第一章: 潮騒と星屑の硝子
波が引く。濡れた砂浜が夕陽を照り返し、足元を一面の黄金色に染め上げた。
むせ返るような潮の香り。初夏の海風が無造作に伸びた黒髪を揺らす。煤けた藍色のエプロン。ポケットの横で、傷だらけの指先が真鍮の歯車を弄ぶ。
視線は、夕闇に溶けゆく水平線の彼方へ。
背後で、薄氷の割れるような音が響いた。
振り返る。オレンジ色の光の中で浮き彫りになるのは、クラシカルな白いワンピース。透き通るような銀髪。霜の降りたような青い瞳が、ただ真っ直ぐにアオバを射貫く。
真夏の砂浜。それなのに、彼女の足元で濡れた砂がパキパキと音を立てて凍りついていく。そこだけ空気が刺すように冷たい。
[A:シラユキ:冷静]「……あなたは、直す人でしょうか」[/A]
[A:アオバ:冷静]「そうだね。星巡り修繕店。大抵のものは直せるよ」[/A]
[A:シラユキ:絶望]「私は、結構です。直せないものも、あるはずですから」[/A]
白い指先が、不意にアオバの胸元へ伸びる。
エプロンの端に触れた瞬間。
藍色の布地から白い霜が急速に這い上がった。指先から伝わる、血液まで凍りつくような圧倒的な零下。
[A:アオバ:驚き]「君の心は……こんなに、冷えているんだね」[/A]
[A:シラユキ:冷静]「私の心は、もう冬のままですから」[/A]
琥珀色の瞳の奥で、アオバの異能が発動する。物に宿る記憶を視る力。
[Flash]視界が弾ける。[/Flash]
彼女の胸の奥底。無数の氷の破片。完全に砕け散り、鋭い棘をむき出しにした心の残骸。誰も傷つけないように。自分が傷つかないように。自らを幾重にも氷壁で閉じ込めた孤独の牢獄。
直せないものなんて、きっとないはずだから。そう嘯くアオバの喉仏が、ひどく乾燥した音を立てて上下に動く。
この少女を直すことは、自らの命を擦り減らすことと同義。
波の音が、不気味なほど大きく響く。
琥珀色の灯りが点る海辺の修繕屋に、終わりの見えない冬が訪れた。

第二章: 驟雨とオルゴール
雨の匂いが混じった錆びた鉄の臭気。夏の終わりを告げる冷たい驟雨が、トタン屋根を激しく打ち据える。
薄暗い店内。淹れたての珈琲から立ち昇る苦い湯気が、冷え切った空気を僅かに和らげている。
ドアベルが乱暴に鳴り響いた。
仕立ての良い黒のスーツ。眉間に深く刻まれた皺。疲労の色が濃い顔が、銀ぶちの眼鏡の奥から鋭い三白眼で店内をねめ回す。ずぶ濡れの肩から、苦い煙草の匂い。
ヨダカは無言のまま、カウンターに掌大の金属箱を叩きつけた。
[Impact]ガンッ![/Impact]
[A:ヨダカ:怒り]「規定外の魔法具だ。内部の魔力が臨界点に達している。すぐに停止しろ」[/A]
[A:アオバ:冷静]「オルゴールだね。停止じゃなく、修繕しようか。持ち主の記憶が、まだ息をしているから」[/A]
[A:ヨダカ:怒り]「規則は規則だ。例外は認めない。お前のその無鉄砲さが、いつかお前自身を殺すぞ」[/A]
オルゴールの表面には細かい亀裂が走り、青白いスパークが散る。
アオバは傷だらけの指先を、迷いなくその亀裂へ這わせた。
[Pulse]ドクン、と脈打つ金属。[/Pulse]
琥珀色の瞳が黄金に輝く。自らの魔力と寿命を削り、無機物に注ぎ込む禁忌の修繕。
黒髪がバチバチと静電気を帯びる。指先から流れ出た赤い光の粒子が、亀裂を強引に縫い合わせていく。
「がっ……」
喉の奥から漏れる、空気を引き裂くような呻き。
アオバの膝が折れかける。エプロンを握るシラユキの白い指が小刻みに震えた。
[A:シラユキ:恐怖]「なぜ、そこまで……! あなたの命が、削れています……!」[/A]
[A:アオバ:愛情]「大丈夫だよ。直せないものなんて、きっとないはずだから」[/A]
光が収まる。
静かなオルゴールの調べが、雨音に混じって響き渡った。
ヨダカは舌打ちをし、ずぶ濡れの背中を向けて店を出て行く。
残されたシラユキの青い瞳は、激しく揺らいでいた。
短命な人間の、息をするような自己犠牲。その不器用な温もりに強く惹かれるほど、彼女の胸の奥で氷の棘が鋭さを増す。
これ以上触れれば、彼を殺してしまう。
カシャン。
シラユキの足元で、床板が白く凍りつき、微かな亀裂を生む。
残酷な破滅のカウントダウンが、音もなく始まっていた。

第三章: 秋の黄昏、凍る心
秋の夕暮れ。枯れ葉がアスファルトを擦る音が、乾いた風に乗って響く。
星巡り修繕店の周囲。壁も、窓ガラスも、店先の鉢植えも、すべてが分厚い白霜に覆い尽くされていく。シラユキの意志とは無関係に進行する凍結の呪い。
吐く息が白い。空気中の水分がキラキラと結晶化して床に落ちる。
銀ぶちの眼鏡を押し上げ、ヨダカが冷徹な視線を向ける。その手には、黒光りする魔力制圧用の銃。
[A:ヨダカ:冷静]「特異物管理官として通達する。その半精霊は危険だ。街全体が凍結する前に、処分する」[/A]
[A:アオバ:怒り]「やめろ! 彼女は何も悪くない! 僕が直す、必ず!」[/A]
[Impact]「規則だ!!」[/Impact]
ヨダカの怒声が、ガラス窓をビリビリと震わせた。
[A:ヨダカ:悲しみ]「お前はまた、あの時のように命を投げ出す気か。私は二度と、目の前で誰かを失うつもりはない」[/A]
二人の間に割って入る白い影。
冷気を纏って翻るクラシカルなワンピースの裾。シラユキは、霜の降りた青い瞳でアオバを見つめる。
その視線の先。アオバの手首が白く変色し、凍傷を負い始めている。
自分がそばにいるだけで、彼の命を奪っていく。
唇の端が微かに引きつる。喉仏が上下し、彼女は、呪いのような嘘を紡いだ。
[A:シラユキ:冷静]「私の心は、もう冬のままですから。……あなたには、直せません」[/A]
[A:アオバ:驚き]「シラユキ……? 違う、待ってくれ!」[/A]
[Flash]猛烈な閃光。[/Flash]
シラユキの足元から爆発的な冷気が吹き荒れる。視界が真っ白に染まる猛吹雪。
目を開ける。
そこに彼女の姿はない。
割れた窓ガラスから入り込む凍てつく風。アオバは傷だらけの指で空を掴む。
膝から力が抜け、冷たい床に崩れ落ちた。
遠くで、冬の海が咆哮を上げている。彼女は、自らの存在ごと世界から消えようとしていた。

第四章: 氷晶の海、命の灯火
猛吹雪が、すべてを白く塗り潰す。
凍りついた冬の海。荒れ狂う波さえもが空中で氷柱と化し、巨大な氷晶の森を作り出している。
頬を切り裂く風。口の中に広がる、微かな血の鉄の味。
[A:ヨダカ:怒り]「行くなアオバ! これ以上近づけば、お前も氷の彫像になるぞ!」[/A]
ヨダカの腕を振り払い、無造作な黒髪に雪を積もらせた青年は、ただ前だけを睨む。
[A:アオバ:狂気]「離せ! 彼女を一人にするな!!」[/A]
氷の城の中心。
透き通るような銀髪が、完全に氷と同化し始めている。白いワンピースは硬く凍てつき、シラユキの霜の降りた青い瞳は、光を失いかけていた。
[A:シラユキ:絶望]「来ないで……。私は、誰も傷つけたくない……」[/A]
[A:アオバ:愛情]「直せないものなんて、きっとないはずだから!」[/A]
[Sensual]
アオバは、絶対零度を放つ彼女の身体を力強く抱き寄せる。
藍色のエプロンが凍り、皮膚が裂け、鮮血が即座に凍りつく。それでも彼は、腕の力を決して緩めない。
氷のように冷たい彼女の唇に、自分のひび割れた唇を重ねる。
体温のすべて、鼓動のすべて、命のすべてを、その接触を通して彼女の奥底へ流し込む。
細く傷だらけの指先が、シラユキの凍てつく背中を撫でる。
彼女の小さな肩が震え、固く閉ざされていた氷の牢獄に、温かい血潮が流れ込んでいく。
[/Sensual]
[Shout]「生きろ、シラユキ!!」[/Shout]
琥珀色の瞳から、溢れんばかりの黄金の魔力が奔流となって噴き出す。
[Pulse]ドクン、ドクン、ドクン。[/Pulse]
自身の寿命の限界点を超える大規模な修繕。
彼女の心の核にある孤独と痛みに、アオバの命の灯火が直接突き刺さる。
[Flash]パァァァァンッ!![/Flash]
空間を埋め尽くしていた無数の氷柱が、一斉に砕け散った。
細かい氷晶が星屑のように宙を舞い、月の光を反射して圧倒的な輝きを放つ。空から降り注ぐ光の破片の中、シラユキの目から、ひとしずくの温かい涙が零れ落ちる。
「アオバ……?」
彼女の震える声。
青年の体から力が抜け、砂浜に力なく倒れ伏した。
降り注ぐ星屑の硝子が、二人の輪郭を優しく包み込んでいく。

第五章: 春の波音、残された余韻
春の波音が、穏やかに満ち引きを繰り返す。
潮の香りと共に、柔らかな日差しが古道具屋の店内を黄金色に染め上げる。
カウンターの奥。微睡む青年の黒髪が、春の風に揺れる。
少し煤けた藍色のエプロン。その細い指先には、もう傷跡はない。
記憶と魔法の力を代償に、ただの人間となったアオバ。彼がかつて世界を揺るがすほどの奇跡を起こしたことなど、今の彼は知らない。
カチャリ。陶器の鳴る音。
[A:シラユキ:愛情]「アオバ。紅茶が、入りましたよ」[/A]
[A:アオバ:照れ]「ありがとう。いい匂いだね」[/A]
白のクラシカルなワンピース。銀色の髪を緩く束ねたシラユキが、ふわりと微笑む。
長命を捨て、人と同じ時間を歩むことを選んだ彼女の青い瞳には、もう霜は降りていない。
手渡されたティーカップ。一口含むと、温かい紅茶の芳醇な風味が胸の奥まで染み渡る。飲むと溶けてしまうと恐れていた温もりを、彼女は今、自分自身の手で淹れている。
[A:アオバ:冷静]「なんだか、すごく長い夢を見ていた気がするよ」[/A]
[A:シラユキ:愛情]「ええ。とても美しくて、温かい夢でした」[/A]
遠くで、海鳥が鳴く。
かつての世界を揺るがすような激しさは、ここにはもうない。
琥珀色の瞳と、柔らかな青い瞳が交差する。
ただ、波の音と穏やかな日差しだけが、二人の静かで愛おしい日常を永遠に包み込む。
古びた柱時計が、静かに時を刻み続ける。