第1章:死者のノイズと瓦礫の空

錆びた鉄と、乾いたコンクリートの粉塵が鼻腔を突く。
旧東京第七区。かつて新宿と呼ばれていた、墓標のごとき瓦礫の山。
[Pulse]ドクン、ドクン。[/Pulse]
薄暗い廃ビルの陰。伊吹晶は、機械油に塗れた指先をせわしなく動かしていた。
擦り切れたタクティカルジャケット。砂埃を被った灰色の髪が、汗ばんだ額に張り付いている。
獲物を狙うような鋭い三白眼は、手元の古い音楽プレイヤーの基板だけを穿つように睨みつけていた。
[Think]……今日も、クズ鉄ばかりだ。[/Think]
小さく舌打ちを漏らす。
冷めきった泥水のようなコーヒーを、喉の奥へ流し込む。
舌にへばりつく焦げた苦味が、ふいに脳髄の奥底を揺らした。
あいつが淹れてくれた、とびきり不味いコーヒーの記憶。
その時だ。
[System]ガァッ……ピーッ……![/System]
腰に提げた手製の無線機。
突如として、耳障りな[Glitch]ノイズ[/Glitch]が鼓膜を殴りつけた。
バッテリーなど、とうの昔に死に絶えているはずのスクラップ。
[A:伊吹 晶:冷静]「……ショートか?」[/A]
無造作に手を伸ばした。
その直後。
スピーカーから弾け飛んだ肉声に、晶の全身の血液が急速に凍りつく。
[A:天宮 蛍:恐怖][Shout]「逃げて、晶!……今日、空が落ちてくる!」[/Shout][/A]
呼吸が、止まる。
心臓を素手で鷲掴みにされたような激痛。
聞き間違えるはずもない。天真爛漫で、どこか柔らかいあの響き。
五年前の『大崩壊』。あの日、確実に消滅したはずの幼馴染。天宮蛍の声。
[A:伊吹 晶:恐怖][Tremble]「蛍……? 嘘だろ、おい……!」[/Tremble][/A]
喉から絞り出した音が、無様にひび割れる。
視界が[Blur]ぐらりと揺れ[/Blur]、両膝から唐突に力が抜け落ちた。
冷たいコンクリートに崩れ落ちそうになる身体。必死に壁へ肩を押し付け、なんとか持ち堪える。
[A:天宮 蛍:恐怖][Shout]「いや……来ないで! 晶、逃げてぇっ!」[/Shout][/A]
悲鳴の背後。肉を裂くような異形の咆哮。そして、建物の鈍い崩落音。
彼女は今まさに、五年前のあの日を生きている。
そして数分後には、その命が理不尽に散る。
[A:伊吹 晶:狂気][Shout]「待て! 切るな! 今どこだ!」[/Shout][/A]
プラスチックの装甲を握り潰さんばかりの力。
奥歯がミシミシと鳴る。
網膜の裏側に焼き付いていた死の記憶が、どす黒い熱を帯びて沸騰し始めていた。
第2章:秒速五光年の夕焼け

五年前の今日。第七区のどの道が崩落し、どこに異形の群れが湧き出したか。
晶の脳のヒダには、五年分の地獄の地理が、呪いのように刻み込まれている。
[A:伊吹 晶:興奮]「蛍! そこから動くな! いや……右の路地へ走れ! 廃ビルの三階に抜けろ!」[/A]
[A:天宮 蛍:驚き]「晶の、声……? どこにいるの!? わ、わかった……!」[/A]
通信越しに伝わる、荒い息遣い。コンクリートを必死に蹴る足音。
セーラー服の上に大きめのミリタリーコートを羽織り、透き通るような長い黒髪を振り乱して走る彼女の姿。
まるで目の前にあるかのように、鮮明な映像として結像する。
[Impact][A:伊吹 晶:興奮][Shout]「そこだ、伏せろ!」[/Shout][/A][/Impact]
晶の怒声と同時。無線越しに、強烈な爆発音が轟いた。
肌が熱風の気配すら錯覚するほどの、リアルな音圧。
次元の壁を隔てて、二人の鼓動のペースが完全に同調していく。
[A:天宮 蛍:喜び][Whisper]「……抜けたよ、晶。綺麗な、空……」[/Whisper][/A]
晶もまた、ゆっくりと顔を上げる。
頭上に広がるのは、禍々しくも燃えるような、紫色の夕焼け。
五年の時を隔て、二人は全く同じ空を見上げていた。
[A:伊吹 晶:照れ]「ああ……悪くねえな」[/A]
しかし、強張っていた肩の力が抜けた、その刹那。
晶の足元の空間が、不気味な[Glitch]ノイズ[/Glitch]と共にひしゃげ始めた。
砕けた瓦礫が、重力に逆らって空へ巻き上がる。
物理法則が、耳障りな音を立てて崩壊していく。
[A:伊吹 晶:冷静]「……なんだ、これは」[/A]
[FadeIn]空気が分厚いガラスのようにひび割れ、無数の破片となって砕け散った。[/FadeIn]
空間の裂け目。そこから、一人の少女が音もなく降り立つ。
純白のワンピース。銀色のボブヘア。無機質に冷え切った金色の瞳。
十二歳ほどの華奢な体躯。だが、その身体の周囲には、無数のデジタルノイズが羽虫のようにまとわりついている。
[A:ノア:冷静]「パラドックスを検知。これより、深刻なバグの修正を行います」[/A]
時間管理局メインフレーム、ノア。
感情の起伏が完全に抜け落ちた平坦な合成音声。
彼女の指先から再構築された白磁の銃口が、瞬時に晶の眉間をピタリと捉えた。
第3章:愛という名のシステムエラー

眉間をロックオンされた晶の首筋を、冷たい汗が一筋伝う。
[A:ノア:冷静]「対象、伊吹晶。あなたは本来、五年前の大崩壊で死亡する運命にありました」[/A]
ノアの紡ぐ言葉が、絶対零度の冷気となって周囲の空間を凍らせていく。
[A:ノア:冷静]「大崩壊は、自然発生した事象ではありません。天宮蛍が、あなたの致死要因を排除するため、幾度も時間を巻き戻した結果生じた、巨大な空間の歪みです」[/A]
[Impact]晶の心臓が、肋骨を突き破るほどの勢いで大きく跳ねた。[/Impact]
[A:伊吹 晶:恐怖][Tremble]「……は? 蛍が……俺のために……?」[/Tremble][/A]
[A:ノア:冷静]「彼女は現在も崩壊の中心で、無限の死と痛みを繰り返し続けています。あなたが現在で彼女を完全に救済すれば因果律が破綻し、この時間軸の全人類が消滅します」[/A]
沈黙。
やがて、ノイズ混じりの無線の奥から、微かなすすり泣きが鼓膜を打った。
[A:天宮 蛍:愛情][Whisper]「……ごめんね、晶。でも、いいの。晶が生きてさえくれれば。私、また何度でも死ぬよ」[/Whisper][/A]
震える儚げな声。
しかしその裏側には、背筋が凍るほど粘着質で狂気的な熱が渦巻いていた。
自らの肉体がミンチになろうと、彼を生かすためのパーツとしか見なしていない。異常なまでの自己犠牲。
喉の奥から、錆びた鉄の味が込み上げてくる。
奥歯が砕け散るほどの力で顎を食いしばり、晶の喉仏から、地の底を這うような低い笑い声が漏れ出した。
[A:伊吹 晶:狂気][Shout]「ハッ……! 全人類が消滅するだァ?」[/Shout][/A]
三白眼の奥底に、昏く濁った炎がボワリと灯る。
冷酷なスカベンジャーとしての理性が、音を立てて剥がれ落ちていく。
残ったのは、たった一人の女への、剥き出しの執着だけ。
[A:伊吹 晶:怒り][Shout]「ふざけるな! 俺はお前も世界も、両方救う! 運命なんて、俺がスクラップにしてやる!」[/Shout][/A]
第4章:因果律の彼方へ

[A:ノア:驚き]「非合理です。世界と一個人の命を天秤にかけるなど。愛はシステムエラーに過ぎません。イチゴ味のキャンディよりも無価値と推測されます」[/A]
ノアの白磁の銃口から、致死の閃光が放たれる。
晶はボロボロのタクティカルジャケットを大きく翻し、瓦礫の斜面を蹴り上げてその光線を紙一重で躱した。
[A:伊吹 晶:怒り][Shout]「機械人形が、分かった口を利くんじゃねえよ!」[/Shout][/A]
手製の電磁パルス弾。ピンを引き抜き、ノアの足元へ力任せに投げつける。
炸裂する目眩しの光と強烈な[Glitch]ノイズ[/Glitch]。
ノアの演算処理がコンマ数秒遅れた。その致命的な隙を突き、晶は時間管理局の中枢サーバーへと続く次元の亀裂へ、己の肉体を弾丸のように投じた。
[Impact]全身の皮膚が瞬時に裂け、赤い飛沫が空中に舞い散る。[/Impact]
因果律の嵐。それは目に見えない無数の刃となって、晶の肉体を容赦なく削り取っていく。
肺の細胞が焼け焦げ、関節の骨が悲鳴を上げて軋む。
苦痛だけが鼓膜を打ち鳴らす。
[A:伊吹 晶:狂気][Shout]「があああぁぁぁッ!!」[/Shout][/A]
視界が血に染まった、その時だ。
過去の特異点から放たれた一条の閃光が、晶の眼前で吹き荒れる嵐を真っ直ぐに撃ち抜いた。
[Magic]《空間歪曲・貫通狙撃》[/Magic]
[A:天宮 蛍:狂気][Shout]「晶の邪魔をするやつは、私が全部壊す!」[/Shout][/A]
通信の向こう側。
深い紫色の瞳を爛々と輝かせ、重厚なスナイパーライフルを構える蛍の気配。
ミリタリーコートが激しい暴風に翻り、彼女の引き金から放たれた弾丸が、次々と時空の分厚い壁を穿っていく。
二人の呼吸。そして、刻まれる時間。
そのすべてが、完全にリンクする。
血塗れの指先を前へと突き出し、晶はついに、過去へと続くゲートをこじ開けた。
[System]警告。世界崩壊まで残り10秒。[/System]
無機質なカウントダウンが、死の宣告として冷酷に響き渡った。
第5章:特異点の抱擁

[Sensual]
ゲートを抜けた先。
燃え盛るような紫色の夕焼けの下。ひび割れた瓦礫の山の上に、彼女は立っていた。
五年という途方もない時間を越えた、再会。
[A:天宮 蛍:愛情][Tremble]「晶……っ!」[/Tremble][/A]
蛍が弾かれたように飛び込んでくる。
晶は血まみれの腕を広げ、その華奢な身体を、骨が折れるほど強く、強く抱きしめた。
[Pulse]互いの激しい心音[/Pulse]が、薄い衣服越しに直接打ち付けられる。
長い黒髪から漂う、鼻を突く硝煙の匂い。頬にすり寄る、熱い涙の温度。
五年間の乾ききった虚無を埋め尽くすように、晶は彼女の柔らかな首筋に顔を埋め、その匂いを深く、深く肺の奥まで吸い込んだ。
[A:伊吹 晶:愛情][Whisper]「……やっと、会えたな」[/Whisper][/A]
血と油に塗れた震える手で、彼女の細い背中を撫でる。
柔らかく、温かく、そして確かな命の脈動。
その生々しい感触を、己の魂の奥底へ深々と刻み込んだ直後。晶の腕から、ふっとすべての力が抜け落ちた。
[A:天宮 蛍:驚き]「え……?」[/A]
晶は、蛍の肩を両手で力強く押し込み、強引に元の時間軸の彼方へと突き飛ばした。
[/Sensual]
[A:天宮 蛍:恐怖][Shout]「晶!? なにを……!」[/Shout][/A]
[System]世界崩壊まで残り3秒。[/System]
晶の足元から、眩い光の粒子が滝のように立ち昇り始めた。
パラドックスの元凶である自分自身を、この時間の特異点に完全に幽閉する。
そうすれば、因果は保たれ、世界も、蛍も救われる。
それこそが、晶の導き出した、最も狂気的で合理的な解答。
[A:天宮 蛍:絶望][Shout]「いやだ! やめて! 晶、晶ぁぁっ!!」[/Shout][/A]
光の奔流の中に、自らの肉体がドロドロと溶け落ちていく。
虚空に響き渡る彼女の悲壮な絶叫。
それを耳の奥で噛み締めながら、晶は最後に、彼らしいシニカルで、不器用な笑みを浮かべた。
[A:伊吹 晶:愛情]「絶対に見つけてみせろ」[/A]
[Flash]網膜が光の暴力に焼き切れ、伊吹晶という存在は、歴史のパノラマから完全に消去された。[/Flash]
第6章:狂気的純愛の残響
雨上がりの澄み切った空。
大崩壊などという歴史は最初から存在しない、平和で退屈な現代の東京。
行き交う人々の他愛ない笑い声が、アスファルトの喧騒に溶けて消えていく。
セーラー服の上に、不釣り合いなほど大きめのミリタリーコートを羽織った高校生。
天宮蛍は、一人、歩道橋の手すりに寄りかかり、ただぼんやりと空を見上げていた。
頬を、冷たい水滴が一筋伝う。
[Think]……なんで、私、泣いてるんだろ。[/Think]
誰も待っていない。誰も失ってなどいない。
なのに、胸の奥底にぽっかりと空いた巨大な風穴から、凍えるような隙間風が絶え間なく吹き抜けていく。
その時だ。
彼女のコートのポケットの奥深く。
そこに眠る、絶対に鳴るはずのない古い手製の無線機が、小さく、ブルリと震えた。
[System]ジッ……ガァッ……[/System]
かすかな[Glitch]ノイズ[/Glitch]。
しかし、その鼓膜を掻くような音の奥底に、確かに「光の残響」がこびりついていた。
ぶっきらぼうで、シニカルで、世界中の誰よりも温かかった、あの男の肉声の残滓。
[Impact]その瞬間。空虚だった蛍の紫色の瞳に、昏く、粘着質な狂気の炎がボワリと宿った。[/Impact]
脳髄を稲妻が駆け抜ける。
すべてを、思い出した。
彼が自分のためにすべての罪と世界を引き受け、たった一人で暗闇の底へ消えていったという事実を。
[A:天宮 蛍:狂気][Whisper]「……見つけた」[/Whisper][/A]
赤い唇の端が、三日月のように吊り上がる。恍惚とした、ひどく歪な笑み。
愛するたった一人の男を取り戻すためなら、この平和な世界を丸ごと燃やし尽くすことすら、一片の躊躇いもない。
彼女は迷うことなく、無線機の奥底に隠された、時空に干渉するためのスイッチへ真っ白な指をかけた。
[A:天宮 蛍:狂気]「待ってて、晶。次は私が……その時間を、メチャクチャに壊しに行くから」[/A]
[Flash]カチリ、と。[/Flash]
平和な日常のキャンバスを決定的に切り裂く音が、静かに、そして冷酷に響き渡った。