第一章: 硝煙の産声
硝煙と血が焦げる不吉な悪臭。茜色に燃え盛る、最前線の空。
泥濘に足を取られながら進むルナの純白の修道服。無数の返り血と黒い泥に塗れ、すでに本来の聖性を失っている。
汗で肌に張り付く色素の薄い銀糸の髪。無造作にそれを払い、憂いを帯びた紫の瞳が、荒涼たる屍の海を彷徨う。
ドクン、ドクン
自身の脈打ちだけ。耳鳴りのように響くのは。
ルナ「ひどい……こんな、こんなのって」
膝から力が抜け、崩れ落ちる。赤黒く染まった大地に。
視線の先。ひしめく亡骸の中心に横たわるのは、息も絶え絶えの男。
血糊がこびりついた黒漆の甲冑。無造作な黒髪の奥。獲物を探すような鋭い三白眼の金瞳が、微かに揺らぐ。
最強の黒騎士と謳われたレオンの、無惨な死に体。
腹部の巨大な裂傷。そこから立ち昇る、ぬるりとした臓物の熱気と錆びた鉄の臭気。
レオン「……来るな、落ちこぼれ。お前の、手に、負える傷じゃ、ない」
低く掠れた声。血の泡とともに唇からこぼれ落ちる。
首を横に振り、這うようにして彼の傍らへ進み出るルナ。
首筋に浮かぶ甘い香りの汗。夕陽を反射してきらめく。
ルナ「喋らないでください。すぐに、手当を」
震える指先。レオンの冷え切った頬への接触。
ルナの紫の瞳から零れ落ちた一滴の涙。それが、彼のえぐれた傷口へと吸い込まれる。
何の魔術的素養もないはずの彼女。素手でべっとりとまとわりつく血を拭い取った瞬間――。
世界が、反転した。
「ッ……あ、ぁ……!?」
見えない雷に打たれたかのように、弓なりに跳ね上がるレオンの巨体。
蠢くように急速に癒着していく、致命傷だったはずの肉。
だが、異常なのはそれだけではない。
極限まで見開かれた彼の金瞳。白目を剥くほどの白濁した熱。
「あぁぁ……なんだ、これは……熱い、頭が、溶け……ッ」
擦れる甲冑の金属音。痙攣する四肢。
男の逞しい喉仏が激しく上下し、獣のような甘い喘ぎが戦場に響き渡る。
ルナの指先が肌を滑るたび。脳髄を直接焦がすような暴力的な快楽が彼を貫いている。
ルナ「ごめんなさい、私なんかの手で痛かったですよね……!」
痛い? 違う、これは――
言葉を紡げず、ただ口の端から涎を垂らし、彼女の腕の中で快楽の海に溺れゆくレオン。
圧倒的に美しい茜色の空の下。
一人の無自覚な少女による、狂気と支配の螺旋。ひっそりと産声を上げる。
◇◇◇
第二章: 狂熱の檻
ルナの『看病』。それは常軌を逸していた。
野戦病院として急造された天幕の中。
かつて死臭に満ちていた空間。今や濃密でむせ返るような甘い熱気に支配されている。
軍服風のローブを着崩したセス。病的なまでに色白な肌を紅潮させ、シーツを固く握りしめている。
モノクルの奥の氷のような青瞳。もはや理性の欠片すら保っていない。
ルナ「セス様、お薬です。口を開けてください」
砕いた薬草を指の腹ですくい、彼の薄い唇に押し当てるルナ。
微かな粘膜の接触。たったそれだけの行為が、引き金。
セス「あ……っ、ルナ、君の指……甘い、もっと、奥まで……」
ビクンッと背を反らし、ルナの指先を舌で執拗に絡め取るセス。
喉の奥から漏れるのは、苦痛ではない。限界まで焦らされた末の歓喜の呻き。
痛みを和らげるためのマッサージ。彼女のうなじから匂い立つ汗の香りと混ざり合い、男たちの神経をショートさせていく。
天幕の奥。鎖で拘束された敵国の狂皇子ギルベルト。荒い息を吐きながらその光景を睨みつけている。
真紅の長髪が汗で額に張り付き、端正な顔立ちは屈辱と、それを上回る得体の知れない熱情に歪む。
ギルベルト「余を、こんな檻に……貴様、ただの兵器の代用品の分際で……ッ!」
ルナ「暴れないでください、傷が開きます。包帯を替えますね」
ルナの白く細い腕。ギルベルトの分厚い胸板へ。
彼女の修道服の下の柔らかな重み。彼の腕に微かに押し当てられた瞬間。
バチッ
ギルベルト「……ひ、ぐ……あァァッ……!!」
傲慢な覇王の瞳孔が開き、止まる呼吸。
包帯を巻くための肌と肌の摩擦。ルナの吐息が内腿の古傷を掠めるたび。
自らの存在が完全に破壊され、ちっぽけな少女の足元に屈服させられる。その背徳的な喜悦に震え上がる。
♥ドクン、ドクン、ドクン。[/Heart]
下腹部に集まる、熱く硬い欲望の塊。
彼らは皆、ルナの体温なしでは生きられない肉の獣へと作り変えられていく。
血生臭い戦場。彼女の周囲だけが狂気に満ちた官能の楽園へと変貌している。
だが、その蜜のように甘い支配が、最悪の破滅を呼ぶことになるとは。ルナは知る由もない。
天幕の外。重剣を引きずるレオンの足音が、不気味なほど静かに近づいてくる。
◇◇◇
第三章: 泥濘の渇望
「ルナは、俺のものだァァッ!!」
鼓膜を裂く咆哮と、金属が激突する火花。
月明かりが隠れた漆黒の森。次々と薙ぎ倒される大木、舞い上がる土埃。
黒漆の甲冑に身を包んだレオンの重剣。セスの放つ青白い魔力の刃。容赦なく互いの肉を削り合う。
セス「馬鹿な犬が。君のような汚らわしい獣に、ルナの純潔な肌を触らせるわけがないだろう……!」
レオン「黙れ……俺に触れろと、彼女は言った! あの極上の痺れは、俺だけのものだッ!」
彼らの瞳には、かつての理性や大義など微塵もない。
あるのはただ、ルナの体温、ルナの甘い吐息、ルナが与える限界突破の快感への飢え。
一秒でも彼女の視界を独占したいという狂おしいほどの嫉妬心。味方同士の血みどろの殺し合いへと発展している。
木の陰でその光景を目の当たりにしたルナ。自らの喉を両手で掻き毟るように押さえる。
視界がグラグラと揺れ、胃の腑から酸っぱい胃液が込み上げる。
ルナ「なぜ……なぜ皆、私のせいで正気を失うの……?」
血を吐きながら笑い合うかつての英雄たち。
その異様な熱を帯びた眼差し。すべて自分に向けられている。
自分が傷の手当をするたび、彼らは満たされるどころか、さらに深い渇きに狂っていく。
私の存在が、この争いの火種。私が、皆を壊している。
呪い。呪い呪い呪い。私の力が、皆を狂わせる。
足元が泥濘に沈み込むような錯覚。
冷たい雨が降り始め、ルナの純白の修道服を濡らす。銀糸の髪が頬に張り付く。
これ以上、誰も傷つけたくない。
誰の目にも触れない場所で、この呪われた力を大地に還さなければ。
踵を返し、一目散に闇の中へと駆け出すルナ。
目指すは、万物が死に絶える最果ての死地――『大地の脈』。
彼女の小さな背中。夜の闇に完全に呑み込まれた。
◇◇◇
第四章: 剥き出しの牙
ドクン……ドク、ン……
赤く明滅する視界。カラカラに乾く喉の奥。息を吸うたびに肺が焼け焦げるように痛む。
ルナが消えてから、三日の経過。
荒涼とした赤土の荒野。男たちが這うようにして進む。
レオン「ルナ……どこだ……ルナァ……ッ」
甲冑を脱ぎ捨て、泥に塗れた指で地面を掻き毟るレオン。
肉体は限界を超え、古傷からは赤黒い血が滲み出ている。
だが、肉体の痛みなどどうでもいい。ルナの匂いが残る血まみれの包帯。顔に押し当て、狂ったように深く吸い込む。
彼女の体温がない世界など、息をする意味すらもない。
深刻な禁断症状。彼の神経をズタズタに引き裂いている。
セス「ああ……君の銀髪……君の、甘い汗の味……」
魔力暴走を起こし、血の涙を流しながらふらふらと歩を進めるセス。
彼の周囲の空間が不規則に歪み、バチバチと青い火花が散る。
知的な天才魔術師の面影は消え失せた。ただ一人の女の幻影を追い求める亡者。
そして、ギルベルト。
自国の軍を捨て、皇子としてのプライドも地位もすべてかなぐり捨てた男。真紅の長髪を振り乱し、虚ろな目で笑う。
ギルベルト「余をこんな身体にしておいて、逃げるなど許さんぞ……あの小さな胸に、余のすべてを……ッ」
彼らを動かしているのは、もはや生存本能ではない。
ただ『彼女に触れられたい』という泥臭く、理不尽で、圧倒的な執着のみ。
風が止む。荒野の果て。巨大な亀裂から青白い光が漏れる『大地の脈』の縁。
純白の修道服を着た小さな人影が立っているのが見える。
「――ルナッ!!」
獣たちの叫び。枯れた大地を震わせた。
◇◇◇
第五章: 永遠の揺り籠
底なしの暗黒が口を開ける『大地の脈』。
吹き上げる冷たい突風。ルナの体を崖の縁へと押しやろうとする。
見上げる夜空。異常なほど美しい無数の星屑が、まるで世界を祝福するかのように降り注ぐ。
ルナ「もう、終わりにします。私の血も、力も、すべて大地に……」
身を投げ出そうとしたその瞬間。
「行くなァァァァッ!!」
泥と血と汗に塗れた三つの影。ルナの足元に飛び込んでくる。
ルナの細い足首を掴むレオンの太い腕。彼女の修道服の裾を握りしめるセスの震える手。彼女の膝に顔を擦り付けるギルベルト。
最強と謳われた英雄たち。赤子のように声を上げて泣きじゃくっている。
レオン「息が……君なしでは、息もできないんだ……お願いだ、俺を捨てないでくれ……ッ」
セス「僕を狂わせたままでいい……君の毒で、僕を完全に溶かしてよ……」
ギルベルト「お前だけが……余の真実だ。もう、離れられない……」
ルナの紫の瞳から溢れ落ちる大粒の涙。
自分の力は彼らを狂わせる『呪い』だと思い込んでいた。
だが、彼らの瞳の奥に燃えているのは、単なる快楽への依存だけではない。
痛いほどの、どうしようもなく深く歪んだ『愛』。
静かに膝をつき、彼らの頭を自分の柔らかな胸元へと抱き寄せるルナ。
ルナ「ごめんなさい……私、あなたたちを置いていけない」
レオンの無造作な黒髪を撫で、セスの色白の頬を包み、ギルベルトの真紅の長髪を梳くルナの指先。
その瞬間、激しく跳ねる男たちの肉体。圧倒的な絶頂の波が彼らを呑み込んでいく。
「あぁぁ……ルナ、ルナァ……ッ! あ、だめ、壊れる、真っ白になる……!」
彼らの昂った楔が、限界を超えて歓喜の悲鳴を上げる。
肉体の奥底から湧き上がる衝動。理性を完全に焼き尽くす。
ルナの体から立ち昇る甘い香りが、世界を極彩色の官能で塗り替えていく。
私が、この人たちの揺り籠になる。すべてを包み込んで、永遠に狂わせてあげる。
星屑の光。折り重なる彼らの体を優しく照らし出す。
血の匂いは消えた。むせ返るような愛の結晶の香りが夜風に溶けていく。
ここは、誰にも邪魔されない泥濘の底。
彼女がもたらす甘く歪んだ救済。世界が終わるその日まで、果てしなく続く。
男たちの熱い脈拍を肌で感じながら、ルナは今までで一番、無垢で残酷な微笑みを浮かべる。
合掌する手には、もはや祈りなど必要ない。