第一章: 錆びた街に降る白***<br><br>[Pulse]雨が、トタン屋根を狂ったように叩き続ける。[/Pulse]<br><br>水たまりに乱反射する極彩色のホログラムネオンが、視界を毒々しいマゼンタに染め上げた。統制都市エデン・ネオ、第玖廃棄区画。錆びた鉄の冷たさと、酸性雨特有の喉を焼く化学物質の臭気が路地裏に淀む。薄暗い軒下で、ナギは短く息を吐き出した。<br><br>雨の滴る無造作な黒髪の奥、疲労の滲む三白眼が街の喧騒を冷ややかに見据えている。色褪せたコートのポケットから手を出した彼は、泥まみれのブーツで足元の吸い殻を無慈悲にすり潰した。<br><br>指先に摘まれた、くすんだ飴色の小さな結晶。「夕立の後の土の匂い」を封じ込めた記憶データだ。ナギは親指に力を込め、それをピシリと砕いた。<br><br>[A:ナギ:冷静]「綺麗な夢より、痛い現実の方がずっと高く売れるんだよ」[/A]<br><br>独り言は、ノイズ混じりの雨音に溶けて消える。通りを行き交う市民たちの顔には、一様に薄気味悪い微笑みが張り付いていた。不都合な痛みをシステムに抽出され、管理された多幸感の海で溺れる操り人形の群れ。<br><br>背後の路地裏から、[Impact]鈍い水音が響いた。[/Impact]<br><br>野良犬の足音ではない。靴底を引きずるような、不規則なリズム。ナギは瞬時にコートの内に隠した拳銃のグリップに指を這わせ、暗がりへと銃口を向ける。<br><br>ゴミ山の陰からよろめき出たのは、人間離れしたシルエットだった。<br><br>透き通るような、病的なまでに白い肌。光を宿さない銀色の髪が、泥水に塗れて頬に張り付いている。華奢な肉体を包むのは、無数の黒いケーブルを接続するための不気味なポートが穿たれた真っ白な医療用拘束衣。<br><br>[Tremble]少女は膝から崩れ落ち、水たまりに倒れ込んだ。[/Tremble]<br><br>[A:シオン:冷静]「……あ、……」[/A]<br><br>[A:ナギ:驚き]「チッ。どこのジャンキーだ」[/A]<br><br>見捨てるべきだ。脳内の警鐘が鳴り響く。しかし、泥に塗れた銀髪の隙間から覗く虚ろな瞳を見た瞬間、ナギの呼吸が止まった。かつてシステムに供出され、二度と帰らなかった妹の面影。フラッシュバックする記憶が、心臓を冷たい手で締め付ける。<br><br>舌打ちと共に、ナギは少女の細い腕を乱暴に引き上げた。肌はまるで氷のように冷え切っていた。<br><br>[A:ナギ:怒り]「おい、立て。こんな所で寝てたらスクラップにされるぞ」[/A]<br><br>[A:シオン:冷静]「私の……痛み、どこ……?」[/A]<br><br>焦点の定まらない瞳が、宙を彷徨う。その時。上空のネオンサインを切り裂くように、治安維持局のサーチライトが路地裏を舐め回した。サイレンの金切り声が、鼓膜を突き破る。<br><br>[Flash]『特務部隊、対象の生体反応を捕捉。第一種確保態勢に移行』[/Flash]<br><br>[A:ナギ:絶望]「冗談だろ……こいつ、マザー・コアの……!」[/A]<br><br>システムの中枢、痛みを喰らう演算装置の逃亡者。ナギは少女を担ぎ上げ、雨の幕の向こう側へと駆け出した。<br><br>◇◇◇<br><br>***第二章: 偽りの空と本物のノイズ***<br><br>旧時代の真空管アンプが、チリチリという不規則な摩擦音を吐き出す。<br><br>地下深くの隠れ家。埃っぽいカビの匂いが漂う薄暗い部屋で、シオンは壁際のソファに膝を抱えて座っていた。乾いた銀糸の髪が、かすかな光を帯びている。<br><br>ナギはコーヒーメーカーから黒い液体を注ぎ、マグカップをテーブルに置いた。立ち昇る苦い香気。<br><br>[A:ナギ:冷静]「飲め。合成食品よりはマシな味がする」[/A]<br><br>[A:シオン:冷静]「……温かい、ですね。これが、温度」[/A]<br><br>シオンは両手でマグカップを包み込み、不思議そうに小首を傾げた。指先が、カップの熱に触れて微かに朱を帯びる。<br><br>[A:シオン:冷静]「ナギさん。私は、皆の笑顔を作るための部品ですよ。どうして、助けたのですか」[/A]<br><br>[A:ナギ:怒り]「部品が勝手に逃げ出すかよ。それに、お前のその口調、気味が悪い。もっとマシなデータを見せてやる」[/A]<br><br>ナギは古びたヘッドギアを彼女の頭に被せ、一本のコードを端末に繋いだ。違法に抽出された、本物の記憶データ。<br><br>[FadeIn]視界いっぱいに広がる、燃えるような夕焼け空。[/FadeIn]<br><br>茜色に染まる雲。頬を撫でる秋風の冷たさ。そして、転んで擦りむいた膝の、ヒリヒリとした鋭い痛み。<br><br>[Tremble]「あ……っ!」[/Tremble]<br><br>シオンの肩が大きく跳ね上がった。彼女は胸元を掻きむしるように押さえ、息を呑む。銀色の瞳の奥底で、固く閉ざされていた何かがひび割れる音がした。<br><br>[A:シオン:悲しみ]「痛い……。でも、綺麗、です。空が、こんなに……」[/A]<br><br>ポロポロと、大粒の涙が白い頬を伝い落ちる。彼女は顔を濡らす液体の正体が分からず、ただ震える指先でその滴を拭おうとした。<br><br>[Sensual]<br>ナギは無言で歩み寄り、冷たい手首を掴む。そのまま親指の腹で、シオンの目元を拭った。ひび割れた指先の荒い感触が、柔らかな肌をなぞっていく。<br><br>[A:ナギ:愛情]「それが痛みだ。人間が生きている証拠さ」[/A]<br><br>[A:シオン:照れ]「ナギさんの手……ゴツゴツして、温かいです。これも、本物……」[/A]<br><br>シオンの吐息が、ナギの手の甲に微かに触れた。二人の距離が縮まり、レコードのノイズだけが静寂を満たしていく。<br>[/Sensual]<br><br>ナギの胸の奥底で、分厚い氷が融け出す。誰かを救うことへの恐怖が、不器用な温もりによって塗り替えられていくのを感じた。<br><br>しかし。その穏やかな時間は唐突に引き裂かれる。<br><br>[Impact]鋼鉄の扉が、爆発音と共に吹き飛んだ。[/Impact]<br><br>土煙の向こう側。静寂を切り裂いて現れたのは、一切の乱れがないオールバックの金髪。純白に銀の意匠が施された治安維持局の特務制服。冷酷なまでに左右対称な顔立ちの男が、靴音を響かせてゆっくりと足を踏み入れた。<br><br>[A:ジン:冷静]「相変わらず、ゴミの溜め込み癖が直っていないようだな、ナギ」[/A]<br><br>◇◇◇<br><br>***第三章: 秩序という名の暴力***<br><br>部屋の空気が凍りつく。無音の空間を好むジンの威圧感が、肌を刺すような冷気となってナギを包み込んだ。<br><br>[A:ナギ:怒り]「ジン……! 犬の首輪がよく似合ってるじゃねえか」[/A]<br><br>シオンを背に庇い、コートの下から拳銃を抜き放つ。引き金を絞るより早く、ジンの姿が[Flash]掻き消えた。[/Flash]<br><br>[Impact]「ガハッ……!」[/Impact]<br><br>喉仏の直下へ叩き込まれた、強烈な一撃。肺から空気が強制的に押し出される。ナギの身体がくの字に折れ曲がり、コンクリートの壁に激突した。視界が明滅し、口の中に生温かい鉄の味が広がる。<br><br>ジンは靴のつま先についた埃を、ハンカチで静かに拭い去った。<br><br>[A:ジン:冷静]「自由という名の不治の病を、私はこの街から駆逐する。お前の妹が、あの無秩序の中でどう狂っていったか。忘れたとは言わせない」[/A]<br><br>[A:ナギ:絶望]「黙れっ……!」[/A]<br><br>這い上がろうとする背中を、軍靴が無慈悲に踏みつける。骨が軋む嫌な音。<br><br>[A:ジン:怒り]「痛みは人を壊す。お前も、あのコアもだ。完璧な秩序の下にのみ、平穏は存在する」[/A]<br><br>[A:シオン:悲しみ]「やめて……! もう、彼を叩かないで……!」[/A]<br><br>シオンが拘束衣を引きずりながら、ジンの足元へすがりつく。その白い手が、真っ赤な鮮血に染まっていた。<br><br>[A:シオン:冷静]「私の痛みが、この街の皆の笑顔になるのなら。それが私の自由です。……だから、彼を殺さないで」[/A]<br><br>透き通るような声は、感情の起伏を取り戻したはずなのに、今は恐ろしいほど平坦だった。<br><br>[A:ナギ:悲しみ]「ふざけ、るな……。逃げろ、シオン……ッ!」[/A]<br><br>血の海の中で、必死に手を伸ばす。しかし、指先は空を切った。ジンはシオンの首根っこを掴み、無造作に持ち上げる。<br><br>[A:ジン:冷静]「賢明な判断だ。システムへの再帰を許可する」[/A]<br><br>[A:シオン:愛情]「ナギさん。海、いつか見に行きましょうね」[/A]<br><br>薄れゆく意識の中。瞳に最後に映ったのは、銀色の髪を揺らしながら、悲しいほど静かな微笑みを浮かべるシオンの姿だった。<br><br>重い扉が閉まる音が、地下室に響き渡る。圧倒的な無力感が、ナギの全身を黒い泥のように呑み込んでいった。<br><br>◇◇◇<br><br>***第四章: 鋼鉄の墓標へ***<br><br>都市の空は、かつてないほどの眩い光に包まれていた。ホログラムネオンが極彩色に乱舞し、行き交う人々の顔には、麻薬を打たれたような完璧な笑顔が張り付いている。<br><br>狂気的な多幸感の裏側。数千万人の「痛み」がたった一人の少女の脳内を駆け巡り、精神をズタズタに引き裂いているのだ。<br><br>治安維持局・中枢演算施設「マザー・コア」。難攻不落の黒い塔。<br><br>[Shout]「どけェェェッ!!」[/Shout]<br><br>[Impact]閃光と爆音。[/Impact]防弾ガラスが粉々に砕け散り、警備ドローンが火花を吹いて墜落する。<br><br>ナギの身体は限界をとうに超えていた。左腕は折れ曲がり、脇腹から流れる血が止まらない。背中には、違法なハッキング・デバイスの極太のケーブルが肉に直接縫い付けられていた。致死量スレスレの鎮痛剤が血管を駆け巡り、瞳孔は極限まで開いている。<br><br>[A:ナギ:狂気]「ハァッ……ハァッ……。待ってろ……今、ぶっ壊してやるからな……!」[/A]<br><br>[Pulse]激しい心音。[/Pulse]<br><br>立ち塞がる重装甲兵の関節を正確に撃ち抜きながら、血溜まりの中を突き進む。口から血泡を吐きながらも、ただ一つの熱を帯びた執念だけで両足を動かしていた。<br><br>最上階。マザー・コアの制御室。<br><br>重厚なブラストドアを蹴り破った。巨大な円柱状の培養槽が、冷たい青白い光を放つ。その液体の中で、無数のケーブルに全身を貫かれたシオンが宙に浮かんでいた。顔は苦痛に歪み、小さな口から音のない悲鳴が漏れ続けている。<br><br>[A:ナギ:絶望]「シオン……!!」[/A]<br><br>駆け寄ろうとした足元に、銃弾が突き刺さった。<br><br>[A:ジン:冷静]「ここまで来るとは、賞賛に値する。だが、システムは既に彼女を完全に同化しつつある」[/A]<br><br>部屋の奥から現れたジン。特務制服には一滴の返り血も浴びていない。<br><br>[A:ナギ:怒り]「ジン……テメェの狂った正義のせいで、何人が犠牲になるんだ!!」[/A]<br><br>[A:ジン:怒り]「犠牲ではない、礎だ。人類の平穏を守るためのな!」[/A]<br><br>ジンが警棒を振りかざし、肉薄する。ナギは防御を捨てた。警棒が肋骨を砕く鈍い音が響く中、自身の体に縫い付けたケーブルを引きちぎり、マザー・コアのメインコンソールへと[Shout]直接叩き込んだ![/Shout]<br><br>[Glitch]『警告。不正なアクセス。ファイアウォール・シールド低下』[/Glitch]<br><br>[A:ナギ:狂気]「物理で勝てねぇなら……こっちで勝負だ!!」[/A]<br><br>視界が反転する。莫大なデータ流が脳髄を焼き切り、意識がシオンの深層領域へと強制的にダイブしていく。現実世界の肉体が崩れ落ちる音を、ナギはもう聞いていなかった。<br><br>◇◇◇<br><br>***第五章: 星屑のレクイエム***<br><br>[System]<br>精神領域への接続完了。<br>同調率:限界突破。<br>[/System]<br><br>真っ白な空間。上下左右の感覚がない無の底で、シオンは蹲っていた。黒いノイズが蛇のように細い手足を締め上げ、数千万人の憎悪と悲哀が呪詛のように渦巻いている。<br><br>[Blur]「……痛い……苦しい……誰か……」[/Blur]<br><br>擦り切れた声。自我が崩壊する寸前。<br><br>その暗闇に、重い足音が響いた。<br><br>[A:ナギ:愛情]「迎えに来たぜ、お姫様」[/A]<br><br>ナギの姿が現れる。彼は持てる技術の全てを賭けて、脳内に保存していた「世界で一番美しい記憶」のデータを、彼女の領域へ解放した。<br><br>[Magic]《メモリー・フルドライブ:ブルー・オーシャン》[/Magic]<br><br>[FadeIn]瞬間、白の世界が塗り替わる。[/FadeIn]<br><br>見渡す限りの、終わらない青い海。<br>どこまでも続く水平線。白い砂浜。頬を撫でる、優しい潮風の匂い。<br><br>[A:シオン:驚き]「あ……。これ、は……?」[/A]<br><br>彼女を縛り付けていた黒いノイズが、潮の満ち引きと共にサラサラと砂に変わって崩れ落ちた。<br><br>[Sensual]<br>ナギは膝をつき、呆然とするシオンの華奢な体を強く抱きしめる。<br>大きな手が、銀色の髪を優しく撫でた。シオンは恐る恐る手を伸ばし、ナギの広い背中に腕を回す。確かな体温。ドクン、ドクンという力強い鼓動。<br><br>[A:ナギ:悲しみ]「ごめんな。俺には、世界をぶっ壊す力はねぇ。……でも、お前の心だけは、誰にも渡さねぇ」[/A]<br><br>[A:シオン:喜び]「ナギさん……。海の匂いが、します。とても、綺麗……」[/A]<br><br>シオンはナギの胸に顔を埋め、静かで確かな微笑みを浮かべた。<br>[/Sensual]<br><br>現実世界。エデン・ネオの夜空。<br><br>[Flash]パツン、と音がした。[/Flash]<br><br>街を覆い尽くしていた極彩色のホログラムネオンが、一斉に消灯する。システムの負荷が限界を超え、数秒間のブラックアウトを引き起こしたのだ。<br><br>人々は空を見上げる。偽りの光が消え去った頭上に広がっていたのは、何百年ぶりかに姿を現した、圧倒的なまでの満天の星。<br><br>ガラス片の散乱する制御室。ジンは膝をつき、信じられないものを見るように夜空を見上げていた。冷徹な顔に、一筋の雫が伝う。<br><br>培養槽の中で眠るシオンの唇には、確かな笑みが刻まれていた。彼女はもう、ただの部品ではない。<br><br>◇◇◇<br><br>数ヶ月後。<br><br>[Pulse]雨が、トタン屋根を静かに叩いている。[/Pulse]<br><br>薄暗い路地裏。コートを羽織ったナギは、一本のタバコに火をつけた。紫煙が酸性雨に溶けていく。<br><br>密売人はもう辞めた。手元に残ったのは、旧時代のレコードと、あの海辺の記憶のバックアップだけ。胸の奥には、シオンから受け取った「本物の痛み」が、決して消えない傷跡として熱を帯びている。<br><br>ナギは錆びた街の空を見上げた。ネオンの海の向こう側には、確かに星が瞬いている気がした。<br><br>[A:ナギ:愛情]「またな、シオン」[/A]<br><br>雨音だけが、彼の呟きを優しく包み込んでいた。