第一章: 照準の交錯と裏切りの雨
錆びた鉄骨を叩く土砂降りの雨。
鉛色の帳が落ちた廃ビル屋上、視界を塗りつぶす水煙のただ中で、二つの銃口が互いの眉間を正確に捉えていた。擦り切れたミリタリーコートの襟を立てたヴァルター・クライスは、細めた灰色の瞳で雨粒を弾く。右頬に刻まれた古いナイフ傷へ冷たい雫が染み入り、古傷特有の鈍い痛みを呼び覚ましていた。
ヴァルター・クライス「……おい。その銀髪、黒曜会の処刑人だな。暗号キーから手を引け」
低く乾いた声が、雷鳴の合間に沈む。雨に打たれ濡れそぼるレザーブルゾンに包まれた細身の肢体は、ミリ単位のブレもなく円弧を描いて旋回していた。漆黒のタクティカルスーツ越しに放たれる殺気は、冬の氷刃そのものだ。濡れて額にへばりつく銀髪ショートボブの隙間から、エステル・ノヴァクの真紅の瞳が冷徹に獲物を測る。
エステル・ノヴァク「排除完了……と言いたいけれど、しぶといわね。死にたいなら私の前に立ちなさい」
銃身から立ち上る熱気が雨滴を弾き、微かな水蒸気を立てた。指先の遊びはゼロ。エステルの引き金を絞る人差し指には、一切の躊躇がない。ヴァルターは喉仏を微かに上下させ、乾いた笑いを口元に刻んだ。
ヴァルター・クライス「悪運だけは一流なんだよ」
互いの指骨が収縮し、撃発の臨界点に達した、その瞬間。頭上の雨雲を暴力的に引き裂いて、紅蓮の爆音が鼓膜を殴りつけた。
エステル・ノヴァク「っ、上空……無人攻撃機線型部隊!?」
ヴァルター・クライス「伏せろ!」
怒号と同時に、ヴァルターの太い腕がエステルの細い肩を強引に引き倒した。直後、耳元の暗号通信機が鼓膜を突き刺す高周波ノイズを撒き散らし、唾棄すべき男の滑らかな美声が割り込む。金縁眼鏡の奥で嘲笑を浮かべている様が、ありありと脳裏に浮かぶ傲慢さだった。
ヴィクトル・葛城(カツラギ)「お二人とも、ご苦労様でした。目撃者は一人も残しません。灰になっていただきましょう」
エステル・ノヴァク「葛城……! 私まで切り捨てる気か!」
エステルの叫びは、超音速で撃ち込まれた誘導焼夷弾の轟音に呑み込まれた。足元のアスファルトが飴細工のように裂け、鉄筋が悲鳴を上げて弾け飛ぶ。轟轟たる破砕音と共に床が崩落し、二人の体は底の知れない暗黒の亀裂へと真っ逆さまに呑み込まれていった。
第二章: 敵対者の泥臭い握手

澱んだ濁水が滴る地下貯水槽。焦げたコンクリートと火薬の残り香が、鼻腔を容赦なく刺す。
エステル・ノヴァク「はっ、……く、ひゅっ……あ、が……」
狭小な瓦礫の隙間に半身を埋められ、エステルは胸元の黒レザーを爪が食い込むほど掻きむしっていた。肺腑を針で突かれるような過呼吸。青ざめた唇の隙間から、浅く痙攣した呼気が漏れる。震える指で冷え切った銃身を自らの胸板に押し当てるが、撃鉄は空しくカチリと乾いた金属音を鳴らすだけだった。
ヴァルター・クライス「弾切れだ。落ち着いて息を吐け」
ヴァルターは無精髭に覆われた顎の先をぬぐい、ジッポーライターのホイールを弾いた。湿気た安タバコに微かな橙色の火が宿る。紫煙を肺の奥まで吸い込み、吐き出しながら、巨大なコンクリート片の下に挟まれた彼女の華奢な足首へと無骨な両手を伸ばした。
エステル・ノヴァク「触るな……っ! 敵の情けなど要らない!」
ヴァルター・クライス「動くな、骨が軋むぞ。……死に損ない同士、殺し合うのは地上に出てからにしないか」
肉厚で節くれだった掌が、濡れたレザー越しに足首を強く固定し、一気に瓦礫の圧迫から引き抜く。瞬間、エステルは強固な男の掌から放たれる熱に肌を焼かれるような錯覚を覚え、喉の奥を詰まらせた。
……冷え切った指先に、この男の体温が染み込んでくる。
男の肩口から漂う安煙草と火薬の混ざり合った荒々しい匂い。それがエステルの麻痺しかけた知覚を激しく揺さぶり、拒絶と安堵が綯い交ぜになった悪寒が背筋を駆け抜けた。
頭上の分厚い防水隔壁を吹き飛ばす爆破音が響き、重靴の足音が無数に降り注ぐ。濁水の上を、幾重もの真紅のレーザーサイトが網目のように舐め回した。
エステル・ノヴァク「……葛城の私設部隊ね。背中は空いているかしら」
痛む足首を床につけ、エステルは残弾ゼロの銃を捨てると、太もものシースから黒塗りのコンバットナイフを引き抜いた。ヴァルターは不敵に口角を持ち上げ、ボルトアクション式の狙撃銃に最後のエグゾースト弾を叩き込む。
ヴァルター・クライス「弾丸が切れたら、言葉で殴り合うしかねえな。行くぞ」
第三章: 二重奏の掃射線

排気タービン室の狭隘な回廊に火花が乱舞する。視界を遮る高熱の蒸気。閃光と発砲炎が、鋼鉄の迷宮を明滅させていた。
エステル・ノヴァク「左回廊に三、装甲兵!」
ヴァルター・クライス「もらった」
乾いた狙撃音。
ヴァルターが放った徹甲弾が先頭兵の防弾バイザーを粉砕し、脳漿ごと鉄壁を穿つ。崩れ落ちる巨躯を盾にする間もなく、エステルの体が漆黒の影となって滑り込んだ。水たまりを蹴破り、低空から跳躍する。二振りの刃が閃き、残る二人の装甲の隙間、露出した頚動脈を無音で両断した。
ヴァルター・クライス「エステル、マガジンだ!」
背後から放り投げられたサブマシンの予備弾倉。エステルは振り返ることなく左手で宙を掴み、滑り込ませるように銃把へ装填した。カチャリと噛み合う金属音と同時に、背後へノールックで二連射を叩き込む。ヴァルターの古傷が痛む左膝をそっと支えるように、二人の背中が触れ合った。互いの荒い呼吸、加速する心拍、熱を帯びた血液の循環が、一つの律動となって同期する。
防弾ガラスを突き破り、二人は最上階の管制室へと突入した。割れたガラスの海を踏みしめ、仕立てのいいスリーピーススーツを泥と煤で汚した男が、腰を抜かして後退る。
ヴィクトル・葛城(カツラギ)「ば、馬鹿な……! 貴様ら、なぜ手を組んで……! 金ならいくらでも払う! 組織の口座を――」
エステル・ノヴァク「命乞いは不要よ。私の弾丸はあなたの言葉より速い」
ヴァルター・クライス「契約書にねえ死に方をしな、葛城」
慈悲の欠片もない二つの宣告が重なる。
二条の火線が同時に金縁眼鏡を吹き飛ばした。
純白のシルクシャツを赤黒い薔薇のように染め上げ、男の身体は雨煙の夜景へ音もなく落下していった。
第四章: 煙霞の消えゆく朝
夜が退き、旧港湾の埠頭は白く煙る波と紫色の朝焼けに包まれていた。海鳴りが遠く響き、硝煙の抜けた冷たい大気が肺を満たす。
波止場の縁石に腰を下ろし、二人は潮風を肌に受けていた。乾き始めた泥が皮膚を突っ張らせる。ヴァルターはコートの内ポケットをまさぐり、潰れかけた銀色の箱から最後の一本を取り出した。ジッポーの火で先端を灯し、紫煙を立ち上らせてから、無言で横へと差し出す。
エステル・ノヴァク「……タバコの臭いは嫌いよ」
ヴァルター・クライス「一口吸えば腹の底の血が固まる」
エステルは真紅の瞳で男の横顔をじっと見つめた後、ためらいがちに細い指で煙草を挟んだ。薄い唇でフィルターをくわえる。深く煙を吸い込んだ瞬間、気管を焼く猛烈な刺激に襲われ、華奢な肩を揺らして激しく咽び返った。
エステル・ノヴァク「……ゴホッ、けほっ……不味いわね」
ヴァルター・クライス「ああ、最悪だ」
ヴァルターは低く掠れた笑い声を漏らし、煙草を受け取ると、ゆっくりと立ち上がった。海風がボロボロのコートを大きくはためかせる。
ヴァルター・クライス「次は敵として会おう」
エステル・ノヴァク「断るわ。弾の無駄よ」
エステルは素っ気なく真紅の瞳を背け、反対側の埠頭へと背を向けて歩き出した。そのコートのポケットの中、先刻の乱戦の最中にヴァルターのチェストリグから密かに掠め取った、熱の残る大口径カートリッジを指先で強く握り締めながら。
二つの乾いた足音は一度も振り返ることなく、白み始めた朝の喧騒の中へと静かに溶けていった。