第一章: 星の逆流と硝子の涙
ガラスのようにひび割れた夜空。
破片の隙間から、無数の光の筋が天へと昇っていく。
無造作に伸びた黒髪を撫でる、冷たい夜風。
オリーブ色の着古したモッズコートの襟を立て、蒼井理人――アオイは、澄んだアンバーの瞳でその異常な空を静かに見上げていた。
首から下げた真鍮製の古いフィルムカメラ。
ひんやりとした金属のダイヤルを、指先が無意識になぞる。
地表に向かって落ちるはずの流星群。それが、重力を無視して宇宙へと逆流している。
[Flash]パァン![/Flash]
空が弾けるような閃光。
錆びついた鉄の匂いが鼻を突く廃線跡、星凪駅のプラットホーム。
そこに、一人の少女が立っていた。
星屑の逆流を背景にふわりと舞う、銀色がかった白い長髪。
光を乱反射する、薄絹の白いワンピース。
吸い込まれるような深い青い瞳が、まっすぐにアオイを捉えていた。
[A:白雪 結衣(シラユキ):驚き]「あ……」[/A]
震える可憐な唇。
初対面の俺に。とめどなく溢れ出す、大粒の涙。
コンクリートを蹴る乾いた音。
彼女は一直線に駆け寄り、狂おしいほどの勢いでアオイの胸に飛び込んできた。
[Sensual]
華奢な腕が、アオイの背中へ強く回される。
モッズコート越しでもはっきりとわかる、熱を帯びた柔らかな体の震え。
首筋に押し当てられた彼女の顔。微かに香る、甘い金平糖のような匂い。
肌に直接焼きつくような、熱い涙の温度。
[Tremble]不快なほどに鼓動が跳ね上がる。[/Tremble]
アオイは呼吸を忘れ、どこへ持っていくべきか迷った両手を、宙で無様に彷徨わせた。
[A:白雪 結衣(シラユキ):愛情]「約束通り、笑顔でお別れだね。愛してる」[/A]
[/Sensual]
鼓膜を震わせる、[Whisper]透き通るような甘いささやき[/Whisper]。
だが、その言葉の奥に潜むのは底知れぬ空洞。
アオイの心臓が、けたたましく警鐘を鳴らす。
出会ったばかりのこの少女。なぜ『別れ』を告げているのか。
疑問を口にする暇など与えられない。
彼女の輪郭が淡い光に包まれ、夜風に溶けるように揺らめき始めた。
第二章: 交差する時間の残酷な真実
翌日。
再び訪れた星凪駅で、アオイは息を呑む。
昨夜と同じ場所。同じ白いワンピース姿の彼女が、レールの錆を見つめていた。
だが、アオイの足音に振り返った彼女の青い瞳。そこに、昨夜の熱は一切ない。
[A:白雪 結衣(シラユキ):驚き]「あの、誰ですか?」[/A]
微かに寄せられる眉間。
まるで不審者を見るように、警戒を露わにして半歩下がる。
喉の奥がカラカラに乾ききった。
アオイの口から出かけた言葉は、無惨にも虚空に溶けて消える。
彼女は、昨日のできごとを何一つ覚えていない。
◇◇◇
[A:灰原 明(アキラ):冷静]「観測結果は、残酷なほどに正直だ」[/A]
廃ビルの屋上。
冷たいコンクリートの床に直置きされたモニター群が、青白い光を放つ。
チタンフレームの眼鏡を押し上げながら、灰原明――アキラは淡々と告げた。
短く刈り揃えられた銀髪、黒のハイネックセーター。
鋭い三白眼の黒目が、画面の奇妙な波形を睨みつけている。
淹れたての紅茶から立ち昇る渋い香り。密室の淀んだ空気を、僅かに紛らわせる。
[A:蒼井 理人(アオイ):絶望]「……どういうことだよ、アキラ。彼女は俺を知らなかった」[/A]
[A:灰原 明(アキラ):冷静]「時間のベクトルが逆を向いているんだよ。お前が『明日』へ進むのに対し、彼女は『昨日』へと逆行している」[/A]
[Impact]脳天をハンマーで殴り砕かれたような衝撃。[/Impact]
アキラの言葉が、アオイの思考をぐちゃぐちゃに掻き回す。
[A:灰原 明(アキラ):冷静]「つまり、お前が彼女に出会った最初の夜。あれは彼女にとって……」[/A]
[A:灰原 明(アキラ):悲しみ]「お前と過ごした日々を経た後の、『最後のお別れの日』だったというわけだ」[/A]
[Think]俺たちの時間は、決して重ならない?[/Think]
どんなに思い出を作ろうと。明日になれば、彼女の記憶から今日の俺は消え去っている。
足元から床が崩れ落ちるような、底なしの絶望感。
アオイは己の膝を強く握りしめる。関節が白く浮き出るほどに。
第三章: 奇跡の十五日目と絶望の宣告
交差する時間の真ん中。十五日目。
お互いの記憶が唯一重なり合い、矛盾なく愛し合える奇跡の特異点。
アスファルトが雨に濡れた、夕立の匂い。
空と街の境界を真っ赤に染め上げる夕焼けを背に、二人は屋上の給水塔の影に身を寄せていた。
夕日を反射し、黄金色に輝くシラユキの銀髪。
彼女の青い瞳が、アオイの輪郭を狂おしいほど愛おしそうになぞる。
[Sensual]
[A:白雪 結衣(シラユキ):愛情]「時間は戻らないけど、心はずっとここにあるよ」[/A]
そっと伸ばされた彼女の冷たい指先。頬を撫でる、氷のような感触。
焦燥感に駆られ、アオイは彼女の手をひったくるように握りしめる。
自分の唇を、その手の甲に噛みつくように押し当てた。
脈打つ命の鼓動。
引き寄せ合う抗えない引力。
お互いの吐息が、ねっとりと混ざり合う。
貪るように触れ合った唇から、夕立の湿気と血が滲むほど甘い涙の味がした。
[/Sensual]
[Pulse]ドクン、ドクン。[/Pulse]
時間がこのまま止まればいい。
そんな切実な願いを嘲笑うかのように。アオイのポケットの通信機が、無機質な電子音を鳴らす。
[System]解析完了。生体時間軸の致命的エラーを検出。[/System]
[A:灰原 明(アキラ):絶望]「……アオイ、聞け。彼女の逆行の理由が判明した」[/A]
アキラの声は、ひどく掠れきっていた。
論理を重んじる彼らしからぬ、[Tremble]微かな震え[/Tremble]。
[A:灰原 明(アキラ):悲しみ]「彼女は元々、同じ順行時間の住人だ。過去の凄惨な事故で死ぬはずだったお前を救うため、自ら『時間の逆行』という代償を背負ったんだよ」[/A]
全身の血液が一気に逆流するような感覚。
アオイの視界が[Blur]ぐにゃりと歪む[/Blur]。
[A:灰原 明(アキラ):絶望]「彼女の時間が遡り切り、事故当日の『0日目』を迎えれば……彼女は世界から完全に消滅する。例外はない」[/A]
隣で優しく微笑む、シラユキの顔。
彼女は、最初からすべてを知っていたのだ。
自分を救うためだけに。たった一人で世界から消えゆく恐怖を抱えながら、あんなにも美しく笑っていたのか。
[Shout]ふざけるなッ![/Shout]
喉の奥から込み上げる慟哭。アオイは血の味がするほど唇を噛みちぎり、無理やり飲み込んだ。
第四章: 巻き戻る記憶と光のフィルム
時間は進む。残酷なほど規則正しく。
十六日、十七日……。
シラユキは、アオイを知らない過去の姿へと急速に退行していく。
[A:白雪 結衣(シラユキ):恐怖]「近づかないで! 誰ですか、あなた!」[/A]
向けられる怯えた眼差し。
鋭利なナイフで心臓を滅多刺しにされるような激痛。
[A:蒼井 理人(アオイ):悲しみ]「俺だよ、シラユキ……。忘れたのか……」[/A]
伸ばした手は、空を切るだけ。
彼女の瞳に映るのは、不審者に向ける底冷えするような光。
暗室。ツンと鼻を刺す酢酸の匂い。
赤い安全灯の下、アオイは狂ったように現像液のバットを揺らし続けていた。
皮が剥け、薬品と血で黒く染まった爪先。
[Think]自分の命を軽視してきた罰? 違う、こんな生温い絶望で終わらせてたまるか。[/Think]
彼女がどれほどの孤独に耐え、己を犠牲にして俺を救おうとしたか。
ならば、今度は俺が代償を支払う番。
[A:灰原 明(アキラ):怒り]「馬鹿な真似はやめろ! 自分の存在をフィルムに定着させて特異点を歪めるなど、自殺行為だぞ!」[/A]
通信機越しに飛んでくる、アキラの悲痛な怒号。
[A:蒼井 理人(アオイ):冷静]「アキラ……俺の存在が消えても、彼女が生きる『明日』を作りたいんだ。シャッターを切る瞬間だけは、永遠なんだから」[/A]
[A:灰原 明(アキラ):悲しみ]「……お前という奴は、本当に……」[/A]
現像液の中から、一枚の『光のフィルム』が浮かび上がる。
アオイ自身の時間と記憶を極限まで圧縮した、世界を書き換えるための鍵。
残された時間は、あとわずか。
彼女にとっての「事故の日」が、すぐそこまで口を開けて迫っていた。
第五章: シャッターを切る瞬間だけは、永遠なんだ
世界が崩壊する音。
0日目。凄惨な事故の瞬間。
交差点の中央。猛スピードで突っ込んでくる、巨大なトラックの鉄塊。
空間が[Glitch]ノイズ混じりのバグ[/Glitch]のようにひび割れ、圧倒的な光の奔流が全てを飲み込もうと渦を巻く。
[A:白雪 結衣(シラユキ):絶望]「ダメッ! アオイ君、逃げて!」[/A]
記憶を持たないはずの彼女。
本能だけでアオイを庇おうと、無防備に飛び出してくる。
だが、アオイは口角を上げた。
その小さな体を、力の限りに突き飛ばす。安全な歩道へと。
[A:白雪 結衣(シラユキ):驚き]「え……?」[/A]
宙を舞うシラユキの体。すべてがスローモーションのように感じられる。
アオイは、首から下げた真鍮製のカメラを構えた。
装填されているのは、己の存在を代償にして精製した光のフィルム。
[Magic]《クロノス・リヴァーサル》[/Magic]
[A:蒼井 理人(アオイ):愛情]「君の『昨日』に、さよならだ」[/A]
[Flash]カシャッ![/Flash]
シャッターを切った瞬間。ファインダー越しの世界が、完全に反転する。
強烈な光がアオイの体を焼き尽くし、五感が純白に染め上げられていく。
[Blur]視界が、記憶が、意識が。[/Blur]
すべてが白く焼き切れていく。
だが、胸の奥底で狂おしいほどに輝くのは、彼女が生きる『明日』という極彩色の希望。
◇◇◇
数年後の春。
アスファルトから立ち昇る、微かな夕立の匂い。
満開の桜並木を吹き抜ける風が、花びらを淡い雪のように舞い散らせる。
「……いい光だ」
黒髪の青年。オリーブ色のモッズコートのポケットから手を出し、首から下げた真鍮製のカメラを構える。
名前以外の記憶を持たない彼。だが、なぜか風景を撮ることだけは止められなかった。
まるで、永遠に失われた大切な何かを探し求めているかのように。
ファインダーを覗き込み、ピントリングを回す。
ぼやけた視界がクリアになった瞬間。
レンズの向こう側、桜のアーチの下に、一人の女性が飛び込んできた。
風に揺れる、銀色がかった白い長髪。
吸い込まれるような、深い青い瞳。
[A:白雪 結衣(シラユキ):驚き]「あ……」[/A]
交差する視線。
お互いの名前も、共に過ごした時間も、何もかもが白紙のはずなのに。
青年のアンバーの瞳から、ツーッと一筋の涙が零れ落ちる。
[Tremble]心臓が、内側から破裂しそうなほどに暴れ回る。[/Tremble]
探していた。ずっと、ずっと、この人を。
彼女もまた両手で口元を覆い、大粒の涙を溢れさせていた。
理由なんてわからない。
ただ、春の夕暮れの中。確かな温もりだけが、二人の間を繋ぐように満ちていく。
[FadeIn]
[A:蒼井 理人(アオイ):喜び]「……やっと、見つけた」[/A]
[/FadeIn]
涙で滲む視界。
彼はもう一度、その愛おしい姿へ向けて、静かにシャッターを切った。
永遠を、確かに刻みつけるために。