排気ファンが重い唸り声を上げ、酸性の雨が錆びたトタン屋根を容赦なく叩きつける。
油と泥にまみれた手指が、うず高く積まれたスクラップの山から金属塊を引き抜いた。
完全管理都市エデン、第7廃棄区画。
ボロボロに擦り切れた労働用ジャンプスーツの袖口。そこから、赤黒く錆びついた右腕の義体が剥き出しになっている。
レヴィの視界には、常に砂嵐のようなノイズが走る。人工眼球の焦点が合うたび、脳内に甘ったるい合成音声が囁きかけてきた。
『あなたは満たされています。エデンの庇護に、感謝を』
ガ、ガガ……ピーーーー。
突如、視界が明滅する。
後頭部から首筋にかけて、凄まじい衝撃が走った。
ドクン。
スパークする機械の破裂音。
同時に、肉が焼け焦げる強烈な匂いが鼻腔を突く。
強制入力されていた分厚い膜が、粉々に弾け飛んだ。
脳髄に白熱した鉄の杭を直接打ち込まれたような激痛。
ガアアアアアッ!
地面を転げ回り、ヘドロの混じった泥の冷たさに頬を擦りつけた。
発火した首筋のチップが、生身の肉を焼いている。
息が詰まる。
痙攣する喉。
だが。
首筋の焼け焦げた肉の感触を指でなぞると、生ぬるい液体の粘り気がべったりと張り付いた。
ドクン、ドクン。
痛い。熱い。息ができる。
分厚いガラスの向こう側にあった世界が、今、生々しい質量を持って彼を打ち据えている。
甲高い警報音。武装した警備ドローンが宙を滑るように接近してきた。
レヴィは立ち上がり、赤黒い義腕を唸らせる。
硬質な装甲を素手で粉砕し、飛び散る黒いオイルと自身の血を全身に浴びた。
レヴィ「これが……俺だ」
低く掠れた声が、血の味と共に喉の奥から絞り出される。
そこに、場違いな拍手の音が響いた。
クロウ「最高にイカれてるよ、君」
白に近い銀髪。額に乗せたハイテクなゴーグル。仕立ての良い黒いレザーコートを着崩した男が立っている。
男は靴底で血溜まりを踏みにじりながら、人を食ったような薄ら笑いを浮かべていた。

暗い地下水脈の腐臭が、肺の奥まで侵食してくる。
エデンの最下層、光の届かないスラムの片隅。
タバコの紫煙が、湿った空気に澱んでまとわりつく。
ジル「無駄口を叩くな。呼吸の音すら鬱陶しいわ」
サイドを荒く刈り上げた黒髪。左目から頬にかけて走る無骨なタトゥー。
機能性重視の薄汚れたタクティカルギアを軋ませ、女は冷たい眼差しで二人を値踏みした。
手には分解された銃器のパーツが握られ、強烈な硝煙の匂いを放っている。
クロウ「外の世界は最高だよ。彼女がそこへのルートを知ってるんだよね。頼りになるじゃん?」
銀髪の男が皮肉げに肩をすくめた。
ジル「金が先よ。それと、私の指示には絶対に従いなさい。足手まといは容赦なく置いていく」
足元に転がる空薬莢を踏み越え、三人は狭い地下通路を進む。
カビとヘドロの匂いが鼻を突く暗がり。
レヴィは歩みを進めるたび、自らの首筋にある焼け焦げた傷跡を指でなぞる。
そのたびに蘇る鋭い痛みが、自分が今、確かにここに存在していることを証明していた。
不意に。暗闇の奥で赤いレーザーサイトが幾筋も交差する。
鼓膜を破る銃声。
コンクリートが砕け、白い粉塵が舞う。

治安維持部隊の重武装兵が、通路の先を完全に封鎖していた。
ジルが舌打ちをし、タクティカルギアのポーチから円筒形の指向性地雷を引き抜く。
彼女は迷うことなく、レヴィの背中を部隊の方へと強く突き飛ばした。
ジル「自由なんてクソよ。最後に息をしていた奴が勝ちなの。死んで囮になりなさい」
閃光と爆風。
通路の天井が崩落し、ジルとクロウの姿が瓦礫の向こう側へ消える。

取り残されたレヴィの右肩から、人工装甲がひしゃげた音を立てて火花を散らした。
飛び交う鉛の雨がジャンプスーツを貫き、生身の左脚の肉を削り取る。
焼け付くような激痛が、全身の神経を駆け巡った。
義体の痛覚遮断プロトコルが自動起動しようとするのを、彼は自らの意思で強引にへし折る。
レヴィ「もっとだ……もっと抉れ……!」
口の中に広がる生温かい鉄の味。
義体の駆動限界を超えた警告音が鳴り響く。
弾幕の中を、獣のように地を這って突進した。
重武装兵の喉笛に、赤黒く錆びた鋼鉄の指が深く食い込む。
肉が裂け、気管が砕ける生々しい感触。
噴き出した返り血が顔を濡らす。熱い。地下の泥水よりずっと熱い。
一人、また一人と、生きた肉の塊を暴力で叩き潰していく。
硝煙と血の匂いが混ざり合い、密閉された空間を満たす。
血の海に沈む部隊を足蹴にし、息を荒げながら、再び首の傷をなぞる。
レヴィ「この血の匂いと痛みだけが……俺が本物である証明だ」
瓦礫の隙間から、薄ら笑いを浮かべる銀髪が覗き込んだ。
クロウ「最高だよ。さあ、君のその目で確かめに行こうぜ」

クロウに導かれ、死体の山を越える。
冷たい風の匂いが変わった。
そそり立つ、巨大なコンクリートの壁。都市エデンを外界から隔絶するゲート。
重々しい機械音が腹の底を揺らし、巨大な鋼鉄の扉がゆっくりと左右に開いていく。
外の光が、ノイズの走る網膜を灼いた。
だが、そこに広がっていたのは。
見渡す限りの、灰色。
放射能に汚染され、ひび割れ、干からびた大地。
黒い灰が、雪のように舞い落ちている。
生命の息吹など微塵もない、絶対的な死の焦土。
背後で、カチャリと冷たい金属音が響いた。
銃口が、レヴィの後頭部に押し当てられる。
クロウ「ここまでだよね。いやあ、いいデータが取れたよ」
軽薄な口調の裏に、無機質な管理システムの響きが混じった。
クロウ「チップが壊れた個体が、どこまで箱庭に抗うか。君の足掻き、最高の暇つぶしだったじゃん」
管理AI直属の特務監視官。
仕組まれた逃亡劇。
外の世界など、初めから存在しなかった。
舞い落ちる灰が、レヴィの血塗れた頬を濡らす。
静寂。
そして。
ククッ……アハハハハハッ!
低く掠れた声が、やがて狂気じみた爆笑へと変わる。
腹を抱え、血の混じった唾液を散らして、レヴィは笑い転げた。
クロウ「……何がおかしいんだよ」
薄ら笑いが消え、クロウの整った顔が引きつる。
レヴィは振り返り、ノイズの走る人工眼球でクロウを射抜いた。
レヴィ「誰も管理しねえ。幸福も押し付けられねえ。ここで野垂れ死ねる……!」
首筋の傷痕から、赤黒い血が止めどなく滲み出す。
義体制御領域・リミッター強制解除
肉体が、内側から崩壊する音。
筋肉の繊維が千切れ、骨が軋みを上げる。
限界を超えた駆動力が、彼の肉体を自壊させる凶器へと変貌させた。
これが自由だ!!
銃口が火を噴くより速く、錆びた右腕がクロウの顔面に叩き込まれる。
グシャリ。
ハイテクなゴーグルが粉々に砕け、眼球と骨の破片が脳髄に突き刺さる。
悲鳴を上げる隙すら与えない。
圧倒的な質量の暴力が、レザーコートの男をただの肉塊へと変えていく。
砕けた頭蓋の感触、滴る脳漿の生ぬるさ。
拳を振り下ろすたびに、レヴィ自身の肉体もまた削れ、壊れていく。
その凄まじい激痛が、全身の細胞を歓喜で打ち震わせた。
監視者の血で濡れた顔のまま、レヴィはゆっくりと立ち上がる。
ひしゃげた脚を引きずり、死の焦土へと一歩を踏み出す。
灰色の世界。
彼の歩んだ後には、焼け付くような赤い足跡だけが、どこまでも刻まれていった。