第一章: 死を告げる九十九回目の鐘
ドクン、ドクンと狂ったように脈打つ心音が、耳の奥で錆びた警鐘のごとく絶え間なく鳴り響く。
赤黒い炎に包まれた時計塔の最上階で、巨大な真鍮の歯車が互いの肉を削り合うように軋み、猛烈な火花を散らしていた。
血のように赤い夜空から降り注ぐ灰は、冷たい雪のように静かで、柊 蓮司の漆黒の髪を容赦なく白く汚していく。
柊 蓮司「紗雪、息をしてくれ、頼む……! 嘘だと言ってくれ!」
蓮司は崩れ落ちた氷室 紗雪を、瓦礫だらけの床から引きずり込むようにして腕の中に抱いた。
細い体はあまりにも軽く、少しでも力を入れれば壊れてしまいそうで、それでも離せなくて腕に力を込める。
彼女が身に纏う清廉な白いセーラー服の胸元には、無残にも黒い鉄の棘が、まるで心臓を標本にするかのように深く突き刺さっていた。
鉄の隙間から溢れ出るどろりとした朱色の液体が、蓮司の黒いロングコートにじわりと冷たい染みを作っていく。
その冷たさが、彼女の命の終わりを物理的な質量として蓮司の皮膚に突きつけていた。
氷室 紗雪「また私を置いていくのね、蓮司……。いつも、勝手なんだから……」
視界が激しい涙に滲む中、銀髪をハーフアップに結った彼女が、消え入りそうな掠れた声で微笑む。
透き通るような白い肌は急速にその熱を失っていき、深い群青色の瞳が、夕闇に沈む海のようにゆっくりと光を閉ざしていく。
これで、九十九回目だ。
どんなに歴史の糸をほぐし、都合の良い未来へと運命の軌道を捻じ曲げても、この少女の心臓は約束された結末へと向かって動きを止める。
柊 蓮司「何度君の肉体が灰になろうと、世界のすべてが君の存在を拒もうと、俺の魂がその名前を、愛を、絶対に忘れはしない!」
蓮司は喉を切り裂くような声を振り絞り、自らの胸元に右手の指先を深く突き立てた。
痛覚を脳が認識する前に、自身の心臓を包み込む、ぬめりを持った肉肉しい生々しい感触だけが掌に伝わる。
自らの命そのものを触媒とし、因果を強引に巻き戻す超常の生体デバイス《時計塔の心臓》が、主の狂気に呼応して脈動を始めた。
まばゆい白光が引き裂かれた胸の隙間から激しく吹き荒れ、崩壊していく世界を冷酷な白一色へと塗り潰していく。
氷室 紗雪「……ねえ蓮司、私を救うために、あと何度私を殺すの? ねえ、答えて……」
彼女は最後の力を振り絞り、蓮司の首元に冷たい手を回して、縋るようにその唇を強く重ねてきた。
鉄の混じった生温かい血の味が口内に広がり、魂の最奥を焦がすような激しい口づけが、互いの残された息の根を優しく、そして確実に止めていく。
世界がガラス細工のように音を立てて砕け散り、すべての時間が、光を失った世界の瓦礫を巻き込んで逆回転を始めた。
引き裂かれるような精神の激痛の果てに、蓮司が目覚めたのは、百回目の、しかし決定的に壊れてしまった朝だった。
第二章: 愛という名の致死毒

叩きつけるような激しい雨が、古い図書室の窓をガタガタと、まるで何かの警告のように絶え間なく揺らし続けている。
カビ臭い埃と古書の乾いた匂いが混ざり合う静寂の中、蓮司は本棚の深い影に身を潜め、自身の震える指先をじっと見つめた。
今度こそ、彼女に近づいてはいけない、その声を聞いても、その姿に視線を奪われてもいけない。
ただ遠くから、彼女が知らない誰かと笑う背中を見守る、それが彼女を生かす唯一の答えなのだと、自分に何度も言い聞かせる。
九条 刹那「無駄な抵抗よ、柊 蓮司。あなたの選択は、すべて最初から計算されているの」
突如、古い本棚の隙間から、その場の静寂を凍らせるような冷徹な声が響き渡った。
黒いタイトスーツに身を包んだ赤髪の女、九条 刹那が、琥珀色の鋭い三白眼で、憐れみすら含まない冷たい視線を彼に向けている。
彼女の手元で、真鍮製の機械式懐中時計が、カチカチと狂いのない精密な金属音を周囲に撒き散らしていた。
柊 蓮司「お前は……時間調律官か。俺の邪魔をするというなら、今度こそお前をここで肉塊にしてやる」
九条 刹那「あなたが彼女を救おうと狂ったようにループを繰り返すたびに、彼女の魂はその重圧で自壊しているのよ」
「彼女を殺しているのは、世界の意志ではない。他でもない、あなた自身よ」
刹那が告げた無慈悲な事実が、冷たい楔となって蓮司の激しく波打つ鼓動を深く縫い止めた。
紗雪の死は、時空の歪みが生み出した単なるバグではなく、蓮司の異常な執着が、彼女の器を焼き尽くしている証拠だというのだ。
脳の奥が煮え滾るような感覚に襲われ、蓮司はこめかみを押さえてその場に激しく膝をついた。
その時、静まり返った図書室の木製の扉が、軋んだ音を立てて静かに開く。
そこに立っていたのは、傘も差さずに走ってきたのか、白いセーラー服をぐっしょりと濡らした氷室 紗雪だった。
氷室 紗雪「あ……っ、は、あぐっ、うあぁ……っ!」
この歴史ではまだ出会うはずのない彼女は、蓮司の灰色の瞳と視線が交わった瞬間、激しく胸を押さえて床に倒れ込んだ。
その薄い唇の端から、一筋の紅い血が、白い顎を伝ってぽたぽたと床に滴り落ちていく。
氷室 紗雪「やっと、私を見てくれた……。ずっと、ずうっと待っていたのよ、蓮司。私の、愛しい人……」
その群青色の瞳の奥には、世界が忘却したはずの、あの地獄のような九つの十の夜の記憶が、どす黒い澱みとなって渦巻いていた。
第三章: 共犯者たちの生贄儀式

濃い霧が這う湖畔の廃教会に、ステンドグラスの割れ目から透過した冷たい月光が、生贄の祭壇を照らすように差し込んでいた。
九条 刹那が静かに懐中時計を高く掲げ、因果の狂いをただ正すためだけの、冷酷な手を紗雪に向けて伸ばす。
九条 刹那「これ以上の歪みは許容できない。バグは排除されなければならない。これで世界は、あるべき正常な姿に戻る」
柊 蓮司「させない。たとえ世界が破滅しようと、俺の目の前で彼女を消させはしない!」
蓮司は刹那の前に立ち塞がり、獣のような鋭い殺気を全身から放ち、その行く手を遮る。
しかし、刹那の言う通り、自分の愛そのものが彼女の身体を蝕む猛毒なのだとしたら、俺はいったいどうすればいい。
蓮司は強張る指先を血が滲むほどに握り締め、背後に佇む紗雪へ、意識して冷徹な氷のような視線を向けた。
柊 蓮司「勘違いするな。お前など、もう愛してなどいない。ただの時間の実験体だ。目障りだ、消え失せろ」
喉を引き裂くような、自身の魂を裏切る嘘を吐き出す蓮司の腕を、紗雪の白く細い指先が、包み込むように優しく触れた。
氷室 紗雪「嘘つき。私を拒もうとするあなたの手、こんなに、壊れそうに震えているわよ?」
紗雪は心から愛おしそうにふわりと微笑み、蓮司の大きくて傷だらけの手を、自らの細い首元へと優しく導いた。
柔らかい皮膚を通して、彼女のドクドクと不規則に脈打つ、熱い命の鼓動が蓮司の掌に生々しく伝わってくる。
氷室 紗雪「ねえ、他の誰かに消されるくらいなら、あなたのその手で、今すぐ私を絞め殺してほしいの」
氷室 紗雪「それが、私たち二人にとって、一番美しくて、一番汚れない結末でしょう?」
彼女の鋭い爪が蓮司の背中に深く食い込み、陶酔と狂気にごちゃ混ぜにされた涙が、その美しい頬を静かに伝う。
蓮司の指先が彼女の細い首を締め付け、気道が狭まる喘ぎと、まるでお互いの肉体を貪り合うような苦痛が、教会の暗闇で交差した。
九条 刹那「これほど歪んで、狂った因果は見たことがない……。あなたたちは、世界を道連れにして心中するつもりなの?」
調律機械を握り締める刹那の手が、その冷徹な仮面を剥ぎ取られたかのように、初めて激しく狼狽して震えていた。
その瞬間、時計塔の重厚な鐘 of 音が、百回目の終焉と新しい破滅を告げて、夜空全体を揺らすように鳴り響いた。
第四章: 誰も君を忘れても、心臓だけが覚えている
黄金の濁った朝焼けが、崩壊を始めた時計塔の頂上を、まるで断末魔の血のような朱色に染め上げていく。
巨大な歯車がすべて逆回転を始め、天と地の境界線が、どろどろとしたノイズのように融解し始めていた。
蓮司は、自らの胸に躊躇なく、右手の指先を深く深く突き立てる。
九条 刹那「正気なの!? 自らの存在そのものを因果の底から消去すれば、あなたは……あなたは世界から完全に消えるのよ!」
九条 刹那「彼女の記憶からも、あなたの存在は永遠に失われる。誰も、あなたを救わなくなるのよ!」
柊 蓮司「それでいい。彼女が太陽の下で息をして、生きている世界に、俺の記憶なんて最初からいらない」
蓮司は自らの胸の奥から、激しく黄金色に明滅する《時計塔の心臓》を強引に引きずり出し、世界のシステムへと捧げた。
究極の光がすべての視界を真っ白に埋め尽くし、狂った因果律が、膨大な熱量をもって再構築されていった。
紗雪の胸に刻まれていた鉄の傷跡が急速に塞がり、その群青色の瞳に、濁りのない力強い生命の光が戻り始める。
それと引き換えに、彼女の精神から「柊 蓮司」という男の、不器用な笑顔が、掠れた声が、急激に削り取られて消え失せていった。
氷室 紗雪「嫌、嫌よ消えないで! あなたの名前は、私の大好きな人の名前は――!」
少女の届かぬ叫びは世界を再構築する光の中に掻き消され、すべての因果は完全に、美しく塗り替えられた。
数年後の雨の日。静かに水滴を弾く、平穏で、どこにでもあるありふれた街の交差点。
大学生となった紗雪は、ビニール傘を差しながら、ふとすれ違った一人の男と、何気なく目が合った。
黒いコートを着た、漆黒の髪に深い灰色の瞳を持つ、人生で一度も出会ったことのないはずの見知らぬ男。
お互いに名前も、あの地獄のようなループの凄惨な記憶も、交わした血の味の口づけも、何一つ覚えてはいない。
しかし、肩がすれ違ったまさにその瞬間、二人の目から、理由もわからない涙が、堰を切ったように一気に溢れ出した。
氷室 紗雪「あの……どこかで、お会いしませんでしたか? その、変なことを聞いてすみません」
紗雪は思わず振り返り、雨の音に負けないよう、震える声を絞り出して呼びかける。
男は静かに立ち止まり、頬を伝う溢れる涙を手の甲でそっと拭うと、生まれて初めて見せるような、優しく、どこか懐かしい笑顔を浮かべた。
柊 蓮司「ええ、ずっと前から、ずっとずっと前から、君を探していた気がします」
二人の鼓動が、今、全く同じリズムで重なり、世界で一番美しい新しい時を刻み始めた。