■ 第1章:血塗られた誓いの口づけ ■
ステンドグラスを透過した七色の光。それが純白のウェディングドレスを残酷なほど鮮烈に照らし出す。
だが、その腹部から下はすでに粘つく赤黒い染みに侵食されていた。
指先から滴る生温かい液体。大理石の床に弾け、おぞましい模様を描く。
銀色の長い髪が揺れた。
透き通るような青い瞳が、眼前の男を冷徹に射抜く。
リリア・ヴァンデレール「あなたを殺すためだけに、私は生きてきたの」
レイノルド・アシュクロフト「……知っている」
漆黒のタキシード。引き締まった胸板の中心には、銀の短剣が深々と突き刺さっている。
黒い短髪の下。左目元の古い傷跡を歪め、男は金色の瞳を細めて嗤った。
刃を握る手が、ガタガタと震える。
レイノルドは抵抗するどころか、自らの血に濡れた腕で、リリアの細い腰を強引に抱き寄せた。
熱い吐息が耳元を掠める。むせ返るような鉄の匂い。それが鼻腔を激しく焼いた。
レイノルド・アシュクロフト「俺を憎め。その憎悪だけが、お前を生かす鎖だ」
血の味が混じる唇が、無理やり重なる。
ドクン、と。
互いの体温が交じり合い、皮膚の境界が溶け出すような錯覚に陥った。
その瞬間。
ドゴォォォンッ!!
鼓膜を破る轟音。
教会の巨大なステンドグラスが粉々に吹き飛び、色鮮やかな硝子の雨が降り注ぐ。
視界が揺れる。
硝煙の奥から黒装束の武装集団が雪崩れ込み、抵抗もせず崩れ落ちたレイノルドの体を、容赦なく引きずり出していった。
■ 第2章:死臭の記憶と狂った羅針盤 ■
ドクン、ドクン。
心臓の音が煩い。泥水が跳ね、剥き出しの太ももを冷たく打つ。
引き裂かれたウェディングドレスを引きずりながら、暗い路地裏をひたすら駆け抜けた。
手のひらにこびりつく、肉を裂き骨を擦る生々しい感触。
脳髄の奥底で、何度も反響している。
……私は、やり遂げた。5年前の今日、家族を惨殺したあの男に。
シオン・クラウス「いやぁ、お疲れ様っす。見事な一撃でしたねぇ」
闇の中。丸眼鏡の奥の緑色の瞳が、不気味な三日月型に歪む。
白いシャツにサスペンダー姿。茶色の癖毛を掻き毟りながら、シオンが薄ら笑いを浮かべていた。
リリア・ヴァンデレール「……彼を連れ去ったのは、どこの組織ですか」
シオン・クラウス「座標は特定済みっすよ。まさか、あそこに逃げ込むとはねぇ」
シオンが差し出した地図の印。
それを見た瞬間、呼吸が止まる。
帝都の最下層。5年前、血の海に沈んだヴァンデレール家の廃洋館。
没落後、レイノルドに屈辱的な契約結婚を強いられ、この体を捧げることを誓った夜の嫌悪感。
胃液が逆流し、強烈な吐き気が喉の奥から這い上がってきた。
■ 第3章:忠犬の咆哮と記憶の亀裂 ■
軋む扉を押し開ける。
腐った木材とカビの匂いが肺を侵食した。
月明かりしか届かない玄関ホール。極度の暗闇に、息が極端に浅くなる。
シュガァァンッ!
頬の横を、見えない熱の塊が通り過ぎた。
背後の壁が、粉々に弾け飛ぶ。
エリス・ノース「あの方の覚悟を、あなたごときが穢すな!」
暗闇から躍り出たのは、タイトな黒いスーツに身を包んだ女。
深紅のボブヘアを振り乱し、意思の強い灰色の瞳が強烈な殺意を放つ。
黒い手袋に握られたタクティカルナイフ。それが、真っ直ぐに喉元へ迫った。
リリア・ヴァンデレール「っ……!」
咄嗟に隠し持っていた護身用の刃で弾き返す。
だが、すさまじい衝撃で右腕の感覚が完全に消失した。
エリス・ノース「あの方は……あなたを生かすためだけに、全てを捨てたのに……っ!」
血を吐くようなエリスの叫び。
ガガ……ピーッ……
その言葉が脳髄に触れた瞬間、視界に激しいノイズが走った。
5年前のあの日。血溜まりの中に立つレイノルド。
だが、彼の背後に……。
見知らぬ、笑う男の影。
リリア・ヴァンデレール「何を……言っているの……?」
■ 第4章:反転する世界、嘲笑の黒幕 ■
エリスの猛攻を間一髪で躱し、床が崩落した地下室へと転がり落ちた。
全身を打ち据える鈍痛。
だが、視界に飛び込んできた光景に、痛みすら意識から吹き飛ぶ。
そこは、埃を被った膨大な資料の山。
ランプの微かな光が、机の上の書類を照らし出している。
巨大犯罪教団の極秘ファイル。そして、そこに添えられたリリア自身の写真。
『被検体:リリア・ヴァンデレール。周囲の物質を崩壊させる異能の素養あり』
『対象の無力化には、強固な憎悪のアンカーが必要。実行者:レイノルド・アシュクロフト』
血の気が引く。
指先から急速に熱が奪われていく。
レイノルドは、犯人ではない。
私の暴走する異能を封じ、教団の目から守るために。全ての罪を被り、自らを的へと仕立て上げていたのだ。
リリア・ヴァンデレール「嘘……よ……。そんなの、嘘……」
シオン・クラウス「いやぁ、愛って本当に素晴らしいっすよね」
パン、パン、パン。
暗闇の奥から、乾いた拍手が響く。







緑色の瞳をひどく濁らせたシオンが、醜い笑みを浮かべて見下ろしていた。
■ 第5章:崩壊の果て、血濡れた盾 ■
シオン・クラウス「壊れる瞬間が、一番綺麗だ。君の記憶を弄った甲斐がありましたよ」
飄々とした口調が、どろりと剥がれ落ちる。
ひび割れた声が地下室に響き渡った。
本性を現した情報屋の手。そこから、空気を歪める見えない波動が放たれる。
エリス・ノース「シオン……貴様ァッ!!」
満身創痍で追ってきたエリスが銃を構える。
だが、シオンは指を弾いた。それだけで、彼女の体はボロ布のように壁へ叩きつけられた。
骨が砕ける鈍い音。エリスが大量の血を吐き、意識を失って崩れ落ちる。
シオン・クラウス「さあ、底なしの沼で異能を暴走させなさい。教団の最高の兵器として」
動けない。
呼吸の仕方も忘れた。
後悔と己の愚かさが、見えない刃となって内側から臓腑を切り刻む。
私は、私を世界で一番愛してくれた人を、この自らの手で……。
誰か、私を殺して。
祈るように瞳を閉じた。
ドバァァァンッ!!
厚さ数十センチのコンクリート壁が、外側から爆砕される。
もうもうと舞う粉塵の中。
胸から止めどなく血を流し、漆黒のタキシードを赤黒く染め上げた男が、そこに立っていた。
レイノルド・アシュクロフト「……俺の女に、勝手に触るな」
■ 第6章:愛憎の銃弾と狂気への引鉄 ■
金色の瞳が、燃え盛るような光を放っている。
痛覚遮断の異能を持つとはいえ、心臓を掠めた傷だ。立っていられるはずがない。
リリア・ヴァンデレール「どうして……っ! どうして私を騙したのよ!!」
震える手でナイフを構え、シオンの放つ波動を切り裂きながら叫ぶ。
取り繕った令嬢の言葉が剥がれ落ち、本来の少女の口調が溢れ出した。
レイノルド・アシュクロフト「お前は俺を憎んでいればよかったんだ! それだけで、お前は生きられた!」
口から赤黒い血を吐き出しながら、レイノルドが二丁拳銃を乱射する。
硝煙と血の匂いが混ざり合い、密室の温度を極限まで引き上げていく。
互いの殺意と愛憎。すれ違い続けた二人の魂が、今ここで正面から激突した。
シオン・クラウス「ふざけるな……っ! 予定調和のゴミどもがぁっ!!」
顔を醜く歪めたシオン。彼は懐から、黒い起爆装置を取り出した。
自爆シーケンス、起動。
無機質な警告灯が、洋館全体を不吉な赤色で点滅させる。
■ 第7章:純白の終焉、暴食の閃光 ■
瓦礫の雨が降り注ぐ。
シオンの全身から、どす黒いエネルギーの刃が全方位へと放たれた。
逃げ場など、どこにもない。
瞳を強く閉じる。
ドスッ。
だが、肉を深く裂く鈍い音と共に、私を覆い隠す巨大な影があった。
リリア・ヴァンデレール「レイ……ノルド……?」
背中を無数の刃に貫かれた彼が、力強く私を抱きしめていた。
その美しい金色の瞳から、急速に命の光が失われていく。
だめ。この人だけは。絶対に。
細胞の奥底で、何かが根元から千切れる音がした。
《アブソリュート・ディケイ》
純白の閃光。
透き通るような青い瞳が、極光の如く輝きを放つ。
周囲の物質が、重力が、酸素すらもが連鎖的に崩壊していく。
圧倒的な力の奔流。それは真っ直ぐにシオンを呑み込んだ。
シオン・クラウス「ア、アァァァァァァァッ!!」
断末魔すら光の中に溶ける。
全てを嘲笑っていた男は、塵一つ残さずこの世界から消滅した。
■ 第8章:愚かなる君への永遠の鎮魂歌 ■
粉塵が収まった洋館の跡地。
崩れ落ちた瓦礫の上に、レイノルドの体が静かに横たわっている。
リリア・ヴァンデレール「死なないで……っ! お願いだから、目を覚ましてよ……っ!」
泥と血に塗れた私の頬を、彼の手が力なく撫でる。
ひどく冷え切った指先を両手で包み込んだ。傷だらけの首筋に、熱い涙がボロボロと零れ落ちる。
レイノルド・アシュクロフト「……泣く、な……。君が生きているなら、俺の人生は……完璧、だ……」
初めて見せる、ひどく甘く、穏やかな笑顔。
微弱な脈動が、指先から消えていく。
私は彼の首の傷跡に顔を埋め、声を殺して咽び泣いた。
その夜、一人の不器用な男が、静かに息を引き取った。
それから、数年の月日が流れる。
冷たい雨が降る、帝都の丘の上。
喪服のような漆黒のドレスに身を包んだ女が、一本の傘の下に立っている。
銀色の長い髪を揺らし、三白眼気味の青い瞳は、どこまでも冷徹で気高かった。
傍らには、深い忠誠を誓う深紅の髪の秘書、エリスが静かに控えている。
黒百合の押し花を、冷たい墓石にそっと置いた。
リリア・ヴァンデレール「あなたを愛するためだけに、私は生きていくの」
振り返ることはない。
彼が遺した巨大な財閥を率いる若き総帥は、ただ前を見据え、この泥濘む世界へと歩き出した。