第1章:赫い廃都と純白の狂信者

むせ返るような血の匂い。焼け焦げたオイルの悪臭。鬱蒼と生い茂る巨大なシダ植物の隙間から、それらはねっとりと這い上がってくる。
苔生した高層ビルの残骸が入り組む、廃都の奥深く。
アッシュグレーの無造作なショートヘアを湿った風に揺らし、ナギは荒い息を吐き出していた。泥水と油で汚れた白いタンクトップの下で、華奢な肩が大きく上下を繰り返す。
[Pulse]ドクン、ドクン[/Pulse]と、自身の心音が耳障りなほどに響く。
彼女の琥珀色(こはくいろ)の三白眼は、まるで追い詰められた獣のようだった。前方を取り囲む『緑の教団』の武装兵たちを、鋭利な光で射抜く。
ボロボロの耐刃コートを翻し、ナギは愛用の古代ライフル『黒狗(くろいぬ)』を構える。
金属製のグリップを握る手のひらは、じわりと冷たい汗を掻いていた。
背後から響くのは、鈍い火花の音。そして、粘り気のある油が滴る音。
庇うように崩れ落ちている巨体。全高二・五メートルの作業用ゴーレム、アルゴスだ。緑の苔と赤錆に覆われた分厚い装甲は無惨に引き裂かれ、むき出しになった駆動部が痛々しい軋みを上げている。
[A:ロキ:冷静]「大人しくその銃を下ろせ、ナギ。君の小さな反抗は、もう終わりだ」[/A]
武装兵の中心で、一滴の血も浴びていない純白の法衣が揺れる。
長い黒髪を一つに束ねた男、ロキ。
彼の唇には、かつてと変わらぬ優しげな微笑みが浮かんでいる。だが、その瞳の奥には微かな光すら宿っていない。
深海のように凍りつく冷たさだけが、ナギの全身を這い回るようにねっとりと絡みついてくる。
[A:ナギ:狂気][Shout]「お前が……っ! お前がアルゴスをこんな目に遭わせたのか! この狂信者め!」[/Shout][/A]
奥歯が砕けそうなほど強く噛み締める。
喉の奥から絞り出した咆哮。しかし、それを真正面から浴びても、ロキの微笑みは微塵も崩れることはない。
むしろ、ナギからの激しい憎悪の視線を全身で受け止めることに、恍惚とした熱さえ帯び始めている。
[A:ロキ:愛情]「狂信? 違うよ、ナギ。僕はただ、君という美しい小鳥を、この穢れた鉄屑の檻から連れ出しに来ただけなんだから」[/A]
ロキの右手が、異様な[Pulse]鼓動[/Pulse]を打ち始めた。
法衣の下、右半身の肌を這うように、無数の黒い蔓がうねりを上げている。
人間を、世界を、この狂った生態系そのものを否定するかのようなおぞましい生命力。
皮膚を突き破り、蠢く茨のシルエット。
[Think]……降伏なんか、するもんか。[/Think]
首から下げた錆びた歯車のペンダントが、冷たく胸元を打つ。
ナギはコートのポケットに突っ込んでいた左手に力を込めた。指先が、隠し持っていた旧世代のプラズマ爆弾の冷たいピンを捉える。
彼女の瞳の奥で、死すら恐れぬ熱が燃え上がった。
相打ちを覚悟した、引き攣るような笑みが唇に浮かぶ。
[A:ナギ:怒り]「人間なんて……お前らなんて、絶対に信じねえよ!」[/A]
[Impact]カチリ、と。[/Impact]
硬質な金属音が廃都の静寂を切り裂いた。
[Flash]閃光。[/Flash]
プラズマの白熱が膨張し、視界のすべてを真っ白に焼き尽くしていく。
爆風が大地を抉る音だけが、世界を支配した。
第2章:冷たい鉄と偽りの平穏

時は数時間前に遡る。
太陽の光すら届かない、廃都の地下深くに作られた旧世代のシェルター。
巨大化した肉食性の植物や変異種が跋扈する過酷な地上とは完全に隔離されている。冷たくも静寂に包まれた、無機質な空間だ。
空気清浄機の低い唸り声と、微かな機械油の匂いだけが漂っている。
作業台の上に散らばった無数の歯車と配線。
ナギはガラクタの山から拾い集めた部品を繋ぎ合わせ、小さな電子基板にハンダを落としていた。
ジジジ、と微かなショート音。直後、手のひらサイズの機械鳥がピィと鳴いて小さな羽をばたつかせる。
[A:ナギ:照れ]「……よし。出力、安定しただろ」[/A]
ふう、と額の汗を手の甲で拭う。
[A:アルゴス:愛情]「ナギ、今日モ機嫌ガ良イデスネ。体温モ安定シテイマス」[/A]
背後から、重低音の響く温かい機械音声が降り注ぐ。
振り返れば、アルゴスの単眼レンズが優しいオレンジ色の光を放ちながら、ナギを見下ろしていた。
ずんぐりとした鉄の塊。だが、その光の瞬きには確かに感情に似た温度がある。
ナギは耳の先をほんのりと赤く染め、そっぽを向いた。
[A:ナギ:照れ]「別に……こいつの出力が安定しただけだ。私は機械しか信じない。人間なんて、いつか必ず裏切る生き物だからな」[/A]
ガラクタには魂がない。だから、嘘もつかないし裏切りもしない。
幼い頃、深い森の奥に自分を置き去りにした人間の冷たい背中。
その記憶を塗り潰すように、ナギは冷たい金属の表面にそっと頬をすり寄せる。
[Pulse]ウィーン、ガシャン。[/Pulse]
機械の規則正しい駆動音だけが、彼女の荒れた心を撫でてくれる。
この薄暗い地下室だけが、ナギにとっての世界のすべてだった。
[Impact]だが、そのささやかな箱庭は、突如として鳴り響いたけたたましい警報によって粉々に粉砕される。[/Impact]
[System]警告。第一防壁、突破サレマシタ。生体反応、急速ニ接近中。[/System]
天井の赤い警告灯が[Pulse]明滅[/Pulse]する。
鼓膜を劈(つんざ)くサイレン。
重厚な鋼鉄の扉が、まるで薄い紙屑のように内側へひしゃげた。
凄まじい金属の破断音。無数の黒い茨が、捻じ切れた扉の隙間から蛇のように這い入ってくる。
土埃の向こうから、静かな足音が近づいてきた。
教団の冷酷な異端審問官。
[A:ロキ:喜び]「見つけたよ、僕のナギ。ずっと探していた……」[/A]
純白の法衣。長い黒髪。
かつて、森の木漏れ日の下で星空を見上げて共に笑い合った幼馴染の姿だ。
しかし、その男の顔には、冷酷な仮面の奥に隠された異常な執着がへばりついている。
微かに首を傾げるその所作すら、狂気に染まっていた。
[A:ロキ:狂気][Whisper]「君を汚す鉄屑どもは、僕がすべて排除してあげる」[/Whisper][/A]
異形の愛情に狂った怪物が、静かにその靴音を響かせた。
第3章:箱庭の真実と赫い茨

そして、現在。
プラズマ爆弾の爆発による濃密な煙が、湿った風に流されていく。
廃都の広場には、ぽっかりと巨大なクレーターが穿たれていた。
アスファルトがドロドロに溶け、異常な熱気を放っている。
至近距離での起爆。致死量などとうに超えた、破壊の熱線。
しかし。
[A:ロキ:愛情]「あはは……痛いな、ナギ。でも、君の抵抗も愛おしいよ」[/A]
煙の底から、狂気を孕んだ笑い声が響く。
ナギは大きく目を見開いた。
ロキの右半身を覆っていた純白の法衣は完全に吹き飛んでいた。
そこに露わになっていたのは、人間の肌などではない。肉体を喰らい尽くし、神経の奥深くにまで根を下ろした、おぞましい黒い茨の装甲。
緑色の体液を口の端から垂れ流しながら、ロキは恍惚とした顔でナギを見つめている。
[A:ロキ:狂気]「教団の連中は馬鹿だよ。あの樹を神だと崇めている。あれはただの兵器だ」[/A]
ズズズ……と、重い地鳴りが廃都を揺らす。
地下深くから、空を覆い尽くすほどの巨大な触手のような根が、次々と地表を突き破って這い出してきた。
旧人類の星間兵器『テラ・フォーマー』。
廃ビルが飴細工のようにへし折られ、粉塵が舞い上がる。
[A:ロキ:興奮]「僕はこの星のすべてを更地にして、君と二人だけの完璧で永遠の揺り籠を作るんだ!」[/A]
ロキが両腕を広げると、世界そのものが軋みを上げた。
すべては、ナギを理不尽な世界から守るため。
自分だけのものとして、永遠に閉じ込めるため。
その激重で身勝手な感情の渦が、どろどろとナギの足元に流れ込んでくる。圧倒的な無力感と、内臓がせり上がるような強烈な嫌悪。
足が泥に沈むように竦(すく)む。
[Sensual]
[A:ロキ:愛情][Whisper]「君はもう、何も考えなくていい。ただ僕の腕の中で、永遠に微笑んでいればいいんだよ」[/Whisper][/A]
黒い茨が、濡れた蛇のように這い寄る。
じっとりと冷たい感触が、ナギの華奢な足首に絡みついた。
鋭い棘が耐刃コートの繊維を抜け、肌を微かに傷つける。
チクリとした痛みの直後、じわりと滲む赤い血。それを舐め取るように、茨は太ももから腰、そして腕へと這い上がり、彼女の体をきつく拘束していく。
逃げ場のない密着。
ロキの異常な熱を帯びた吐息が、すぐ耳元に落ちた。
[Pulse]ドクン、ドクン[/Pulse]
植物の脈打つ音が、ナギの肌に直接伝わってくる。
粘着質な水分が衣服を透過し、素肌に直接触れるようなおぞましい感覚。呼吸のたびに、ロキの甘く腐ったような匂いが鼻腔を犯す。
[A:ナギ:恐怖][Whisper]「やめ、ろ……っ」[/Whisper][/A]
声が震える。全身の筋肉が硬直し、酸素が上手く吸い込めない。
[/Sensual]
抗えない。
このまま、この狂った揺り籠の中に引きずり込まれる。
視界が暗く沈みかけた、その瞬間だった。
第4章:錆びた魂と一筋の閃光

完全に沈黙していたはずの背後の巨体が、低く、重い駆動音を上げる。
ガキンッ、と硬質な音。
アルゴスのオレンジ色だった単眼レンズが、眩い真紅の光へと変貌していた。
[System]警告。保護対象・ナギへの深刻ナ物理的、精神的脅威ヲ検知。[/System]
アルゴスの装甲の隙間から、限界を超えた高熱の蒸気が凄まじい勢いで噴き出す。
シューッという轟音が、茨の蠢く音をかき消した。
[System]出力リミッター、全解除。コア接続プロセスニ移行シマス。[/System]
[A:ナギ:驚き]「アルゴス……!? よせ、お前、何をする気だ!」[/A]
拘束されたまま、ナギは必死に首を巡らせる。
アルゴスは自身の太いマニピュレーターを胸部に突き立てた。自らの胸部装甲を強引に引き剥がす。
激しい火花。中からむき出しになったのは、白熱する高温の動力コアだ。
アルゴスはそのコアから伸びる極太のケーブルを引き抜き、ナギの手から零れ落ちていた愛銃『黒狗』の機関部に、直接突き刺した。
それは、アルゴス自身の存在証明と、三百年の記憶を完全に焼き尽くす自爆行為に他ならない。
[A:ナギ:悲しみ][Shout]「やめろ、アルゴス! お前までいなくなったら、私はどうすればいいんだ!」[/Shout][/A]
涙腺が崩壊する。
熱い滴が頬を伝い落ち、泥で汚れた顔に二筋の跡を描く。
視界が[Blur]滲んで[/Blur]いく。
それでも、アルゴスはどこまでも優しく、穏やかな音声で応えた。
[A:アルゴス:愛情]『ナギ、人間ハ裏切ル生キ物カモ知レマセン。シカシ、彼ヲ止メラレルノハ、彼ノ弱サヲ知ル貴女ダケデス』[/A]
莫大なエネルギーが『黒狗』に注ぎ込まれ、銃身が白熱してドロドロに溶け始める。
プラズマの蒼い光が、周囲の空気を焦がしていく。
[A:アルゴス:愛情]『貴女ノ未来ニ、私ハ不要デス。愛シテイマス、私ノ娘』[/A]
[Impact]ガラクタなんかじゃない。[/Impact]
この温かさを。この自己犠牲を。
ただのプログラムだなんて、絶対に認めるものか。
茨の拘束を力任せに引きちぎり、ナギは前へ出る。
棘が肌を裂き、血が飛沫を上げても構わなかった。両手から焦げるような煙を上げながら、白熱するライフルを構え直した。
[A:ナギ:絶望][Shout]「ガラクタなんて言うな……お前は、私のたった一つの家族だ!」[/Shout][/A]
[A:ロキ:驚き]「ナ、ギ……!?」[/A]
魂を擦り減らすような絶叫。
ナギは、引き金に指をかけた。
[Flash]閃光。[/Flash]
[Magic]《限界突破・フルバースト》[/Magic]
極太の白銀の光条が放たれた。
音さえも置き去りにする圧倒的なエネルギーの奔流。
それが、ロキの無敵を誇った茨の装甲を真正面から打ち砕く。
空を覆い尽くそうとしていた神樹の根もろとも、歪んだ愛情のすべてを、真っ白な光が飲み込んでいった。
世界から、あらゆる音が消失する。
第5章:朝焼けの荒野へ
耳鳴りがするほどの、深い静寂。
暴走していた神樹の巨大な根は、ボロボロと炭化し、灰となって風に崩れ落ちていく。
空を厚く覆っていた雲の隙間から、残酷なほどに美しい朝焼けの光が、一直線に廃都へと差し込んできた。
ナギの膝は震え、泥だらけのアスファルトの上に崩れ落ちる。
ひび割れた大地の上。彼女の腕の中には、胸を大きく撃ち抜かれたロキが横たわっていた。
その肉体からおぞましい茨は完全に消え失せている。
ただの脆く、儚い人間の姿。
大量の血だまりの中で、ロキはゆっくりと重い瞼を開ける。
その顔からは、先程までの狂気や粘着質な執着は消え去っていた。
[A:ロキ:冷静][Whisper]「ごめんね、ナギ……」[/Whisper][/A]
血の混じった咳を吐きながら、ロキは細く微笑む。
かつて森で共に遊んだ幼い頃と同じ。ただの心優しい少年の顔だ。
[A:ロキ:悲しみ][Whisper]「本当は、君と一緒に……あの空の下を、ただ歩きたかっただけなんだ……」[/Whisper][/A]
血に塗れた手が、震えながらナギの頬へ伸びる。
冷たい指先。
しかし、それが彼女の肌に触れる直前。
[Impact]ふっと、その腕から完全に力が抜け落ちた。[/Impact]
冷たい地面へと腕が落ちる。
ロキは静かに息を引き取った。
その呪われた肉体は、朝の光を浴びて淡い光を帯びる。小さな白い花へと変わり、春の風に溶けるようにさらさらと散っていった。
[A:ナギ:悲しみ][Shout]「あ……ああぁぁぁっ……!」[/Shout][/A]
声にならない慟哭が、廃都の空に響き渡る。
指の隙間からすり抜けていく白い花びら。
振り返れば、完全に機能を停止し、ただの冷たく重い鉄の塊と化したアルゴスの残骸が、朝日を浴びて沈黙している。
もう、あの優しいオレンジ色の光が灯ることはない。
愛も、憎しみも、異常な執着も、温かい親愛も。
すべてを奪い去った、美しい緑の世界。
冷たい風が吹き抜け、ナギのアッシュグレーの髪を揺らした。
涙の跡を乱暴に拭い、彼女はゆっくりと立ち上がる。
火傷で爛(ただ)れた両手を強く握りしめる。首元の錆びた歯車のペンダントを、掌に食い込むほどぎゅっと握り込んだ。
もう、二度と誰かに依存しない。
偽りの箱庭には戻らない。
ナギは、機能停止した唯一の家族の残骸を背にする。
たった一人、朝焼けに照らされた荒野へと向き直った。
冷たくも確かな熱をその瞳に宿し、彼女の力強い一歩が、新しい世界の大地を踏みしめる。
錆びた鉄と血の匂いが混じる風の中へ、その足音だけが静かに響いていった。