第一章: 落ちてきた青
赤錆と泥水が混ざり合う酸えた悪臭が、肺の奥までこびりつく。
巨大な歯車が軋む重低音が、湿った冷気とともに足元のコンクリートを絶え間なく揺らしていた。
灰色の雨が降り止まぬ峡谷の底、第六居住区。アルトは油に汚れきった作業着の裾を乱暴に絞り、伸び放題の銀髪から滴る冷水を手の甲で拭った。見上げる先には、街を密閉する分厚い雲と無骨な鉄骨の天蓋。彼の琥珀色の瞳は、そこに微かな怯えを滲ませながらも、重圧を放つ暗い蓋を冷ややかに睨みつけていた。
[A:アルト:冷静]「空なんて、ただの暗い天井だ。見上げても首が痛くなるだけさ」[/A]
レンチを握り直し、邪魔なガラクタを苛立たしげに蹴り飛ばした。その瞬間――。
[Flash]網膜を灼くような、圧倒的な青。[/Flash]
[Shout]ゴアァァァァァァッ!![/Shout]
圧殺的な雲がひび割れ、一条の閃光が廃棄場の鉄屑の山へ突き刺さった。
鼓膜を劈く轟音。土煙が濛々と立ち込めるすり鉢状の底へ、アルトは思わず駆け寄った。そこで彼を待っていたのは、常軌を逸した光景だった。
血の気のない病的なほど白い肌に、夜闇を溶かしたような蒼髪がまとわりついている。背中には淡く脈打つ光の双翼。泥に汚れた簡素な貫頭衣を纏って横たわるその姿は、この掃き溜めのような街にはあまりにも異質だった。
[A:シエル:悲しみ]「……空が、痛い……」[/A]
土気色の唇が微かに震え、鈴の音のように透き通った声が漏れる。
[A:アルト:驚き]「なんだよ、これ……お前、人間なのか?」[/A]
血と泥に塗れた細い体を、思わず抱き起す。氷結したような肌の冷たさが、アルトの掌から背筋へと駆け抜けた。
閉ざされた天蓋から降ってきた、翼を持つ少女。
それは、アルトが疑いもしなかった灰色の箱庭が、音を立ててひび割れる最初の予兆だった。

第二章: 蒼い羽根と黒い影
甘く煮込んだ廃トウモロコシのスープが、ひしゃげた真鍮の器から細い湯気を立てている。
[A:シエル:喜び]「あたたかい……こんな匂い、初めてなの」[/A]
器を両手で包み込むシエルの頬に、ほんのりと赤みが差した。ここは廃棄場の奥底に設えた、ガラクタの山で偽装したアルトの隠れ家である。
[A:アルト:照れ]「そんなガラクタ飯で感動すんなよ。ほら、これも直ったぞ」[/A]
油の染み付いた指先で、アルトは古いオルゴールをテーブルに置いた。ゼンマイを巻けば、錆びついた歯車がカチリと噛み合い、かすれたメロディが薄暗い部屋を優しく満たす。
シエルの蒼瞳が、安らぎに細められる。
だが、彼女が穏やかな吐息をこぼすたび、背中の光翼の根元は、水に墨を垂らしたようにじわりと黒く濁っていった。
[A:シエル:冷静]「本当の空はね、痛いくらいに広くて、悲しいくらいに青いの」[/A]
[A:アルト:冷静]「そんなもん、夢物語だろ。人間は、この安全な灰色の街でしか生きられねえんだよ」[/A]
[Think]だけど、こいつの言う空なら、見てみたいかもしれない。[/Think]
アルトの胸の奥で、とうに捨てたはずの熱い脈動が確かに跳ねた。

泥のように苦いコーヒーを喉へ流し込み、ガルドは黒革の手袋をぎりりと嵌め直した。
顔の右半分を這う凄惨な火傷の痕が、雨の湿気に鈍く疼く。重厚な軍用外套を翻し、氷のような三白眼で居並ぶ部下たちを射据えた。
[A:ガルド:怒り]「捜索を急げ。空の落とし子は、この秩序の破壊者だ」[/A]
[A:ガルド:冷静]「自由とは、破滅の別名に過ぎん。鳥は籠の中でこそ平和なのだ」[/A]
[Impact]ガシャンッ!![/Impact]
隠れ家の分厚い鉄扉が、凄まじい爆発音と共に吹き飛んだ。
焦げた火薬の臭いと無慈悲な硝煙が、ささやかな安らぎの時間を粉々に引き裂いていく。

第三章: 記憶の燃え滓
もうもうと土埃が舞い上がり、むき出しの配管が不快な金属音を立ててひしゃげた。
[Shout]ぐああっ!![/Shout]
硬質な軍用ブーツがアルトの腹を抉り、容赦なくコンクリートの床へ叩きつける。肺から空気が根こそぎ絞り出され、口の中に生温かい鉄の味が広がった。
[A:ガルド:冷静]「無謀な若者よ。空を見上げるなと、教わらなかったか」[/A]
抜き放たれた双剣の切っ先が、アルトの頸動脈にピタリと添えられる。見下ろすガルドの瞳は、過去の亡霊を呪うかのような絶対零度の冷酷さを湛えていた。
[Tremble]アルトの指先が、無力に痙攣する。届かない。力が、圧倒的に足りない。[/Tremble]
[A:シエル:悲しみ]「やめて……彼を、傷つけないで、お願い」[/A]
シエルが静かに立ち上がる。白い貫頭衣がふわりと舞い、背中の翼が網膜を焼くほどの異常な輝きを帯び始めた。
[A:アルト:絶望]「やめろ、シエル! それを使えば、お前は……!」[/A]
[Magic]《重力中和》[/Magic]
青白い光の波紋が放たれ、重力を失った瓦礫がフワリと宙を舞う。
だが、奇跡の代償は残酷だった。力が奔るたび、彼女の翼は急速にどす黒い灰燼へと変貌していく。
[A:シエル:愛情]「アルト……スープ、おいしかった。オルゴール、ありがとう」[/A]
振り返ったシエルの瞳の奥で、何かが決定的に壊れる音がした。琥珀色の少年の姿、温かい食事の湯気、共に過ごした時間の意味——それらが砂のように崩れ落ちていく。
[FadeIn]空虚なガラス玉へと変わる、蒼い瞳。[/FadeIn]
治安維持部隊の放った特殊網が彼女の細い体を絡め取り、雨の降る闇へと引き摺り込んでいく。
後に残されたのは、翼から剥がれ落ちた真っ黒な灰と、鼓膜を圧迫するほどの底なしの静寂だけだった。

第四章: 鳥籠の破壊者
街の中央にそびえる巨大な処刑塔。スピーカーからは、翼の切除という名目の公開処刑が冷徹な電子音声で垂れ流されていた。
隠れ家の床に這いつくばったまま、アルトは胃液をぶちまける。喉を焼く酸の匂いと、内臓を掴まれるような高所への恐怖。脳裏にこびりついているのは、幼い頃、父が遥か上空の天蓋から墜落していったあの日の記憶だ。
[Pulse]ドクン、ドクン、ドクン。[/Pulse]
心臓が肋骨を叩き割る勢いで跳ね回る。呼吸は浅く、視野が明滅を繰り返す。
だが、血の滲むほど握りしめた拳の中には、シエルが遺した真っ黒な灰の感触が確かに残っていた。
[A:アルト:怒り]「安全な鳥籠で、あいつを見殺しにするくらいなら……!」[/A]
[Shout]こんな世界ごと、ぶっ壊してやる!![/Shout]
廃棄場の奥深く、分厚い防水シートを乱暴に引き剥がす。
現れたのは、父の形見である未完成の小型飛空艇だ。アルトはジャンクパーツの山から部品をむしり取り、狂気じみた速度で推進器へと組み込んでいく。頼るべきは己の直感のみ。油に塗れた指先が血を流しながらも迷いなく配線を繋ぎ、ついに動力炉へと火を入れた。
咆哮のような爆音を上げ、飛空艇が灰色の雨を切り裂いて垂直に舞い上がる。
一直線に処刑塔の頂を目指すアルト。だが、軋む甲板へ音もなく舞い降りた黒い外套の影があった。ガルドだ。
[A:ガルド:怒り]「愚か者が! 父親と同じ末路を辿る気か!」[/A]
風を裂いて迫る双剣の連撃が、飛空艇の装甲を削り激しい火花を散らす。
[A:アルト:怒り]「アンタが逃げた空を、俺は飛ぶんだよ!」[/A]
アルトは操縦桿を限界まで倒し、推進器のリミッターを物理的に叩き壊した。機体ごとガルドの立つ足場へ玉砕覚悟で突っ込む。
金属が拉滅する轟音。双剣を交差させ防御姿勢をとるガルドを装甲板ごとへし折り、機体が処刑塔へと乗り上げる。弾き飛ばされる黒い外套。二人の男の意地と覚悟が、暴風吹き荒れる空の只中で正面から激突した。
◇◇◇
第五章: 星の降る鳥籠
[Sensual]
黒煙の渦巻く処刑塔の頂上。
巨大なシステム群に無数のケーブルで繋がれ、光を失いかけていたシエル。アルトは血まみれの腕を伸ばし、ケーブルを引き千切って彼女の細い体を強引に胸の中へ抱き寄せた。
氷のように冷え切った彼女の白い頬に、アルトの荒く熱を帯びた呼吸が触れる。
[A:アルト:愛情]「もう、絶対にお前を一人にさせねえ」[/A]
[A:シエル:驚き]「あ……あなたは……だれ……なの?」[/A]
すべての記憶を奪われ、焦点の合わない空虚な蒼い瞳。
それでも彼女の細い腕は無意識のうちに、油と汗、そして鉄の匂いが染み付いたアルトの背中へ、縋りつくように回されていた。
[/Sensual]
[A:アルト:愛情]「俺はアルト。お前を、本当の空に連れて行く男だ」[/A]
シエルを片腕に抱いたまま、残る腕で飛空艇の操舵輪を握り締める。酷使された動力炉が限界を迎え、臨界突破のけたたましい警報を鳴らし始めた。
アルトは琥珀色の瞳を血走らせ、分厚い灰色の天蓋の中心――巨大な歯車が噛み合う絶対のコアへと機首を向けた。
[Glitch]システム崩壊警報。物理障壁低下。致命的エラー。[/Glitch]
[Shout]いっけええええええええええええっ!!![/Shout]
爆発的に推進器が火を噴き、機体は死を恐れぬ一条の光矢となって、天蓋の中枢へと突き刺さる。
[Flash]世界が、圧倒的な白に染まった。[/Flash]
世界を圧する爆発音。
その直後、数百年もの間人類を闇に閉じ込めていた分厚い天蓋が、まるで脆弱なガラス細工のように粉々に砕け散った。
降り注ぐ無数の破片が乱反射し、黄金色の雪となって灰色の峡谷を埋め尽くしていく。
そして、アルトたちの頭上に開けたのは――。
残酷なまでに美しく広がる、満天の星空だった。
果てしない宇宙の深淵と、無数の星々の瞬きが、胸が痛くなるほどの静寂と共にそこにあった。
真新しい冷たい夜風が、二人の髪を大きく揺らしていく。
[A:シエル:悲しみ]「……どうして、涙が……止まらないの……」[/A]
何も覚えていないはずのシエルの頬を、温かい雫が止めどなく伝い落ちていく。
アルトは震える腕で彼女をより一層強く抱きしめ、首が痛くなるまで――いつまでもいつまでも、その未知なる美しい空を見上げ続けていた。