第一章: 血の契りと赤い嵐
ごとり、と石造りの床が激しく震えた。
頭上から降り注ぐ微細な塵が、重苦しい静寂を濁らせていく。
砕けたステンドグラスの隙間から、赤茶けた砂嵐が容赦なく吹き込み、灰色の視界を赤く、どこまでも赤く染め上げていく。
崩壊した大聖堂の地下聖堂は、地下特有の冷たい湿気と、死に絶えた世界の鉄錆の臭いで満ち満ちていた。
シンの白髪が混ざった無造作な黒髪が、吹き込む暴風に激しく弄ばれ、その頬を砂礫が容赦なく切り裂いていく。
シン「が, あ……ッ! ぁ, あアッ!」
喉の奥から絞り出されたのは、人間としての輪郭を失いかけた獣の絶叫だった。
右半身を巻いていた包帯が、内側から激しく蠢き、皮膚を裂いて肥大化した。
引き裂かれた生身の肉から、赤黒い結晶の棘が、まるで意思を持つ牙のように這い出てくる。
灰色の瞳を狂おしい苦痛に歪ませ、シンは粘り気のある冷たい湿った床に膝を突いた。
骨が、関節が、内側から凄まじい力で軋み、ギチギチと金属に置き換わっていく。
脳髄を直接、焼き鏝で掻き回されるような激痛が、精神の境界線を泥濘へと叩き落とそうとする。
エル「シン、こっちを見て。私のシン。痛いのは、もうおしまい」
暗闇の奥、冷たい影の中から滑り出すようにして、透き通るような白肌を持つ少女が這い寄る。
煤と砂に汚れた純白の修道服ドレス of 裾を揺らし、エルは自らの美しい白銀の長い髪を、細い指先で愛おしそうに払い除けた。
露わになったその細い手首には、絶望的なほどに折り重なった、無数の自傷痕が痛々しく刻まれている。
エルは躊躇なく、腰に帯びていたサバイバルナイフの鈍い刃を手首の皮膚へと押し当て、一息に横へと引いた。
赤い一筋。
純白の皮膚が裂け、そこから、毒々しいほどに鮮やかな純赤の液体が、熱を帯びて溢れ出し、床へと滴り落ちていく。
エル「さあ、私の全部を食べて……おねがい」
エルの深紅の瞳が、狂気的な熱を帯びた恍惚に濡れて、身悶えするシンをじっと見つめる。
シンは、本能に突き動かされる飢えた獣そのものの動作で、彼女の細い首筋に噛みつき、鋭く尖った牙で柔らかな肉を貫いた。
どくり、と甘い猛毒が喉を通り、全身の隅々の毛細血管へと、爆発的に行き渡る。
右半身を狂おしく焼き焦がしていた激痛が、一瞬にして、脳を溶かすような甘美な麻痺と、とろけるような快楽へと反転していく。
シン「エル……お前の血、熱い、な……。俺を、もっと、侵してくれ……」
エル「そう、もっと吸って。私を傷つけて、私だけのものになって」
エルの氷のように冷たい指先が、シンの濡れた黒髪を愛おしそうに撫、その頭を自らの胸元へと優しく抱きしめる。
互いの肉体を侵食し合い、精神の境界線をドロドロに溶かし合う、甘美で、破滅的な共依存の儀式。
ドゴォンッ!
突如、聖堂の重厚な鉄の扉が、凄まじい爆風によって吹き飛び、鋭利な石造りの破片が四方へと激しく飛び散った。
ギルバート「美しくも醜い、家畜の戯れ言だな」
渦巻く黒い煤煙の向こうから、冷徹な青い光を宿した機械の義眼を光らせ、一人の男が姿を現す。
仕立ての良い漆黒の軍服を一切乱さずにまとい、ギルバートは金属の右腕から高周波ブレードを不気味に唸らせて展開した。
彼を取り囲むように展開した武装兵たちの銃口が、冷酷な金属音を響かせ、一斉に伏せる二人へと向けられる。
シンは、その身を挺してエルの前に立ちはだかろうとした。
しかし、急激な変異の反動が全身の筋肉を弛緩させ、膝の力が完全に抜け、床へ無様に頽れてしまう。
冷たい鉄の枷が、肉に食い込むほどの勢いで、容赦なく二人の自由を奪い去っていく。
エル「シン! いや、触らないで! シンから私を引き離さないで!」
泣き叫び、抵抗する間もなく、二人の身体は強引に引き裂かれ、冷徹な鉄の檻へと連行されていった。
第二章: 真実の暴露と歪んだ愛

無機質な、青白い白色光が、重々しい鉄と硝子に囲まれた空中ドーム「バビロン」の隔離実験室を照らし出す。
シンは、冷たい十字の金属製拘束具に手足を厳重に固定され、その右半身の錆びた結晶を、太い電極で容赦なく貫かれていた。
その僅か数メートル先、分厚い強化ガラスで仕切られた無菌カプセルの中に、エルが、人形のように閉じ込められている。
ギルバート「目覚めたか、錆びかけた実験体よ」
ギルバートが機械の義肢を低く軋ませながら、拘束されたシンの目の前へと静かに歩み寄る。
その金属の指先には、エルから搾取された、青白く不気味に明滅する薬品のボトルが握られていた。
シン「エルを……返せ。その汚い手で、あいつに触るなッ!」
ギルバート「滑稽だな。お前が盲信し、縋り付いていた『救いの聖女』の悍ましい正体も知らずに」
ギルバートは、感情の通わない冷酷な笑みをその薄い唇に浮かべ、コンソールのスイッチを乱暴に操作した。
ギルバート「お前が生きるために摂取し続けた彼女の血は、病を遅らせる特効薬ではない。結晶化を限界まで加速させ、肉体を生きた金属へと作り変える極彩色の猛毒だ」
世界が、音を立てて崩れ落ちる。
嘘だ。あの血が、俺を繋ぎ止めていたはずだ。
シンは、脳を直接殴られたような衝撃に耐えながら、ガラスの向こうのエルに、狋るような視線を向ける。
しかし、彼女の深紅の瞳に浮かんでいたのは、謝罪の色でも、裏切りへの絶望でもない。
エル「ごめんなさい、シン。でも、こうするししか、なかったの」
エルは、ガラスの壁面に自らの血に濡れた手首をゆっくりと押し当て、狂おしいほどに甘い微笑を浮かべる。
エル「私の血なしでは一瞬も生きていけない身体になれば、あなたは永遠に、私だけのものだから」
すべては、最初から仕組まれた、愛という名の支配だった。
信じていた唯一の温もりは、自分を内側からじわじわと食い荒らす、甘い甘い、毒液だったのだ。
ギルバート「真実を知ったところで、お前の価値はここまでだ。心臓から抗体を抽出し、このゴミは廃棄処分にしろ」
ギルバートが顎で合図を送ると、シンの足元の床が重々しく開き、底知れぬ暗黒の廃棄スロープが、その口を大きく開けた。
エルの歪んだ、どこまでも美しい笑みと、彼女を奪われるという本能的な恐怖が、シンの胸の奥で、ドス黒く激しく交差する。
ドクン、と、錆びついたはずの心臓が、これまで以上の狂った速度で激しく脈打ち始めた。
第三章: 狂熱の暴走

シン「おおおおおおおおおッッ!!」
シンの引き裂かれた肺から、すでに人間のものではない、飢えた獣の咆哮が地を震わせて迸る。
裏切り、歪んだ愛、失われる支配、そのすべてが脳内で狂気に混ざり合い、生存のための安全装置を完全に焼き切った。
赤い閃光。
右半身の赤黒い結晶が、体内の圧力を受けて急激に膨張し、皮膚を内側から派手に引き裂きながら、凶悪な大刃へと変形していく。
骨が粉々に砕け、肉が熱く融解する凄絶な痛みを、シンの壊れた精神は、完全に遮断していた。
バキィッ! と凄まじい破壊音を立てて、太い鋼鉄の拘束具が粉々に砕け散る。
ギルバート「何だと……!? 紅錆病の進行を、自らの狂った意思で、完全に制御しているというのか!?」
廃棄スロープの縁から爆発的な脚力で跳躍したシンは、すでに人間の輪郭を失いかけていた。
右半身から、触手のように蠢く無数の金属の棘を突き出し、赤黒い大刃を血のように閃かせて地を駆ける。
「う、撃て! 撃ち殺せ! 化物を近づけるな!」
防衛の警備兵たちが、引き攣った絶叫を上げながら、一斉に引き金を引く。
放たれた高熱のレーザー弾がシンの剥き出しの肉体を容赦なく貫くが、傷口からは赤黒い結晶が溢れ出て、瞬時にその穴を塞いでいく。
シン「エルは、俺の、ものだ! 誰にも……触らせないッ!!」
実験室を仕切る分厚い防壁を、変異した爪で強引に引き裂き、立ち塞がる警備兵たちの肉体を一瞬で鉄屑へと変えていく。
その破壊の嵐の前に立ち塞がるギルバートが、機械の右腕を展開し、超振動ブレードをシンの首元へと正確に突き出した。
ギルバート「化物めが! 人類の未来を阻む害獣は、ここで私が駆除する!」
ガギィンッ!
火花が散り、鼓膜を突き刺すような、激しい金属同士の激突音が響き渡る。
シンの錆びついた右腕の刃が、ギルバートの重厚な機械義肢を、圧倒的な腕力で力任せに押し戻した。
結晶の鋭利な棘が、ギルバートの胸部装甲を貫いて突き刺さり、その生身の肉体を内側から赤黒い錆へと、急速に侵食していく。
ギルバート「馬鹿な……機械の、私の身体が……錆びて、いく……」
ギルバートの冷徹だった鉄の顔が、生まれて初めて見る、絶対的な死の恐怖に歪む。
シンは一切の躊躇なく、その胸元に結晶の大刃を深く突き立て、一刀のもとに彼を両断した。
飛び散る機械のパーツと、赤黒く変色した結晶が混ざり合い、床へと虚しく崩れ落ちていく。
けたたましい非常警報が鳴り響き、空中ドーム全体が地鳴りを立てて崩壊を始める中、シンは強化ガラスを力任せに粉砕し、中にいたエルを優しく抱き上げた。
エル「あぁ……シン、私のシン……。やっぱり、来てくれたのね」
全身を、不気味で美しい赤黒い錆に侵されたシンは、エルをその壊れかけた腕の中に強く、強く抱き、火の海となった実験室を蹴って屋上へと向かって駆け出した。
第四章: 残光の結晶抱擁
燃え盛る赤い夕陽が、崩壊を続ける空中ドームの最上層展望デッキを、まるで血の海のような色に染め上げていた。
周囲の防壁はすべて崩れ去り、遥か眼下には、灰色の塵に埋もれた荒廃した世界が、どこまでも虚無に広がっている。
シンの身体は、すでに九割以上が赤黒い結晶へと変異し、指先を動かすことすらできなくなっていた。
灰色の瞳の視界が、ゆっくりと、白濁した静寂に満たされていく。
シン「エル……もう、指先も、動かない……」
風が吹き抜ける展望デッキの傍らで、エルが、シンの結晶化した冷たい頬に、そっと自分の額を重ねる。
彼女の美しい深紅の瞳から、大粒の涙が溢れ落ちる。
その涙は、シンの結晶を侵す血を吸い続けた影響によって、毒々しく赤く染まっていた。
エル「置いていかないで、シン。あなたがいなくなったら、私はまた冷たい箱の中に戻ってしまう」
エルは、シンの腰に差されていた、血を吸って研ぎ澄まされたサバイバルナイフを、震える手で静かに引き抜く。
滅びゆく光のなか、自らの細い、薄い胸元へ、何の躊躇も見せずにその鋭利な刃を深く突き立てた。
シン「エル……お前, 何を……」
エル「私たちは、これで本当に一つになれるの」
彼女の引き裂かれた胸の奥から、溢れ出る鮮血と共に滑り出てきたのは、眩く、青白く光る、脈打つ「純粋な抗体の核」だった。
エルは、その自らの命そのものである光を、シンの結晶化した胸の隙間へと、狂おしい執念で深く押し込む。
流れ込むエルの体液と、命の残光のすべてが、シンの錆びついた身体の中へと、熱く激しく逆流していく。
ドクン。二人の狂った鼓動が、完全に一つに重なり合った。
眩い、赤と青の極彩色の閃光が、崩壊する最上層のすべてを優しく包み込む。
エルの身体が、シンの錆びた半身と、お互いの輪郭を溶かし合うようにして、急速に結晶化していく。
風に揺れていた白銀の長い髪が、夕陽を浴びて赤く輝く、この世で最も美しい鉱石の細工のように固定されていく。
シン「ああ……温かい。エル、お前の血が、俺の中で……生きてる……」
エル「永遠に、一緒よ……私の、シン……」
二人の肉体は、生と死、拒絶と依存の境界線を完全に越え、一つの、狂おしいほどに美しい鉱石像へと変化を遂げた。
激しく崩れ落ちていく空中ドームの瓦礫と火の海の中で、その抱擁を交わす像は、夕陽の残光を浴びて、赤く、青く輝き続ける。
滅びゆく無慈悲な世界の中で、二人は、誰にも引き裂かれることのない、永遠の静寂と、美しい「錆の抱擁」を手に入れたのだ。