第一章: 錆びゆく心臓のノイズ
静寂と無機質な銀色の雪。視界を埋め尽くすのはそれだけだ。
冷たい幾何学模様の街並みを白く塗り潰していく、大気汚染物質『銀灰(ぎんかい)』。
[Think]また、冷え込んできやがった。[/Think]
無造作に伸びた黒髪を掻き毟り、路地裏の影に身を潜めるアキ。三白眼の奥には、慢性的な寝不足を示すどす黒い隈。
オイルと鉄屑の匂いが染み込んだ厚手の防寒コート。その胸元では、[Pulse]淡い青のインジケーター[/Pulse]が一定の律動で明滅を繰り返す。
義体化が常識となったこの都市。彼が未だ「生身の心臓」を抱えて生きている唯一の証。
金属管が這い回る迷路のような廃棄区画。ふと、アキの鼓膜を微かな振動が叩いた。
[Tremble]チリ、ジリリ……[/Tremble]
ノイズ混じりの、不規則な波長。
音の出処へ足を踏み入れた瞬間。アキの呼吸が止まる。
廃品の山の頂。狂ったように回転する壊れた蓄音機。その傍らに座り込む、一人の少女。
色素の薄い銀髪が、空から降る銀灰に溶け込むように揺れる。
大きすぎる色褪せた白いワンピースの裾から覗くのは、泥に汚れた裸足と、使い古された革ブーツの先端。病的なほど透き通った白い肌。そして、ビー玉のように澄んだ大きな琥珀色の瞳。
彼女の細い唇が紡ぐのは、不完全で、ひび割れたメロディ。
冷たい鉄の街。それは暴力的なまでに美しく響き渡る。
[A:アキ:驚き]「お前……生身か?」[/A]
声に反応し、ふつりと途切れる少女の歌。ゆっくりと首を傾げる彼女。
[A:シスイ:冷静]「私の歌が、あなたの痛みを少しでも和らげるなら……そう思って、歌っていたんですけれど」[/A]
琥珀色の瞳がアキを真っ直ぐに射抜く。
次の瞬間。少女の喉仏が大きく跳ねた。
[Glitch]ゴホッ、ガハッ……![/Glitch]
[A:アキ:驚き]「おい!」[/A]
白磁のような手のひらからこぼれ落ちる、どす黒い赤。
致死率100%。肺を内側から削り取る『銀灰病』の末期症状。
血まみれの指先が、雪の積もる鉄板を掻きむしる。糸の切れた操り人形のように、少女の体は冷たい地面へと崩れ落ちた。
第二章: 錆びた夕焼けと死の猶予
屋上の廃墟。錆びた鉄骨の隙間から差し込む、血のように赤い夕陽。
アキの工房に運び込まれてから三日。即席の医療チューブを繋がれたシスイは、浅い呼吸を繰り返しながら空を見つめていた。
[A:シスイ:照れ]「綺麗ですね。工場から見える夕焼けの空……ずっと、見ていたかったな」[/A]
[A:アキ:怒り]「馬鹿言うな。俺が直してやる。機械のチューニングも、人間の体も、根っこは同じだ」[/A]
工具箱から古びたレンチを取り出すアキ。指先が微かに震えるのを、奥歯を噛み締めて誤魔化した。
[Sensual]
「アキ」
細く冷たい指が、アキの分厚いコートの袖を掴む。
引き寄せられるように顔を近づけると、彼女の白い息がアキの頬を撫でる。オイルの匂いと、微かな消毒液の匂いの混濁。
「私の歌も命も、この冷たい世界には何の価値もないんです。だから、もう……」
シスイの琥珀色の瞳に落ちる、諦観の影。
アキは思わずその細い肩を抱き寄せた。折れてしまいそうなほど華奢な骨格。コート越しに伝わる、弱々しくも確かな体温。
「息をしているだけじゃ、生きているとは言えないんだ。お前は……生きてるだろ、ここで」
胸元の[Pulse]青いインジケーター[/Pulse]を、彼女の小さな手に押し当てる。重なり合うように脈打つ、二つの異なる鼓動。
[/Sensual]
不意に吹き飛ぶ、背後の重い鉄扉。
[Impact]轟音。[/Impact]
砂煙の中から現れたのは、一切の隙がない冷徹な佇まいの男。
銀色の流線型をした軍用義体。顔の半分を覆う黒い特殊バイザーと、漆黒のロングコート。
[A:カラス:冷静]「未登録の汚染源、発見しました。これより強制排除を実行します」[/A]
かつてアキが背中を追った兄貴分、カラス。
[A:アキ:怒り]「カラス……! 冗談だろ、こいつはまだ生きてる!」[/A]
[A:カラス:冷静]「感情は非効率なエラーです。速やかに削除を推奨します。明日の日の出までに、彼女を第1層の完全義体化施設へ連行しなさい。さもなくば、お前ごと廃棄します」[/A]
黒いバイザーの奥底で点灯する、無機質な赤いセンサー。
タイムリミットを告げる足音が、階段を下って遠ざかっていく。
第三章: 魂を殺すエゴ
ストーブの上。コーンスープの入った小鍋がコトコトと音を立てる。
外は猛吹雪。銀灰の嵐が窓ガラスを叩きつけていた。
[A:シスイ:悲しみ]「心と歌を失ってまで……私、生きたくない」[/A]
膝を抱え、シスイはポツリとこぼす。
その言葉が抉り開けたのは、アキの脳奥に焼き付いた古い傷痕。
過去、大切な人間が血を吐いて冷たくなっていくのを、ただ見ていることしかできなかった無力感。
[Tremble]指の関節が白くなるほど、拳を握り込む。[/Tremble]
[Think]失うくらいなら。魂がなくなっても、こいつが動いている姿を見られるなら。[/Think]
[A:アキ:冷静]「温かいスープだ。少し飲め。体が冷え切ってるぞ」[/A]
マグカップをシスイに手渡す。
一口飲んだシスイの喉が、こくりと鳴る。甘いトウモロコシの味の奥に潜む、わずかな薬品の苦味。
[A:シスイ:驚き]「これ……」[/A]
床に落ちるマグカップ。響く陶器の砕ける音。
シスイの琥珀色の瞳が大きく見開かれ、激しく揺らいだ。
[A:アキ:悲しみ]「ごめんな。でも、生きてさえいれば……いつか、絶対に心は取り戻せる」[/A]
[Blur]視界が暗転していく中、シスイの指がアキの袖をすがるように掴む。[/Blur]
[A:シスイ:絶望]「いや……やめて、アキ……私から、歌を……」[/A]
糸が切れたように倒れ込むシスイの体。
アキはその軽い体を抱き上げ、吹雪の夜の街へと足を踏み出す。
カラスの待つ、治安維持部隊のゲートへ。
自らの手で、愛する少女の魂を冷たい機械の刃の下へ差し出すために。
第四章: 美しき人形の冷たさ
真っ白な無菌室。
鼻腔を刺す、消毒液の強烈な臭気。
ベッドの上に、シスイは座っていた。
いや、『シスイだったもの』がそこに置かれている。
色素の薄い銀髪も、白い肌も以前のまま。だが、胸元のワンピースの隙間から覗くのは、鈍く光るクロム鋼の装甲。
完全に摘出された、彼女の生身の心臓。
[A:アキ:興奮]「シスイ……わかるか? 俺だ」[/A]
手を伸ばすアキ。
シスイはゆっくりと首を巡らせた。琥珀色の瞳に、かつての優しい光はない。ガラス玉のような無機質な反射が、アキの顔を映し出しているだけ。
[A:シスイ:冷静]「個体認識完了。登録名、アキ。生体反応、正常です」[/A]
平坦で、抑揚の一切ない合成音声。
アキの指先が、彼女の頬に触れる。
[Tremble]冷たい。[/Tremble]
人間としての温もりも、細かな筋肉の震えも、何もかもが消え失せている。
膝から力が抜け、冷たいタイル張りの床に崩れ落ちたアキ。
喉の奥で詰まった嗚咽が、声にならずに漏れる。
自分がしたことの真の残酷さ。それが巨大な質量を持ってのしかかってくる。
[Shout]俺が……俺が、こいつを殺したんだ……!![/Shout]
這いつくばりながら、胸元の[Pulse]青いインジケーター[/Pulse]を鷲掴みにする。
生身の心臓が脈打つ音が、今は耐え難いほどの罪のサイレン。
顔を上げる。
その瞳に宿るのは、絶望を焼き尽くすほどの暗い熱。
[Think]都市の最深部、『マザーサーバー』。あそこに隔離されたこいつの『感情データ』を、引きずり出してやる。[/Think]
立ち上がり、腰のホルスターに大型のプラズマトーチを差し込む。
第五章: 命のコードを繋いで
[Impact]火花が爆ぜる。[/Impact]
『マザーサーバー』への最終ゲート。
床一面に治安維持部隊の残骸が転がる中、立ちはだかる漆黒のコートを纏ったカラス。
[A:カラス:怒り]「合理性に欠ける行動です。たかが一つの感情データのために、命を捨てるなど」[/A]
[A:アキ:狂気]「黙れよ、鉄クズ! お前みたいに逃げた奴にはわからねぇよ!」[/A]
アキのプラズマトーチが、カラスの黒いバイザーを斜めに両断。
飛び散る破片。露出したカラスの人工眼球が赤く明滅した。
アキの腹部を深く抉る、カラスのチタン製の拳。口の中に広がる生温かい血の鉄の味。
[Shout]ぐぁっ……!![/Shout]
膝をつくアキ。
しかし、カラスは追撃の拳を下ろさない。
赤く光る眼球。アキの必死な姿に、かつての自分自身の幻影を重ねているのか。
[A:カラス:悲しみ]「……行くがいい。その不合理の果てを、見せてみろ」[/A]
道を譲るカラス。
血だまりを引きずりながら、巨大なサーバー群の中央端末へ辿り着いたアキ。
眠るようにカプセルに収められたシスイの義体。
[System]
WARNING: 感情データの再インストールには、膨大な演算領域が必要です。
対象の義体のみでは処理不能。外部の生体デバイス(生身の心臓)とのリンクを要求します。
※生体側への負荷率は1000%を超過。生命維持は不可能です。
[/System]
コンソールに表示される非情な文字列。
血まみれの唇を吊り上げ、アキは笑った。
迷いなく、極太のデータケーブルを自らの胸、[Pulse]インジケーター[/Pulse]のソケットへ突き刺す。
[A:アキ:愛情]「俺の命くらい、全部くれてやる……だから、歌ってくれ」[/A]
[Flash]起動(エンター)。[/Flash]
[Shout]あぁぁぁぁぁぁっ!![/Shout]
膨大なデータの奔流が、アキの心臓を直接焼き切る。
全身の血管が膨張し、白く飛ぶ視界。意識の糸が、プツリ、プツリと千切れていく。
[FadeIn]
ゆっくりと見開かれる、シスイの琥珀色の瞳。
ガラス玉のようだった瞳孔が収縮し、そこに確かな『熱』が宿る。
[/FadeIn]
[A:シスイ:驚き]「アキ……?」[/A]
シスイの視界に映ったのは、ケーブルに繋がれたまま、力なく崩れ落ちるアキの姿。
[A:シスイ:絶望]「いや……いやぁっ!!」[/A]
カプセルから飛び出し、アキの体を抱きかかえる。
アキの胸元のインジケーター。すでに光は失われていた。
[A:アキ:喜び]「……よかった。お前の、その顔……やっと、見れた……」[/A]
瞳から光が消え、腕が力なく床に落ちる。
[Sensual]
シスイはアキの冷たくなっていく頬に、自身の頬を擦り付けた。
義体の冷たい皮膚の表面を滑り落ちる、生温かい水滴。
涙。
機械の体から溢れ出すはずのない一滴が、アキの油まみれのコートに染み込んでいく。
[/Sensual]
息を吸い込むシスイ。
感情の全てを乗せて。命の痛みを乗せて。
ひび割れた声帯から放たれる絶唱。
[Tremble]ル、ラ……アァァ……!![/Tremble]
マザーサーバーの空間を震わせる、彼女の歌声。
夜が明け、ゆっくりとスライドしていく都市の天蓋。
降り注いでいた銀灰が消え去り、何十年ぶりかの眩い朝日が『錆の揺り籠』に差し込んだ。
光の粒が空を舞う中。美しい絶唱だけが、世界に響き渡る。