第一章: 極彩色と電子の雪
常に極彩色のノイズが天蓋を覆い尽くす。
視界を埋めるのは、降り止まない電子の雪。そして、人工的に制御された完璧なオーロラ。
巨大都市ユートピア・ゼロの下層廃棄区画。
錆びた排気塔の上で、色素の薄い灰色の髪が冷たい風に煽られていた。
男の身を包むのは、油と焼き切れた電子部品の匂いが深く染み付いた黒い防水コート。
光を失った琥珀色の瞳は、手元の網膜デバイスが映し出す無機質なデータ列の明滅だけを反射する。
他人の「幸福ポイント」の改竄。
それが、調律師と呼ばれる灰羽の日常。
[A:シオン:喜び]「ねえ! そこから何が見えるの?」[/A]
背後から掛けられた声。灰羽の指先が硬直する。
振り返った先に立つのは、色褪せた赤いパッチワークの布を纏う少女。
透き通るような白い肌。
長く伸びた黒髪が、排気口から吹き上げる熱風にふわりと舞い上がった。
[A:灰羽:冷静]「……無許可のアクセスだ。下へ降りろ」[/A]
[A:シオン:興奮]「星空、探してるんでしょ? いつか絶対、本物の星空を見に行こうね!」[/A]
無邪気な笑い声が、周囲の金属音を掻き消した。
[Think]……星空。[/Think]
灰羽の喉仏が微かに上下する。
人工オーロラしか存在しないこの街で、本物の星などただの童話。無意味な文字列だ。
[A:灰羽:冷静]「感情なんて、ただのエラーコードだ。非合理的な妄想は身を滅ぼす」[/A]
[A:シオン:照れ]「でも、心臓の奥がチクチクするんだよ。あっちに行きたいって、ずっと叫んでる」[/A]
少女が笑いながら一歩を踏み出した。
その瞬間。
[Pulse]ジジッ……ジジジッ……[/Pulse]
彼女の細い首筋に刻まれた管理バーコードが、不吉な深紅に明滅を始める。
[System]警告:異常値検出。廃棄処分対象・猶予ゼロ[/System]
糸が切れたように、崩れ落ちる少女。
網膜デバイスに割り込んでくる、治安維持部隊の接近アラート。
灰羽の脳裏に、かつて自らの手で処分した妹の冷たい顔がフラッシュバックする。
息が止まる。
[Flash]ピキッ[/Flash]
凍りついていた時計の針が、不快な摩擦音を立てて動き出した。
◇◇◇

第二章: 錆びた街の温かいスープ
ネオンの光を乱反射する水たまりを避け、薄暗い路地裏を歩く。
頭上を行き交う監視ドローンの駆動音が、不気味な低周波となって鼓膜を揺らした。
灰羽の隠れ家である地下のジャンク部屋。そこは今、予測不能なノイズで満ちている。
[A:シオン:喜び]「あはは! 今日もスープがとびきり美味しいね!」[/A]
プラスチックの容器から立ち上る、胡椒と人工肉の強烈な匂い。
舌を刺すジャンクな塩気をやり過ごし、灰羽は無言で冷めきったブラックコーヒーを喉に流し込む。
苦味が、口内の油っぽさを洗い流した。
[A:灰羽:冷静]「ただの化学調味料の塊だ。味覚センサーがイカれてるんじゃないのか」[/A]
[A:シオン:愛情]「ちがうよ。誰かと一緒に食べるから、あったかいんだよ」[/A]
屈託のない笑顔が、薄暗い部屋の空気を振動させる。
ガラクタを叩いて即興の歌を歌い、壁のひび割れを指しては星空の絵を描く。
彼女の存在が、無彩色の毎日に暴力的なまでの色彩を塗りたくっていく。
しかし。
その穏やかな時間は唐突に終わりを告げた。
[Pulse]ドクン……ドクン……[/Pulse]
[Tremble]手にしたスプーンが弾き飛び、シオンの小さな体が激しく痙攣し始める。[/Tremble]
[Sensual]
灰羽は椅子を蹴り倒し、冷たいコンクリートの床から彼女を抱き起こした。
華奢な背中に腕を回す。
パッチワークの布越しに伝わってくるのは、ひび割れた氷のような恐ろしいほどの低温。
首筋の血管が青白く浮き上がり、彼女の細い指が防水コートの襟を強く握りしめる。
浅い呼吸が、灰羽の首元を熱く撫でた。
[A:シオン:照れ]「ごめんね……ちょっと、バグっちゃったみたい」[/A]
[/Sensual]
唇の端を引きつらせながら無理に笑う。
彼女の網膜に、致命的なエラーログが浮かび上がっていた。
[Glitch]システムからの完全排除まで、残り72時間[/Glitch]
修復不能の不治のバグ。
灰羽の奥歯が軋む。琥珀色の瞳孔が限界まで開いた。
[Impact]ガァァァン!![/Impact]
分厚い鋼鉄の扉が、外側から凄まじい衝撃でひしゃげる。
舞い散る粉塵の向こう。
純白のシルエットが浮かび上がった。
◇◇◇

第三章: 忘却のコードと純白の刃
短い黒髪。冷徹な青い瞳。
汚れ一つない純白の執行官制服を身に纏い、腰のスタンブレードから青白い火花を散らす男。
[A:クロウ:怒り]「投降しろ、灰羽。完璧な秩序こそが、人類の唯一の幸福だ」[/A]
[A:灰羽:冷静]「……相変わらず、システムに飼い慣らされた犬の顔をしているな、クロウ」[/A]
かつての親友の声が、重苦しい地下室に響き渡る。
[Flash]パァン![/Flash]
クロウの放ったプラズマ弾が灰羽の頬を掠め、壁を熱く焼き焦がした。
鼻腔を突く、オゾンと火薬の匂い。
[Shout]「逃げるぞ!!」[/Shout]
シオンの腕を掴み、灰羽は地下水路へと身を翻す。
背後に迫る無数の足音。追尾式の小型ドローンが赤いレーザーで闇を切り裂いた。
息が上がる。肺が焼けるように痛む。
シオンの歩みは限界に近く、足取りは絶望的に重い。
[A:クロウ:絶望]「なぜ分からない! その不良品を庇えば、お前まで処分されるんだぞ!」[/A]
遠くから響くクロウの叫びには、隠しきれない苦悩が混じっていた。
灰羽は水路の奥深く、リニア貨物の搬入口で立ち止まる。
ここで追っ手を食い止めなければ、二人とも終わる。
生き残るための計算式が弾き出した答えは、あまりにも残酷だった。
[Sensual]
灰羽は防水コートの裏地から、古い接続ケーブルを引き抜く。
壁際に崩れ落ちたシオンの前に膝をつき、両手で彼女の青白い頬を包み込んだ。
親指が、涙で濡れた目尻を静かに拭う。
[A:シオン:恐怖]「なに、するの……? やだ、やだ!」[/A]
首筋の端子に、金属のピンを突き立てる。
[A:シオン:悲しみ]「忘れたくないよぉぉぉ!! 星空、一緒に……!」[/A]
[A:灰羽:絶望]「……生きろ」[/A]
[/Sensual]
[System]初期化シーケンス開始[/System]
[Glitch]指定領域:灰羽に関する全記憶データ・削除中[/Glitch]
[Tremble]灰羽の指先が白くなるほど強く震え、実行キーを押し込んだ。[/Tremble]
光を失い、倒れ込むシオンの身体。
彼女を無人の貨物ポッドに押し込み、発車ボタンを叩く。
遠ざかるポッドの駆動音を背に、灰羽はゆっくりと振り返る。
青い光刃を構えるクロウが、闇の中から姿を現した。
最大の防衛網が敷かれた、都市の最上層への扉が今、開かれようとしている。
◇◇◇

第四章: 星降る夜の終焉
上層区画。都市を隔てる巨大防壁の最深部。
記憶を消去されたシオンが、フラフラとメインフレームのターミナルへと歩みを進めていた。
心の奥底に穿たれた名状しがたい空洞。それが、見えない星空への渇望となって彼女の身体を動かす。
[A:クロウ:怒り]「そこまでだ、バグめ。直ちに排除する」[/A]
血と泥にまみれた純白の制服が、ターミナルに立ち塞がった。
クロウの銃口がシオンの心臓を捉える。
その瞬間。
[Impact]ドゴォォォン!![/Impact]
天井の強化ガラスが砕け散り、黒い防水コートが弾丸のように降り注ぐ。
[A:灰羽:狂気]「触るなァァァッ!!」[/A]
[A:クロウ:驚き]「灰羽!? 貴様、自らの命をチップにする気か!」[/A]
灰羽の右手。そこには自らの脳神経に直結されたハッキングデバイスが握られていた。
激しい金属音。スタンブレードとチタンナイフが交差する。
火花。
口の中に広がる、どろりとした血の鉄の味。
[Shout]「死にたくねぇぇぇ!! けどな、あいつの明日を奪う権利は誰にもねえんだよ!!」[/Shout]
[A:クロウ:絶望]「システムが崩壊すれば、すべてが終わる! 妹を失ったあの日のように!」[/A]
[A:灰羽:興奮]「だから! 俺がチューニングしてやるって言ってんだろ!」[/A]
[Impact]ズブッ[/Impact]
鈍く肉を裂く音。
クロウの青い刃が、灰羽の胸部を深く貫いた。
痛覚が焼き切れる。
しかし。灰羽の口角は吊り上がっていた。
血に濡れた彼の指先は既に、メインフレームの最終端子を握りしめている。
[Magic]《システム・オーバーライド:全防壁解放》[/Magic]
[Flash]視界が、暴力的なまでの純白に染まる。[/Flash]
数百年の間、都市を閉じ込めていた人工オーロラが一瞬にして消滅した。
鋼鉄の天蓋がひび割れる。
砕け散る。
漆黒のキャンバスが姿を現す。
降り注ぐのは、電子の雪ではない。
無数の、本物の星々。
圧倒的な光の奔流が、凍りついた都市を暴き出した。
崩れ落ちる灰羽の視界の端。
ターミナルの前で立ち尽くし、夜空を見上げて震えるシオンの小さな背中。
[Think]……ああ、本当に。悪くない眺めだ。[/Think]
光を失っていた琥珀色の瞳に、満天の星が映り込む。
灰羽は、冷たい床の上で初めて、心からの笑みを浮かべた。
◇◇◇

第五章: 錆びた星空のチューナー
どこまでも続く、青い海。
崩壊した管理都市から遠く離れた荒野を、潮風が優しく吹き抜ける。
乾いた砂の感触を素足で確かめながら、シオンは波打ち際を歩いていた。
吹き抜ける風が、長く伸びた黒髪を揺らす。
もう、人工のオーロラも、冷たい電子の雪も降らない。
頭上には果てしない青空が広がり、夜になればあの眩い光の粒が空を埋め尽くした。
なぜ自分がこれほどまでに星を愛しているのか。
誰に、この美しい世界への感謝を捧ぐべきなのか。
彼女の記憶の海には、ぽっかりと温かい空白だけが残されている。
[A:シオン:喜び]「……きれいだね」[/A]
誰に宛てるでもない言葉が、波の音に溶けていく。
ふと、彼女の視線が砂浜の片隅で止まった。
波打ち際に打ち上げられた、錆びた古い電子ツール。
油と部品の焦げた匂いは、もうしない。
ただ、持ち主を失ったその黒い金属の塊は、傾きかけた夕日の光を一身に受け、美しく反射していた。
シオンはそっとしゃがみ込む。
その錆びたツールを両手で優しく包み込んだ。
名前のない喪失感。それが一筋の雫となって白い頬を伝い落ちる。
[Heart]ドクン。[/Heart]
チクチクと痛む胸の奥。
それでも彼女は遠く広がる水平線を見つめながら、静かに、ただ静かに微笑み続けていた。