第1章:聖堂の追放と深淵の生贄
[A:レオン・バルドール:興奮]「無能なゴミめ、我が栄光の足元を汚すな!」[/A]
ステンドグラスから差し込む極彩色の光が、白大理石の床を不気味なほどに美しく彩る。
大聖堂の静謐を引き裂いたのは、あまりにも下俗で残酷な嘲笑だった。
赤髪を傲慢に揺らし、琥珀色の瞳を歪ませた勇者レオンが、アルスの胸元へと金色の靴を無慈悲に叩きつける。
[A:レオン・バルドール:興奮]「お前のような呪われし者は、奈落の底がお似合いだ! 今すぐ消え失せろ!」[/A]
太陽の加護を受けたというフルプレートアーマーが、激しい身振りに合わせて甲高い金属音を鳴らす。
腰に帯びた「光の聖剣」は、持ち主の悪意を肯定するようにギラギラとした威圧的な光を放っていた。
アルスは衝撃を受け流し、冷たい石床に膝を突いたまま、長い前髪の隙間からただ黙ってレオンを見つめた。
光を失った、澱んだ灰色の双眸。
その瞳には、かつて生死を共にしたはずの仲間の姿が、何の感情も呼び起こさずにただ映り込んでいる。
首元を覆う漆黒の防人外套は、幾重もの戦闘で擦り切れ、すでにボロ布のようだった。
手首の包帯から覗く、生き物のように脈打つ幾何学模様の黒い痣。
不健康なまでに青白い肌の上で、それは絶え間なく体液を腐食させ、死の香りを漂わせている。
[A:エルセ・アストレア:冷静]「あなたの体から漂う邪悪な魔力は、この神聖な地を汚します」[/A]
一歩、背後から進み出た聖女エルセの靴音が、冷酷に大聖堂の天井へと吸い込まれていく。
黄金の長い髪を気高くハーフアップにまとめた彼女は、神聖な魔力をまとい、息を呑むほどに美しかった。
しかし、その透き通るような碧眼が射抜く先には、ただ凍てつくような絶対的な蔑みだけがある。
純白の聖女法衣は一点の曇りもなく、その立ち姿は神の代行者そのもの。
だが、その完璧な衣の胸元、きつく握りしめられた衣服の奥には、かつてアルスが命を懸けて死地から持ち帰った青い結晶のペンダントが、ひっそりと隠されていた。
[A:エルセ・アストレア:冷静]「どうか、大人しく奈落へ消えてください」[/A]
紡がれる言葉は、かつて夜を徹して夢を語り合った幼馴染のそれではない。
ただの罪人を処断するための、冷徹な神託の宣告。
その凛とした、しかしどこか奥底で震えるような声が、広大な大聖堂の石壁に幾重にも反響した。
アルスは何も言わない。
抗弁も、弁明も、怒りの吐露さえもしない。
ただ、ひび割れた唇の端を、静かに、優しく、吊り上げただけだった。
彼らが「邪悪な魔力」と呼んで忌み嫌う、澱んだ漆黒の波動。
その正体こそ、世界の底から無限に湧き出し、生命を破滅へと導く【深淵の呪い】そのものに他ならない。
アルスは自身のユニークスキル『因果逆転・呪厄吸収』を休むことなく発動し続けていた。
世界が、人々が、そして目の前のエルセが受けるべき不条理な呪厄のすべてを、その身ひとつで引き受け、肉体を犠牲にして濾過し続けているのだ。
もし彼がこの呪いを一秒でも手放せば、この美しい王都は瞬時にして腐食の泥海へと沈み、生とし生けるものはすべて骨まで溶け去るだろう。
だが、アルスはその真実を、喉を潰されても明かすつもりはなかった。
語ってしまえば、誰よりも純粋で優しいエルセは、自分がどれほど残酷な仕打ちを彼にしてきたかを知る。
その瞬間に、彼女の心は自責の念で粉々に砕け散り、狂気に呑まれてしまう。
[Think]……それでいい。君は太陽の下で、誰も恨まず、綺麗なまま笑っていればいいんだ。[/Think]
脳を焼き、骨髄を直火で炙られるような激痛。
だが、とうの昔に痛覚を遮断した肉体は、ただ静かに崩壊のステップを進めるだけ。
[A:アルス・クラウゼル:冷静]「わかりました。これまでお世話になりました」[/A]
掠れた、しかし静水のように穏やかな声。
怒りも恨みも一切含まないその響きが、かえって異様なほどに冷たく響く。
[A:アルス・クラウゼル:冷静]「僕のことは、忘れてくれて構わない」[/A]
ゆっくりと立ち上がり、アルスはぼろぼろの外套を翻した。
大聖堂の重厚な扉に向かって、澱んだ泥のような歩みを進める。
目指す先は、世界で最も恐れられ、一度落ちれば二度と戻れないとされる魔境、奈落の深淵。
[A:レオン・バルドール:喜び][Shout]「消え失せろ、無能な寄生虫が! 二度とその汚い顔を僕たちの前に見せるな!」[/Shout][/A]
背後から浴びせられる、勇者の下劣な勝ち名乗り。
エルセは、その白磁のような手を微かに伸ばしかけた。
空を泳ぐその細い指先は、何かを呼び止めようとするかのようだった。
しかし、その躊躇いは一瞬。
彼女は自分の愚かな感傷を振り払うように、冷たく手を引いて胸元へ戻した。
[Impact]ギィ、と重苦しい音を立てて、大聖堂の鉄扉が閉ざされる。[/Impact]
完全に遮断された光。
神殿の外へと一歩踏み出した瞬間、吹き荒れる極寒の突風が、アルスの漆黒の外套を激しく引き裂くように揺らした。
アルスは立ち止まり、首筋から頬へとのたうち回る黒い呪いの痣を、細い指先で愛おしそうになぞった。
[Think]これですべてが守られる。エルセ、君の歩む世界が、光に満ちたままであるように。[/Think]
冷たい風のなか、彼の胸を満たしたのは、誰にも理解されない、しかし絶対的な孤独の満足感だけだった。
第2章:崩壊の序曲と漆黒の守護者

空を覆う黄金の陽光が、王都の街並みを祝福するように優しく照らしている。
大祭の到来を告げる鐘の音が、柔らかく、どこまでも心地よく響き渡っていた。
エルセはハーフアップにした黄金の髪をそよ風に揺らしながら、大聖堂の高台にあるテラスから、熱狂に沸く大通りを見下ろしていた。
その純白の聖女法衣の胸元には、あの日から一度も外すことのなかった青い結晶のペンダントが、重く、冷たく鎮座している。
[A:エルセ・アストレア:冷静]「もう、一年になりますか……」[/A]
呟いた声は、風にさらわれて消える。
街を包むこの異常なまでの平和と豊穣。
人々はそれを、勇者レオンと聖女エルセの偉大なる功績と呼び、二人の間近に迫った婚約を神の祝福と称えている。
だが、その光の届かない遙か奈落の底。
アルスは、牙のように尖った黒い岩肌に背を預け、血の混じった息を吐き出していた。
漆黒の髪は血と泥で固まり、灰色の瞳は、もはや光の明暗すら捉えられないほどに濁り切っている。
不健康に青白かった肌は、侵食を強める呪厄によってあちこちが黒く壊死してひび割れていた。
包帯の下からは、絶えず暗赤色の血液と、腐食性の魔力がドクドクと不気味な音を立てて溢れ出している。
精神を削り、内臓がジリジリと焼かれるような熱狂的な激痛が、脳髄を狂わせようと暴れ狂う。
それでも、震える指先で虚空に展開した、崩れかけの魔術鏡を見つめる。
そこに映るのは、陽光を浴びて、どこか物憂げながらも美しく健在であるエルセの姿だ。
[Think]まだ、笑えている。まだ、生きている。僕のこの擦り切れた命には、それだけで十分な価値がある。[/Think]
[Impact]しかし、残酷な世界は、そのささやかな自己犠牲すら無惨に踏みにじる。[/Impact]
奈落の最深部に、金属鎧をガチャガチャと鳴らす、品のない足音が響き渡った。
[A:レオン・バルドール:興奮]「ハハハ! この奥にある楔を破壊すれば、さらに神聖な力が手に入る! 僕の栄光は誰も止められん!」[/A]
赤髪を狂ったように乱し、焦燥と欲望で琥珀色の瞳を血走らせたレオンが、立ち入り禁止の聖域へと押し入ってきた。
自身の評価が落ち込むのを恐れ、さらなる力を求めて、奈落の封印の核心である【始祖の楔】に目をつけたのだ。
止めようとするアルスの声は、すでに掠れて音にならない。
レオンは手にした「光の聖剣」を限界まで輝かせ、大理石の台座に突き刺さる古びた楔へと全力で振り下ろした。
[Flash]世界を裂くような、鈍く不快な破壊音が轟く。[/Flash]
[A:アルス・クラウゼル:驚き][Whisper]「……やめ、ろ……!」[/Whisper][/A]
ひび割れた喉から漏れた絶望の囁き。
[Pulse]ドクン、と大地の鼓動が狂う。[/Pulse]
次の瞬間、奈落の底から、数万年分の質量を持った深淵の呪いが、黒い大津波となって噴き出した。
それは瞬時に天井を突き破り、地表を目指して逆流を始める。
王都の澄み渡っていた空が、一瞬にして凝固した血のような赤黒さへと変貌した。
天から降り注いだのは、雨ではない。
生命の存在を許さない、鼻を突く猛烈な腐臭を放つ【黒い泥の雨】だった。
街は一瞬にして絶叫に包まれ、建物の木々がジュクジュクと音を立てて溶け始めていく。
[A:レオン・バルドール:恐怖][Shout]「ひ、ひぃっ!? な、なんだこれは! 聖剣の光が……僕の鎧が溶ける! 助けてくれ!」[/Shout][/A]
泥を浴びた金色の甲冑が瞬時に黒ずみ、レオンは恐怖に顔を歪ませて絶叫した。
彼は腰を抜かし、泥まみれになりながら、助けを求めて手を伸ばしたエルセの細い肩を、全力で突き飛ばした。
[Impact]無慈悲な裏切り。[/Impact]
冷たい石床に激しく叩きつけられ、泥の濁流に呑まれかけるエルセ。
迫り来る、死の質量。
[A:エルセ・アストレア:絶望][Whisper]「ああ……私は、ここで……」[/Whisper][/A]
彼女が最期の瞬間を覚悟し、静かに碧眼を閉じた。
[Flash]その刹那、天からまばゆい漆黒の障壁が降り立ち、迫る泥の波を完全に弾き返した。[/Flash]
激しい衝撃音。
しかし、エルセの身を包み込んだのは、暴力的な衝撃ではなく、温かで、どこか懐かしい魔力の揺りかごだった。
エルセは信じられないものを見るように、碧眼を大きく見開いた。
障壁の表面を流れる、幾何学模様の魔術術式。
その波長、そのあまりにも緻密で優しい構成の癖を、彼女の魂は強烈に覚えていた。
[A:エルセ・アストレア:驚き][Tremble]「アル、ス……? 嘘、どうして……」[/Tremble][/A]
かつて旅の途中で、無謀なレオンの陰で、幾度となく自分を守り続けてくれた盾。
ボロボロになりながらも、いつも後ろで静かに笑っていた、あの黒髪の少年の魔力。
脳裏で、過去の違和感が、パズルのピースが嵌まるように激しく結びついていく。
[Impact]世界を救っていた本物の英雄は、レオンなどではなかった。[/Impact]
自分が冷酷に、神託の名の下に追い払った、あの孤独な少年だったのだ。
[Blur]視界が激しい涙で滲み、世界が歪む。[/Blur]
[A:エルセ・アストレア:絶望][Shout]「私は、私はなんてことを! アルス、アルス!」[/Shout][/A]
エルセは泥にまみれるのも構わず、喉を掻きむしるように叫びながら、奈落の入り口へと狂ったように走り出した。
第3章:極限消滅と残された虚無

エルセの肺は、氷を吸い込んでいるかのように痛んだ。
黄金の髪は泥と汗で顔に張り付き、気高き聖女の面影はどこにもない。
深部に近づくにつれ、立ち込める呪いの瘴気が、彼女の皮膚をじりじりと焼き焦がす。
それでも歩みを止めず、奈落の最深部へと滑り込んだ彼女の視界に、決定的な光景が飛び込んできた。
[A:エルセ・アストレア:絶望][Shout]「アルス……!」[/Shout][/A]
そこにいたのは、無数の黒い呪いの鎖に縛り付けられ、磔にされた少年の骸に近い姿だった。
全身の毛穴という毛穴から、おぞましい漆黒の魔力と赤黒い血が噴き出している。
首筋の痣は限界を超えて肥大化し、彼の肉体を中から食い破ろうと脈打っていた。
だが、そんな地獄のような有様のなかで、アルスはエルセを見つめ、静かに、本当に嬉しそうに微笑んだのだ。
彼の四肢はすでに実体を失いかけており、指先から青白い光の粒子となってハラハラと崩れ始めている。
[A:エルセ・アストレア:悲しみ][Tremble]「どうして……どうして何も言ってくれなかったの! 私が……あなたを奈落へ追いやった私が、どれほど愚かで、醜かったか……!」[/Tremble][/A]
エルセは膝から崩れ落ち、這いずるようにして彼へ手を伸ばした。
その細い指先が、今にも消え入りそうな彼の頬に触れようとした、その時。
[A:アルス・クラウゼル:冷静][Whisper]「触れては、いけない」[/Whisper][/A]
実体を失いかけた声が、彼女を押し止めた。
[A:アルス・クラウゼル:冷静][Whisper]「今の僕に触れれば、君の綺麗な魂まで、一瞬で濁って、霧散してしまうから」[/Whisper][/A]
[Think]触れたい。一度でいいから、その温かい手に。でも、僕の我が儘で君を終わらせるわけにはいかない。[/Think]
アルスの足元から、奈落の空間全体を覆い尽くすほどの、巨大な漆黒の魔法陣が展開していく。
[System]《因果逆転・極限消滅》[/System]
それは、自身の存在そのものを世界の歴史、人々の記憶、すべての因果から完全に抹消することを代償に、この世のすべての呪厄を永劫に封じる、禁忌中の禁忌。
[A:エルセ・アストレア:絶望][Shout]「嫌よ……! お願いだから、もう置いていかないで! 私を置いて、一人で消えないで!」[/Shout][/A]
エルセの碧眼から、堰を切ったように涙が溢れ出し、顎を伝って泥に落ちる。
[Blur]目の前が、涙で、光の粒子で、激しく歪んでいく。[/Blur]
[A:アルス・クラウゼル:愛情][Whisper]「泣かないで、エルセ。君が泣いたら、僕が命を懸けて君を守った意味が、なくなってしまう」[/Whisper][/A]
アルスは光を完全に失った灰色の瞳を和らげ、この世界で最も美しいものを見るように、最後の言葉を紡いだ。
[A:アルス・クラウゼル:愛情][Whisper]「君は、太陽の下で、笑っているべきだ」[/Whisper][/A]
[Flash]漆黒の閃光が、奈落の最深部を、そして世界を包み込んだ。[/Flash]
アルスの肉体は完全に光の粒子へと還り、奈落の天井を突き抜けて天へと昇っていく。
地表を埋め尽くしていた黒い泥の雨が、光に洗われるように跡形もなく消滅していく。
同時に、世界中の空を覆っていた赤黒い雲が割れ、そこから息を呑むほどに澄み渡った、吸い込まれそうな青空が広がった。
[Pulse]ドクン、とエルセの頭の中で、脳髄を引き裂くような激痛が走る。[/Pulse]
[Glitch]世界の因果が、急速に再構成されていく。[/Glitch]
目の前で美しく輝いていた少年の面影が、霧が晴れるように急速に不鮮明になっていく。
耳に残っていた彼の愛おしい声が、砂のように指の間からこぼれ落ちていく。
[Think]だれ……? 私は、誰のために、こんな暗い場所で泣いているの……?[/Think]
[A:エルセ・アストレア:驚き][Tremble]「あ、う……あ……」[/Tremble][/A]
口が、無意識に「ア」から始まる名前を呼ぼうと動く。
しかし、その先に続く音を、彼女の脳は、魂は、もうどうしても思い出すことができない。
エルセは、誰もいない、不気味なほどに静まり返った奈落の底で、ぽつりと膝を突いていた。
[Blur]頬を濡らす涙が、奈落に吹き込む冷たい風にさらされて、静かに乾いていく。[/Blur]
[A:エルセ・アストレア:冷静]「私は……なぜ、こんなところにいるのかしら……?」[/A]
自分の泥まみれの、小さな手のひらを見つめる。
そこには、確かな喪失の痛みだけがあるのに、失ったものの形が分からない。
ただ、胸の奥にぽっかりと開いた、引き裂かれるような圧倒的な虚無感だけが、冷たく彼女を支配していた。
世界は救われた。
雲一つない青空の下、王都の人々は「奇跡の平和」の到来に割れんばかりの歓声を上げている。
だが、それを成し遂げ、すべてを背負って消えた少年の痕跡は、誰の心にも、歴史の書き付けにも、この宇宙のどこにも、一欠片すら残されることはなかった。