明日、僕を忘れる君と、夕暮れの境界で

明日、僕を忘れる君と、夕暮れの境界で

主な登場人物

蓮見 橙也
蓮見 橙也
17歳 / 男性
無造作に伸びた黒髪が琥珀色の瞳を半分覆っている。常にだらしなく着崩した詰襟の学生服を羽織り、首元には真鍮製の古い音叉をペンダントとして下げている。どこか気怠げで、世界のすべてに飽きたような退廃的な瞳が特徴。
敷島 篝
敷島 篝
16歳 / 女性
透き通るような白い肌と、夕日に照らされると茜色に輝く艶やかな黒髪のボブカット。セーラー服の袖を少し余らせており、その手足は時折、夕光に溶けるように半透明に揺らめく。儚げだが、瞳には強い意志の光を宿している。
狭間 朔太郎
狭間 朔太郎
29歳 / 男性
仕立ての良い黒いトレンチコートを纏い、片目にモノクル(単眼鏡)を装着した知的な男性。髪はきっちりと七三に分けられた銀髪。常に冷酷な微笑を湛え、手には古い革張りの帳簿を携えている。隙のない美しい立ち振る舞いが特徴。

相関図

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第一章:夕暮れの境界、あるいは世界で最後の音叉

Scene Image

昭和の面影が色濃く残る、錆びついたトタン板と煤けた木造家屋に挟まれた踏切。

その境界線で、時間は緩やかに、しかし確実に死に瀕していた。

遮断機の黄色と黒の縞模様が、沈みゆく夕日の光を浴びて、どす黒い朱色に染まっていく。

まるで凝固しかけた古い血液のようだった。

カン、カン、カン、カン。

警報機が狂ったように高い音を響かせ、狭い路地裏の空気をめった刺しにする。

吐き出される騒音は、世界が終わりを迎えるための、不格好なカウントダウンに他ならなかった。

蓮見 橙也は、だらしなく着崩した詰襟の学生服を羽織り、錆びた鉄柵に背を預けていた。

無造作に伸びた黒髪の隙間から、琥珀色の瞳を細めて、沈みゆく残光を見つめる。

潮風を含んだ風が通り抜けるたび、首元に下がった真鍮製の古い音叉が、カチャカチャと乾いた音を立てた。

その頼りない金属音だけが、彼をこの希薄な現実に繋ぎ止める唯一の錨のようだった。

彼の数歩先、アスファルトと砂利の境界に、ひとりの少女が立っている。

敷島 篝。

透き通るような、血の気の失せた白い肌。

夕日に照らされて茜色に輝く、艶やかな黒髪のボブカットが、風に小さく揺れていた。

着古したセーラー服の袖が、彼女の細い手首を余らせるように覆っている。

その指先が、夕方の強烈な西光に溶けるように、ゆっくりと輪郭を失って半透明に揺らいでいた。

彼女がそこに存在しているという事実そのものが、蜃気楼のように曖昧で、不確かだった。

[A:敷島 篝:悲しみ]「私のこと、忘れてね」[/A]

少女が、すべてを諦めきった薄い唇で微笑む。

その微笑みは、冷え切った冬の朝の霧のように儚い。

彼女の身体が、陽炎のように不確かに揺れ、背景のセピア色に吸い込まれそうになる。

その瞬間、橙也の脳裏で、何かがパチリと不快な音を立てて弾けた。

忘れる?

誰が。何を。

この僕が、またあの冷え切った、底の抜けた暗闇のような空白の毎日に戻るというのか。

昨日があって、今日があって、明日が来る。

そんな当たり前の営みから彼女だけを排除して、自分だけがのうのうと呼吸を続けるなど、到底受け入れられるはずがなかった。

[Think]ふざけるな。そんなこと、絶対にさせない。[/Think]

橙也は胸元の真鍮製の音叉を、指先が白くなるほどの力で引き抜いた。

指の腹に食い込む金属の鋭い感触が、狂いかけた輪郭を繋ぎ止める。

そして、踏切の錆びた鉄柱に、ありったけの怒りを込めて叩きつけた。

[Impact]キン。[/Impact]

澄んだ、そして重厚な金属音が、鼓膜を激しく震わせた。

音の波紋が、静まり返った下町の空気を引き裂くように広がっていく。

それは世界の理不尽に対する、静かなる宣戦布告だった。

[Magic]《追憶調律》[/Magic]

瞬時に、世界から音が消えた。

狂ったように鳴り響いていた踏切の警告音が静止し、夕日にきらめく砂埃が、宙でぴたりと動きを止める。

落ちかけたカラスの羽が、空中で静止していた。

橙也は一歩、重いアスファルトを踏みしめて踏み出した。

静寂に支配された世界で、彼の靴音だけが、耳障りなほど大きく、暴力的に響き渡る。

彼は必死に手を伸ばし、今にも消え去ろうとしていた篝の細い手首を、乱暴に掴み取った。

[Sensual]

衣服越しではない。

指先から直接伝わるのは、氷のように冷たく、それでいて確かにそこにある、人間の肉の質感だった。

かすかに湿った皮膚。

橙也はさらに強く力を込め、彼女の細い腕を、自らの胸へと引き寄せた。

拒絶を許さない強さで、彼女を自らの世界へと縛り付ける。

[A:蓮見 橙也:冷静]「どうせ明日には忘れる。なら、この夕焼けの赤さだけは、僕に預けていけよ」[/A]

彼女の冷え切った肌に、自身の体温がじんわりと、侵食するように移っていくのが分かった。

[Pulse]トクン、トクン[/Pulse]と、急き立てるような激しい鼓動が、重なる胸から直接伝わってくる。

その不揃いなリズムだけが、彼女が生きてここにいるという唯一の証明だった。

[/Sensual]

[A:敷島 篝:驚き]「あ……っ」[/A]

篝の丸く見開かれた瞳に、琥珀色の光が差し込む。

二人の足元から、古いセピア色の街並みが、記憶の底から湧き上がる幻影のように立ち上った。

錆びついたブリキのおもちゃ、懐かしい銭湯の煙突から昇る煤けた煙、雨に濡れた石畳の匂いが鼻腔をくすぐる。

失われたはずの「昨日」が、二人の境界線で激しく火花を散らしていた。

同時に、橙也の胸を、心臓を直接爪で掻き毸られるような、鋭い痛みが貫いた。

脳裏を焦がす、きわめて不快な既視感。

[Think]僕は、以前にもこうして彼女の手を掴んでいたのではないか?[/Think]

額から冷たい汗が流れ落ち、呼吸が浅くなる。

肺腑が焼けるように熱い。

篝は驚きに唇を震わせ、やがて、困ったように細い眉を八の字に曲げた。

その瞳に宿る悲哀は、言葉よりも雄弁に、絶望の深さを物語っている。

[A:敷島 篝:悲しみ]「でもね、明日の朝にはあなたの名前すら、私は忘れてしまうんですよ」[/A]

彼女のささやきが、止まった時間の中で、静かに、しかし冷酷に響いた。

それは変えることのできない、世界の絶対的な法則だった。

第二章:忘却の砂時計と、ラムネ瓶のなかの夕焼け

Scene Image

翌日の放課後。

木造の旧校舎、その屋上に吹き抜ける風は、少しだけ埃っぽい匂いがした。

錆びついたフェンスにしがみつくようにして、篝は目の前に立つ橙也を見て、小首をかしげている。

その瞳には、昨日まで確かにそこにあったはずの温もりは、一滴も残っていなかった。

ただの、記号としての他人。

[A:敷島 篝:冷静]「あの……私に、何か用ですか? 蓮見……くんでしたっけ」[/A]

完全にリセットされた、他者に向ける丁寧で、距離のある眼差し。

橙也は肺の中の冷たい空気をゆっくりと吐き出し、ただ気怠げに笑ってみせる。

胸の奥で、何かがミリミリと削れる音がしたような気がしたが、それを表に出すほど、彼は子供ではなかった。

[A:蓮見 橙也:冷静]「いや、ただの通りすがりさ。暇だったから、ちょっと付き合えよ」[/A]

その日から、毎日が新しい「初めまして」の繰り返しだった。

だが、橙也は諦めない。

世界の理不尽が彼女から昨日を奪うなら、自分は毎日、新しい今日をその上から上書きすればいい。

言葉で言うほど、それは美しいものではなかったけれど。

二人は、時間の流れから見捨てられたような場所を歩いた。

錆びついた遊園地の、今にも止まりそうな観覧車。

傾いた駄菓子屋の店先に並ぶ、色の褪せたプラスチックのおもちゃ。

彼女が喜ぶ顔を見るためだけに、橙也は街の隅々に埋もれた、古い記憶の残渣をかき集めた。

[A:敷島 篝:喜び]「見てください、橙也さん! このビー玉、夕日にかざすと透き通って、まるでラムネの海のようですよ」[/A]

篝は、小さなガラス瓶に、様々な色のビー玉を詰めて嬉しそうに笑う。

毎日が新鮮な発見であり、毎朝が未知との遭遇。

彼女はそのたびに、眩しいほどの純粋な笑みを橙也に向けた。

その笑顔は、彼にとっての救いであり、同時に最も残酷な毒だった。

笑顔を見るたびに、橙也の胸の奥は、粗いやすりで削られるように摩耗していく。

どれだけ愛おしい今日を積み重ねても、明日の朝には全てがゼロになる。

波打ち際で、乾いた砂の城を建て続けるような、果てしない不毛。

それでも、彼女をこの世界に繋ぎ止めるためなら、その愚行すら愛おしかった。

彼女を失う恐怖に比べれば、心が削れる痛みなど、心地よい愛撫にすら等しかった。

夕暮れの商店街。

古びた酒屋の店先で、二人は並んでラムネを口に含んだ。

炭酸の泡が喉を刺激し、かすかなレモンの風味が広がる。

コロン、と瓶の中で涼しげなガラス玉 of 音が響いた。

その音が、二人の間の沈黙を、かすかに揺らす。

篝が不意に足を止め、ラムネ瓶を握ったまま、橙也の横顔を見つめた。

その瞳には、形容しがたい感情の揺らぎが浮かんでいた。

[A:敷島 篝:悲しみ]「どうして、あなたはそんなに悲しそうな目で私を見るんですか?」[/A]

[A:敷島 篝:悲しみ]「初めて会ったはずなのに……なんだか、胸が、きゅうっと苦しくなるんです」[/A]

その言葉に、橙也は息を詰まらせた。

言葉が出てこない。

喉の奥がカラカラに乾き、真鍮の音叉が胸元で冷たく、重く感じられた。

記憶は消えても、魂の傷跡までは消し去れない。

彼女の肉体が、彼を覚えている。その事実が、彼の胸を引き裂いた。

橙也は何も答えず、ただ、彼女の少し汗ばんだ小さな手を、壊れ物を扱うようにそっと握りしめた。

その瞬間。

[Pulse]どくん[/Pulse]と、周囲の空気が不自然に振動した。

温かかった風が、急速に湿り気を帯び、凍りつくような冷気に変わっていく。

世界が不協和音を奏で始めていた。

カン、カン、カン、カン。

遠くから、あるはずのない踏切の警告音が、現実を侵食するように響き始めた。

第三章:秩序の切断者、暴かれる砂の約束

Scene Image

商店街の温かみのあるセピア色の光が、一瞬にして凍りついた。

アスファルトから立ち上る陽炎が、テレビの砂嵐のようなノイズとなってブレる。

[Glitch]ザザ、ザザザ……[/Glitch]

昭和の香りを残す看板や木造の店舗が、まるでガラスが割れるように剥がれ落ちていく。

その背後から現れたのは、無機質で、冷徹な、グレーの超高層ビル群の壁だった。

冷たいコンクリートの臭いが、鼻を突く。

美しかったまやかしが剥ぎ取られ、剥き出しのシステムが姿を現したのだ。

コツ、コツ、コツ。

仕立ての良い黒いトレンチコートを揺らし、一人の男が歩み寄ってきた。

銀髪を几帳面に七三に分け、片目には金色のモノクルを装着している。

追憶調律局極東支部監査官、狭間 朔太郎。

その手には、因果の履歴が細かく書き込まれた、古い革張りの帳簿が握られていた。

彼の足音には、一切の感情が排除されていた。

[A:狭間 朔太郎:冷静]「そこまでです、蓮見橙也。これ以上のシステムエラーは黙認できません」[/A]

[A:蓮見 橙也:怒り]「狭間……! なんであんたがここにいる」[/A]

橙也は篝を背中に隠し、狭間を睨みつけた。

奥歯が軋むほどに噛み締める。

狭間は冷酷な微笑を湛え、モノクルの奥の、針のように鋭い瞳を細める。

[A:狭間 朔太郎:冷静]「彼女は『街の記憶』の残滓……いわば、蓄積された郷愁が実体化したバグに過ぎない。彼女が存在し続ければ、この街の記憶の均衡は崩壊し、数万人の住民が『昨日』を失うことになります」[/A]

[A:狭間 朔太郎:冷静]「感情はバグです。美しい記憶のまま消え去ることこそが、彼女にとっての最高の救済ではありませんか?」[/A]

狭間が帳簿を開き、すっと指先を虚空になぞらせる。

その動きは、冷徹な外科医の執刀のようだった。

[Magic]《秩序切断》[/Magic]

周囲の空気が、見えない刃で切り裂かれるような鋭い風圧を生んだ。

篝の身体が、苦しげに歪み、その輪郭から黄金色の光の粒子が剥がれ落ちていく。

「あ……」と、彼女の小さな悲鳴が風に溶ける。

[A:蓮見 橙也:怒り]「ふざけるな! 彼女を消させはしない!」[/A]

[A:狭間 朔太郎:冷静]「愚かですね。君が彼女にしがみつけばしがみつくほど、彼女の存在は不安定になり、最後には最も醜い形で消滅する。……そもそも、君は忘れているのですか?」[/A]

狭間の声が、低く冷たく、橙也の鼓膜に突き刺さる。

その言葉は、彼が頑なに無視し続けてきた深淵の蓋をこじ開けた。

[A:狭間 朔太郎:冷静]「君が数年前、記憶の陥没事故から彼女の魂を救うために、調律局に何を差し出したのかを」[/A]

[Flash]脳内で、何かが爆発した。[/Flash]

感覚の明滅。

世界が急速に色覚を失い、すべての輪郭が濁流となって融解していく。

[Tremble]あ、が、あぁぁぁあッ![/Tremble]

橙也は頭を抱え、アスファルトに膝をついた。

激しい偏頭痛。

脳の最も深い部分が、錆びたドリルで抉られるような激痛。

視界が[Blur]ぼやけ[/Blur]、かつての記憶の断片が、濁流のように流れ込んでくる。

夕暮れの、あの踏切。

泣きじゃくる幼い篝。

血を流しながら、崩れ落ちる彼女の小さな手を握り、自分が叫んだ言葉。

『どんなに世界が変わっても、僕が君を見つける。絶対に忘れない』

その約束を交わした瞬間、調律局の男たちが立ちはだかった。

彼女を救うための対価。

それは、自分自身の「最も大切な、彼女と最初に出会った約束の記憶」そのもの。

彼の中の空白の正体は、彼女との愛の始まりだったのだ。

最初から、彼はすべてを支払っていた。

[A:狭間 朔太郎:冷静]「彼女を救う唯一の方法は、君自身の手で、彼女の最後の記憶を完全に消去し、ただの概念に戻すことです」[/A]

狭間が冷酷に手を伸ばす。

その指先が、今にも消え入りそうな篝の胸元へ向けられた。

その時、篝が橙也の前に飛び出した。

半透明の、今にも消えそうな腕を大きく広げ、橙也を庇うように立ちはだかる。

その背中は、あまりにも小さく、そして勇敢だった。

[A:敷島 篝:愛情]「やめて……! 橙也さんを、これ以上傷つけないで!」[/A]

第四章:魂の調律、あるいは明日を迎える嘘

Scene Image

篝の身体から、かつてないほどの激しい勢いで光が噴き出していた。

夕光の中で、彼女の手足が、まるで熱せられた砂糖細工のように霧となって散っていく。

その、あまりにも美しく残酷な光景が、橙也の胸の奥に眠っていた狂気を呼び覚ました。

理性など、とうに焼き切れていた。

[Think]二度と、失うものか。二度と、あの冷たい空白に沈んでたまるか![/Think]

橙也は泥を這うようにして立ち上がった。

頭痛による吐血が、顎を伝って詰襟の襟元を赤く染める。

彼は胸元の真鍮の音叉を掴み、自身の左の手のひらに、刃のように叩きつけた。

肉の裂ける鈍い音。

割れた皮膚からあふれ出た鮮血が、真鍮の表面を濡らし、音叉の紋様を赤く染めていく。

血の鉄臭さが、冷たい空気に混ざり合う。

[A:蓮見 橙也:狂気][Shout]「駄目だ……もう、二度と君を失らせるものかあぁぁぁッ!!」[/Shout][/A]

[Impact]キンッ――!![/Impact]

これまでで最も高く、耳を聾するほど激しい金属音が、崩れかける世界全体に響き渡った。

[Magic]《追憶調律・全域開放》[/Magic]

橙也の瞳が、琥珀色から燃え盛るような黄金色へと変色する。

彼の背後から、無数の巨大な記憶の歯車が噛み合い、天を覆わんばかりの時計の幻影が空に浮かび上がった。

世界を書き換える。

その代償は、彼の存在そのもの。

これから歩むはずだった彼の未来。

彼の名前、彼の肉体、彼の魂のすべてを、調律の炉に投げ込む。

[A:狭間 朔太郎:驚き][Tremble]「正気ですか! 自らの存在を街の礎にするなど、自己滅却に等しい! 君という存在が、世界の記録から完全に抹消されるのですよ!」[/Tremble][/A]

狭間のモノクルが、驚愕の表情に歪み、その隙間から冷や汗が流れる。

だが、橙也の瞳には、ただ一人の少女しか映っていなかった。

世界の崩壊など、彼女の涙一つよりも軽い。

橙也の体から溢れ出た黄金の粒子が、篝の半透明な体へと、濁流のように流れ込んでいく。

彼女の消えかけていた手足が、確かな肉の質量を取り戻していく。

皮膚の赤み、温かい呼吸、目尻からこぼれ落ちる涙の湿り気。

世界のシステムが、彼の存在と引き換えに、無理やり書き換えられていく。

バグである「夕暮れの幽霊」から、明日を迎えることができる「普通の少女」へと。

[Sensual]

橙起は薄れゆく意識の中で、一歩、彼女へと近づいた。

自身の指先が、光の粉となって崩れ落ち、感覚が遠のいていく。

それでも、残された最後の右腕で、彼女の涙に濡れた、熱い頬を優しく包み込んだ。

皮膚と皮膚が触れ合う、最後の奇跡。

彼の指先が、彼女の涙をすくい、その熱量が互いの境界を融解させていく。

[A:蓮見 橙也:愛情][Whisper]「やっと、約束を果たせた。君は明日、普通の女の子として目覚める」[/Whisper][/A]

[A:蓮見 橙也:愛情][Whisper]「僕のことは、忘れていいよ。君が笑って生きてくれるなら、それが僕の天国だ」[/Whisper][/A]

[/Sensual]

橙也の心音が、急速に遠ざかっていく。

彼の体は、もはや光の残像に過ぎない。

[A:敷島 篝:絶望][Shout]「嫌です! 忘れたくない、あなたと一緒にいたい! 橙也さん、橙也さんっ!!」[/Shout][/A]

篝は彼の崩れゆく服の袖を必死に掴もうとするが、その指先は虚空をすり抜け、黄金の光の粒子を散らすだけだった。

橙也は、かつてないほど穏やかに、愛おしそうに微笑んだ。

視界が急激に色を失い、黄金と深紅の色彩が激突しながら、すべてを飲み込んでいく。

[Flash]感覚が飽和し、すべてを融解させる光[/Flash]が、二人の世界を完全に塗りつぶしていった。

第五章:新緑の風、錆びた音叉がささやく明日

季節が巡り、街は新緑の鮮やかな緑に包まれていた。

かつての昭和の面影は失われ、きれいに整備されたモダンなアスファルトの道路が伸びている。

そこにある、新しく、無機質な踏切を、数人の女子高生たちが笑いながら通り過ぎていく。

その中に、艶やかな黒髪を揺らす少女がいた。

敷島 篝。

彼女の白い肌は健康的な血色を帯び、セーラー服をなびかせながら、友達と談笑している。

彼女の記憶の中に、「蓮見 橙也」という名前は一文字も存在しない。

ただの「普通の高校生」として、彼女は新しい、約束された明日を歩んでいた。

遮断機が下り、カン、カン、カンと軽快な警告音が響く。

それは、バグを排除した、世界の正しい、退屈な音だった。

篝は友達と別れ、踏切の前で足を止める。

その時、カラン、と足元で小さな、鈍い金属音がした。

線路脇の草むらに、何かが落ちている。

篝は不思議に思い、屈み込んで、それを手にとった。

それは、古びて、赤茶けた錆に覆われた、真鍮製の小さな音叉だった。

かつて、誰かの血を吸って、世界を書き換えた、その残骸。

[A:敷島 篝:驚き]「……これ、なんだろう」[/A]

指先が、その冷たい金属に触れた。

その瞬間。

[Pulse]ドクン[/Pulse]と、胸の奥の、最も深い部分が激しく震えた。

ノイズ混じりのカセットテープが、頭の中で突然再生されたかのような、激しい耳鳴り。

感覚が痙攣し、網膜の裏で、ありもしない夕焼けの赤が爆発する。

[Glitch]「……なら、この夕焼けの赤さだけは、僕に預けていけよ」[/Glitch]

誰かの、気怠げで、それでいてひどく優しい声が、頭の奥で木霊した。

温かい夕暮れの匂い。

自分をぎゅっと抱きしめてくれた、少し大きな、熱い手のひらの感触。

名前も、顔も、思い出せない。

どれだけ記憶を遡っても、そこにはただの、美しい空白があるだけ。

けれど、魂がその温もりを、狂おしいほどに覚えている。

涙腺が、決壊した。

ぽつり、と。

錆びた音叉の表面に、丸い水滴が落ちて、赤茶けた錆を濡らした。

[A:敷島 篝:悲しみ][Tremble]「……どうして、私、泣いているんだろう」[/Tremble][/A]

[A:敷島 篝:愛情]「でも……なんだか、とても温かい」[/A]

彼女は、零れ落ちる涙を制服の袖で拭うこともせず、その錆びた音叉を、あたたかい温度を確かめるように両手で胸に抱きしめた。

その金属は、彼女の体温を吸って、じわりと熱を帯びていく。

そして、新緑の隙間から覗く、少しずつオレンジ色に染まり始めた夕空を見上げた。

そこには、かつて誰かが彼女のために残した、世界で一番美しい赤が広がっている。

[A:敷島 篝:喜び][Whisper]「あなたに、また会いたいな」[/Whisper][/A]

その言葉が風に溶けた瞬間。

踏切の向こう側から、悪戯っぽく髪を揺らす、目に見えない優しい風が、彼女の涙をそっと掠めて通り過ぎていった。

まるで、誰かがそこで愛おしそうに微笑み、彼女の頬を撫でたかのように。

錆びた音叉は、彼女の胸の中で、静かに、しかし確かに、再会の約束を奏でるように微かに震えていた。

クライマックスの情景

【物語の考察】自己犠牲と「存在の証明」

本作において、「記憶」とは単なる過去の記録ではなく、他者と結びつくことで初めて世界に自分を繋ぎ止める「存在のアンカー」として描かれています。主人公である橙也が最終的に選んだのは、自分が存在したという痕跡をすべて消し去りながらも、愛する対象の明日を確立させるという究極の自己犠牲でした。しかし、すべてが消え去ったはずの結末で、記憶のシステムを超越した「魂の温もり」が奇跡として描かれることで、真の愛は論理的な因果や世界の法則すら凌駕しうるという強い希望を提示しています。

【メタファーの解説】真鍮の音叉と夕暮れの赤

橙也が持つ「真鍮の音叉」は、狂いかけた現実の輪郭を「調律」し、繋ぎ止めるアイテムです。しかし結末においてそれは赤茶けた錆に覆われ、かつての機能を失った残骸として登場します。この錆びた音叉は、もはや魔法や異能の道具ではなく、「かつて誰かがそこにいて、愛した」という純粋な想いの結晶へと変質しています。また、作品全体を覆う「夕暮れの赤」は、失われゆくものの美しさとノスタルジーの象徴であると同時に、橙也が篝に預けた永遠の温もりのメタファーでもあります。

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