第一章: 終わりの始まり
空は白く、ひたすらに白く焼け焦げていた。
沈まぬ太陽が放つ冷光。静寂に包まれた広場。
ドクン、ドクン、耳の奥で鳴り響く命のカウントダウン。
透き通るような銀糸の長い髪。冷たい風に煽られ、空を舞う。
虚ろなアメジストの瞳が映し出す、天空へそびえ立つ無慈悲な断頭台の刃。
コルセットできつく締め上げられた黒の重厚なベルベットドレス。鉛のように身体を重く引きずり下ろす。
前世の記憶。破滅のシナリオ。断頭の結末。
頭蓋の奥で火花が散る。世界の理がパズルのように噛み合った。
ああ、私は、ここで死ぬ運命の駒。
鼻腔を突き刺す、鉄と血の錆びた匂い。
一段、また一段。木の階段を踏みしめるたび、膝がガクガクと震え、吐き気が胃の腑から込み上げる。
視線の先、処刑台の特等席。
漆黒の短い髪。氷のように冷たい青の瞳。隙のない軍服調の漆黒のコートと銀の装飾品を身に纏う男。
義兄、アレクセイ・フォン・ローゼンベルク。
彼が右手を挙げれば、刃が落ちる。
アレクセイ・フォン・ローゼンベルク「最期の言葉はあるか、ルシリア」
足元の雪を凍らせる、低く威圧的な声。
ガチガチと鳴る奥歯を噛み締め、ドレスの裾を強く握りしめる。
生き延びる。這いつくばってでも。
膝を折り、冷たい石畳に身を投げ出した。
泥に汚れた雪が、ベルベットの裾を無惨に濡らしていく。
ルシリア・フォン・ローゼンベルク「……どうか、私を、生かして……」
這い寄り、彼の漆黒のブーツに両手を添える。
なめし革の微かな獣の匂い。
震える唇を、泥に塗れた冷たい革の甲に押し当てる。
♥チュッ。卑屈で恭しいリップノイズが静寂を切り裂いた。
「お兄様……私が我慢すれば、すべて丸く収まるのですね……?」
見上げたアメジストの瞳。そこから零れ落ちる一筋の雫。
アレクセイのブーツの先端が、微かに跳ねた。
冷徹なはずの青い瞳の奥。ドロドロとした暗い執着の炎が、ボワッと燃え上がる。
ドクンッ。
彼の手が伸び、乱れた銀糸の髪を鷲掴みにした。
アレクセイ・フォン・ローゼンベルク「……あぁ。お前は私の鳥籠の中だけで、永遠に鳴いていればいい」
その瞬間、ギロチンの刃よりも鋭利な絶望が、私の首に絡みついた。
◇◇◇
第二章: 甘美なる束縛

外界から遮断された魔法塔の最上階。
アレクセイの息が詰まるような重厚な扉から逃れ、すがるように縋った先。
くせのある金髪を指で弄り、黄金に光る瞳を細める男。
ゆるく着崩した白の魔術師のローブから覗く鎖骨。そこに刻まれた無数の幾何学的な魔力痕。
天才魔術師、セオドア。
セオドア「魔力回路がズタズタだねぇ。治してあげるよ……君の魂の形、もっと奥まで味わわせてよ」
冷たい石の祭壇に寝かされ、大きく開かれる黒のドレスの背中。
直接的な接触はない。
彼の指先が、肌から数ミリの距離を這うだけ。
だが、そこから放射される高密度の魔力。目に見えない無数の針となって皮膚を貫く。
♥ゾク、ゾクゾクッ。
跳ね上がる心臓。
「……ひ、ぁ……っ」
魔力回路の結節点である背中の窪みに熱が集まる。全身の神経が一気に沸騰した。
ルシリア・フォン・ローゼンベルク「いや、やめ……触ってないのに、熱い、です……っ!」
セオドア「ふふ、敏感だね。直接触るより、ずっと奥まで届くだろ?」
歪んだ三日月のように細められる、黄金の瞳。
指先が首筋から太腿の内側へ、触れないままゆっくりと滑り降りる。
じゅわっ。最奥の柔肉から、甘く粘つく熱が溶け出した。
シーツを握りしめる指の関節が白く染まる。
♥ビクッ、ビクンッ。背中が弓なりに反り返り、制御不能な痙攣が全身を支配する。
「あ……ぁぁ、ああっ……!」
密閉された空間。汗と蜜の混じった噎せ返るような匂いが充満していく。
魔力という名の透明な触手に内側から侵される。理性の防壁が音を立てて崩れ去った。
白く濁る視界。甘く痺れていく脳髄。
逃げ場など、最初からどこにもなかった。
◇◇◇
第三章: 血塗られた略奪

靴底が雪を噛む音だけが響く、漆黒の森。
背後にはアレクセイの狂気を孕んだ追跡者たち。
前方には魔力探知を広げるセオドアの冷たい気配。
息は上がり、喉の奥からせり上がってくる血の味。
国境の森。魔族領との境界線。
枯れ木に足を取られ、冷たい雪の上に崩れ落ちた。
ルシリア・フォン・ローゼンベルク「……どうして、誰も……っ」
味方だと思っていた者たちの、歪んだ所有欲。
見上げれば、月さえも雲に隠れた真の闇。
ルカ「そんな所で寝ていれば、凍え死ぬぞ、小鳥」
頭上から降ってきたのは、傲慢で甘い響き。
バサリと空気を裂いて舞い降りた影。
夜闇の中で不気味なほど鮮やかに揺れる、血のように赤い長髪。
夜闇に光る真紅の瞳。唇の端から覗く鋭い犬歯。
気怠げに纏う豪奢で退廃的な深紅の貴族服。漂う古い薔薇と鉄の匂い。
吸血鬼の末裔、ルカ。
ルカ「運命など噛み砕いてやる。俺の腕の中で泣け」
強引に腕を引かれ、分厚い胸板に縫い留められる。
抗う間もなく、冷たい指先が銀糸の髪をかき分けた。無防備な首筋を晒す。
「や、やめて……!」
♥プツン。
鋭利な痛みが走ったのは一瞬。
直後、首の動脈から血液が吸い上げられる。ズギュッ、というおぞましい音。
ルシリア・フォン・ローゼンベルク「あ、あぁっ……!」
しかし、痛みはすぐに致死量の快楽へと反転する。
吸血鬼の唾液に含まれる甘美なる毒。
全身の血流が逆流し、脳が真っ白に焼き切れる。
「……うっ、はあ……ぁっ……」
ガクガクと震える太腿。ルカの衣服を掴む手に力がこもらない。
生命力を奪われているのに、下腹部の奥底がキュンと収縮する。花弁から熱い雫がポタポタと雪に落ちた。
ルカ「いい味だ。お前の絶望、全部俺が飲み干してやる」
ぐにゃりと歪む視界。
助けに来ない世界への決定的な喪失感。
そして、抗えない絶対的な力の前に、私の心は底なしの深淵へと堕ちていく。
もう、どうなってもいい。
◇◇◇
第四章: 引き裂かれる魂

ドォォォォンッ!!
ルカの居城を揺るがす、轟音と閃光!
雪原はすでに、おびただしい鮮血と硝煙に染め上げられている。
アレクセイ・フォン・ローゼンベルク「返せ……! ルシリアは、私のものだ!!」
血に濡れたアレクセイの漆黒のコート。青い瞳は完全に狂気で濁りきっている。
彼の剣から放たれる斬撃。城の石壁を紙くずのように引き裂いた。
セオドア「君の魂は僕と繋がってるんだ! 他の誰かに汚されるなんて、許さない……!」
《空間断裂(ディメンション・イーター)》
暴風に舞うセオドアの白のローブ。黄金の瞳から流れる血の涙。
無数の魔法陣が天空を覆い尽くし、世界そのものを歪めていく。
ルカ「身の程を知れ、虫ケラども。彼女の血も肉も、俺の永遠の伴侶だ!」
真紅の貴族服を翻し、ルカが闇の波動を放つ。
三つの圧倒的な力が激突。悲鳴を上げて引き裂かれる大気。
バルコニーからその地獄絵図を見下ろす。
引き裂かれた黒のベルベットドレス。乱れた銀の髪。首筋には無数の赤い痕。
鼻を突くのは、血と焦げた肉の匂い。
彼らは血を吐き、肉を削ぎ落としながら、ひたすらに私へと手を伸ばす。
ガクガクと膝が震え、冷たい石床にへたり込んだ。
……ああ、そうか。
私は、破滅の運命から逃れたのではない。
私が無抵抗に彼らの欲望を受け入れたこと。それが彼らの狂気に火をつけ、世界を壊す劇薬となってしまったのだ。
この凄惨な奪い合いの元凶は、他でもない、私自身。
◇◇◇
第五章: 永遠の箱庭
ルシリア・フォン・ローゼンベルク「……もう、終わりにしましょう」
喉の奥から絞り出した、ひどく静かな声。
ドレスの破れ目から、自らの爪を立てる。標的は魔力回路の結節点。
肉を裂き、命の核へと直接アクセスする。
私の命を触媒にして、すべてを無に還す。
それが、彼らを狂わせてしまった私の、最後の贖罪。
《魂の解放(アブソリュート・ゼロ)》
ドォン、という音すらなかった。
ただ、夜明けの海のように美しく、切なく降り注ぐ光の奔流。世界を白く染め上げていく。
冷たかった雪原に舞う、温かい光の粒。潮騒のような優しい匂い。
アレクセイ・フォン・ローゼンベルク「ルシリア……!」
セオドア「……君と、ひとつに」
ルカ「逃がすか……俺の、花嫁」
トクン。
三人の男たちは、迫り来る消滅の光から逃げるどころか、己の武器を捨てた。
命も、誇りも、世界さえも放り投げる。ただ一人の女を抱きしめるためだけに、光の波へと身を投じた。
圧倒的な光の中、激しく衝突する四つの身体。
アレクセイの太い腕が腰を抱き寄せ。
セオドアの魔力が魂の奥底まで絡みつき。
ルカの牙が、最後の口づけのように首筋に突き立てられる。
♥熱く、痛く、苦しい。
そして、脳髄が溶け落ちるほど、甘い。
「……あ、ぁ……みんな……」
四人の肉体が境界線を失う。ドロドロの一つの塊へと融解していく。
現実世界から完全に隔離された、美しい精神の箱庭。
永遠に夜が明けることのない、純白の空間。
誰にも見つけられることのない深淵で、私たちの魂は永遠に交わる。溶け合い、果てることなく喰らい合う。
深く清冽で、ひどく歪んだ共依存。
これこそが、私たちが辿り着いた、最も甘美なる大団円。