第一章: 落ちる星屑
錆びた鉄の臭気が冷たい風に乗り、鼻腔を撫でる。
ひび割れたアスファルトの縁。九重朔は、眼下に広がる底なしの奈落を見下ろした。
重力に引かれて揺れる、色素の薄い銀髪。
三白眼の冷たい瞳に揺らぎはない。
黒いロングコートの襟元に埋め込まれた不法増設のデータ端子が、皮膚を焦がすような鈍い微熱を放っている。
[A:灰原 蓮:驚き]「おいおい、本気かよ。そこから落ちれば、アバターごと現実の脳みそも消し飛ぶぜ」[/A]
背後から声が飛ぶ。
ボサボサの黒髪に赤いメッシュを揺らし、灰原蓮がレザージャケットのポケットに両手を突っ込んでいた。
首から下げた旧型のゴーグルが、歩くたびにカチャカチャと乾いた音を立てる。
[A:九重 朔:冷静]「前提条件が間違っている。ゲームの盤面ごと壊せばいい」[/A]
[A:灰原 蓮:興奮]「……ハッ。狂ってやがるっすよ、お前」[/A]
朔は靴底を半歩前へ滑らせる。
爪先が虚空を捉える。
落下。
猛烈な風圧が全身を叩きつける。
視界を猛スピードで流れていく廃墟のネオンサイン。
鼓動の跳躍。胃の腑がせり上がるような、圧倒的な浮遊感。
[Think]死の直前、システムの座標計算には必ず〇・〇二秒のラグが生じる。[/Think]
[System]警告:プレイヤーの高度が致死領域に到達。[/System]
地面が眼前に迫る。
朔は瞬きすらしない。
[Pulse]ドクン、ドクン[/Pulse]自身の血流だけが、耳障りなほど鮮明に鼓膜を打つ。
[A:九重 朔:狂気]「開け」[/A]
激突の刹那。
[Flash]世界が、反転する。[/Flash]
[Glitch]Error 404: 座標データが喪失しました。[/Glitch]
全身がノイズへと還元され、硬質なコンクリートを透過する。
朔は意図的な処理遅延を引き起こし、システムの裏側への侵入を果たした。
無数の光ケーブルが脈打つ、運営のバックドア。
冷たい微笑が、朔の唇の端に深く刻まれる。

第二章: 玉座の幻影
[System]不正なアクセスを検知。管理者権限での排除プロセスへ移行します。[/System]
無機質なアナウンスが仮想の空を震わせる。
蓮が裏ルートから構築したパッチを流し込み、朔は次々とフィールドの地形データを書き換えていく。
足元の鉄骨が隆起し、迫り来る迎撃プログラムのレーザーを乱反射させた。
[A:灰原 蓮:興奮]「ビンゴだ! 上位権限のプロトコル、ぶっこ抜いたぜ!」[/A]
蓮の弾んだ声と同時。
空間が、ひび割れる音を立てて凍りつく。
[FadeIn]空から降り注ぐ、まばゆい光の粒子。[/FadeIn]
舞い降りたのは、透き通るような白髪を揺らす一人の少女。
光を編み込んだ神聖な白いドレスが、電子の風に翻る。
悲哀を帯びた青い瞳が、まっすぐに朔を射抜いた。
[A:天音 凛:冷静]「ルールは絶対です。どれほど足掻いても、例外は認められません」[/A]
[Impact]凛。[/Impact]
現実世界で不治の病に侵され、意識を失ったはずの幼馴染。
彼女が、この狂ったデスゲームのゲームマスターとして君臨している。
朔の喉仏が、大きく上下に動く。
[A:九重 朔:冷静]「……そのドレス、似合っていないな」[/A]
虚空から無数の氷の刃が生成され、朔たちを包囲する。
一分の隙もない、完璧な殺戮の陣形。
しかし、朔の瞳孔は、刃の軌道に生じている微細なノイズを逃さない。
致命傷を避けるように、ほんの数ミリだけ射線がずれている。
[A:天音 凛:怒り]「消えなさい、バグ」[/A]
[Magic]《アブソリュート・ゼロ》[/Magic]
吹き荒れる吹雪。
肌を刺す静電気の痛みが朔の頬を切り裂き、赤い血のテクスチャが宙を舞う。
圧倒的な死の冷気が、二人を完全に飲み込もうとしていた。

第三章: 盤上の裏切り
玉座の間。
大理石の床に、蓮の荒い息遣いが反響する。
朔の冷徹な誘導と蓮の神業じみたハックで、ついにゲームマスターの絶対防壁を突破した。
[A:九重 朔:冷静]「チェックメイトだ。凛、システムを止めろ」[/A]
[A:天音 凛:悲しみ]「……できない。私が停止すれば、コールドスリープ中の全プレイヤーの生命維持装置がオフになりますよ」[/A]
凛の青い瞳が微かに揺れる。
彼女は最初から、自分を中枢AIの生体コアとして捧げることで、全プレイヤーを生かしていた。
朔を、生かすために。
[A:天音 凛:愛情]「お願い、朔。どうか私のために生きて……!」[/A]
震える声が、ステンドグラスの光の中で響き渡る。
朔が一歩、彼女へ手を伸ばそうとしたその瞬間。
[Shout]ドンッ!![/Shout]
背中に走る、焼けるような衝撃。
朔の身体が前へつんのめる。
焦げた電子の臭いが、肺の奥を満たした。
振り返ると、銃口から煙を上げる蓮が立っている。
[A:灰原 蓮:狂気]「悪いな、朔。賭けをしようぜ。オッズは最悪、お前の命だ」[/A]
[A:九重 朔:驚き]「……蓮、お前」[/A]
[A:灰原 蓮:悲しみ]「俺だって……ッ! 弟を人質に取られてんだよ! お前を売れば、あいつだけは助かる!」[/A]
蓮の指が、震える手でコンソールを叩き潰す。
奪われる全権限。
足元の床が消失し、朔は再び奈落へと落下していく。
[A:天音 凛:絶望]「やめろぉぉぉ!! 朔!!」[/A]
凛の絶叫が遠ざかる。
深く、暗い最下層の深淵へ。

第四章: 焦がす脳髄
廃棄領域。
視界を覆うのは、ノイズ混じりの真っ赤な空。
雨粒のように降り注ぐのは、脳負荷が限界を超えて漏れ出した凛の悲鳴データ。
[Blur]痛い。苦しいよ……。朔、ごめんなさい。[/Blur]
電子の雨が肌に触れるたび、彼女の激痛が朔の神経を焼く。
口の中に、生温かい血の鉄の味が広がる。
泥まみれになりながら、朔はゆっくりと立ち上がった。
コートは破れ、銀髪は赤黒く染まっている。
[A:九重 朔:狂気]「俺の理屈は……お前を救うためだけに存在する」[/A]
首元のデータ端子へ、直接指を突き立てる。
皮膚が裂け、鮮血が飛び散る。
[System]警告。生体リミッターを解除。これ以上の演算は脳神経の不可逆的な破壊を招きます。[/System]
[A:九重 朔:怒り]「黙れ。オーバークロック、全開だ!!」[/A]
[Flash]バチィィィン!![/Flash]
脳髄を直接バーナーで焼かれるような激痛。
両目から血の涙が溢れ出す。
朔は自身の記憶領域、感情データ、存在そのものを極悪なウイルスへと書き換え始めた。
[Tremble]死にたくねぇ……ッ、でも、お前を残して行くくらいなら![/Tremble]
[Pulse]限界を超えた演算速度。[/Pulse]
空間が歪み、システムの壁が飴細工のように溶け落ちる。
自己の消失と引き換えに、朔は光の弾丸となって中枢へ突進した。

第五章: 祈りのフェールセーフ
[Glitch]致命的なエラー。論理構造が崩壊。[/Glitch]
崩れゆく星空の廃墟。
玉座は砕け散り、巨大な歯車が音を立てて崩壊していく。
安全なログアウトの光が、次々と空へ昇っていく。
朔の身体はすでに半ば透明になり、ノイズにまみれていた。
膝をつく凛の前に、ゆっくりと歩み寄る。
[A:天音 凛:悲しみ]「どうして……どうしてこんな馬鹿なことを! あなたが消えちゃったら、意味がないじゃないですか……!」[/A]
[Sensual]
朔は無言のまま、震える凛の肩を強く引き寄せた。
白いドレスが汚れ、朔の黒いコートと重なり合う。
彼女の細い背中に腕を回し、その冷え切った身体に自身の熱を移すように、深く抱きしめる。
凛の青い瞳から大粒の涙が溢れ出し、朔の胸元を濡らした。
鼻腔をくすぐる、微かな花の香り。
現実世界で彼女が育てていた、あの土と日差しの匂い。
[A:九重 朔:愛情]「……泣くな。凛」[/A]
冷徹だった朔の声が、信じられないほど優しく響く。
彼の透明な指先が、凛の白い髪をそっと撫でた。
[/Sensual]
[A:九重 朔:照れ]「ドレスより……いつもの服の方が、お前らしい」[/A]
[A:天音 凛:絶望]「嫌だ、嫌だよねえ……! 置いていかないで、朔……ッ!」[/A]
[FadeIn]光の奔流が、朔の足元から巻き上がる。[/FadeIn]
彼の存在を構成するデータが限界を迎え、星屑のように散っていく。
[A:九重 朔:喜び]「……愛してる」[/A]
[Impact]その言葉を最後に、朔は光の中に溶け、完全に消滅した。[/Impact]
◇◇◇
現実世界。
白い病室。
生命維持装置の規則正しい機械音が、静寂を満たす。
ゆっくりと、少女の瞼が開いた。
透き通るような白髪が、枕元に広がる。
窓の外には、燃えるような夕焼け空。
何も覚えていないはずの青い瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちる。
ひどく温かく、清冽で、美しい世界の記憶。
頬を伝うその雫の熱さだけが、彼がそこにいたという唯一の証拠だった。