第一章: 百七回目の初めまして
夕立が空を洗い流す。むせ返るような雨上がりのアスファルトの匂いが鼻腔を突いた。
濡れたフェンスに身を預け、瀬野燈は遠い空を睨みつける。
海風に煽られる長めの黒髪。消えない薄い隈が刻まれた目の下で、それが煩わしく揺れる。
着崩した胸ポケットに潜む、針の止まった古い懐中時計。その冷たい感触こそが、彼を現実に繋ぎ止める唯一の重石だ。
[Think]また、ここから始まる。[/Think]
虚空を見透かす三白眼を伏せ、燈は錆びた屋上天文台のドアノブに手を掛けた。
軋む金属音。
開かれた視界。
昼間の空だというのに、不自然なほど絢爛な流星群が降り注いでいる。
星明かりの下。彼女がいた。
[A:星宮 紡:照れ]「あ……ごめんね。勝手に入っちゃって」[/A]
透き通るような白い肌。風に溶けそうな、色素の薄い亜麻色の髪。
シャツの第一ボタンまで締め、きっちりと結ばれた赤いリボン。
今にも陽光の彼方へ消え入りそうな細い輪郭が、ゆっくりと燈へ振り向く。
[Pulse]ドクン、と。[/Pulse]
胸の奥。千切れるような鈍痛が跳ねる。
百六回分の喪失の記憶。血に塗れた彼女の指先。動かなくなった心臓の音。
それら全てを強靭な意志で呑み込み、燈は歩み寄った。
[A:瀬野 燈:愛情]「いや。俺も、今来たところだ」[/A]
[A:星宮 紡:喜び]「ほんと? よかった。私、星宮紡だよ。君は?」[/A]
[A:瀬野 燈:愛情]「……瀬野燈だ」[/A]
喉仏が微かに上下する。
奥歯を噛み締め、決して震えを悟らせないように、極めて自然な口調を構築する。
紡の唇が弧を描いた。陽だまりのような柔らかい微笑み。
[A:星宮 紡:喜び]「そっか。よろしくね、燈」[/A]
[Sensual]
差し出された細い手。
燈は躊躇いながらも、その白い指先を包み込んだ。
ひんやりとした、けれど確かな命の熱が、掌から脈を打って伝わってくる。
指の腹でそっと彼女の体温を確かめるように撫でる。紡の亜麻色の睫毛が、微かに震えた。
[/Sensual]
[Impact]空に、微かな亀裂の音が響く。[/Impact]
見上げれば、降り注ぐ星屑の向こう側。
硝子細工のドームにヒビが入るように、空間そのものが微小な歪みを上げている。
世界はすでに、底から腐り落ち始めている。
それでも構わない。燈は紡の手を、より強く握り直した。

第二章: 綻ぶ因果と監視者
ブレーキの絶叫。
大型トラックの巨体が交差点へ突っ込む直前。燈は紡の腕を引き寄せ、路地裏へと転がり込んだ。
鼓膜を劈く衝突音。ひしゃげる鉄の臭気が、生温かい風と共に吹き抜ける。
[Tremble]「っ……!」[/Tremble]
[A:星宮 紡:驚き]「燈……! 大丈夫、怪我はない……?」[/A]
[A:瀬野 燈:冷静]「ああ。君が無事なら、それでいい」[/A]
アスファルトに擦れ、血の滲む自らの肘を一瞥もせず、燈は立ち上がる。
百六回の死の記憶。次に起こる運命のフラグは、完全に把握している。
紡の服についた埃を払い、燈は周囲の空間を鋭い三白眼で舐め回した。
路地の奥、影の溜まり場。
[A:灰原 朔:冷静]「相変わらず、無様な綱渡りだろ」[/A]
銀髪に近いアッシュグレーの髪が、暗がりで鈍く光る。
首元の銀のチョーカーに触れながら、灰原朔が冷たい足音を響かせて現れた。
[A:瀬野 燈:冷静]「朔。お前には関係ないことだ」[/A]
[A:灰原 朔:怒り]「関係大ありだ。見ろ、空を」[/A]
朔の顎がしゃくる。
見上げた頭上。澄み切った青空のど真ん中に、巨大なガラスの亀裂が走っていた。
砕け散りそうな空の破片が、光を乱反射してきらきらと落ちてくる。
[A:灰原 朔:怒り]「お前の狂ったエゴが、世界を底から腐らせていることに気付け、馬鹿野郎」[/A]
鋭い目つきの奥で、朔の眉間が痛ましげに跳ねる。
空間の綻びを感知する時の番人。大局的な秩序を守る彼にとって、燈の行動は明確な反逆だ。
[A:瀬野 燈:狂気]「世界がどうなろうと知るか。俺は、彼女を生かす」[/A]
[A:灰原 朔:悲しみ]「その結果が、因果の完全崩壊だとしてもか。……お前、本当に後悔しないんだな」[/A]
舌打ちを残し、朔の姿が陽炎のように溶けて消える。
ブラックコーヒーの苦味のような後味が、舌の付け根にこびりついて離れない。
頭上の亀裂は、音もなく広がり続けていた。

第三章: 暴かれた祈りの痕
廃墟と化した旧校舎。
本来のループであれば、紡がここに立ち入る理由は一切存在しない。
だが、燈の予知を裏切るように、彼女は崩落の危険が迫るこの場所へ向かっていた。
[Flash]ミシッ、という嫌な破断音。[/Flash]
[A:瀬野 燈:恐怖]「紡!!」[/A]
天井のコンクリートが剥がれ落ちる。
燈は地を蹴り、砂埃の舞う中へ飛び込んだ。
彼女の細い腰を抱き留め、床を激しく転がる。
直後。先程まで紡が立っていた場所が、轟音と共に瓦礫の山に沈んだ。
[Blur]むせ返るような砂塵。肺を刺す古い建材の匂い。[/Blur]
[A:瀬野 燈:怒り]「何をしているんだ! なぜこんな場所に来た!」[/A]
激しい動悸を抑えきれず、燈は初めて声を荒らげる。
だが、腕の中の紡は抵抗することなく、ただ静かに目を伏せていた。
その手から滑り落ちた、一冊の古いノート。
図書館の古い天文書の匂いが染み付いた表紙が開く。
[Glitch]パラパラと風に捲られるページ。[/Glitch]
そこに記された文字の羅列に、燈の呼吸が止まった。
異常なまでの記憶力が、ページの内容を一瞬で脳裏に焼き付ける。
『六十三回目。雨の交差点。燈が庇ってくれた』
『八十二回目。旧校舎の屋上。燈の右腕が』
『百六回目。また、私を助けてくれた』
[Tremble]指先が、氷のように冷え切っていく。[/Tremble]
ページの最後の行。
歪んだ筆致。ページを埋め尽くすように書かれた無数の文字。
『燈、ごめんね』
『どうか、私を忘れて』
[A:瀬野 燈:絶望]「……なんだよ、これ。お前も、覚えていたのか」[/A]
唇の端が痙攣する。
完璧に隠し通していたはずの優しい嘘。世界を犠牲にしてでも彼女を救おうとした、燈の歪なエゴ。
だが紡もまた、無限の地獄から彼を解放するため、自ら生贄になる機会を探し続けていたのだ。
[A:星宮 紡:悲しみ]「燈の苦しむ顔、もう見たくないんだよ」[/A]
亜麻色の髪を揺らし、紡はひどく穏やかに微笑む。
それは、決定的な拒絶のサインだった。

第四章: 砕け散る世界の破片
運命の星降る夜。
世界の強制力は、限界値を超えた。
[Shout]ガシャンッ!![/Shout]
耳を劈く破砕音。
街の景色。ビル。アスファルト。全てが巨大な硝子の破片となって宙に舞い上がる。
重力は狂い、万物が空の亀裂へと吸い込まれていく。
終焉の光が網膜を焼く中、燈は必死に紡の手首を掴んでいた。
[A:瀬野 燈:狂気]「離すな! 絶対に、俺が引き上げる!!」[/A]
口の中に広がる血の鉄の味。
割れた硝子が燈の頬を切り裂き、鮮血が宙を舞う。
胸ポケットの懐中時計が、けたたましいノイズを上げて軋み始めた。
[Magic]《クロノス・オーバーライド》[/Magic]
自らの命の残滓を削り、因果律に干渉する。
空間の歪みが燈を中心に渦を巻き、紡を引き寄せようとする。
だが。
[Sensual]
紡の冷たい指先が、燈の頬の血をそっと拭う。
荒れ狂う嵐の中にあって、彼女の指の感触だけが、ひどく鮮明に、甘く皮膚に焼き付く。
その透き通るような肌が、足元から徐々に光の粒子へと分解され始めていた。
[/Sensual]
[A:星宮 紡:愛情]「大丈夫だよ、燈。明日もきっと、綺麗な空が見えるから」[/A]
[A:瀬野 燈:絶望]「やめろ……やめろぉぉぉ!! ふざけるな!!」[/A]
[A:星宮 紡:愛情]「私のために、燈の世界を壊さないで」[/A]
ゆっくりと、彼女の指が滑り落ちる。
陽だまりのような微笑み。
圧倒的な光の奔流が空間を呑み込み、星宮紡という存在を世界から完全に消去した。
[FadeIn]空っぽになった掌。[/FadeIn]
そこに残されたのは、僅かな温もりだけ。
膝から力が抜け、燈はひび割れた大地に崩れ落ちる。
完璧な孤独。完全な闇。
[Shout]「あ、あああ……あああああああああっ!!!」[/Shout]
喉を引き裂くような絶叫が、音のない世界に虚しく響き渡った。

第五章: 瓦礫の上の初恋
静寂。
全てが崩壊し、暗黒に沈んだ空間。
虚脱状態の燈の前に、ただ一つ、微かな光の瞬きが現れた。
[Pulse]淡い、亜麻色の光。[/Pulse]
消滅したはずの星屑。
一つ、また一つと集まり、燈の周囲を包み込む。
過去百七回のループの中で、紡が世界のあちこちに蒔き続けていた祈りの残滓。
蓄積された想いの質量が、死に絶えた因果の海に奇跡の波紋を広げている。
[A:灰原 朔:悲しみ]「……本当に、救いようのない馬鹿共だ」[/A]
空間の狭間から、朔が静かに現れる。
銀のチョーカーを指で弾き、彼は幾何学的な光の数式を宙に展開した。
[A:灰原 朔:冷静]「お前たちの不器用な想いが、世界の底をぶち破った。理の再構築が始まるぞ」[/A]
圧倒的な光の渦。
巻き戻るのではない。前に進むための再誕。
燈は立ち上がり、光の中心へと手を伸ばす。
[A:瀬野 燈:愛情]「何度世界が壊れても、俺は必ず君を見つけ出す。だから、泣かないでくれ」[/A]
光の中から細い指先が現れ、燈の手を強く握り返した。
[Flash]視界が真っ白に染まる。[/Flash]
気がつけば、夜明けの澄んだ空気が肺を満たしていた。
足裏に伝わる、乾いた瓦礫のざらつき。
半壊した街並み。ひび割れた空。
決して完璧ではない。傷だらけの不完全な世界。
[A:星宮 紡:照れ]「燈……」[/A]
隣には、亜麻色の髪を風に揺らす紡がいる。
透明に消え入りそうな儚さは、もうない。
彼女の瞳の奥には、確かな命の灯火が宿っていた。
[A:瀬野 燈:愛情]「行こう。俺たちの明日へ」[/A]
胸ポケットの古い懐中時計が、百七回の沈黙を破る。チクタクと静かに時を刻み始めた。
二人は瓦礫の山の上に立ち、しっかりと手を取り合う。
硝子の空が完全に割れ落ちた向こう側に、どこまでも青く、澄み切った未知の夜明けが広がっていた。