第一章: 逆流する雪と、夜空の幻影
ボサボサに伸びた前髪の隙間から、濃いクマの張り付いた瞳が天頂を睨み上げる。
凍てつく夜風。オーバーコートの襟を立てても、容赦なく首筋を這い回る冷気。
首元で重く揺れるのは、かつて親友と一緒に拾い上げた天体望遠鏡の傷だらけのレンズ。
空に向かって、雪が「逆流」していく。
足元の雪原から無数の白い結晶が舞い上がり、重力の軛を逃れて暗黒の宇宙へと吸い込まれていく光景。
鼻を突く、錆びた鉄の臭気。
ここは放棄された旧線の廃駅。
[A:遠野 透矢:絶望]「……今日も、見えないか」[/A]
ひび割れた唇から、白い息が空へ昇る。
自身の血肉を削り取るような、虚無の吐息。
足音は、なかった。
ただ、[FadeIn]静寂だけが形を成したような、奇妙な気配[/FadeIn]。
[A:朝比奈 旭:喜び]「トウヤ! やっぱりここにいた!」[/A]
肋骨を内側から打ち砕くほどの、暴力的な鼓動。
振り返った視線の先。透き通るような亜麻色の髪が、逆巻く雪の中で揺れていた。
一年前のあの日から少しも汚れていない衣服。
輝く琥珀色の瞳が、三日月のように細められる。
[A:遠野 透矢:驚き]「アサヒ……?」[/A]
喉の奥がカラカラに乾き、呼吸すら忘れる。
彼の履くすり減ったスニーカーの靴底。雪面から数ミリ、確かに浮いていた。
[A:朝比奈 旭:興奮]「約束の彗星、見に行こうよ。あの展望台までさ」[/A]
差し出された白い手。
一年前の「重力逆転事故」で、透矢が掴み損ね、空の彼方へ落ちていったはずの手。
震える指先を伸ばす。
冷たい布越しに伝わる、微かな温もり。
[Impact]彼は、生きている。[/Impact]
[Think](生きて、俺を迎えに来てくれたんだ)[/Think]
瞳孔が極限まで開き、自身の爪が掌に食い込む。
痛みが、現実を証明する。
透矢は、差し出された手を骨が軋むほど強く握り返す。
そして二人は、空高く浮かび上がる旧展望台を目指し、重力を失った雪空へと跳躍した。
第二章: 逆さまの終末、剥がれ落ちる嘘
空へ向かって瀑布が落ちる。
黒い海面から巻き上げられた無数の海水。天を衝く巨大な水柱となって夜空へ昇っていく異常空間。
宙に浮かぶ森の木々の間を縫うように、三つの影が進む。
[A:水無瀬 湊:怒り]「おい、トウヤ。あんまり無茶すんなよ。……置いてくぞ」[/A]
巨大なバックパックを背負った湊が、鋭い三白眼で舌打ちをする。
湿った風が運ぶ、濃密な磯の匂い。
[A:朝比奈 旭:喜び]「相変わらずミナトは心配性だね。ほら、海があんなに綺麗だよ!」[/A]
宙を舞うクラゲの群れを指差し、旭が無邪気に笑う。
透矢の視線は、無意識に足元へ落ちる。
湊の靴は泥に汚れ、新雪の上に深い足跡を残している。
しかし、その横を歩く旭の足元には、[Blur]いっさいの痕跡がない。[/Blur]
ただ不自然な空白だけが続く雪原。
[A:遠野 透矢:狂気]「……あそこの岩陰で、少し休まないか」[/A]
早口で提案し、視線を無理やり明後日の方向へ逸らす。
見えないふりをしなければ、脳が狂いそうだった。
野宿の火を囲む。
湊が手際よく握った塩むすびの温かさ。凍えた掌に染み渡る。
[A:水無瀬 湊:冷静]「ほらよ。食え」[/A]
[A:遠野 透矢:冷静]「サンキュ」[/A]
旭は火の粉を避けながら、空き缶で星図の真似事をして遊んでいる。
[Think](何も変わらない。俺たちは三人で、これからもずっと――)[/Think]
その時、旭の腕が一瞬、[Glitch]ノイズのようにブレた。[/Glitch]
炎の向こう側が、彼の身体を透過して揺らいで見える。
胃袋の底に、氷の塊が落ちたような錯覚。吐き気が込み上げる。
[A:水無瀬 湊:冷静]「……トウヤ」[/A]
地を這うような湊の声。
その冷徹な瞳は、透矢の隠し通そうとしている『綻び』を、容赦なく射抜いていた。
時限爆弾のタイマー。静かに、確実に、ゼロへ向かって削られていく。
第三章: 崩壊の引力
[Shout]ゴォォォォォッ!![/Shout]
突如、鼓膜を破る轟音が空間を劈く。
重力異常の嵐。
周囲の岩塊がミキサーにかけられたように宙へ舞い上がり、猛烈な勢いで回転を始める。
口に飛び込む砂埃。血の味が滲む。
[A:水無瀬 湊:怒り]「伏せろ!!」[/A]
湊が透矢の襟首を掴み、強引に地面へ押し倒す。
頭上を巨大なコンクリート片がかすめ飛び、背後の岩肌を粉砕。
[A:遠野 透矢:恐怖]「アサヒッ!?」[/A]
身を起こした透矢の網膜。そこに、信じがたい光景が焼き付く。
嵐の中心。旭の体が[Flash]眩い光の粒子[/Flash]となって激しく飛散している。
皮膚が、衣服が、砂上の楼閣のように崩れ落ちては、かろうじて形を保とうと明滅を繰り返す異常事態。
[A:水無瀬 湊:怒り]「目を覚ませ、トウヤ! そいつはもう死んでるんだ!!」[/A]
[A:遠野 透矢:狂気]「ふざけるなッ! 生きてる! 俺の目の前にいるだろ!」[/A]
湊の胸ぐらを掴み、狂ったように拳を叩き込む。
骨が軋み、肉が潰れる音。
それでも湊は抵抗せず、血の滲む唇を噛み締めて透矢を睨み返した。
[A:水無瀬 湊:悲しみ]「お前が一番分かってるはずだ! 現実から逃げるな!」[/A]
肩で息をする透矢の耳。静かな、あまりにも優しい声が届く。
[A:朝比奈 旭:悲しみ]「ごめんね、トウヤ。……ミナトの言う通りなんだ」[/A]
振り返る透矢。
光の粒子を撒き散らしながら、旭は泣きそうな顔で微笑んでいた。
[Impact]嘘で塗り固めた日常が、音を立てて崩壊する。[/Impact]
膝の力が抜け、冷たい岩肌に両膝を突く。
喉の奥から、獣のような嗚咽。血反吐を吐き出すかのような絶望の叫び。
第四章: 残響の罪
嵐が去った後の静寂。
旭の体は半透明に透け、向こう側の景色を映し出している。
[A:朝比奈 旭:悲しみ]「僕は、あの日、空に落ちて……死んだよ」[/A]
淡々と紡がれる凄惨な真実。
今ここにいる彼は、透矢の狂気にも似た後悔が、重力異常と結びついて生み出した『残響』。
[A:朝比奈 旭:愛情]「トウヤが僕を強く想ってくれたから、少しだけ戻ってこられた。でも……」[/A]
このまま執着し続ければ、旭の魂は約束の彗星の軌道に乗ることもできず、世界の狭間で消滅する。
小刻みに震える指先。
息が詰まる。気管に鉛を流し込まれたような絶望の重圧。
[A:遠野 透矢:絶望]「俺が……俺がまた、お前を殺すっていうのか……?」[/A]
[Tremble]「嫌だ……絶対に嫌だ! あの時俺が手を離さなければ……全部俺のせいなのに!!」[/Tremble]
両手で顔を覆い、泥だらけの地面に頭を打ち付ける。
自傷。額から流れる鮮血が、視界を赤く染め上げる。
[A:水無瀬 湊:悲しみ]「……トウヤ」[/A]
背中を包み込む、強い力。
湊の腕。不器用な、けれど確かな熱を帯びた抱擁が、震える肩をきつく拘束する。
[A:水無瀬 湊:愛情]「俺がお前を一人にしない。だから……あいつを、自由にしてやれ」[/A]
湊の胸の奥から響く低い振動。透矢の背中へ、直接届く祈り。
[A:朝比奈 旭:喜び]「ミナト、ありがとう。……さあ、行こう。あの場所へ」[/A]
旭が指差す先。
天頂に浮かぶ旧展望台が、青白い光を帯びて静かに回転している。
究極の選択。透矢の魂を冷酷に引き裂く、死者との別離。
第五章: 彗星に溶ける君へ
重力ゼロの空間。
旧展望台の朽ちた手すりに足をかけ、三人は広大な宇宙の底に立つ。
頭上を覆い尽くすのは、視界のすべてを奪うほど巨大な、青白い氷の彗星。
肌を突き刺す、絶対零度の静寂。
[A:朝比奈 旭:愛情]「綺麗だね。ずっと、三人で見たかったんだ」[/A]
旭の体が、根本から光の粒子へと変わり始めている。
限界は、とうに超えていた。
透矢は震える両手で、透き通る旭の右手を包み込む。
温もりは、もうない。
伝わるのは、魂の核に触れるような、清冽な冷たさだけ。
[A:遠野 透矢:悲しみ]「ごめんな。……ずっと、縛り付けてて」[/A]
首から下げたレンズを握りしめ、自身の血が滲むほど唇を噛む。
[A:遠野 透矢:愛情]「ありがとう。もう、大丈夫だから」[/A]
[Think](さよならだ、俺のたったひとつの星)[/Think]
ゆっくりと、祈るように。透矢はその指を離す。
[Pulse]ドクン、と世界が脈打つ。[/Pulse]
[A:朝比奈 旭:喜び]「ずっと友達だよ!」[/A]
最高の笑顔。
直後、旭の体は[Flash]圧倒的な光の奔流[/Flash]となり、重力の軛を完全に断ち切って天へ昇る。
光の帯は彗星の尾に吸い込まれ、宇宙の深淵へと溶けて消えた。
視界が[Blur]涙で滲み[/Blur]、何も見えなくなる。慟哭だけが、無重力の海に響き渡る。
◇◇◇
風を切る、パラシュートの降下音。
着地した地上。
重力異常は消え去り、雪は静かに、ただ下へと降っている。
[A:水無瀬 湊:冷静]「……夜が、明けるぞ」[/A]
湊の声。透矢は顔を上げる。
水平線の彼方。すべてを洗い流す美しく澄み切った朝焼けの光が、世界を青から黄金色へと染め上げていく。
冷たく新鮮な空気を、肺いっぱいに吸い込む。
胸の奥に空いた巨大な喪失の穴。その底で、湊がくれた確かな温もりが息づいていた。
[A:遠野 透矢:冷静]「ああ。……帰ろう」[/A]
歩き出す二人。
新雪の上に残された、二つ並んだ足跡。朝の光が、未来へ続くその軌跡を優しく照らし出していた。