第一章: 終わりの始まり
蒼い結晶が夕立のように降り注ぐ、朽ちた廃駅。
鼓膜を打つのは、微細なガラスが弾けるような乾いた音だ。
視線を落とせば、雨の匂いに混じって錆びた鉄の臭気が鼻腔を突く。
プラットフォームの縁。色素の薄いボサボサの髪を風に揺らす少年――ヨルカが立っていた。
琥珀色の瞳が静かに映し出すのは、沈みゆく世界。
旧時代のパイロットスーツは所々が擦り切れ、袖口から覗く右腕が異様な光を放つ。
皮膚の代わりに脈打つのは、薄明かりの中で痛々しいほど美しく発光する『蒼い結晶(星屑)』。
世界を覆う奇病の証だった。
背後から、重い足音が響く。
[Pulse]ガシャン、ガシャン[/Pulse]
銀色のショートヘアを揺らし、瞳孔のデータリングを明滅させるのはアンドロイドのノワ。
ところどころ塗装は剥げ、むき出しのケーブルが鈍く光る。首から提げた大きな記録用カメラのレンズが、微かな駆動音を立ててヨルカにピントを合わせた。
[A:ノワ:冷静]「記録、完了しました。……心拍数の低下を確認」[/A]
[A:ヨルカ:冷静]「ありがとう、ノワ。でも大丈夫だよ」[/A]
琥珀色の瞳が細められ、彼は右腕を高く掲げる。
[A:ヨルカ:喜び]「綺麗だね。全部、星みたいに瞬いてる」[/A]
[A:ノワ:冷静]「否定します。それは致死性の結晶化病です。右腕部および左足部における侵食率は、現在四十二パーセントと推測されます」[/A]
平坦な声。
だが、碧眼の奥でデータリングが一瞬だけ不規則に揺らぐ。
痛みのない病。ただ身体がガラスのように透き通る蒼へと変わり、やがて動けなくなる。
ヨルカは錆びた線路の先、霧に包まれた地平を指差した。
[A:ヨルカ:愛情]「海に行けば、きっと治す方法があるはずだよ。だから、もう少しだけ歩こう」[/A]
[A:ノワ:冷静]「……了解しました。貴方の歩みを、引き続き記録します」[/A]
カメラのシャッター音。
しかし、ノワの内部センサーは残酷な事実を弾き出していた。
ヨルカの左足から響く、かすかで硬質な軋み。
[Impact]ピキリ[/Impact]
歩を進めるたび、彼の命は確実に削れ、ガラスの彫像へと近づいていく。
迫り来る沈黙のカウントダウン。
冷たい風が廃駅を吹き抜けた。

第二章: 亡霊の摩天楼
闇に沈む摩天楼の跡地。
崩れ落ちたコンクリートの隙間で、小さな焚き火が爆ぜる。
火の粉が舞い上がり、周囲の空気を温めた。冷え切った指先を火にかざし、ヨルカは小さく吐息を漏らす。
ノワの胸部から一条の光が放たれ、虚空に極彩色の映像を描き出した。
プロジェクター機能が再生するのは、かつての美しい都市の記憶。
空を覆うネオン。行き交う人々の残像。
[A:ヨルカ:喜び]「すごいね。昔の夜は、こんなに明るかったんだ」[/A]
[A:ノワ:冷静]「旧暦二〇XX年の国立記録保管所周辺のデータです」[/A]
[A:ヨルカ:冷静]「まるで、星空が地上に落ちてきたみたいだ」[/A]
その直後。
[Glitch]ザザッ……ザザザッ![/Glitch]
極彩色の映像にノイズが走り、空気が急激に冷え込む。
ホログラムの街角に、半透明に透けた男の姿が浮かび上がった。
ノイズまみれの白衣、神経質そうな丸眼鏡。どこか遠くを見つめる三白眼が、ゆっくりとヨルカたちを見下ろす。
[A:シオン:狂気]「世界はとっくに死んでいる。君たちもただの残像だ」[/A]
[A:ヨルカ:驚き]「……君は?」[/A]
[A:シオン:冷静]「シオン。かつてこの下らない病を研究していた、ただの亡霊さ」[/A]
冷笑が、ホログラムの口元に浮かぶ。
彼は中指で眼鏡を押し上げ、残酷な宣告を口にした。
[A:シオン:絶望]「海に行けば治るだと? 愚の骨頂だな。海などありはしない。そこにあるのは、無数の人間たちが変わり果てた巨大な結晶の墓場だけだ」[/A]
[Impact]海など、ない。[/Impact]
ノワの装甲の奥で、冷却オイルの循環速度が異常な跳ね上がりを見せる。
[A:ノワ:怒り]「警告。未確認のホログラム。直ちに通信を……」[/A]
[A:ヨルカ:冷静]「それでもいいんだ」[/A]
ヨルカの静かな声が、夜の冷気を裂いた。
微かに笑う横顔は、己の命の終わりなどとうに受け入れた静けさを湛えている。
[A:ヨルカ:愛情]「海が墓場だとしても。僕はそこを、最期の場所にしたいんだよ」[/A]
シオンの三白眼がわずかに見開かれ、やがて舌打ちと共にノイズの海へ消えていく。
残された静寂。
ノワの内部システムに、真っ赤なアラートが点滅を始めた。
[System]エラー:未定義のノイズ(不安)を検知。論理回路に矛盾が発生中。[/System]
ヨルカを失うという計算結果が、冷たい機械の心に初めての亀裂を走らせた。

第三章: 命の等価交換
視界を埋め尽くす、青白く輝く結晶の森。
鋭く尖った枝葉が風に擦れ、澄んだ鈴のような音を奏でる。
だが、その美しい情景を引き裂くように、ひどく耳障りな異音が響いた。
[Pulse]ガリ……ギギギッ……![/Pulse]
ノワの歩みが止まる。
右膝の関節部から火花が散り、重い音を立てて結晶の地面に崩れ落ちた。
[A:ノワ:悲しみ]「……動力炉の出力低下。歩行ユニット、限界値を超過」[/A]
碧眼のデータリングが激しく乱回転する。長年の劣化が、ついに限界を迎えたのだ。
ヨルカは慌てて駆け寄り、冷たい地面に膝をつく。
[Sensual]
彼は躊躇なく、自らの右腕をノワの胸部装甲に押し当てた。
むき出しのケーブルの束へと、琥珀色の瞳が真っ直ぐに向けられる。
[A:ヨルカ:愛情]「僕のエネルギーを使うんだ。結晶化の熱を、君の動力炉に直結すれば……」[/A]
蒼く発光するヨルカの右腕が、一段と眩い光を放ち始めた。
彼自身の命を削り、結晶化の進行を強制的に早める行為。
冷たい金属の肌へ、ヨルカの熱い体温と、結晶が急激に侵食していく剥き出しの熱が流れ込んでいく。
[A:ノワ:怒り]「やめてください! そんなことをすれば、貴方の命が……!」[/A]
[A:ヨルカ:愛情]「いいんだ。君と一緒じゃなきゃ、海には行けない」[/A]
[Shout]「やめてと言っているのです!!」[/Shout]
ノワの腕が跳ね上がり、ヨルカの手を激しく振り払った。
ガシャン。乾いた音が森に響き渡る。
[A:ノワ:悲しみ]「私の使命は、貴方の最期を記録することです。貴方を失えば、私の存在意義は消滅します……!」[/A]
平坦だったはずの機械音声が、ひどく掠れ、震えていた。
[/Sensual]
ヨルカは弾き飛ばされた右腕を見つめ、静かに目を伏せる。
[A:ヨルカ:悲しみ]「……僕だけが、逃げ出してしまったから」[/A]
家族が次々と結晶に変わる中、一人シェルターを飛び出した過去の罪悪感。
呟きは風の音にかき消される。
[Impact]パキッ。[/Impact]
無情な音が、ヨルカの足元から響いた。
エネルギーを過剰放出した反動。左足が急速に蒼く染まり、膝の関節までが完全にガラスのような結晶へと変貌を遂げる。
もはや、自力では一歩も歩けない。

第四章: 星屑の海
長い森を抜けた先。
吹き付ける風には、幻のような潮の香りが混じっていた。
だが、そこに水の一滴もない。
見渡す限り広がるのは、波の形をしたまま固まった巨大な蒼い結晶の大地。
シオンの言葉通り、世界を飲み込んだ『星屑の海』だ。
[A:ヨルカ:喜び]「……着いたね。本当に、海だ」[/A]
ヨルカの身体は地に崩れ落ちていた。
両足は完全に結晶化し、指先ひとつ動かすことすら叶わない。
ノワは軋む関節を引きずり、痛々しい駆動音を響かせながら彼に近づく。
その重い金属の腕で、ヨルカの背中をゆっくりと抱え上げた。
[A:ノワ:冷静]「記録データによれば、昔の海は……しょっぱい匂いがしたそうです」[/A]
[A:ヨルカ:愛情]「うん」[/A]
[A:ノワ:冷静]「波の音は、一定の周期で繰り返され、人々に安らぎを与えたと」[/A]
一歩、また一歩。
ヨルカを背負い、煌めく波打ち際へと歩を進める。
足元の結晶が砕け、シャラシャラと澄んだ音を立てた。
喉の奥がカラカラに乾き、鉄の血の味が広がる。
ヨルカの視界はすでに白く霞み、呼吸は浅く、途切れ途切れになっていた。
[A:ヨルカ:愛情]「ノワの、足音……好き、だったな」[/A]
[Pulse]ドクン……ドクン…………[/Pulse]
首元に密着したノワの聴覚センサーが、ヨルカの心拍音を拾う。
その間隔は、絶望的なまでに開き始めている。
[A:ノワ:悲しみ]「……お願いです。心拍数を、落とさないでください」[/A]
エラーコードが視界を埋め尽くす。
システムが警告を発し続ける中、二人はついに永遠に静止した大波の下へとたどり着いた。

第五章: 心音の記録
結晶の波打ち際。
ヨルカの身体の九十九パーセントが、すでに透き通る蒼へと変貌していた。
もはや人間としての形を留めているのは、微かに動く唇と、琥珀色の瞳だけ。
ノワは静かに膝をつき、ヨルカをそっと結晶の砂浜に寝かせる。
[A:ノワ:絶望]「……ヨルカ。ヨルカ」[/A]
[Tremble]呼ぶ声が震える。[/Tremble]
アンドロイドの目から、冷却オイルの雫がポロポロとこぼれ落ちた。
[Sensual]
ヨルカは最期の力を振り絞り、まだ肉の温もりを残す左手の指先で、ノワの冷たい頬に触れた。
滑らかな装甲の表面に、わずかな体温がじんわりと広がる。
[A:ヨルカ:愛情]「泣かないで。……君に記録されて、本当によかった」[/A]
琥珀色の瞳が、最後に優しく細められる。
[A:ヨルカ:愛情]「綺麗だね。全部、星みたいに……」[/A]
[/Sensual]
[Flash]その瞬間。[/Flash]
ヨルカの左手が、眩い蒼光と共に完全な結晶へと変わった。
指先から頬へと伝わっていた温もりが、急速に冷え固まっていく。
絶対零度の静寂。
美しい星屑の彫像。
もう、ピクリとも動かない。
ノワは動かなくなった彼の手を両手で包み込んだ。
碧眼のデータリングが、最後の記録処理を実行する。
[Pulse]………………[/Pulse]
心拍音の完全な停止。
[A:ノワ:冷静]「……記録、完了」[/A]
ノワはヨルカの隣に寄り添うように座り込む。
胸の奥で荒れ狂っていたエラーのアラートが、一つ、また一つと消灯していく。
[System]最終シーケンス移行。全システムをシャットダウンします。[/System]
彼女の瞳から光が失われ、首から提げたカメラの電源が静かに落ちた。
吹き抜ける風。
星屑の海で、ただ透明な鈴の音のような結晶の擦れ合う音だけが、永遠に響き続けている。