込んだ。


アビス「シロに指一本触れさせるかァッ!!」

ドガンッ! バガンッ!

銃声が鳴り響く。アビスは至近距離での格闘術で兵士たちの急所を次々と切り裂いていく。

肉を断つ嫌な感触。飛び散る脳漿。

だが、圧倒的な数の暴力は次第にアビスの体力を削る。


右肩を撃ち抜かれ、太ももに刃が突き刺さる。

ガハッ……!

口から血の塊を吐き出し、膝から崩れ落ちそうになった。その瞬間。


シロ「やめて」

硝子細工のような細い声が、戦場に響いた。

シロが、瓦礫の山からふらふらと歩み出てくる。


シロ「私が、行くから。だからアビスを殺さないで……」

アビス「シロ……! やめろ、戻れッ!!」


血まみれの手を伸ばすアビスの首筋に、シロは背後からそっと冷たい指を這わせる。

ごめんね、アビス

直後、シロが持っていたスタンガンがアビスの首に押し当てられた。


バチバチバチッ!!

強烈な電流が全身を駆け巡り、アビスの意識は深い闇へと沈んでいく。


Scene Image
◇◇◇


消毒用アルコールの刺激臭と、無機質な機械の稼働音。

グレイのキャンプの中心部に位置する実験室。

手術台の上に、シロは手足を拘束されて横たわっている。

眩い無影灯の光が、彼女の病的な白い肌を照らし出した。


グレイ「脈拍、血圧ともに正常です。これより解剖処置を開始します」

メスを手にしたグレイが、シロの胸元へ刃を近づける。

シロの口元には、この期に及んで微かな笑みが浮かぶ。


ああ、アビスは今頃、私を失う恐怖で狂いそうになっているはず。たまらない。

自身の命が尽きる直前まで、彼を絶大な渇望で満たすことができる。それこそがシロの至上の快楽。


ドッゴォォォォォォォン!!!

突然、実験室の分厚い防爆壁がひしゃげ、凄まじい爆風と共に崩れ落ちた。

濛々と立ち込める粉塵。警報の赤いサイレンが狂ったように鳴り響く。


瓦礫の山を踏み越えて現れたのは、全身を血と泥で染め上げ、両手にアサルトライフルと火炎放射器を構えた悪鬼の姿。

アビス「……見ィつけたぞ、クソ虫共」

目は完全に血走り、呼吸のたびに喉の奥からヒューヒューと壊れたような音が漏れる。


グレイ「な……!? 警備部隊は何をしている!」

アビス「外のゴミなら全部焼いた。次はてめぇらの番だ」


アビスが火炎放射器のトリガーを引く。

《業火の洗礼》

轟音と共に吐き出されたオレンジ色の炎が、研究員たちを舐め回す。


ギャアアアアアッ! 熱いッ! 助けっ……!

肉が焦げる異臭と、断末魔の叫び。

人類最後の希望たる研究施設が、たった一人の男の狂気によって灰燼に帰していく。


アビスは燃え盛る炎の中を躊躇なく進み、手術台を固定するベルトをナイフで引き裂く。

アビス「シロ……迎えに来た」

拘束を解かれたシロは、火の粉が舞う中、血と煤にまみれたアビスの首に腕を絡めた。


``

シロ「ふふっ……アビス、来てくれたのね。私のためだけに」

シロは恍惚とした表情で、アビスの耳元に唇を寄せる。

その細い指が、彼の傷だらけの頬を優しく撫でた。


シロ「世界なんてどうでもいい。私だけを見て。私だけを愛して」

アビス「ああ……お前がいなきゃ、俺は息もできねェ」

二人は周囲の惨劇など一切目に入らないかのように、業火の中で深く抱きしめ合う。

濃密な血の匂いと焦げた肉の臭いが、二人にとっては最高の媚薬。

``


床に倒れ伏したグレイが、腹部から大量の血を流しながらその光景を睨みつけている。

グレイ「狂人……共め……! 貴様らは、人類の敵だ……ッ!」

口から血泡を吹きながら、グレイは血まみれの手で防護服の内ポケットから小型のリモコンを取り出す。


グレイ「脳の、バグめ……! 世界を、焼き尽くす……!!」

ピッ。

冷たい電子音が鳴り響く。キャンプ全体を道連れにする自爆装置の起動音。


アビス「うるせぇよ」

アビスは振り返ることなく、背後のグレイに向けてアサルトライフルの引き金を引く。

ダァンッ!!

グレイの頭部が弾け飛び、言葉は永遠に途切れた。


直後、地下の動力炉から這い上がるような轟音が大地を揺るがす。

アビス「行くぞ、シロ」

アビスはシロを横抱きにし、崩壊するキャンプから蹴り出すように飛び出す。

背後で眩い閃光が奔り、すべてが吹き飛んだ。


Scene Image
◇◇◇


空から降り注ぐ灰は、もはや雪ではなく死の灰そのもの。

完全に汚染され、生命の息吹すら感じられない鉛色の雪原。

人類の希望を乗せたキャンプは、ただの巨大な火葬炉へと成り果てていた。


アビス「……あいつらの血肉も、いい燃料になったな」

崩壊した施設の残骸を見下ろし、アビスは喉の奥で低く笑う。

その胸に抱かれたシロは、アビスの体温にすり寄りながら、背後の炎の暖かさに目を細める。


シロ「綺麗だね、アビス。私たちのための、篝火みたい」

燃え盛る巨大なキャンプの残骸が、鉛色の空を毒々しいオレンジ色に染め上げている。

舞い散る火の粉が、猛毒の灰雪と混ざり合いながらチリチリと音を立てて消えていく。


アビス「ああ、そうだな。これで少しは、寒さも紛れるだろう」


アビスはシロを抱き抱えたまま、ゆっくりとその場に腰を下ろす。

右肩の銃創と太ももの傷から絶え間なく流れる血が、雪原をどす黒く染め広げていた。限界を超えた肉体は、すでに致死量の血を失っている。

だが、彼を突き動かしているのはもはや生命力ではない。ただ一つの、異常なまでの執着心だけだ。



シロはアビスの首元に顔を埋め、彼の乱れた鼓動を愛おしそうに聴いている。

その白い頬には、アビスの返り血が斑点のようにこびりつき、異様な妖艶さを醸し出していた。


シロ「ねえ、アビス。私のために、世界を壊してくれたの?」

「……ああ。お前がいねぇ世界なんざ、俺にはただのゴミ溜めだ」


アビスの荒れた大きな手が、シロの銀髪を優しく撫でる。

その体温は急激に失われつつあったが、シロにとってはどんなストーブよりも温かく感じられた。


シロ「嬉しい……。これで、誰も私たちを邪魔しないね。永遠に、二人きり」


シロは虚ろな瞳をうっとりと細め、血の味がするアビスの唇に自らの唇を重ねる。

灰と煙の匂いが入り混じる、深く、甘い口付け。

互いの命を削り合うような、究極の共依存の証明。



ドクン……ドクン……


アビスの心音が、次第に間隔を空け、弱々しくなっていく。

視界の端が黒く侵食され、意識が薄氷のように頼りなくなる。


アビス「……シロ。俺は……」

シロ「大丈夫だよ、アビス。どこにも行かない。ずっと一緒だから」


シロはアビスの背中に腕を回し、その冷えゆく体を力いっぱい抱きしめ返す。

彼女の抗体を持つ血肉も、解剖の危機こそ免れたものの、もはや限界が近かった。


炎の揺らめきが、二人の影を雪原に長く引き伸ばす。


……ああ、これでいい。俺の全ては、こいつの中にある。


アビスはゆっくりと目を閉じた。

守るべきもののために世界を焼き尽くした男の顔には、安らかな笑みすら浮かんでいた。


やがて、彼を抱きしめるシロの呼吸も静かに途切れる。

だが、その唇は微かに弧を描き、絶対的な幸福に満たされた表情のまま凍りついていた。


パチッ……パチッ……


巨大な篝火となったキャンプの炎が、灰雪を溶かしながら二人の亡骸を暖かく照らし続ける。

人類を救うはずだった希望の灰燼の中で、狂おしいほどに純粋で、どこまでも歪んだ愛が、静かに永遠の眠りについた。

――猛毒の灰が降り積もる世界で、二人だけの熱は決して冷めることはなかった。

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