第一章: 硝子の雨と青の残響
鉛色の雨が、容赦なくネオンの残骸を叩きつける。
雨の重みを吸い込んだ黒のトレンチコートが、レイの肩に重くのしかかっていた。深く被った帽子のつばで、闇夜を穿つ義眼の赤い光を塞ぐ。濡れた無精髭から滴る雫を数えながら、彼の三白眼は路地裏に広がる血溜まりだけを見下ろしていた。
血と、雨に溶けた硝酸のひどく鼻を衝く匂い。
足元の男の瞳孔は、すでに虚空を見つめている。レイの放った弾丸は、寸分の狂いもなく標的の延髄を貫き、確実な死をもたらしていた。
血溜まりの縁。点滅する紫色のネオンに照らされ、そこだけが異様な生命力を放つ。
一輪の、青い花。
ネオ・レインの最下層処理区画に、植物など育つはずがない。しゃがみ込んだレイは、分厚い革手袋越しにその細い茎に触れる。
微かな泥の匂いが、鼻腔の奥をくすぐった。
崩れかけたコンクリートの隙間に、ぽつり、ぽつりと青い花弁が落ちている。
弾痕だらけの壁を抜け、廃棄パイプの入り組んだ地下道へ。
[A:レイ:冷静]「ノイズは消す。それが俺の仕事だ」[/A]
低く、感情の起伏を削ぎ落とした声が暗がりに響く。自らに言い聞かせるように呟き、彼は暗闇の奥へ歩みを進めた。
重い鉄扉を押し開ける。
[Flash]圧倒的な光[/Flash]が、網膜を灼く。
むせ返るような緑の匂い。錆びた骨組みの間に張り巡らされた白熱灯が、人工の昼間を作り出している。
その中央に、彼女はいた。
陽光を弾くような色素の薄い銀髪。裾が擦り切れた白と水色のワンピース。
振り返る瞳は、古い硝子玉のように透き通っている。
[A:シアン:驚き]「あなたは……」[/A]
花に水をやっていた手が止まった。
彼女の穏やかで、どこか消え入りそうな声が鼓膜を震わせた瞬間。
[Pulse]ドクン。[/Pulse]
レイの義眼の奥で、激しいスパークが弾ける。
[Glitch]青、果てしなく広がる、圧倒的な青。[/Glitch]
見たこともない広大な空の情景が、脳髄を焼き切るように駆け巡る。無機質なはずの胸の奥で、鋭い刃をねじ込まれたような激痛が走った。
[Shout]ぐあぁっ![/Shout]
レイは膝から崩れ落ち、胸元を強く掻き毟る。息が詰まり、視野が激しく明滅した。
[A:シアン:悲しみ]「大丈夫ですか……?」[/A]
冷たい指先が、レイの頬に触れる。その指先から伝わる微かな震え。
錆びついた歯車が、致命的な音を立てて狂い始めた瞬間。

第二章: 偽物の太陽、本物の泥
錆びたパイプから水滴が落ちる。
地下温室の片隅。レイは処理屋としての任務を放棄し、壁に背を預けていた。
[A:レイ:冷静]「お前は、統制局の管理外だ。なぜここにいる」[/A]
[A:シアン:愛情]「ふふ、そうですね。でも、ここにはこんなに沢山の命があるんですよ」[/A]
シアンは微笑み、土にまみれた手で小さな双葉を指差した。
彼女の淹れるブラックコーヒー。欠けたマグカップを口に運ぶ。ひどく焦げた豆の苦味が舌の上に広がり、不器用な温もりが喉の奥へ落ちていく。
静かにカップを置くレイ。義眼の奥底で、冷たく張り詰めていた氷が、一滴ずつ融けていくような錯覚。
[A:シアン:照れ]「いつか、本物の青空を一緒に見ましょうね」[/A]
かすれた声。彼女は古い紙の本を胸に抱き、人工灯の光を眩しそうに見上げる。
その横顔はひどく透き通っていて、今にも空気に溶けて消えてしまいそうだ。
クローン特有の細胞崩壊。彼女の命の砂時計は、すでに最後の数粒を残すのみ。
[Think]俺は、何を……[/Think]
レイの懐には、感情抑制剤の冷たいアンプルが眠っている。投与の時間だ。
だが、指が動かない。
[Tremble]カチャン、と微かな音が鳴る。[/Tremble]
突然、シアンの体が糸の切れた人形のように傾いた。
[A:レイ:驚き]「シアン!」[/A]
床に倒れ込み、彼女はひどくむせる。白いワンピースの袖口に、生々しい赤が滲んだ。
抱き起した彼女の体は恐ろしいほどに軽く、そして冷たかった。
抑制剤を打つべき手で、レイはただその細い肩を強く抱きしめる。
[System]警告。生体反応、急激な低下を検知。[/System]
無機質なアナウンスが温室に響く中、鉄扉の向こうから、規則正しい、軍靴の足音が近づいてくる。
整然とした、死神の足音。

第三章: 記憶の暴走と錆びた真実
鉄扉が吹き飛ぶ。
硝煙の向こうから現れたのは、銀色の防刃スーツに身を包んだ男。整然と撫で付けられた金髪に、氷のように冷たい碧眼がレイを射抜いた。
[A:グレイ:冷静]「感情というバグが、あなたを壊すのですよ、レイ」[/A]
慇懃無礼な声が、温室の静寂を切り裂く。
ネオ・レイン中央統制局の治安維持官、グレイ。彼の背後には、重武装の粛清部隊が銃口を並べている。
[A:グレイ:狂気]「排除を推奨します。その出来損ないのクローンごと」[/A]
レイは懐から感情抑制剤のアンプルを取り出した。
喉仏が上下する。そして、そのままコンクリートの床に叩きつけた。
[Impact]パキンッ![/Impact]
ガラスが砕け、透明な液体が泥に吸い込まれていく。
その瞬間、せき止められていたダムが決壊した。
[Flash]脳髄を劈く、鮮烈な記憶の奔流。[/Flash]
炎に包まれた街。システムへの反逆。血の海に倒れる、シアンと全く同じ顔をした女。彼女を救えなかった無力と、引き裂かれるような痛み。
すべてを思い出す。己がかつて人間であり、システムに敗北し、記憶を奪われた抜け殻であることを。
喉の奥から、獣のような声が漏れた。
[A:シアン:悲しみ]「お願い、逃げて……!」[/A]
シアンがレイのコートの裾を掴む。その瞳から大粒の雫がこぼれ落ちる。
[A:シアン:絶望]「私は、ただの身代わり……。本当に愛される資格なんて、ないの……っ。だから私を置いていってくれますか……」[/A]
[A:レイ:怒り]「違う!」[/A]
レイの叫びが、温室を震わせた。
[Impact]お前は、お前だ![/Impact]
銃を抜く。愛した記憶と、作られた偽物。その狭間で引き裂かれそうになる胸の痛みが、今の彼を突き動かしている。
錆びついていた心臓が、熱い血を全身へ送り出した。
[A:レイ:興奮]「死にたくねぇなら、そこをどけぇぇっ!!」[/A]
凄絶な殺気と共に、レイは引き金を絞る。銃口から火線が迸り、硝子細工の空を粉々に打ち砕いた。

第四章: 制御ドームの死闘
[Sensual]
螺旋階段を駆け上がる。最上層にある巨大な環境制御ドームへ向けて。
レイの片腕の中には、息も絶え絶えのシアン。彼女の体が発する微かな熱だけが、暗闇の中で唯一の道標となっていた。
激しい息遣いが交差する。頬と頬が触れ合う距離。彼女の甘い体臭と、血の鉄の匂いが濃密に混ざり合い、レイの理性を焼き尽くすように焦がしていった。
[/Sensual]
背後から迫る、鋭い風切り音。
[A:グレイ:怒り]「狂気ですね。完璧な秩序こそが人類の救済だというのに!」[/A]
グレイの放つプラズマブレードが、レイのトレンチコートを切り裂く。
焼け焦げた肉の匂いが鼻腔を突いた。
レイはシアンを安全な瓦礫の陰に降ろし、身を翻す。
[A:レイ:狂気]「秩序だと……? 笑わせるな」[/A]
銃弾の雨。火花が飛び散り、冷たい鋼鉄の壁を穿つ。
グレイの超高速の刺突を、レイは義眼の演算能力で辛うじて躱す。だが、その肩口を刃が深々と抉った。
鮮血が舞う。
[A:グレイ:冷静]「あなたは救われない。過去の亡霊に囚われたまま死ぬのです」[/A]
[A:レイ:怒り]「亡霊に囚われてるのは、てめぇの方だろ、グレイ!!」[/A]
[Shout]俺の心は、俺だけのものだ!![/Shout]
捨て身の特攻。レイは刃を素手で掴み止め、もう片方の手でグレイの胸板に銃口を押し当てる。
[Impact]ズドンッ!![/Impact]
くぐもった破裂音。グレイの美しい防刃スーツが弾け、彼がゆっくりと崩れ落ちた。
氷の碧眼が、最期に何かを懇願するように揺れる。
だが、勝利の余韻は一瞬で消え去った。
[A:シアン:悲しみ]「……レイ」[/A]
振り返る。流れ弾を浴びたシアンの白いワンピースが、どす黒く染まっていた。
[Blur]視界が歪む。[/Blur]
レイは這うように彼女の元へ駆け寄り、血まみれの身体を抱き起す。
ただ一歩ずつ、重い足を引きずり、ドームの頂上へと続く最後の階段を上り始めた。

第五章: 硝子細工の空
分厚い制御ガラスに覆われた、ドームの最上層。
そこは、世界の天井。
レイの腕の中で、シアンの鼓動はすでに消えかかっている。
[A:シアン:愛情]「あたたかい……ですね」[/A]
彼女の冷え切った指が、レイの無精髭の生えた頬を撫でる。
無言のまま、レイはコートの裏から最後の手榴弾を引き抜いた。
ピンを歯で噛み抜き、制御ガラスへ向けて放る。
[Flash]轟音。そして、世界が割れた。[/Flash]
幾重にも連なる分厚い雲と鋼鉄の天井が粉砕され、そこから何十年ぶりかの光が滝のように降り注ぐ。
本物の、朝陽。
黄金色の光が、無機質な都市の瓦礫を優しく包み込む。頬を撫でる風には、雨上がりの澄んだ匂いが混じっていた。
[A:シアン:喜び]「綺麗な、空……」[/A]
[FadeIn]硝子玉のような瞳に、果てしない青が映り込む。[/FadeIn]
シアンの唇に、儚く美しい微笑みが浮かぶ。
そして、彼女を繋ぎ止めていた細い糸が、ふつりと切れた。
指先がレイの頬から滑り落ち、冷たい床に音を立ててぶつかる。
[A:レイ:悲しみ]「……あぁ」[/A]
喉の奥から、獣のような嗚咽が漏れた。
冷たくなったシアンの身体を、レイはきつく抱きしめる。
世界は何一つ変わらない。ネオ・レインの街は、相変わらず無機質な機械の音を立てて呼吸し続けている。
ただ、レイの義眼ではない本物の瞳から、一筋の雫がこぼれ落ちた。
陽光を反射してきらめくその雫だけが、彼が取り戻した人間性の、確かな証明として輝いていた。