第一章: 錆びた鳥籠と、墜落する銀
肺を焼くような、酸を帯びた微かな錆の匂い。
海上学園都市「箱庭」の最上階。分厚い灰色の雲が、重くのしかかるように視界を塞ぐ。
無造作に伸びた黒髪が、鉛色の風に煽られてはためく。空の色をそのまま切り取ったような透明な青い瞳。カイルは、錆びたフェンスの向こう側を見据えていた。規律を嘲笑うかのようにラフに着崩された学園の制服。胸元で揺れるのは、風を読むための古い方位磁針だ。
[Think]風向きが変わる。[/Think]
冷たい突風。淀んだ空気が切り裂かれた。
視線の先、錆びた金網の向こう側に伸びる細い鉄骨の上。
虚空へ身を投げようとしている少女の姿。
ダボついた分厚い白いカーディガンが、激しい風にバタバタと波打つ。色素の薄い銀髪が乱れ、光を失った琥珀色の瞳が、奈落の底を覗き込んでいた。
[A:カイル:驚き]「おい、そこで何してる!」[/A]
フェンスを蹴り上げ、強引に身を乗り出す。
少女の肩が小さく跳ねた。
振り返った彼女の瞳孔が、微かに収縮する。その瞬間、さらに強い暴風が二人の間を叩きつける。
[Tremble]ビリッ[/Tremble]
風圧。白いカーディガンの肩口が大きくめくれる。
露わになった彼女の背中。そこには、肉ごと醜く引き裂かれ、雑に縫合されたような痛々しい「羽の痕」が刻まれていた。骨格異常の忌み子。不適合者の烙印。
[A:シエラ:恐怖]「見ないで……!」[/A]
細い喉から絞り出された悲鳴。
シエラがバランスを崩し、虚空へと体が傾く。
カイルは躊躇なく金網を飛び越えた。宙に浮いた彼女の細い腕を、全力で掴み取る。
[Impact]ガツンッ![/Impact]
肩の関節が外れそうな衝撃。
鉄骨の縁に片手でぶら下がる形になり、奥歯を強く噛み締める。指先から伝わる彼女の体温は、氷のように冷たい。
ポツリ。空から冷たい雨粒が落ち、乾いたコンクリートに黒い染みを作る。激しい夕立の雨音が、世界を白く塗りつぶしていった。
[A:シエラ:悲しみ]「離して……私には、飛ぶ資格なんてないから……」[/A]
震える唇。琥珀色の瞳から、大粒の雫が零れ落ちる。
カイルは方位磁針の鎖を鳴らし、彼女の腕をさらに強く握り込んだ。
[A:カイル:怒り]「馬鹿言うな。見えないからって、空がないわけじゃないだろ」[/A]
喉仏を上下させ、雨音を切り裂く。
[A:カイル:興奮]「落ちるくらいなら、俺と一緒に空を見ろ!」[/A]
シエラの瞳が、微かに揺らぐ。
カイルの青い瞳の奥で、決して消えない反骨の炎が燃え盛っていた。
足元の奈落から這い上がるような、重く冷たいサイレンの音が鳴り響く。定期検診の開始を告げる、無機質な絶望の音だった。
◇◇◇

第二章: 埃まみれの空と、冷たい眼差し
古い紙とインク、そして埃の匂いが充満する空間。
旧図書館の奥深く。誰も寄り付かない区画。
[A:エルザ:冷静]「本当の鳥は、籠の開け方を知っているものさ。ブラックコーヒーでも飲むかい?」[/A]
緩くまとめた無造作な赤毛。アンティークな丸眼鏡の奥で、エルザが皮肉げに片目を細める。彼女の羽織る黒いローブからは、常に歴史の陰に追いやられた禁書の匂いがした。
[A:カイル:照れ]「苦いのはパスだ。それより、この本の続き」[/A]
カイルの隣には、分厚いカーディガンを羽織ったシエラが座っている。
彼女の細い指先が、擦り切れた古い絵本のページを丁寧になぞる。そこに描かれているのは、箱庭では誰も見たことがない「青い空」と「白い鳥」の姿。
[A:シエラ:喜び]「青色……とっても、綺麗です。本当に、こんな世界が……?」[/A]
[A:カイル:喜び]「ああ、絶対にあるさ。俺の方位磁針が、上から吹く風の匂いを捉えてる」[/A]
シエラの琥珀色の瞳に、僅かな光が灯る。膝の上でスケッチブックを開き、下手くそだが生命力に溢れた鳥の絵を描き始める。カイルの横顔を盗み見ては、微かに頬を朱に染めていた。
静寂。
それは、冷たい靴音によって破壊される。
コツ、コツ、コツ。
規則正しい、一切の乱れもない歩み。
[A:ノア:冷静]「こんな場所で何を企んでいる、カイル」[/A]
きっちりと撫でつけられた金髪。首元まで完璧に留められた制服のボタン。
風紀委員長の腕章を付けたノアが、冷徹な灰色の瞳で見下ろす。
[A:カイル:怒り]「ノア……お前には関係ないだろ」[/A]
[A:ノア:冷静]「規則は絶対だ。自由とは、無秩序という名の暴力だ。——とりわけ、不適合者との接触は推奨されない」[/A]
氷のような視線が、シエラの背中を突き刺す。
シエラは息を呑み、自らの体を抱きしめるように身をすくませた。
[A:ノア:冷静]「通達だ。シエラ。お前は明日の定期検診で『廃棄処分』に指定された。中央塔への移送を命じる」[/A]
[Impact]空気が凍りつく。[/Impact]
カイルは椅子を蹴り倒し、ノアの胸ぐらを掴んだ。
[A:カイル:怒り]「ふざけんな! 廃棄だ!? 彼女が何をしたって言うんだ!」[/A]
[A:ノア:冷静]「システムが不純物と判断した。それだけだ。理解できないな、カイル。なぜお前は、自ら破滅へ向かおうとする」[/A]
灰色の瞳の奥底に、かつて妹を失った喪失の痛みが微かに瞬く。
だが、その感情は瞬時に冷たい論理の壁の奥へと封じ込められた。ノアはカイルの腕を無駄のない体術で払いのけ、踵を返す。
宣告は下された。秒針が、破滅へのカウントダウンを刻み始める。
◇◇◇

第三章: 冷たい雨と、引き裂かれた羽
ザァァァァッ。
容赦なく打ち付ける冷たい雨。
裏路地のアスファルトは黒く沈み、有毒とされる外気処理液の薬品臭が鼻をつく。
カイルはシエラの細い手首を強く引き、濡れた路地を駆ける。
[A:カイル:興奮]「急げ! エルザが地下の隠し通路を開けてくれた。ここを抜ければ……!」[/A]
[A:シエラ:悲しみ]「もう……いいの」[/A]
不意に、引いていた腕の重みが増す。
シエラが足を止め、濡れたコンクリートの上に立ち尽くしていた。
水を含む白いカーディガンが重く垂れ下がり、細い輪郭を浮き彫りにする。
[A:カイル:驚き]「何言ってんだ! 追手が来るぞ!」[/A]
[A:シエラ:絶望]「カイル……あなたの空は、とても美しかった」[/A]
ゆっくりと首を横に振る。
そして、震える指先でカーディガンのボタンを外し、自らその肩をはだけさせた。
雨に打たれ、痛々しく隆起した背中の痕。呪われた骨格異常。
[A:シエラ:悲しみ]「飛べない私に……あなたの美しい空を汚す資格はないの」[/A]
[A:カイル:怒り]「違う! そんなの関係ない! 俺が連れて行くって言ってんだろ!」[/A]
カイルが手を伸ばそうとした瞬間。
背後の暗がりから、無数のサーチライトが一斉にシエラを照らし出す。
赤い警告灯の明滅。風紀委員の警備ドローンが、彼らを完全に包囲していた。
[A:ノア:冷静]「そこまでだ、カイル」[/A]
雨のカーテンを割り、ノアが現れる。
[A:シエラ:愛情]「カイル、お願い。……生きて」[/A]
シエラはカイルの手を振りほどき、自らノアの方へと歩み寄る。
振り返った彼女の唇が、声にならない言葉を紡いだ。
『ありがとう』
[A:カイル:絶望]「シエラァァァッ!!」[/A]
ドローンの警棒がカイルの鳩尾を正確に打ち抜く。
口の中に広がる血の鉄の味。
[Pulse]ドクン、ドクン[/Pulse]
視界が激しく明滅し、雨音だけが耳鳴りのように響き渡る。
泥水の中に倒れ伏すカイルの前。シエラの白い背中が、冷たい闇の奥へと呑み込まれていく。
手のひらに残る微かな温もりだけが、無慈悲に奪い去られていった。
◇◇◇

第四章: 偽りの空、硝子の檻
[System]生体認証クリア。セキュリティ・ファイアウォール突破。[/System]
モニターの青白い光が、旧図書館の暗闇を照らす。
エルザの指が高速でキーボードを叩き、メインフレームの深部をこじ開ける。
[A:エルザ:冷静]「……カイル。よく聞きな。外の世界は、とうの昔に浄化されている」[/A]
頭に巻かれた包帯から血を滲ませながら、カイルはモニターを凝視する。
表示されたのは、箱庭の外側に広がる青い海と空の観測データ。
[A:エルザ:怒り]「この学園はね、完璧な管理社会を維持するための実験施設さ。有毒な外気なんて嘘。全ては、人間を鳥籠に閉じ込めておくための欺瞞だ」[/A]
カイルの胸の奥で、くすぶっていた炎が爆発した。
かつて自分が逃がし、死なせてしまった小鳥の記憶。あれは外気で死んだのではない。学園の防衛システムに焼き尽くされただけだったのだ。
[A:カイル:怒り]「……俺は行く」[/A]
背負うのは、エルザと共に廃材から組み上げた手作りのグライダーの翼。
空を見ることのない中央塔の頂上へ。
[Impact]ガシャンッ!![/Impact]
中央塔・最上階の管理区画。
蹴り破られた扉の向こう、立ち塞がったのは、金髪を乱したノアだった。
[A:ノア:怒り]「カイル! なぜ分からない! 自由意志こそが人を殺すんだ! 妹は……外に出ようとして死んだんだぞ!」[/A]
灰色の瞳に、狂気に近い強迫観念が渦巻く。
ノアの拳が、カイルの頬を容赦なく殴りつける。
肉と骨がぶつかる鈍い音。床に散る鮮血。
[A:カイル:怒り]「システムで守られた命なんて、死んでるのと同じだ!」[/A]
カイルは血を吐き捨て、ノアの制服を掴んで頭突きを見舞う。
よろめくノアの胸倉をさらに締め上げ、怒号を響かせた。
[A:カイル:興奮]「お前が恐れてるのは自由じゃない! 自分の足で歩くことだろ!!」[/A]
[Flash]閃光[/Flash]
カイルの渾身の右ストレートが、ノアの完璧な防御を砕き、その頬を打ち抜く。
ノアの体が宙を舞い、冷たい大理石の床に崩れ落ちた。
荒い息を吐きながら、カイルは奥へと進む。
部屋の中央。分厚い防弾ガラスで作られた円筒形の檻。
その中に、白い病衣に着替えさせられ、意識を失いかけるシエラの姿があった。
カイルは方位磁針を強く握り込み、パイプ椅子を拾い上げる。
[A:カイル:絶望]「シエラ! 離れろ!!」[/A]
[Impact]ガツンッ! ガツンッ!! ガレェェェンッ!!![/Impact]
何度も、何度も打ち付ける。
破砕音。遂に分厚いガラスが粉々に砕け散った。
崩れ落ちるシエラの細い体を、カイルは力強く抱きとめる。
だがその瞬間、システムのアラートが塔全体に鳴り響いた。
[Glitch]警告。管理区画の重大な破損。塔のパージシークエンスを開始します。[/Glitch]
足元の床が、激しい轟音と共に傾き始めた。
◇◇◇

第五章: 翼なき君と、墜落する空
崩壊する中央塔の頂上。
鉄骨がひしゃげ、外壁が剥がれ落ちていく。
カイルはシエラを抱き寄せ、断崖絶壁となった床の縁に立つ。
目の前には、世界を覆い尽くす分厚い灰色の雲。
[A:シエラ:恐怖]「カイル……塔が……!」[/A]
シエラの声が強風にかき消される。
足元の床が崩落し、漆黒の奈落が口を開けた。もう、退路はない。
カイルは、シエラの肩口に触れる。
布越しに伝わる、彼女の醜いとされる羽の痕。だが、カイルはその背中を両腕で強く、強く抱きしめた。
[A:カイル:愛情]「羽がなくてもいい。墜落するだけでもいい」[/A]
透明な青い瞳が、シエラの琥珀色の瞳を真っ直ぐに射抜く。
[A:カイル:興奮]「俺と一緒に来てくれ、シエラ!!」[/A]
風が、吹き抜けた。
古い方位磁針の針が、激しく回転し、上空を指し示す。
シエラの瞳から、大粒の温かい雫が溢れ出した。細い指が、カイルの背中の服をきつく握り返す。
[A:シエラ:喜び]「……うんっ!」[/A]
初めて見せる、泣きじゃくるような、けれど力強い笑顔。
二人は互いの手を強く握り合わせ、足場を蹴った。
崩壊する塔から、虚空への跳躍。
背中の手作りグライダーが、突風を孕んで大きく展開する。
[Shout]ゴアァァァァァァァッ!![/Shout]
重力に引かれ、真っ逆さまに墜落していく。
その時だった。
[Flash]閃光[/Flash]
上昇気流に乗ったグライダーの翼が、灰色の分厚い雲を真っ二つに引き裂いた。
何百年もの間、世界を覆い隠していた偽りの天井が崩壊する。
網膜を焼くような、圧倒的な光の奔流。
雲の切れ間から姿を現したのは、息を呑むほどに青く澄み渡った果てしない海。
そして、どこまでも続く広大な青空だった。
太陽の光が、シエラの銀髪を黄金色に染め上げる。
カイルの青い瞳に、世界の全ての色が反射して輝いた。
[A:カイル:喜び]「見ろ、シエラ! これが……本物の空だ!」[/A]
[A:シエラ:喜び]「……綺麗……!」[/A]
温かい風が、頬を撫でる。
錆びた鳥籠を抜け出した二人の姿は、光の海を滑空する一羽の白い鳥のようだった。
風を切り裂き、彼らは果てのない青の彼方へと、高く、高く舞い上がっていく。