第一章: 灰色の世界と群青の瞳
容赦のない土砂降りが、アスファルトを乱暴に叩きつける。季節感を無視した緩めの無地ニット。凍りつくような雨粒の冷たさが布地を侵食する。くたびれたチノパンの裾は泥水を含み、足枷のように重い。色素の薄い無造作な黒髪から雫を垂らし、疲労の濃い三白眼で、黒崎湊は荒れる海をただ見下ろす。
網膜に映る景色は、すべてが均一な鉛色。都会で摩耗し、心を軋ませた代償。湊の視界から「色彩」が抜け落ちて、もう随分と経つ。雨の匂いに混じる微かな潮風のベタつき。それだけが、ここが故郷の星波町であることを辛うじて証明していた。
[Pulse]ドクン、ドクン[/Pulse]
こめかみの奥で、不快な耳鳴りが脈打つ。厚い雨雲の切れ間から、狂ったような陽光が不意に差し込む。強烈な天気雨。太陽の光と大粒の雨が乱反射し、灰色の視界に無数のノイズを走らせた。
[A:黒崎 湊:絶望]「……どうせ、いつかは全部消えてなくなるんだよ」[/A]
独りごちた声は低く、抑揚がない。踵を返そうとした、その瞬間。
耳をつんざく金属の軋み。
[Shout]ゴォォォォォンッ![/Shout]
肺を震わせる轟音。湊は弾かれたように海面を振り返る。あり得ない光景。波立つ海面から、赤錆びた無数の鉄柱がせり上がり、海の上を走る一本の線路を形成していく。白波を蹴立て、もうもうと蒸気を吹き上げながら滑り込んできたのは、重厚な鋼鉄の塊。古めかしい蒸気機関車を思わせる『海中列車』が、虚空のプラットホームに軋みを上げて停車した。
[FadeIn]シューゥゥ……[/FadeIn]
白濁した蒸気が晴れる。錆びた鉄の匂いが鼻腔を突く中、開いた扉からひとりの少女が降り立つ。
[A:シズク:冷静]「お待ちしておりました。ご乗車、ですか?」[/A]
透き通るような、鈴を転がす声。昭和初期の意匠を思わせる、金ボタンが鈍く光る白い夏用駅員服。大きすぎる制服の裾から伸びる細い手足は、陽光に透けるように儚い。潮風に靡くのは、星屑を溶かし込んだような青銀色の髪。
幻覚か。湊の足が、不可視の糸に引かれるように一歩前へ出る。石につまずき、前のめりに体勢を崩した。コンクリートに叩きつけられる。そう覚悟した刹那、華奢な両腕が湊の体をふわりと受け止める。
冷たい指先が、湊の頬に触れた。
[Flash]パァァァァッ……![/Flash]
脳髄が、焼けた。モノクロームの視界の中央。少女の瞳孔だけが、異常なほどの極彩色を放っている。深い、深い『群青色』。息が止まるほどの美しさが、網膜をナイフのように切り裂いた。
[A:黒崎 湊:驚き]「あ……」[/A]
[A:シズク:驚き]「どうしたのです? お顔が、真っ青ですよ」[/A]
少女が小首を傾げる。その瞳の奥で揺らめく群青色。死んでいた湊の世界に、強烈な一滴の絵の具が落とされた。

第二章: 錆びた手紙と波の残響
数日後の正午。うだるような熱気が、駅舎のトタン屋根を焦がす。古びた木製のベンチ。湊は手元のスケッチブックに無心で鉛筆を走らせていた。描くのは、あの海中列車と、少女の横顔。
[A:鳴海 航平:喜び]「おっす湊! 相変わらず猫背だな、もっと胸張れっての!」[/A]
鼓膜を揺らす大きな声。背中をバンと力任せに叩かれる。短い茶髪に、日に焼けた健康的な肌。地元の郵便局員の制服を着崩した幼馴染、鳴海航平が、太陽のような屈託のない笑顔で立っていた。
[A:黒崎 湊:冷静]「……痛いよ、航平。声もでかいし」[/A]
湊は小さく息を吐き、鉛筆を置く。
[A:鳴海 航平:興奮]「ま、なんとかなるって! 明日は明日の風が吹くしな! 差し入れのオムライスと冷えたコーラ、買ってきたぜ」[/A]
航平の手から渡されたビニール袋。油とケチャップのジャンクな匂いが漂う。胃の奥が僅かにきゅっと鳴る。そこへ、小走りの足音が近づいてきた。
[A:シズク:喜び]「あっ! 郵便屋の航平さん、今日もいいお天気ですね!」[/A]
白い夏用駅員服の裾を翻し、シズクが現れる。湊は視線を下に向ける。手元のスケッチブックには、彼女の姿。
[A:鳴海 航平:照れ]「シズクちゃんも元気そうじゃんか。これ、昨日海辺で見つけたビン詰めの手紙なんだけどよ。匂いでわかるんだ、すげぇ切ない後悔が詰まってるって」[/A]
航平が差し出したのは、泥にまみれたガラス瓶だった。宛名はない。シズクはそれを受け取り、大切そうに両手で包み込む。彼女は、海に迷い込んだ人々の『失われた記憶や想い』を届ける車掌。
[A:シズク:冷静]「ありがとうございます。あなたの忘れ物は、海がちゃんと預かっていますよ」[/A]
シズクがガラス瓶にそっと指を這わせる。
[FadeIn]ぽわぁ……[/FadeIn]
瓶の中から淡い光の粒子が漏れ出す。その瞬間、湊の視界の端。海面の照り返しが『銀色』に、足元の雑草が微かな『緑色』に色づいた。彼女が誰かの想いに触れるたび、湊の壊れた色彩感覚が少しずつ、絆創膏を貼るように修復されていく。
[A:黒崎 湊:照れ]「……シズク、髪に埃がついてる」[/A]
湊は無意識に手を伸ばし、シズクの青銀色の髪に触れた。指先に伝わる、シルクのような滑らかな感触と、ひんやりとした海の温度。
[A:シズク:驚き]「ひゃっ。あ、ありがとうございます、湊さん」[/A]
照れ隠しのように目を逸らす湊。だが、視線を落とした先で、呼吸が凍りつく。日差しに透けるシズクの手首。皮膚の境界線が、まるでテレビの砂嵐のように、チカチカと[Glitch]不自然に透過[/Glitch]していた。向こう側の錆びた改札口が、彼女の肉体を透かして見えている。
[Think]体が、消えかかっている……?[/Think]
喉の奥がカラカラに乾く。心臓が警鐘を鳴らす。その異変に、航平もシズクも、まだ気づいていなかった。

第三章: 透明な境界線
秋の気配が混じる生暖かい夜風が、窓をガタガタと揺らす。ランプの灯りだけが頼りの薄暗い駅務室。湊は、息を殺して壁の隙間から外を覗き込んでいた。
プラットホームの端。シズクが、泥まみれになった重厚な革鞄を抱きかかえ、海面に向かって深々と頭を下げる。
[A:シズク:悲しみ]「……無事、お届けしました。どうか、安らかに」[/A]
彼女が身を震わせる。
[Tremble]ザーーッ……![/Tremble]
シズクの足元から腰にかけて、肉体が激しいノイズと共に半透明に透け上がった。駅舎の輪郭が、彼女の体を貫通して映り込んでいる。
[A:黒崎 湊:怒り]「ふざけるな……!」[/A]
ドアを蹴り開け、湊はプラットホームに飛び出す。緩いニットの袖を握りしめ、肩を荒く上下させた。
[A:黒崎 湊:絶望]「おい、その体……どういうことだよ! 人の重すぎる未練を届けるたびに、お前自身が削られてるじゃないか!」[/A]
[A:シズク:驚き]「湊さん……見て、いたのですね」[/A]
シズクは困ったように、群青色の瞳を伏せる。血の気の引いた青白い唇が、微かに震えていた。
[A:シズク:冷静]「私は、かつてこの海で溺れた人々の、沈澱した悲しみから生まれた幻です。だから……誰かの想いを届けるのが、私の存在理由なのです。誰かのために存在しなければ、私は……」[/A]
[A:黒崎 湊:狂気]「だからって、自分が消えてもいいって言うのかよ! ふざけんな、俺は……俺はもう、何も期待しないって決めてたのに!」[/A]
かつて都会で才能を搾取され、全てを失った記憶がフラッシュバックする。裏切られ、見捨てられ、灰色の世界に落ちた自分。唯一救い上げてくれたのは彼女の『色』だった。
[A:黒崎 湊:愛情]「もう誰も救わなくていい。届けなくていい。……俺のそばにいろよ」[/A]
ひび割れた声が、風に溶ける。自己中心的で、無様で、剥き出しの懇願。しかし、シズクはゆっくりと首を横に振った。
[A:シズク:悲しみ]「ごめんなさい、湊さん。私には……心なんて、ないのですから」[/A]
嘘だ。その微笑みは、泣き出しそうなほどに歪んでいる。決定的な断絶。冷たい雨粒が、二人の間を隔てるようにポツリ、ポツリと降り始める。遠くの海鳴りが、地鳴りのような重低音へと変わっていくのを、湊はただ立ち尽くして聞いていた。

第四章: 沈澱する黒い波
[Shout]ゴォォォォォォォォッ!!![/Shout]
狂い狂う暴風雨が、星波町を根こそぎ呑み込もうとする。猛烈な台風。いや、ただの自然現象ではない。沖合の海面が、黒いタールのように盛り上がっている。町の人々が長年海に捨ててきた『後悔や沈澱した悲しみ』。それが巨大な黒い波の化生となって、鎌首をもたげていた。
[A:鳴海 航平:恐怖]「湊! 逃げろ、ここから離れるんだ! 波が来るぞ!」[/A]
びしょ濡れのアロハシャツを張り付かせた航平が、強風に足を取られながら叫ぶ。しかし、湊の視線はプラットホームの先端に釘付けになっていた。
凄まじい風圧の中。シズクが海中列車の先頭車両に立ち、黒い波へ向かって両手を広げている。
[A:黒崎 湊:絶望]「やめろぉぉぉぉっ!! シズク!!」[/A]
湊は泥水に塗れながら、死物狂いでコンクリートを蹴る。肺が焼け焦げるように痛い。足の爪が剥がれ、血が滲む。波の化生が、大口を開けて列車へと襲いかかる。
[A:シズク:愛情]「さようなら、湊さん」[/A]
[Sensual]
シズクの体が、宙に浮く。
列車ごと黒い波の深淵へダイブする彼女の細い手首を、湊は空中で掴み取った。
指と指が絡み合う。
冷たい、けれど確かな人間の温もり。
しかし、その感触は一瞬にして[Glitch]砂のように崩れ去り[/Glitch]、湊の指の間をすり抜けていく。
[/Sensual]
[A:シズク:愛情]「……あなたのおかげで、空っぽだった私に……初めて、温かい心が生まれました」[/A]
涙が、群青色の瞳からこぼれ落ちる。
[Flash]カッ……![/Flash]
強烈な閃光と共に、海中列車が轟音を立てて海の底へと沈み込む。黒い波もろとも、巨大な渦に呑まれて消滅した。
[A:黒崎 湊:狂気]「あ、あぁぁ……ぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」[/A]
波飛沫が顔を打つ。口の中に広がる、血と海水のしょっぱい鉄の味。膝から力が抜け、濡れた木材の上に崩れ落ちた。視界から、すべての色が急速に抜け落ちていく。海の蒼。空の高さ。航平のシャツの鮮やかさすらも。世界は再び、完全な、死のような灰色に閉ざされる。風の音すら遠のく中、喉を引き裂くような慟哭だけが、無人の海に虚しく響き渡っていた。

第五章: 夕凪の海中列車と、色を失くした君の嘘
数年の歳月が流れた。
海辺の古民家の窓辺。カチャカチャとキーボードを叩く音が、静かな室内に響く。デザイナーとして復帰した湊の背筋は、かつてのように丸まっていない。清潔な白いシャツの袖を捲り上げ、真剣な眼差しでモニターに向かっている。
[A:鳴海 航平:喜び]「湊ー! 出来上がったポスターのサンプル、持ってきたぜ!」[/A]
玄関の引き戸がガラリと開き、相変わらず声の大きい航平が顔を出す。
[A:黒崎 湊:喜び]「ありがとう、航平。そこに置いておいて」[/A]
視界は灰色のままだ。だが、その灰色は以前のような絶望の色ではない。航平の足音の軽快さ。淹れたてのブラックコーヒーの芳醇な香り。世界には確かな輪郭と温度があることを、今の湊は知っている。
ふと、開け放たれた窓から、生暖かい風が吹き込んだ。ぽつり、ぽつり。陽の光が降り注いでいるのに、雨が降り始める。あの日と同じ、天気雨。
[Pulse]ドクン。[/Pulse]
鼓動が、一瞬だけ跳ねた。湊は椅子を蹴り倒すように立ち上がり、海岸へと走り出す。
息を切らし、防波堤を越える。そこで、足が縫い止められた。波一つない静寂。海と空の境界線が完全に消滅し、ウユニ塩湖のように空の景色を丸ごと反射する、圧倒的な鏡面世界が広がっている。
その水鏡の中央。光の粒子を纏った『海中列車』が、音もなく静かに停まっている。
[FadeIn]カタン……。[/FadeIn]
開いた扉から、一人の女性が降り立つ。以前よりも少しだけ背が伸び、大人びた輪郭。風に揺れる、青銀色の髪。
[A:シズク:愛情]「……長らく、お待たせいたしました」[/A]
鈴が鳴るような声。彼女が一歩、水面を踏み出した瞬間。
[Magic]《色彩回帰(カラーズ・ブルーム)》[/Magic]
[Flash]バァァァァァァァァァンッ!!!![/Flash]
爆発だった。足元から波紋のように広がった光が、湊の網膜を激しく打ち据える。空の燃えるような『茜色』。雲を縁取る鮮烈な『黄金』。足元の水面が映し出す、深く澄み切った『エメラルド』。
死んでいた世界が、極彩色を伴って一気に新生する。そして何より、目の前で微笑む彼女の、息を呑むほどに美しい『群青色』の瞳。
湊の目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。拭うこともせず、ただ、ただ前へ歩み寄る。
[A:黒崎 湊:喜び]「……お帰りなさい」[/A]
震える声で、それだけを絞り出す。夕凪の最も美しい光の中で、シズクは花が咲くように柔らかく笑い返した。
[A:シズク:愛情]「ただいま、湊さん」[/A]
世界中のどんな絵の具を混ぜ合わせても作れない、完璧な色彩がそこにあった。