第一章: 断頭台の死霊咲く夜
冷たい雨が打ちつける泥の中で、首だけの存在がゆっくりと目を開けた。
水たまりに映る白銀の長髪は黒泥に塗れ、鮮血のごとき赤眼があたりを刺すように見開かれる。
切断された喉の断面から溢れ出るのは、温かい血ではない。腐臭の混ざった青白い冷気だ。
無実の異端の罪を覆せぬまま、無残に落とされた首。
刃を振り下ろしたのは、かつて生涯の愛を誓った聖騎士長レオンハルトの白銀の腕であった。
喉の管から絞り出されたのは、無念の呻きでも憎悪の呪詛でもない。
ユーフェミア・フォン・ロゼンベルク「ふふ……あははははっ! 素晴らしいわ、実に素晴らしい切り口!」
激しい落雷が夜空を激しく裂き、雨に濡れた断頭台を白く浮き上がらせる。
紫電の光
ユーフェミアの喉の断面から、どろりとした影の糸が大量に噴出する。
生前に自らの白皙の肌へ刻み込んだ古代禁忌の死霊術《不滅の死契》が、肉体の死という事実を塗り替えて起動した。
転がった首が、泥を舐めるようにして胸元を失った自らの胴体へと這い寄る。
麻痺した指先が泥の中から拾い上げたのは、太い鉄の縫い針と、粘りつく黒い糸。
ユーフェミア・フォン・ロゼンベルク「待っていてね、レオンハルト。あなたが私に刻んでくれたこの痕……生涯、愛おしく抱きしめてあげる」
ぶすり、と皮膚を刺し通す鈍い音が不気味に響いた。
ズキズキと脳を揺らす激痛が、一度は止まったはずの神経系を鋭く突き抜ける。
肉を縫い合わせるたび、腐敗した血の臭いと黒薔薇の香水の匂いが不気味に混ざり合い、雨の夜気を満たしていく。
首筋を一針、また一針と縫い進めるにつれ、固まっていた四肢へ暴力的な熱が戻っていく。
黒薔薇の飾りがついた重厚なゴシックドレスの裾を優雅に揺らし、ユーフェミアは泥の中から立ち上がった。
細く白い首元には、太く無骨な黒い縫い傷の痕が、赤く腫れ上がって痛々しく盛り上がっている。
直後、足元の影が引き裂かれ、重厚な甲冑の砕ける音が泥上で響いた。
全身を漆黒のボロ布と錆び付いた暗黒甲冑で覆った巨躯が、ぬかるみの中で静かに片膝を突く。
兜の隙間から、蒼い霊炎がゆらゆらと揺らめいていた。
アッシュ「お見事でございます、ユーフェミア様。……しかし、あの忌々しい男への復讐のために、これほどの肉体的な苦痛に耐えられるとは」
低くかすれた声が、叩きつける雨音を割って届く。
ユーフェミアは糸の結び目が残る首元を、愛おしそうにそっと撫で上げた。
ユーフェミア・フォン・ロゼンベルク「復讐? ふふ、違うわアッシュ。そんな生ぬるい真似、私がするはずがないでしょう?」
赤眼の奥に、甘く濁った情念が燃え上がる。
ユーフェミア・フォン・ロゼンベルク「私はただ、私を殺したあの愛しい人を、私と同じ地獄の底へ引きずり下ろしたいだけなの」
アッシュ「……御身の命のままに、我が主。あの歪んだ偽りの聖者どもに永遠の終焉を」
影の中から緩やかに引き抜かれた大剣が、泥水を力強く弾き返す。
ユーフェミアは血濡れたドレスの裾を優しくつまみ上げ、狂気の発信地である王都の方角へと一歩を踏み出した。
首元の縫い傷が、未知の歓喜に震えるように微かに疼いている。
第二章: 聖騎士長の開かずの間

重厚な石造りの聖騎士団本部。
深夜の静寂を切り裂き、最奥に位置する執務室の扉が音もなく開いた。
重厚な結界のルーンが死霊の黒い霧によって瞬時に腐食し、ボロボロと砂となって崩れ落ちていく。
静まり返った部屋の中には、綺麗に磨き上げられた白銀の甲冑と、神聖剣の冷ややかな光。
どこに隠れているのかしら、私の可愛い処刑人様……
ユーフェミアの鋭い視線が、部屋の隅に置かれた重厚な書棚の影に落ちた。
わずかに隙間が開き、地下へと続く冷たい石段が闇を覗かせている。
濡れた靴底の音を響かせ、石の階段を降りるにつれて鼻腔を突く匂いが激変していった。
神聖な香油の甘い匂い、そして防腐薬品のツンとした不快な刺激臭。
最下層に鎮座する分厚い鉄扉を開け放った瞬間、ユーフェミアの息が完全に止まる。
そこは、聖騎士の部屋などでは到底なかった。
壁一面を狂気的に埋め尽くす肖像画の数々。描かれているのは、すべて自分。
幼少期に落とした髪留め、刺繍の途中で捨てた布切れ、お気に入りだったリボンが、厳重に額装されている。
そして部屋の中央、透明なガラスケースの中。
そこには、完璧な防腐処理を施された、ユーフェミア自身の生き写しの剥製が優雅に鎮座していた。
机の上に無造作に広げられた日記帳へ、ユーフェミアは吸い寄せられるように歩み寄る。
歪んだ筆跡で、狂気的な文字が紙面を埋め尽くしていた。
『王家がユーフェミアを冤罪で処刑すると決めた。許せない。だが、他の男や無骨な処刑人に彼女の肌を触れさせるなど絶対に嫌だ。だから俺が殺す。俺の手で首を落とし、俺だけのものにする』
ユーフェミアの薄い唇が、歓喜によって美しく歪んだ。
ユーフェミア・フォン・ロゼンベルク「あは……あははは! なにこれ、最高じゃないの!」
全身の肌に激しい鳥肌が立ち、体温のない胸の奥が熱く煮え立つ。
ユーフェミア・フォン・ロゼンベルク「私を裏切って殺したと思っていたのに……あなたも、私と同じくらい狂っていたのね、レオンハルト!」
「……やはり、蘇ってくれたか。俺の愛しいユーフェミア」
背後から、氷のように冷たく甘い声が落ちてきた。
首元——ちょうど黒い縫い糸が走るラインに、白銀の冷たい刃が優しく添えられる。
振り返ると、短く整えられた金髪の聖騎士長が静かに立っていた。
冷徹な蒼眸には、溢れんばかりの涙と、狂おしいほどの情愛が狂い咲いている。
レオンハルト・フォン・シルヴァ「お前の首を落とした瞬間から、このときをずっと待っていた。俺の刃でしか、お前を永遠にはできないのだから」
ユーフェミア・フォン・ロゼンベルク「ふふ、私の可愛い処刑人様。その刃、今度は私のどこを切り落としてくださるの?」
二人の視線が激しく絡み合い、火花を散らした。
第三章: 死と愛の終焉契約

「邪魔だ、影の屑が!」
聖剣から放たれた目眩く白い閃光が、地下室の深遠な闇を激しく焼き払う。
後方から躍り出たアッシュの黒い甲冑が粉々に砕け散り、石壁へ激しく叩きつけられた。
兜の奥の青い霊炎が弱々しく揺れ、影の底へと静かに没していく。
邪魔者は消え去った。
残されたのは、死者となった女と、生きながら狂気に呑まれた男のみ。
レオンハルト・フォン・シルヴァ「ユーフェミア! なぜ戻った? 俺の剥製では満足できなかったのか! その動かない心臓を、もう一度俺の手で貫かせるために戻ったのか!」
ユーフェミア・フォン・ロゼンベルク「戯言を言わないでレオンハルト! あなたが私を殺した理由がそんな独占欲だなんて……愛おしすぎて狂いそうだわ! でも、私を殺して一人で満足しているなんて絶対に許さない!」
ユーフェミアの指先から、黒い死霊の鎖が音を立てて打ち出される。
太い鎖はレオンハルトの四肢に勢いよく巻き付き、白銀の甲冑を軋ませた。
だがレオンハルトは、自らの肉が引き裂けるのも構わず鎖を力任せに引きちぎり、前へ踏み出す。
二人の肉体が激しく激突し、冷たい石の床へ激しく転倒した。
レオンハルトの大きな手が、ユーフェミアの首元の縫い目を強く絞めつける。
レオンハルト・フォン・シルヴァ「お前を渡さない……世界にも、死にも、他の誰にもだ!」
ドクン、ドクンと狂った鼓動が地下室に鳴り響く。
ユーフェミアの爪が鋭く伸び、レオンハルトの背中の肉を激しく突き破って鮮血を噴出させた。
あふれ出る温かい生の血が、ユーフェミアの冷え切った肌を赤く赤く染め上げていく。
ユーフェミア・フォン・ロゼンベルク「痛いわ……痛いわレオンハルト! でも最高! あなたの熱が、私の冷たい身体を溶かしていくのを感じるわ!」
レオンハルト・フォン・シルヴァ「俺の命を吸え! 俺の魂を喰らえ! お前を殺した罪を、永遠にお前に弄ばれることで贖わせろ!」
ユーフェミアは狂喜の笑みを浮かべ、レオンハルトの首筋へ深く牙を突き立てた。
生温かい血が喉を潤し、彼の命の熱が死体の内側へと雪崩のように流れ込む。
激痛に全身を震わせながら、レオンハルトは歓喜の涙を溢れさせた。
レオンハルト・フォン・シルヴァ「愛している……世界で唯一人の、俺だけのユーフェミア……」
レオンハルトの手がユーフェミアの後頭部を強く抱き寄せ、血濡れた唇を深く重ね合わせる。
死臭と香水、そして生の血の味が、二人の舌の上でドロリと混ざり合った。
ユーフェミア・フォン・ロゼンベルク「誓いなさい……死んでも、骨になっても、私だけの聖騎士でいると……っ!」
神聖な光の粒子と、ドロリとした漆黒の死霊術が激しく衝突し、地下室の天井がガラガラと崩落を始める。
巨石が降り注ぐ中、二人は互いの骨が砕けるほど強く抱き合い、決して離れようとはしない。
肉体が潰れ、血が混ざり合い、絶命と蘇生が同じ瞬間に何度も繰り返される。
生と死の境界が、二人の過剰な狂愛によって完全に破壊されていく。
崩れ落ちた瓦礫の隙間から、アッシュの青い霊炎が二人の姿を見上げていた。
そこには、永遠の闇の中で、互いの肉体を貪り合いながら甘く笑い合う二人の姿がある。
王国の正義も、神聖な秩序も、生者の理すらも、もはや何の意味もなさない。
二人は一生解けることのない《死愛の呪約》を結び、二度と誰も踏み込めない狂愛の深淵へと堕ちていった。
崩落した王都の地下深く、閉ざされた永遠の棺の中で。
甘く狂った愛の語らいが、途絶えることなくどこまでも響き続けていた。