第一章: 錆びた墓標と星の雨
夕立が叩きつける廃村。腐敗した木材と、雨の匂いが混じった錆びた鉄の臭気。 ボサボサの黒髪の隙間から、隈の酷い三白眼が怯えたように周囲を窺う。猫背で身を縮めた少年は、身の丈に合わない粗末なローブで震えを押し殺す。 アレン・グレイの細く震える指先が、泥にまみれた石ころに食い込む。 息が、できない……っ 浅い呼吸を繰り返す彼の視線の先。 崩れかけた石壁を背に、月光のような銀髪が雨に濡れそぼっている。白と銀を基調とした聖騎士の鎧はひしゃげ、ひび割れた装甲から赤い液体が泥水へと垂れ落ちる。 巨大な魔物の爪が、ルミア・アステラの華奢な首筋へと振り下ろされようとしていた。 ルミア・アステラ「……ここまで、ですか。世界を、お救いできず……」 静かに閉じられる碧眼。 その瞬間、アレンの喉の奥から、破れた鞴のような絶叫が爆ぜた。 アレン・グレイ「ひぃっ! もうやめてぇぇぇ!!」 地面を這いずり、泥水に顔を突っ込みながらの醜い悲鳴。 だが、その哀れな命乞いの言葉が、廃墟の地下に眠る古の防衛魔法陣の起動パスワードと完全に合致。 ――カァンッ! 天を裂くような高音。 足元の泥濘から、幾何学的な光の紋様が暴力的なまでの輝きを放ちながら展開する。 降り注ぐ光の雨。空を覆う暗雲を貫き、一条の極光が魔物の巨体を呑み込んだ。鼓膜を破る断末魔すら光の中に溶け落ちる。 圧倒的な静寂。 硝子細工のように煌めく光の粒子。アレンの粗末なローブの上に降り注ぐ、星の残骸。 ルミアは呆然と目を見開き、泥にまみれたアレンの前にゆっくりと膝をついた。 ルミア・アステラ「ああ……なんて気高く、そして悲しいお姿……」 アレン・グレイ「あ、あの……ごめんなさい、違います……っ」 震える声は、ルミアの耳に届かない。 彼女はアレンの手を両手で包み込み、熱い涙を甲に落とす。 星降る空の下、最悪のすれ違いが幕を開けた。 ◇◇◇
第二章: 狂信と冷たい珈琲

王宮の最上階。ステンドグラスから差し込む陽光が、豪奢な絨毯を赤や青に染め上げる。 銀盆に置かれた純白の磁器。立ち昇る強い珈琲の苦味が、静寂の空間を満たしていた。 燃えるような赤髪を掻き上げ、ギルベルト・ヴァイスが鋭い黄金の瞳を細める。仕立ての良い漆黒の軍服の襟元をわずかに開け、彼は眼前の情景を冷ややかに見据えた。 ギルベルト・ヴァイス「おいおい、そんなハッタリが俺に通用すると思うなよ?」 大理石の柱の陰。 アレンは膝を抱え、過呼吸の発作に耐えるようにガタガタと震え続ける。 アレン・グレイ「ひぃっ、ごめんなさい! もう帰らせてください……!」 爪を噛み、壁のシミの模様を凝視するその姿。 だが、周囲を取り囲む神官たちは、恍惚とした表情で床にひれ伏していた。 「見よ! 御子様が、異界の神と交信しておられる!」 「我々の罪を一身に背負い、震えておられるのだ!」 ルミア・アステラ「御子様、どうかご無理をなさらず……この命、あなたに捧げます」 凛とした、しかしどこか切羽詰まった声。 ルミアが差し出した純白のハンカチを、アレンはひったくるように奪い、顔を覆う。 心臓が、肋骨を突き破りそうなほどに暴れていた。 違う、僕はただのゴミだ。誰も僕なんて見てないでくれ……! 罪悪感と恐怖。胃袋を冷たい手で鷲掴みにされるような激痛。 その時、アレンの足が偶然、壁際の燭台の影を踏みつけた。 ガコン、と響く鈍い音。 隠し扉が開き、長年探され続けていた王家の秘宝の地図が床に滑り落ちる。 凍りつく部屋の空気。 ギルベルトの眉間が一瞬だけ跳ねた。漆黒の軍服の袖口を握る手に、じわりと汗が滲む。 ギルベルト・ヴァイス「馬鹿馬鹿しい。あんな怯えた小動物が救世主だと? ……だが、あの奇跡は一体……?」 黄金の瞳に混じる、底知れぬ畏怖の色。 しかし、大気は突如として異様な粘り気を帯び始めていた。遠くの空で、雷鳴とは違う、重く不吉な咆哮が王都の結界を叩き割る。 圧倒的な絶望が、すぐそこまで迫っていた。
◇◇◇
第三章: 優しい嘘の代償

焦げた肉と硫黄の臭気。ドロドロに汚染される王都の空気。 黒煙が太陽を遮り、舞い散る灰が雪のように降り積もる街路。 四本腕の巨大な魔将が、瓦礫の山の上に君臨する。 アレン・グレイ「死にたくねぇぇぇ!!」 アレンは泥水の中を転がりながら、無様に背を向けて逃げ出す。 破れたローブ。黒髪は汗と埃で額に張り付いている。気配を消し、死に物狂いで路地裏へと走り込もうとしたその背中に、放たれた漆黒の呪いの槍。 空気を引き裂く轟音。 直後、アレンの視界が反転した。 柔らかく、温かい重みが彼を突き飛ばす。 白と銀の軽鎧が、黒い槍に貫かれる鈍い音。 「――あっ」 短い吐息。ルミアの銀髪が空中で弧を描き、重力に従って崩れ落ちる。 アレンの顔に、温かい血の飛沫が降り注いだ。 口の中に広がる血の鉄の味。 膝から崩れ落ち、震える両手でルミアの身体を抱き起すアレン。 アレン・グレイ「あ、あぁ……なんで、なんで! 僕はただの怯えた偽物だ! なのに……っ!」 喉の奥から漏れ続ける、形にならない嗚咽。 ルミアの碧眼は虚ろに揺らぎ、唇の端から一筋の血が伝い落ちる。 ルミア・アステラ「知っていました……」 その言葉に、アレンの呼吸が止まる。 彼女は血に染まった指先を伸ばし、アレンの泥だらけの頬にそっと触れた。 ルミア・アステラ「それでも……あなたはあの雨の日、私の心に光をくれた……」 理不尽な重圧に押し潰されそうだった自分を救い出す「理由」。彼女はそれを、この不器用で臆病な少年に見出していた。 指先から力が抜け、冷たい石畳の上へとすべり落ちる。 アレンの視界が、とめどなく溢れる涙でぐにゃりと歪む。 世界で唯一、自分に優しい嘘をついてくれた少女の命が、今まさに尽きようとしていた。 ◇◇◇
第四章: 臆病者の決死行

ドクン、ドクン、ドクン。 耳鳴りのように響く己の心音。 アレンは、ルミアの冷たくなりゆく手をゆっくりと石畳に置いた。 ボサボサの黒髪の奥、三白眼から完全に消え失せる怯えの色。 彼の「致命的な欠点」であった自己保身の壁が、音を立てて崩壊する。 アレン・グレイ「ふざけるな……! 返せ、彼女を返せぇぇぇ!!」 血と泥にまみれたローブを脱ぎ捨てる。 その細く頼りない背中を、ギルベルトが強い力で叩いた。 ギルベルト・ヴァイス「行くぞ、アレン。あのバケモノの首を落とし、呪いの元凶をぶっ壊す」 至る所が裂けた漆黒の軍服。赤髪は血と煤にまみれている。 だが、その黄金の瞳には、かつての嫉妬も傲慢さもない。ただ純粋な戦意だけが燃え盛る。 二人は瓦礫を蹴り、崩壊しつつある「星の祭壇」へと駆け出す。 肌を刺すような凍りつく冷風が吹き荒れる中、ギルベルトの剣閃が魔将の眷属たちを次々と切り裂く。 《黒光・絶影刃》 ギルベルト・ヴァイス「俺が道を作る! お前は走れ!」 アレンは振り返らない。 ただひたすらに、己の特技である死に物狂いの全力疾走で、祭壇の最深部を目指す。 転び、膝を擦りむき、爪が剥がれても、足をとめない。 ルミアの微笑みを取り戻す。その強烈な渇望だけが、アレンの身体を前へ前へと突き動かす。 祭壇の中心。宙に浮く漆黒の呪いの核が、脈打つように禍々しい光を放ち、二人を迎え撃とうとしていた。 ◇◇◇
第五章: 君だけの英雄

ガガ……ピーーッ……空間が、軋む。
崩壊を始める星の祭壇。狂う重力。巨大な石柱が天へと吸い込まれていく。 アレンは呪いの核へとその手を突き入れた。 皮膚が焼け焦げ、肉が爆ぜる激痛。だが、彼の唇の端は、微かに釣り上がっていた。
アレン・グレイ「世界なんて、どうでもいい」 警告:存在記憶の代償魔術を起動します。
《星天・忘却の祈り》
アレンの身体から、猛烈な勢いで溢れ出す星屑のような光の粒子。 それは呪いの核を食い破り、夜空に向かって一条の光の奔流となって立ち昇る。
アレン・グレイ「君が信じてくれたから、僕は君だけの英雄になれた」 光の粒子が空に溶け込むのと同時。アレンの姿は透明に透け、やがて完全に世界から消失した。 あとに残されたのは、浄化された静謐な星空だけ。
◇◇◇ 数年後。平和を取り戻した王都シエル・ロアの片隅。 焼き立てのパンの甘い香りが漂う石畳の路地。 仕立ての良いシャツを着た、少し猫背の青年が歩む。 向かいから、白と銀の清楚な私服を纏い、月光のような銀髪を揺らす少女。 二人は、すれ違う。
その瞬間。 ふわりと、風が彼女の銀髪を揺らし、青年の頬をかすめた。 ふと立ち止まり、振り返るルミア。 自分の目から、なぜかポロポロと涙がこぼれ落ちていることに気づき、彼女は小さく首を傾げた。
ルミア・アステラ「あれ……?」 胸の奥を締め付ける、名前のない温もり。 涙を指先で拭い、見知らぬ青年――アレンの背中に向かって、春の陽だまりのように優しく微笑みかける。 星降る空の下でついた優しい嘘は、もうどこにもない。 ただ、確かな光だけが、二人の足元を静かに照らし続けていた。