君を殺して、君を生かす

君を殺して、君を生かす

主な登場人物

ミナト
ミナト
24歳(外見年齢) / 男性
色素の抜けた銀髪、光のない虚ろな瞳。常に清潔だが継ぎ接ぎだらけの黒い手術衣を纏い、革手袋をしている。肌は陶器のように白い。
シズク
シズク
20歳 / 女性
透き通るような肌に、長く艶やかな黒髪。常に大きめの白いカーディガンを羽織っている。胸元には古びた銀のロケットペンダント。
カッサイ
カッサイ
50代不詳 / 男性
仕立ての良いスーツの上に白衣。片眼鏡(モノクル)を装着し、常に薄ら笑いを浮かべている。指には巨大な宝石(患者の成れの果て)の指輪。

相関図

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第一章: 硝子の胸郭

無影灯の蒼白。色素の抜け落ちた銀髪を、冷ややかに舐める光。

ミナトはゴム手袋を嵌めた指先を、頭上の空間へとかざした。光を透過する瞳。硝子細工の美しさと、死人の虚ろさを宿す眼差し。継ぎ接ぎだらけの黒い手術衣は、痩身の体を死装束のごとく包んでいる。陶器めいた白肌、血の気など知らぬ静寂。

目の前のシャーカステン。一枚のレントゲン写真が鎮座している。

本来、肋骨の檻に守られ、柔らかな肺胞が影を落とすはずの聖域。そこには今、暴力的なまでに美しい幾何学模様が咲き乱れていた。

六角形の結晶群。肺葉のすべてを埋め尽くす、ダイヤモンドの華。

奇病『結晶化肺』。

行き場を失った感情が質量を持ち、宿主の内側から肉体を鉱物へと変えていく致死の病。

[A:カッサイ:冷静]「……見事だろう? これほどの純度は、そうそうお目にかかれない」[/A]

背後から、鼓膜を撫でる油のような声。

仕立ての良いスーツに白衣。右目に片眼鏡。カッサイという男の指には、かつて人間だったモノの成れの果て――巨大なルビーの指輪が、どす黒い光を放っている。

[A:ミナト:冷静]「……気道まで浸食が始まっています。呼吸ができるのが不思議なくらいだ」[/A]

ミナトの声に抑揚はない。音叉が物理現象として空気を震わせるように、事実のみが吐き出される。

[A:カッサイ:喜び]「だからこそ値打ちがあるのだよ。彼女の肺に詰まっているのは、ただの腫瘍じゃない。致死量の『愛』だ。市場に出せば、城が買える」[/A]

舌なめずりの音が聞こえるようだった。

無言。ミナトは視線を外し、錆びついた扉を押し開ける。

消毒液、鉄錆、そして微かな花の香りが鼻腔をくすぐった。

病室のベッド。ひとりの少女が横たわっている。

窓から差し込む斜陽が、彼女の輪郭を金色の粉塵と共に縁取っていた。長く艶やかな黒髪、シーツの白さに墨を流したようなコントラスト。華奢な肩には大きすぎる白いカーディガンが掛けられ、胸元で古びた銀のロケットペンダントが、微かな呼吸に合わせて上下している。

シズク。それが、今回の『資源』の名。

ミナトがベッド脇に立つ。長い睫毛が震え、ゆっくりと瞼が持ち上がった。

深海を思わせる藍色の瞳。だが、そこには生への渇望よりも、重く暗い何かが沈殿している。

[A:ミナト:冷静]「執刀医のミナトです。……時間がない。すぐに処置を始めます」[/A]

革の鞄からメスを取り出し、刃先を光にかざす。躊躇いはない。彼にとって感情とは、手術の精度を鈍らせるノイズでしかないのだから。

少女の胸に聴診器を当てる。

ヒュウ、ヒュウ。

肺の中で結晶同士が擦れ合い、ガラスの風鈴のような音が鳴っている。美しい音色。それは死へのカウントダウン。

[A:シズク:冷静]「……あなたは、これを取るの?」[/A]

鈴を転がしたような、けれどガラス片を含んだような掠れた声。

[A:ミナト:冷静]「肺を塞ぐ結晶を除去します。そうしなければ、あなたは数日以内に窒息死する」[/A]

事務的な宣告。ミナトはカーディガンのボタンに手を掛けた。

瞬間。

ガッ、と細い指がミナトの手首を掴む。

華奢な見た目からは想像もつかぬ握力。爪が革手袋に食い込んだ。

[A:シズク:悲しみ]「やめて……」[/A]

[A:ミナト:冷静]「放してください。痛むのですか?」[/A]

[A:シズク:絶望]「違う……! お願い、この痛みを、奪わないで!」[/A]

シズクの瞳から、大粒の雫が零れ落ちる。頬を伝い、枕を濡らす涙。

呼吸困難に喘ぎながら、それでも彼女はミナトの手を離そうとしない。

[A:シズク:悲しみ]「これがなくなったら……私が彼を愛していたことさえ、嘘になってしまう……! 忘れるくらいなら、死んだほうがマシよ!」[/A]

[Think]……治癒の拒絶?[/Think]

ミナトの思考が一瞬、空白になる。

これまで数多の患者を切り刻んできた。誰もが「助けてくれ」と懇願し、「痛みを取ってくれ」と泣き叫んだ。

だが、この少女は違う。

死をもたらす結晶を――その『悲しみ』を、抱きしめて離さない。

[A:ミナト:冷静]「……理解できませんね。それはただの病巣だ」[/A]

[A:シズク:怒り]「病気なんかじゃない! これは……これは、私の愛そのものなの!」[/A]

[Shout]帰りなさいッ!![/Shout]

叫び声。激しい咳込み。口元を押さえた掌に、砕けた結晶の欠片と鮮血が混じる。

ミナトは凍りついたように立ち尽くした。

彼女の叫びが、鼓膜ではなく、肋骨の内側の空洞に反響する。かつて心臓があった場所が、幻肢痛のようにズキリと疼いたのだ。

◇◇◇

第二章: 氷解のプレリュード

結局、その日の手術は中止。

カッサイは激怒したが、ミナトは「患者の精神状態が不安定なままでは、結晶が暴走して砕け散るリスクがある」と論理的に説き伏せた。

嘘ではない。だが、真実でもなかった。

ミナトは通うことになった。

一度にすべてを摘出するのではない。会話を重ね、心を鎮め、少しずつ結晶を削り出していく『緩和ケア』という名目で。

海岸沿いの療養所。波音が、絶え間なくリズムを刻んでいる。

ミナトはベッドの端に腰掛け、シズクの背中に手を当てた。

[Sensual]

手のひらを通して、革手袋越しに伝わる体温。

華奢な背骨のライン。その奥で、鋭利な結晶が呼吸のたびに内臓を傷つけている感触。

[A:ミナト:冷静]「……深呼吸を。僕に合わせて」[/A]

[A:シズク:冷静]「……ん……っ……」[/A]

ミナトは目を閉じ、指先に意識を集中させる。

メスは使わない。特殊な共振波を指先から流し、肺の中の結晶をマイクロ単位で融解させていく。それは、絡み合った糸を一本ずつ解くような、あるいは繊細な粘膜を撫でるような、極めて親密な作業。

熱い。

彼女の体内で燃える『愛』の熱量が、ミナトの冷え切った血管に流れ込んでくる。

[A:シズク:照れ]「……不思議ね。あなたの手……冷たいのに、なんだか安心する」[/A]

シズクが肩越しに振り返り、潤んだ瞳でミナトを見上げる。乱れた黒髪が、ミナトの頬を掠めた。

甘い雨の匂い。

[A:ミナト:冷静]「……僕はただの技術屋です。安心など、機能には含まれていない」[/A]

そっけない言葉。裏腹に、ミナトの指先は彼女の背中を離れられずにいる。

吸い付くような肌の質感。脈打つ生命の音。

これまで無機物としか思えなかった人間の体が、初めて『温かいもの』として知覚される。

[/Sensual]

治療を重ねるうち、シズクは少しずつ口を開くようになった。

彼女が愛したのは、幼い頃に出会った少年だという。

優しくて、不器用で、いつも誰かのために傷ついているような人。

彼は数年前、突然シズクの前から姿を消した。死んだという噂だけを残して。

[A:シズク:愛情]「彼はね、私のピアノが好きだって言ってくれたの。……いつか、海が見える家で、二人で暮らそうって」[/A]

シズクは胸元のロケットペンダントを握りしめ、遠くを見るような目をした。

[A:シズク:悲しみ]「でも、私は病気になって……家のお金も尽きて……。彼に何もしてあげられなかった」[/A]

ミナトはその話を聞くたびに、胸の奥でノイズが走るのを感じていた。

視界のちらつき。耳鳴り。

海が見える家。古いピアノ。

知らないはずの光景が、フラッシュバックのように脳裏を焼き尽くす。

(……なぜだ?)

ミナトは自問する。自分には過去がない。あるのは、このメスを握る技術と、感情と引き換えに得た医師としてのライセンスだけ。記憶はとうの昔に売り払ったはずなのに。

ある雨の日。

シズクは窓の外を見つめながら、ポツリと言った。

[A:シズク:愛情]「ねえ、先生。もしこの痛みが消えても……私は彼のことを覚えていられるかしら」[/A]

[A:ミナト:冷静]「……医学的には、感情中枢への干渉は避けられません。激しい情動に結びついた記憶は、結晶と共に摘出される可能性が高い」[/A]

[A:シズク:悲しみ]「そう……。なら、やっぱりいらないわ。痛みも、苦しみも、全部彼が私に残してくれたものだもの」[/A]

儚い微笑み。その笑顔を見た瞬間、ミナトの中で何かが音を立てて崩れ落ちた。

氷壁に亀裂が走るように。

論理で固めたダムが決壊するように。

[Think]死なせたくない。[/Think]

その感情はあまりに強烈で、ミナトは眩暈を覚えた。

ただの患者。ただの症例。金のための仕事。

なのに、なぜ。

彼女の涙を拭いたいと、この手が震えているのか。

◇◇◇

第三章: 忘却の代価

運命の歯車は、唐突に軋みを上げて回転を速めた。

深夜、シズクの容体が急変したのだ。

肺の中の結晶が爆発的に増殖し、気道を完全に塞ごうとしていた。

[A:カッサイ:怒り]「ミナト! すぐに切れ! 商品が腐っちまうぞ!」[/A]

緊急手術の準備が進む。ミナトはシズクの病室に駆け込んだ。

酸素マスクの下で繰り返される浅い呼吸。混濁する意識。苦痛に歪む顔。握りしめられた手の中に、あのロケットペンダント。

ふと、留め具が外れ、ペンダントが開く。

床に落ちた銀色の小箱。

拾い上げ――そして、呼吸を止めた。

小さな写真。

映っていたのは、満開の桜の下で笑い合う、幼いシズクと……一人の少年。

銀色の髪。少し頼りなさげな笑顔。

[Think]……嘘だ。[/Think]

鏡の中の自分を見たことがあった。

色素の抜けた髪。虚ろな目。

だが、骨格は、面影は、写真の少年と完全に一致していた。

雷に打たれたような衝撃が脳髄を貫く。

封印されていた記憶の蓋が、暴力的にこじ開けられた。

『シズク、君の病気は僕が治す』

『でも、お金が……』

『大丈夫だ。僕には、売れるものがあるから』

記憶。感情。自分という人間の歴史すべて。

闇医者カッサイに、彼は自分自身を売ったのだ。

シズクの莫大な治療費を稼ぐために。

そして、記憶を失い、感情を失い、ただの「執刀医ミナト」として生まれ変わった。

彼女を救うために、彼女を愛していた記憶さえも手放して。

[A:ミナト:驚き]「あ……ぁ……」[/A]

喉の奥から、乾いた音が漏れる。

膝から力が抜け、冷たいリノリウムの床に崩れ落ちた。

[A:ミナト:絶望]「僕が……彼、だったのか……?」[/A]

残酷すぎる真実。

彼女の肺を埋め尽くしている『致死量の愛』。その対象は、他ならぬ自分自身。

彼女は、記憶を失った自分を目の前にしながら、かつての自分を想って死にかけている。

そして自分は、彼女を救うために、彼女の中から『自分への愛』を切り取ろうとしている。

[A:カッサイ:冷静]「おや、気づいてしまったかね?」[/A]

入り口に立つカッサイ。愉悦に歪んだ笑み。

[A:カッサイ:狂気]「傑作だろう? 男は女のために魂を売り、女は男のために命を削る。これぞ純愛! これぞ悲劇! さあ、切れ。彼女を救いたいなら、彼女の心から『君』を殺すんだ」[/A]

[Shout]ふざけるなァァァッ!![/Shout]

床を殴りつける。拳の皮が裂け、血が滲んだ。

だが、カッサイの言う通り。

このままではシズクは死ぬ。

助ける唯一の方法は、結晶摘出オペ。

それは即ち、彼女の脳裏から『最愛の少年』の記憶を永久に消去することを意味していた。

愛する人を救うために、愛する人から忘れられること。

それが、彼に課せられた最後の代償。

◇◇◇

第四章: サヨナラの歌

ストレッチャーが、重い音を立てて廊下を進んでいく。

手術開始まで、あと三十分。

ミナトは最後の問診と称して、シズクの耳元に口を寄せた。

マスクの下の素顔を見せることはできない。声を聞かせることも、本当は許されない。

それでも、最後にどうしても聞きたかった。

[A:ミナト:悲しみ]「……もし。もし、その悲しみが消えたら……君は幸せになれるか?」[/A]

麻酔の前投薬で意識が朦朧としているシズクは、虚空を見つめたまま、うわごとのように呟く。

[A:シズク:悲しみ]「……幸せなんて……いらない。彼を忘れて生きるくらいなら……この痛みを抱いて、死にたい……」[/A]

その言葉は、ミナトにとって何よりの救いであり、同時に冷酷な死刑宣告でもあった。

彼女はそれほどまでに、かつての自分を愛してくれていた。

だからこそ、彼女を生かさなければならない。たとえ、その愛が報われなくとも。

[A:ミナト:愛情]「……馬鹿だな、君は」[/A]

声が震えた。

涙など枯れ果てたはずの瞳から、一筋の雫が零れ落ち、シズクの頬へと落ちる。

その熱さに、シズクがハッと目を見開いた。

[A:シズク:驚き]「……え? この声……まさか……」[/A]

焦点の定まらない瞳が、必死にミナトの瞳を探す。

ミナトは急いで麻酔マスクを彼女の口元に押し当てた。

正体を知られてはいけない。知られれば、彼女は生きることを拒絶するだろう。

[A:ミナト:冷静]「……おやすみ、シズク」[/A]

ガスが充満する中、ミナトは震える唇で、かつて二人でよく聴いた古い歌を口ずさんだ。

音程もリズムも狂っている。けれど、それは紛れもなく、あの日の海辺で彼女に捧げた旋律。

シズクの瞳から、驚愕と、歓喜と、そして絶望がない交ぜになった光が溢れる。

[A:シズク:愛情]「ミナ……ト……?」[/A]

彼女の手が、空を掴もうと宙を彷徨う。

その指先がミナトの頬に触れようとした、その瞬間。

麻酔が完全に効き、彼女の手は重力に従って力なく落下した。

[A:ミナト:悲しみ]「……さようなら。僕の、最愛の人」[/A]

ミナトは彼女の手を握りしめ、冷たい手術台の上で嗚咽を漏らす。

頭上のモニターが、無機質な電子音で心拍を刻み続けている。

それは、二人の関係の終わりを告げるカウントダウン。

涙を拭い、鋭利なメスを手に取る。

その目は、もう迷っていなかった。

ただ、深淵のような決意だけが、黒く静かに燃えていた。

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