■ 第1章:空白からの胎動 ■
分厚い血の匂いが、肺腑を焼く。
ガラン「……っ、ふざけ、るな……!」
ひび割れた石畳の上で、ガランが血まみれの指を痙攣させていた。腹部からあふれ出す臓腑をかき集めようと、無意味な足掻きを繰り返す。
死は、すでに彼の喉元を食い破っていた。
助からない。その事実は、誰の目にも明らかである。
クロウ「……無駄口を叩くな、ガラン。血の回りが早くなる」
クロウは、手にした双剣の血振りをしながら、冷たい声音を落とした。瞳に浮かぶのは、長年連れ添った戦友への慈悲ではない。路傍の石を見つめるような、絶対的な無関心。
靴の底で、赤黒い水たまりがぐちゃりと音を立てる。
ガラン「クロウ……お前、俺を、見捨てる、のか……っ」
クロウ「置いていく。足手まといだ」
瞬き一つしない。
……これが、俺たちの選んだ道だ。
暗闇。
吹き抜ける風だけが、死にゆく者の嗚咽を無慈悲にかき消していく。
セリア・ヴァンガード「あはは……ふふっ、あははははっ!」
突如、静寂を引き裂くような甲高い笑い声が響いた。セリア・ヴァンガードだ。
銀色の甲冑は返り血でどす黒く染まり、彼女の高潔な美貌は、拭いきれない狂気によって歪みきっている。
セリア・ヴァンガード「素晴らしいわ、クロウ。その冷たさ……本当に、ゾクゾクする」
彼女は自らの血濡れた指先を舌で舐めとりながら、恍惚とした吐息を漏らす。瞳孔が限界まで開いていた。
エルマ・クロイス「……壊れているわね。相変わらず」





瓦礫の影から、エルマ・クロイスが音もなく姿を現した。漆黒のローブを翻し、冷ややかな視線をセリアへと向ける。
エルマ・クロイス「だけど、急いだほうがいいわ。追手は、もうそこまで来ている」
遠くで、獣の咆哮が地を這うように響いた。
クロウは舌打ちをし、剣を鞘に収める。しかし、歩み出そうとした彼の背中に、セリアがねっとりと絡みついた。
セリア・ヴァンガード「……ねえ、クロウ。私を置いていかないわよね……?」
背中越しに伝わる、異常に高い体温。
彼女の指先が、クロウの首筋を這い上がり、動脈の拍動をなぞる。
♥ドクン、ドクン。[/Heart]
鉄錆の匂いと、彼女の甘い香りが混ざり合い、脳の芯を麻痺させていく。
クロウ「……離れろ、セリア」
セリア・ヴァンガード「嫌よ。あなたの匂い……もっと、嗅がせて……」
セリアの唇が、クロウの耳たぶを甘噛みする。ぞくりと、背筋に電流が走った。
視界の端が明滅する。重たい吐息が、首筋にべっとりと張り付く。
……この女は、俺を底なしの泥濘へと引きずり込もうとしている。
それでも、振り払うことができない。
指先が震える。抗いがたい引力が、彼から正常な理性を奪い去っていく。
エルマ・クロイス「……愚かだこと」
エルマは薄く笑うと、闇の中へと溶けるように歩き出した。
後には、息絶えたガランの屍と、血と狂気にまみれて抱き合う二人の姿だけが残される。
世界が、終わろうとしている。
だが、そんなことはもう、どうでもよかった。
彼らが手にしたのは、光り輝く未来ではない。救いなど、最初からこの狂った世界には存在しない。
ただ、互いの熱を貪り、共に奈落へと堕ちていくという、泥臭くも甘美な絶望だけが、そこに横たわっていた。