第一章: 終わりの始まり
アスファルトから立ち昇る雨の匂い。鼻腔を灼く不快な熱。
錆び付いた廃線跡の枕木。黒い革靴が、水溜まりを静かに踏み砕く。
少し癖のある黒髪から滴る雨粒。無精髭の生えた顎のラインを、滑り落ちていく。
二十八歳。淀みきった眼差しで、鉛色の空を睨みつける。
警報機のない踏切。
[Glitch]カン、カン、カン。[/Glitch]
幻聴か。錆びたベルの音が、耳の奥を掻き毟る。
[Think]あの時、もっと上手くやれていれば。[/Think]
胃の腑から込み上げる酸烈な後悔。喉を焼き尽くす、吐き気。
[Flash]次の瞬間、視界が白く焼き切れた。[/Flash]
全身を貫く光の奔流。
鼓膜を劈く蝉時雨が、脳の襞まで侵食する。
瞬き。
眩暈がするほどの、青。巨大な入道雲が天蓋を覆い尽くしている。
見下ろせば、着崩した夏服の制服。第二ボタンまで開けた半袖の白シャツを、微温い海風が撫でる。
[A:波瑠 夏帆:喜び]「朔! 早くしないと、サイダーの泡、消えちゃうよ!」[/A]
心臓を、素手で鷲掴みにされる。
風に揺れるショートボブ。透明感のある白い肌。
防波堤の上で笑う、白く透き通るような少女。
波瑠夏帆。十一年前の夏に、死んだはずの初恋。
彼女の差し出す瓶の表面。無数の水滴。
[Pulse]ドクン、ドクン、ドクン。[/Pulse]
脈打つ頸動脈。浅海朔は、震える手でその冷たいガラス瓶を受け取る。
指先が触れ合う。
[Sensual]
肌を伝う、確かな微熱。生々しい体温。
炭酸の弾ける微かな音が、二人だけの空間を支配する。
[/Sensual]
上下に動く喉仏。
神が与えた残酷な贖罪の舞台か。
[A:浅海 朔:冷静]「……ああ。すぐ行く」[/A]
微かに震える声帯を抑え込み、歩み寄る。
[Tremble]もう二度と、この手を離しはしない。[/Tremble]
瓶の底で揺れるガラス玉。カランと高く、鳴り響いた。

第二章: 偽りの青空と沈む影
夕暮れの星海町。
潮の匂いに混ざり合う、微かな線香の煙。
防波堤に腰掛け、朔はラムネの瓶を傾ける。舌の上で暴れる炭酸の刺激。甘ったるい香料の味。かつての記憶を、生々しく抉り出す。
[A:高瀬 航:興奮]「おい朔、さっさと火ィ貸せよ! しけるだろ!」[/A]
横から伸びてくる、日に焼けた逞しい腕。
泥の跳ねた野球部のTシャツ。がっしりした体格の高瀬航が、手持ち花火を突き出してくる。
ジッポライターの蓋を弾く朔。
シュボッ。赤い火花が暗闇を食い破る。
[A:波瑠 夏帆:喜び]「わぁっ、綺麗……!」[/A]
火花に照らされる、黄金色の瞳。
向日葵のような笑顔。無邪気なその横顔を、朔は瞬きもせず網膜へ焼き付ける。
[A:雨宮 雫:冷静]「はしゃぎすぎですよ、先輩方。ピントが合いません」[/A]
少し離れた場所。
長い三つ編み。丸眼鏡の奥からファインダーを覗き込む雨宮雫。紺色のセーラー服の襟が、夜風に煽られる。
カシャリ。乾いたシャッター音。
完璧な夏。瑞々しい青春の断片。
だが、大人としての記憶を持つ朔の背筋には、べっとりと冷や汗が張り付いている。
[Think]失われたはずの時間。美しすぎる日常。[/Think]
出来すぎた予定調和。吐き気がする。
数日後。
放課後の現像室。ツンとした酢酸の匂いが充満する暗がり。
雫がピンセットで、一枚の印画紙を引き上げる。
赤いセーフライトに照らされたソレ。朔の呼吸が、止まる。
[Tremble]指先が、小刻みに痙攣する。[/Tremble]
[A:浅海 朔:驚き]「……なんだよ、これ」[/A]
写っているのは、夕暮れの海辺。
だが、笑っているはずの夏帆の足元。水面下へ向かって伸びる、幾重ものどす黒い影。無数の手が、彼女の細い足首を海溝の底へと引きずり込もうとしている。
死の予兆。
[A:雨宮 雫:冷静]「言ったはずです。美しい瞬間は、残酷なものだと」[/A]
丸眼鏡の奥。達観した瞳が、朔を射抜く。
ポタン、ポタン。
現像液の滴る音だけが、やけに大きく響いていた。

第三章: 観測者の宣告と破滅の足音
教室の裏手、焼却炉の陰。
ジリジリと肌を焦がす直射日光。コンクリートの壁に背を預ける朔。
汗で、シャツが背中に張り付く。
夏帆の死。不慮の事故などではなかった。
昨日、偶然見てしまった彼女の腕。白い肌に刻まれた、無数の古傷。
時折見せる、虚無の底を覗き込むような暗い瞳。
家庭崩壊。終わりのない暴力と罵声。
絶望から逃れるため、彼女は自ら海へ歩みを進めたのだ。
[A:雨宮 雫:冷静]「気付いたようですね」[/A]
音もなく現れた雫。首から下げた一眼レフカメラのレンズを撫でる。
[A:雨宮 雫:冷静]「この世界は、夏帆先輩の強烈な未練が生み出した夢の残滓。泡沫の箱庭です」[/A]
[Impact]夢の残滓。[/Impact]
鼓膜の奥で反響する、絶望の単語。
[A:雨宮 雫:悲しみ]「朔先輩が、後悔のない『完璧な青春』を完成させた瞬間……この世界は役目を終え、夏帆先輩は完全に消滅します」[/A]
[A:浅海 朔:怒り]「ふざけるな。俺はあいつを救うために……!」[/A]
[A:雨宮 雫:冷静]「救おうとすればするほど、彼女の未練は昇華され、別れは確定する。それがこの世界の理です」[/A]
膝から力が抜け、崩れ落ちる朔。
コンクリートのザラついた感触。掌の皮を削る。
[Sensual]
突然、アスファルトを叩き始める夕立。
大粒の雨が朔の頬を打ち、開いた襟元から生暖かい熱を奪っていく。
濡れた前髪の隙間。ぐにゃりと歪む、偽りの世界。
[/Sensual]
救えば、消える。
彼女を笑顔にするたび、進む死へのカウントダウン。
[Shout]あぁぁぁぁぁっ!![/Shout]
喉を引き裂くような咆哮。
打ち付ける雨音。朔の慟哭を容赦なくかき消していく。
泥水に塗れた両手。白く骨張るまで、強く握り込まれていた。

第四章: 泥まみれの抵抗と交差する拳
夜。
星一つない暗闇。土砂降りの雨が降り続く。
朔は、夏祭りのために作られた灯籠を、次々と蹴り飛ばす。
破れる和紙。竹の骨組みが泥水に沈む。
美しい青春など、くれてやる。完璧な思い出など、ぶち壊してやる。
泥にまみれても、彼女を現実へ引きずり戻す。
[A:高瀬 航:怒り]「いい加減にしろよ朔ォ!!」[/A]
[Impact]鈍い衝撃。[/Impact]
右頬を殴り飛ばされ、泥濘に転がる朔の体。
口の中に広がる、鉄の血の味。
[A:浅海 朔:怒り]「……邪魔するな、航。俺はあいつを……!」[/A]
[A:高瀬 航:怒り]「お前だけが背負うな! お前だけが辛い面すんじゃねえ!」[/A]
馬乗りになり、胸ぐらを掴み上げる航。
雨に濡れた瞳。水滴とは違う熱い液体が、溢れ出している。
[A:高瀬 航:悲しみ]「俺だって……俺だって救いたかったんだよ! ずっと、あいつのことが……!」[/A]
言葉の尻。嗚咽に変わる。
震える拳。直情径行で、いつも一歩引いて朔を支えていた男の、ひた隠しにしてきた本音。
[A:高瀬 航:絶望]「俺は脇役だ。お前と夏帆の邪魔はしたくなかった。でもな……あいつが死んでいい理由になんかならねえだろ!」[/A]
朔は泥だらけの右腕を振り上げ、航の頬を殴り返す。
骨と骨がぶつかる、鈍い音。
[A:浅海 朔:狂気]「なら一緒に来い! 綺麗事なんか全部捨てて、あいつの絶望ごと引きずり出すんだよ!」[/A]
激しい雨の中。泥に塗れながら、何度も交える拳。
痛みが、熱が、互いの輪郭を明確に削り出していく。
雨の冷たさすら忘れる、魂の衝突。
[A:高瀬 航:冷静]「……ったく、お前は本当にしょうがねえな」[/A]
荒い息を吐きながら、口元の血を拭う航。
その顔に浮かぶ、憑き物が落ちたような不敵な笑み。
明日はいよいよ、運命の夏祭り。
全てを壊し、全てを奪い返す夜が来る。

第五章: サイダーの泡が消える前に
夜空を焦がす、大輪の菊。
[Impact]ドン。[/Impact]
鼓膜を震わせる爆音。色鮮やかな光の雨が、星海町の海を照らし出す。
夜風に乗って鼻腔をくすぐる、火薬の匂い。
防波堤の突端。
暗い海を見下ろす位置に立つ、夏帆。
風に翻る白いワンピース。その背中は、透き通るように儚い。
[A:波瑠 夏帆:悲しみ]「朔……航……ごめんね。私、もう十分だよ。すごく、幸せだった」[/A]
振り返った顔。涙で濡れた頬。
自分が消えることで、全てが丸く収まる。そう信じ込む、破滅の笑顔。
ゆっくりと虚空へ傾く、彼女の体。
重力。暗い水底への手招き。
[A:浅海 朔:絶望]「行かせるかぁぁぁ!!」[/A]
アスファルトを蹴り砕く勢いで、跳ぶ朔。
反対側から、猛然とダッシュする航。
[FadeIn]スローモーションのように引き延ばされる時間。[/FadeIn]
海面へと落ちていく、細い両腕。
朔の左手が彼女の右腕を。航の右手が彼女の左腕を。
同時に、強く、骨が軋むほどに掴み取る。
[A:高瀬 航:怒り]「勝手に終わらせんじゃねえ! お前の抱えてるもん全部、俺たちが半分持ってやる!」[/A]
[A:浅海 朔:愛情]「綺麗な思い出なんかで終わらせない! 泥だらけでも、不格好でも……俺たちと一緒に生きてくれ!!」[/A]
指先に食い込む、確かな熱。脈拍。
[Sensual]
絡み合う三人の指先。眩いほどの熱量が、うねりとなる。
大きく見開かれる夏帆の瞳孔。張り詰めていた絶望の糸が、プツリと音を立てて切れた。
[/Sensual]
[A:波瑠 夏帆:驚き]「あ……ぁ……」[/A]
夜空に溶ける、嗚咽。
その瞬間。
[Glitch]パチン、と。世界に亀裂が走る。[/Glitch]
[Flash]視界の全てを呑み込む、圧倒的な光の奔流。[/Flash]
◇◇◇
アスファルトから立ち昇る雨の匂い。
気付けば、錆び付いた廃線跡の枕木の上に立つ朔。
黒いスラックス。擦り切れた革靴。
二十八歳の肉体。
頬を撫でる、微かに冷たい風。
夏の終わり。
終わったのか。全ては幻のように。
胸の奥に空いた、ぽっかりとした虚脱感。
だが、手に残る彼女の熱。細胞に刻み込まれた、確かな感触。
[A:高瀬 航:冷静]「おい朔。いつまでぼーっとしてんだよ。置いてくぞ」[/A]
背後からの、ぶっきらぼうだが温かい声。
[Pulse]ドクン。[/Pulse]
大きく跳ねる心臓。
ゆっくりと、振り返る。
そこには、仕立ての良いスーツを着崩した、大人になった航。
そして、その隣。
少しだけ伸びた髪を風に揺らし、向日葵のような笑顔を浮かべる女性。
[A:波瑠 夏帆:喜び]「大丈夫、なんとかなるって言ったでしょ?」[/A]
目尻に涙を浮かべながら、笑う彼女。
遠くで優しく響く、波の音。
サイダーの泡が弾けるような、清冽な希望の音。
朔は、ゆっくりと歩みを進める。二度と失うことのない、新しい未来へ。
歩幅に合わせるように。カランと、心の中で透明なガラス玉が鳴った。