第1章:黒き病を穿つ、無自覚なる白銀

じっとりとした生暖かい湿気が、肺の腑を容赦なく蝕んでいく。
ここは王都郊外。
かつては緑豊かだった草原は、今や引き裂かれた肉と、どす黒い腐臭に塗れた凄惨な戦場へと変貌を遂げていた。
[A:エリザ・アークライト:絶望]「……ここまで、なのですか。私は、我が国を救うことすら叶わず、ここで朽ち果てるというのですか……」[/A]
エリザ・アークライトは、かつて聖なる輝きを放っていた白銀と黄金の重鎧を泥にまみれさせ、力なく地面に這いつくばっていた。
まばゆい金髪のハーフアップは戦塵と己の血に汚れ、本来なら透き通るように澄んでいたサファイアブルーの瞳は、迫り来る死の霧に覆われて光を失いかけている。
息を吸い込むたびに、胸の奥が焼火箸を押し当てられたように熱い。
魔王軍が戦場に解き放った『黒死の呪病(こくしのじゅびょう)』。
それに触れた肉体を瞬時に壊死させるおぞましい黒い胞子が、騎士たちの皮膚をじわじわと侵食し、細胞の奥深くへと根を張っていく。
[A:エリザ・アークライト:悲しみ]「神よ、どうか……我が身はどうなろうとも構いません。我が同胞に、救い……を……」[/A]
血の混じった唾を吐き出し、エリザは自身の愛用する聖剣を杖代わりに立ち上がろうとする。
しかし、膝は生まれたての小鹿のようにガクガクと震え、指先一つにすらまともな力が入らない。
朦朧とする視界の端で、まだあどけなさの残る若い部下たちが、苦悶の絶叫を上げる暇すらなく次々と物言わぬ骸へと変わっていく。
肌が内側から腐り、どろどろとした黒い泥へと溶けて崩れていく地獄絵図。
天を仰ぐエリザの目尻から、悔恨と絶望に満ちた一筋の涙が、こぼれ落ちて泥に吸い込まれた。
その時だ。
[Impact]世界の呼吸が、完全に止まった。[/Impact]
キィィィィィィィン――。
鼓膜を直接針で突き刺すかのような、鼓動すらも止める超高周波。
遙か彼方、地図の端に位置する辺境の森の奥深くから、空を二つに切り裂くような白銀の波動が、巨大なうねりを上げて放たれた。
[Flash]世界が、圧倒的な「白」に染まる。[/Flash]
それは、視界を奪う光の奔流。
物理的な破壊を伴わない、ただ純粋な、おぞましき穢れに対する『概念の否定』。
王都一帯を包み込んでいた、あの死の瘴気たるおぞましい黒い霧が、春の陽光に晒された新雪のように、一瞬で、完全に、一粒の残滓すら残さず掻き消えた。
[A:エリザ・アークライト:驚き]「あ、ああっ……!? これは、一体……何が起きたというのですか……!?」[/A]
エリザは信じられないものを見るかのように息を呑んだ。
震える手で自身の腕を見る。
先ほどまで黒く腐食し、激痛を伴って崩れ始めていた皮膚が、まるで時間を巻き戻したかのように、真っ白な、滑らかな絹のごとき肌へと戻っていたのだ。
奇跡は彼女だけにとどまらない。
周囲に絶命寸前で倒れていた騎士たちも、一斉に肺いっぱいに澄んだ空気を吸い込み、驚愕の声を上げながら、力強く立ち上がり始めていた。
[A:エリザ・アークライト:興奮]「病が……完全に消えた? そんな、奇跡などという生易しいものではありません! これは神の御業、いや、それすら凌駕する絶対的な力です!」[/A]
[A:エリザ・アークライト:興奮]「おお、これほどの力を持ちながら、名も名乗らず隠棲しておられたとは! あなた様こそ、古き預言書に謳われし『沈黙の聖者』……! 我が剣、我が命、我が魂の全てを、今ここに捧げます!」[/A]
[A:ルシアン・ヴァレンタイン:恐怖]「えっ!? あ、いや、私はただの不法占拠気味な、しがない掃除屋ですので、どうかお構いなく! あ、あの、頼むからそれ以上近づかないで……ひいっ!」[/A]
[Think]まさか自分の朝食のパンに生えたカビを無菌消滅させるための [Magic]《万物浄化(オールクリーン)》[/Magic] が、国境を越えて王都全域の呪病まで根こそぎ消し去ったとは、彼は夢にも思っていない。[/Think]
エリザは、彼の放つ圧倒的な「存在感」に、全身の血が沸き立つような衝撃を覚えて身体を震わせた。
ルシアンの背後に静かに佇む、巨大な古代竜の骨格標本(彼にとってはただのオシャレインテリア)。
それが、光の教団に伝わる神聖な守護霊獣の幻影にしか見えない。
彼が纏う、極度の人見知りゆえの、猫背で胃を抱えるような前屈みの姿勢。
だが、そのすべてがエリザの狂信的な目には、「凡百の有象無象など歯牙にもかけぬ、奈落の深淵を背負った覇王の佇まい」としか映らなかったのだ。
ドサリ、と。
エリザは自慢の聖剣を泥の中に放り出し、躊躇なく膝をついた。
[A:エリザ・アークライト:興奮]「おお……! これほどの力を持ちながら、名も名乗らず隠棲しておられたとは! あなた様こそ、古き預言書に謳われし『沈黙の聖者』……! 我が剣、我が命、我が魂の全てを、今ここに捧げます!」[/A]
[A:ルシアン・ヴァレンタイン:恐怖]「えっ!? あ、いや、私はただの不法占拠気味な、しがない掃除屋ですので、どうかお構いなく! あ、あの、頼むからそれ以上近づかないで……ひいっ!」[/A]
[Think]人見知りのゲージが限界に達した。脳が震える。耳の裏がゾワゾワして鳥肌が立つ。帰りたい。実家のあの薄暗くて誰も来ない墓場に帰りたい。[/Think]
だが、その蚊の鳴くような、おどおどとした消え入りそうな声は、狂信のフィルターを通すことで、エリザの脳内で完璧に、かつ都合よく翻訳された。
『私は名声や権力など求めぬ。ただ、この汚れた世界を元通りに掃除しに来ただけだ。私に群がるな』――と。
[A:エリザ・アークライト:愛情]「なんて……なんて高潔なお方。ご自身の偉大な業績を誇ることもせず、ただ静かに世界を見守っておられるのですね。ルシアン様、世界はあなたを求めているのです!」[/A]
[A:ルシアン・ヴァレンタイン:停滞]「……あ、あの……胃が……胃がシクシクと痛いのですが……喋るのも辛いというか……」[/A]
まともな弁明をする隙も与えられず、ルシアンはエリザの強引な手によって、そのまま白銀と黄金に彩られた豪華な馬車へと押し込まれてしまうのだった。
第2章:沈黙は金、されど胃壁は紙の如く

王都の巨大な大門が開かれた瞬間、ルシアンの鼓膜を容赦なく破壊せんばかりの、地鳴りのような歓声が響き渡った。
[Shout]「ルシアン様――!」「我らが救世主様万歳!!」「沈黙の聖者様に栄光あれ!!」[/Shout]
数万、いや数十万の市民が、大通りを埋め尽くしている。
空からは色とりどりの花びらが絶え間なく舞い散り、誰もが涙を流して、馬車の中に佇む一人の青年を神のごとく仰ぎ見ていた。
[Sensual]
豪華な馬車の閉ざされた空間の中、ルシアンのすぐ隣に座るエリザは、その豊満な胸元を、息を吸うたびに重鎧の隙間から波打たせ、興奮と熱情で頬をピンク色に上気させていた。
密室の中に、じっとりと汗ばんだ彼女の肌から、えも言われぬ甘い雌の熱気が漂い、充満していく。
エリザはルシアンの細く華奢な肩をそっと引き寄せ、己の抗いがたい柔らかさを誇る胸元に包み込むようにして、その耳元に濡れた熱い吐息を吹きかけた。
[A:エリザ・アークライト:愛情][Whisper]「ご覧ください、ルシアン様。これが、あなた様がその慈悲によって救った、か弱き命たちの真実の輝きです」[/Whisper][/A]
しかし、ルシアンは甘美な誘惑を感じる余裕など毛頭なく、むしろ女性との過度な密着への恐怖から全身の血の気が引き、[Pulse]彼の心臓は文字通り爆発寸前[/Pulse]の超高速で脈打っていた。
[/Sensual]
[A:ルシアン・ヴァレンタイン:恐怖]「あ、あ、あの……本当にすみません、これ、あの, 完全に何かの人違いでして……私、帰りたいです……」[/A]
あまりのプレッシャーと心労により、喉の筋肉が痙攣して閉塞し、かすれた掠れ声しか出すことができない。
だが、その苦渋に満ちた無言。
周囲の民衆や護衛の騎士たちには、それが「俗世の愚かな狂騒を哀れみ、ただ静かに世界の平穏のために祈りを捧げる、絶対者の慈愛に満ちた沈黙」と受け止められた。
[Think]胃が……胃にリアルに穴が開く音が聞こえた。
胃薬。ただの、普通に市販されている胃薬が欲しい。
誰か、薬草をすり潰して、私の胃壁を優しく保護する薬を……持ってきてくれ……![/Think]
ルシアンは背中に滝のような冷や汗を流しながら、震える指先をローブの袖の中で必死に動かした。
極度のパニック状態の中、とにかく自分を取り囲むこの恐ろしい環境から身を守り、精神を落ち着かせるための魔術を、半ば無意識のうちに練り上げていく。
しかし、彼の魔力総量は、この世界の全人類が束になっても届かない完全なるカンスト状態なのだ。
[Magic]《超高速防壁構築(マイ・セーフ・スペース)》[/Magic]
本来なら「彼自身の引きこもり部屋における、余計な騒音やしつこいセールスを遮断する」ために独自開発した防音・防犯用防壁呪文。
それが、彼の有り余る魔力の奔流とシンクロした瞬間、彼の意思とは全く無関係に、王都全域を完全に覆い尽くす超巨大な幾何学模様の大結界へと変貌を遂げた。
[Flash]キィィィィン――![/Flash]
王都の上空、遥か雲の上にまで届く光の障壁が、精緻なステンドグラスを思わせる魔力ラインを描きながら展開していく。
同時に、王都をジワジワと包み込もうとしていた魔王軍の不吉な暗雲が、その凄まじい光の圧力によって一瞬で消滅し、吸い込まれるような美しい青空が広がった。
[A:エリザ・アークライト:驚き]「なっ……何ということでしょう! 無詠唱、かつ一瞬で、国を丸ごと覆うレベルの大結界を……!? 天候の概念すらも、あなた様の手の平の上だというのですか!」[/A]
馬車の周囲にいた王立の超エリート魔術師たちが、あまりの次元の違いに腰を抜かし、一斉に硬い石畳の地面に頭をこすりつけた。
[A:ルシアン・ヴァレンタイン:絶望]「あの、私はただのしがない掃除屋ですので、どうか、本当に、お構いなく……(本当に、ただ胃薬が欲しいだけなんです……)」[/A]
[Think]なんで。なんでみんなして、地面に額を叩きつけて土下座しているんだ。
私は、ただ外界のうるさい音をシャットアウトして、胃を休めたかっただけなのに。[/Think]
その夜。
静まり返った王都の迎賓館の一室で、ルシアンはふかふかのベッドの上で、膝を抱えて体育座りをしていた。
冷たい月明かりだけが、彼のボサボサの黒髪を寂しげに照らしている。
だが、彼が最も望んでいた「夜の静寂」は、唐突に、暴力的に破られた。
[Impact]バルコニーの頑丈な窓ガラスが、内側に向けて不自然に爆散した。[/Impact]
漆黒の、底知れぬドロリとした霧が室内に流れ込み、その冷気が触れた床を凍りつかせていく。
霧の奥から這い出るようにして現れたのは、額から生えた二本の漆黒の角、不気味なほど青白い肌、そして、血のように赤く光る瞳。
[A:冥王ハデス:狂気]「フッ……浅はかで愚かな人間どもめ。このような、ただ怯えるだけのガキを『聖者』などと崇めて平伏すとはな」[/A]
魔王軍の最高幹部にして、数々の国を滅ぼしてきた死神、冥王ハデスがそこに立っていた。
第3章:深夜の害虫駆除は容赦なく

冥王ハデスの全身から放出される、おぞましい重力魔法の暗黒波動。
その質量だけで部屋全体の木製家具が悲鳴を上げてきしみ、床の絨毯が自重でひび割れ、沈み込んでいく。
常人であれば、その場に立っていることすらできず、内臓を潰されて即死するレベルの重圧。
だが、ルシアンの脳内思考は、そんな緊迫感とは全く別の方向へ疾走していた。
[Think]うわ。
何この人、すごく埃っぽいというか、カビ臭い。
あの漆黒の霧とか影がうねうね蠢いてるのって、これ、要するにカビの胞子と、何年も放置されたハウスダストの塊じゃないか?
アレルギーが出る。鼻の奥が、すごくムズムズする……![/Think]
[A:ルシアン・ヴァレンタイン:恐怖]「あ……あ、あの……すみませ……ちょっと、そこ……」[/A]
[A:冥王ハデス:冷静]「ふん、命乞いか? だが、もう遅い。我が絶対の重力障壁の前に、塵へと還り、己の無力を呪うが良い」[/A]
[A:ルシアン・ヴァレンタイン:恐怖]「は……はっ……はっ、くしゅんっ!!」[/A]
ルシアンは、生理的な欲求に耐えかねて、盛大なくしゃみをした。
その瞬間、彼が驚愕と恐怖のあまり、反射的に全魔力を用いて放ったのは、彼自身の開発したカビ取り魔術の「極限圧縮版」だった。
[Magic]《万物浄化・殺菌消臭(ディープ・クレンジング)モード》[/Magic]
それは、いかなる神聖光をも凌駕する、極限まで純化され尽くした死霊エネルギーの超反転波動。
絶対に逃れられない、物理演算をも無視した超高密度の浄化エネルギーが、極太の光条となってハデスを正面から直撃した。
[Flash]ブゥゥゥゥン!![/Flash]
[A:冥王ハデス:絶望][Shout]「な、に……が……あ、ああっ!? 私の、魔力が……存在そのものが……!?」[/Shout][/A]
冥王ハデスが展開していた、あらゆる攻撃を無効化するはずの絶対重力障壁が、まるで熱湯をかけられた薄氷のように、一瞬で、何の抵抗もなく溶けて消え去った。
それどころか、彼の誇る莫大な魔力の源たる、額の『漆黒の角』の右半分が、強力な塩素系漂白剤をかけられたかのようにシュワシュワと白い泡を立てて「消毒」され、崩れ落ちていく。
[A:冥王ハデス:恐怖][Tremble]「馬鹿な……あり得ん! 私の何百年にもわたる魔力の結晶が、根こそぎ……消滅させられたというのか……!?」[/Tremble][/A]
ハデスは、生まれて初めて、底知れぬ「死」の恐怖に顔を歪めた。
目の前の青年は、己に対して一瞥もくれず、ただの一呼吸――それも、生理的なくしゃみ一つで、己の全力を無力化し、存在を否定したのだ。
しかも青年は、いまだに涙目で、おどおどと鼻を押さえながら震えている。
[Think]恐ろしい。
この男、私のことを『敵』とさえ認識していないのだ。
ただの、目の前を飛び回る『羽虫』を、無造作に手で払うように、私の命の根幹を、尊厳ごと消し去ったというのか。[/Think]
ルシアンは、ガタガタと膝を震わせながら、恐怖で消え入りそうな声で囁いた。
[A:ルシアン・ヴァレンタイン:恐怖][Whisper]「あ、あの、お願いですから、もう消えてくれませんか……。埃っぽくて、頭がクラクラするので……」[/Whisper][/A]
しかし、その弱々しい言葉は、ハデスの耳には、冷酷無比な絶対強者の宣告として響いた。
『これ以上、私のテリトリーを汚すというなら、次は塵すら残さず、お前の存在そのものを宇宙の歴史から消去する』。
[Impact]「ハハッ……!」[/Impact]
冥王ハデスの膝が、ガクガクと砕けるようにして床に叩きつけられた。
あまりの絶対的な実力差、そして底知れぬ暗黒の深淵への畏怖により、全身の毛穴から冷や汗が吹き出す。
それは、彼がこれまで人類に見せてきた優雅な態度をかなぐり捨てた、なりふり構わぬ必死の土下座だった。
[A:冥王ハデス:恐怖][Tremble]「お、お赦しを……! 我が君! この冥王ハデス、今日この瞬間より、あなた様の忠実なる影、汚れ仕事を引き受ける下僕となりましょう! だから、それ以上は、どうかご容赦を……!」[/Tremble][/A]
[A:ルシアン・ヴァレンタイン:驚き]「え……ええっ!?(なんでこの不審者、急に床に額を叩きつけてガタガタ震えてるの!? 警察呼んだ方がいい!?)」[/A]
第4章:狂信と畏暴力が織りなす奇跡の和解

バンッ!
夜の静寂を切り裂く、激しい突風のような音を立てて寝室の扉が開き、エリザが聖剣を構えて飛び込んできた。
[A:エリザ・アークライト:怒り]「ルシアン様! 不審な魔力反応が、敵襲の気配が――って、え? これは、一体……?」[/A]
エリザは、眼前に広がる信じられない光景に、大きく目を丸くした。
かつて人類の天敵として恐れられ、幾多の騎士団を壊滅させてきたあの魔王軍幹部・冥王ハデスが、ルシアンの足元で、涙と鼻水を流して平伏しているのだ。
[A:冥王ハデス:絶望]「光の教団の騎士か。……無駄だ、武器を収めよ。私はこのお方の、底知れぬ深淵と圧倒的な力の前に屈した。人類を滅ぼすなどという、矮小で無意味な計画はすべて破棄する」[/A]
[A:エリザ・アークライト:驚き]「な、何ですって……!? あの残虐非道な魔王軍の最高幹部を、一切の暴力による怪我もなく、ただその圧倒的な『徳』と、すべてを支配する『威圧感』だけで改心させただと……!?」[/A]
エリザの瞳が、これ以上ないほどに輝き、眩いばかりの信奉の光を宿し始める。
[A:エリザ・アークライト:喜び]「さすがはルシアン様! 魔族の王すらも、その計り知れぬ慈愛の光で包み込まれるとは! ああっ、あまりの神々しさに、この私の目が眩んでしまいそうです!」[/A]
[A:冥王ハデス:恐怖]「(あの女……この底なしの恐怖を体現した化物の狂気を、慈愛と呼ぶのか……。なんて恐ろしい、狂気に満ちた狂信者集団だ。少しでも逆らえば、一瞬で骨も残さず殺菌消毒されるに違いない……!)」[/A]
当のルシアンは、ただただ自分の胃を両手で強く押さえ、蒼白な顔で沈黙を守っていた。
[Think]何なんだ、これ。
なんで敵同士の二人が、私の狭い寝室の中で、勝手に納得し合って熱く語り合っているんだ?
私の睡眠時間は? もう夜中の3時を回っているんですけど……。寝かせてくれよ……。[/Think]
[A:ルシアン・ヴァレンタイン:悲しみ]「あ、あの……私は……ただ静かに……眠りたいだけでして……」[/A]
[A:エリザ・アークライト:興奮]「『無意味な争いは不毛である、手を取り合え』……! おお、なんという深く、神聖な天啓! ハデス、ルシアン様がそう仰っているのだ。我々は今こそ長年の憎しみを捨て、手を取り合うべきなのだ!」[/A]
[A:冥王ハデス:冷静]「……フッ、深く理解した。我が魔界の長年にわたる禁忌の知識と、お前たちの持つ光の力を合わせ、この偉大なるお方に最高の静寂と世界を捧げよう」[/A]
[A:ルシアン・ヴァレンタイン:絶望]「(私の日本語が……いや、この国の言葉が、何一つとして通じない……!)」[/A]
だが、彼らのその奇妙な「同盟」を嘲笑うかのように、突如として王都全体の大気が激しく、狂暴に震動し始めた。
ズズズ、ズズズズズ……!
強烈な地響きが王都の地盤を揺らし、窓枠が激しくカタカタと鳴り響く。
夜空が、まるで血を流すかのように赤黒く染まり、上空の次元の裂け目から、吐き気を催すような悍ましい魔力がドロドロと噴き出してきた。
[A:冥王ハデス:驚き]「なっ、この最悪の魔力波動は……! 魔王様が裏で進めていた、古の邪神復活の儀式が完成したというのか……!? 世界を喰らう邪神が、ついに目覚めてしまう!」[/A>
第5章:引きこもり、領域を侵されし怒り

どろり、と。
赤黒く、下水のように不快な臭いを放つヘドロのような粘液が、天の裂け目から雨のように降り注いだ。
それは瞬時に王都の美しい、白亜の街並みをドロドロに汚し、ルシアンたちがいる迎賓館のバルコニーにも、容赦なくベタベタと流れ込んでくる。
[Shout]「ギシャアアアアアアアアア!! オ、オ、オ、オォォォォォン!!」[/Shout]
王都の上空。
引き裂かれた雲の隙間から現れたのは、うねる無数の肉質の触手を持つ、這い寄る混沌――邪神アザトースの悍ましき化身。
その、直視しただけで脳が腐るような絶対的精神汚染 of 波動に、強靭な精神を持つはずのエリザや、冥王であるハデスすらも息を詰まらせ、膝をついて血を吐いた。
[A:エリザ・アークライト:絶望]「くっ、頭が……割れるようだ……。世界が、本当に終わる……のか……」[/A>
[A:冥王ハデス:絶望]「防ぐ手立てがない……. あの次元の特異点から放たれる波動は、この世界の魔術法則を超越している……」[/A>
二人が絶望し、静かに死を覚悟した、その時。
[Impact]「お前……いい加減にしろよ……」[/Impact]
地を走るような、極度に低く、そして芯まで冷え切った声が響いた。
ルシアンだった。
彼の肩は、小刻みに、しかし確かに怒りで震えている。
だがそれは、二人が感じているような、邪神の威圧に対する恐怖によるものでは決してなかった。
[Think]せっかく。
せっかく、私が昨日の夜、徹夜で、カビやホコリが一つもないようにピカピカに隅々まで掃除したのに。
使い魔のゾンビたちを使って、シーツもカーテンも全部、真っ白に、無香料で洗い上げたばかりなのに。
なんだよ、その、バルコニーにこびりついた、紫色の、ベタベタした、生ゴミみたいな臭いのするヘドロは。
私の、私の、静かで快適な引きこもり生活のテリトリーを――[/Think]
[A:ルシアン・ヴァレンタイン:怒り][Shout]「私の掃除の邪魔をするなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」[/Shout][/A>
ルシアンの瞳が、血走った。
睡眠不足と、せっかくの掃除を台無しにされた怒りで、完全に理性のタガが外れた彼は、懐から一本の、不気味に輝く「骨の杖」を乱暴に取り出した。
[A:ルシアン・ヴァレンタイン:怒り][Shout]「汚すな! 汚い! 分別してゴミ箱に帰れ! 消え失せろ、この極大の粗大ゴミがァァァァ!!」[/Shout][/A>
[Magic]《全自動掃除ゾンビ・超高圧温水洗浄・極大放水(ハイプレッシャー・ジェットシャワー)》[/Magic]
彼が半狂乱で放ったのは、彼の実家において「しつこい泥汚れや外壁のコケ」を落とすために愛用していた、ただの「頑固な汚れ用高圧洗浄」の魔術。
しかし、彼の怒りに呼応して暴走したカンスト魔力が生み出したのは、物理法則を容易く凌駕し、大気を、空間を、そして次元の壁そのものを塵ごと削り取る、純粋な虚無の超高圧波動水流であった。
[Flash]ドゴォォォォォォォォォォン!![/Flash]
[A:冥王ハデス:驚き][Tremble]「な、ななな……何だあの、直視できないほどの光量は!? 世界が、世界そのものが消滅してしまうぞ!?」[/Tremble][/A]
第6章:カビ取りスプレーは神をも穿つ

ルシアンの放った、世界を揺るがす高圧放水は、邪神が周囲に展開していた、いかなる物理・概念攻撃をも弾くはずの「絶対次元障壁」を、ただのキッチンの油汚れのようにジュワリと溶かした。
[A:エリザ・アークライト:驚き]「邪神の、神の領域の障壁が……ただの水流に、一瞬で水浸しにされていく……!?」[/A]
いや、それはただの水ではない。
死霊魔術の超精密な反転による、極限の「無菌化・除菌」エネルギーの濁流。
邪神アザトースの化身は、自身に迫り来るその圧倒的な「高圧水流」を見て、数十億年の生の中で、生まれて初めての、抗いようのない死への恐怖を感じた。
[Glitch]「ギ、ギギ、ギギギギギギガガガ――!? ア、アツ、アツイ、消エル、消エ――」[/Glitch]
極限圧縮された水流が、邪神の触手をほんの少し掠めた瞬間、その触手は細胞分裂のレベルを超えて「分子殺菌」され、サラサラとした純白の灰(ルシアン特製の高品質プランター用堆肥)へと変わっていく。
逃れられない。
世界そのものを隙間なく包み込むような、超高圧の、慈悲なき放水。
[A:ルシアン・ヴァレンタイン:怒り][Shout]「ノズル最大! ストレート照射ァァァァァ!! 消えろォォォォ!!」[/Shout][/A>
[Flash]一寸の濁りもない、完全なる白の閃光。[/Flash]
王都を丸ごと飲み込もうとしていた邪神の超巨大な巨体が、まばゆい光の奔流に跡形もなく飲み込まれ、一瞬で、蒸発するように消滅した。
空を覆っていた不吉な瘴気も、地面を汚していた赤黒いヘドロも、全てが洗い流され――。
しとしとと、王都に温かい、優しい雨が降る。
それは、ルシアンが家庭菜園用に開発した、ゾンビ肥料の成分が雨水に混ざって優しく散布されたものだった。
王都の荒れ果てた大地、そして戦場跡から、一斉に、見たこともないほど色鮮やかな七色の花々が、力強く咲き乱れていく。
完全なる静寂が、王都をやさしく包み込んだ。
[A:エリザ・アークライト:驚き]「神は……神は実在した。いや、それ以上の存在が、今、私たちの目の前にいらっしゃる……」[/A>
[A:冥王ハデス:恐怖][Tremble]「世界を滅ぼす邪神を……まるで、そこら辺の羽虫を殺虫剤で駆除するように殺した……。抗うなど、自殺行為だ……」[/Tremble][/A>
だがその時、ルシアンは、激しすぎる放水の反動によって、右肩を激しく脱臼していた。
[A:ルシアン・ヴァレンタイン:悲しみ][Blur]「痛い……肩、外れた……。うぅ、もう嫌だ、お家帰りたい……実家の暗いお墓に帰らせてください……」[/Blur][/A>
ポロポロと涙を流し、痛む右肩を左手で抱えてその場に座り込むルシアン。
しかし、その痛みに耐える尊い姿を見た王都の市民たちは、一斉に感動の涙を流して地面に崩れ落ちた。
[Shout]「ご覧あれ! ルシアン様が、私たちのようなちっぽけな存在のために、身を挺して邪神を討ち滅ぼしてくださったのだ!」[/Shout]
[Shout]「ご自身の肉体に大きな反動を受けると知りながら世界を救うとは、なんという、なんという深い慈悲深さか!」[/Shout]
[A:ルシアン・ヴァレンタイン:絶望]「(違う、ただの激しい運動による脱臼……誰か、はめて……お医者さん呼んで……)」[/A]
第7章:胃痛の王座、戴冠する深淵
それから、数日後。
王都の中心にそびえ立つ、光の大聖堂。
高く美しいステンドグラスから差し込む、七色の幻想的な光が、大聖堂の中央、最も高い場所に設置された黄金の玉座に座るルシアンを静かに照らしていた。
彼の目の前には、全人類の頂点たる皇帝、光の教団の最高幹部たち、そして魔界の新たな支配者となった冥王ハデスが、一分の隙もなく整列し、跪き、ひれ伏している。
[A:ルシアン・ヴァレンタイン:恐怖][Tremble]「あ、あの……本当にすみません、これ、何かの重大な間違いでして……。私はただの、実家が墓場の、しがないお掃除屋でして……」[/Tremble][/A>
ルシアンは、心臓が押し潰されそうなほどの恐怖と人見知りのあまり、全身をガチガチに硬直させ、指先一つ動かせずにいた。
しかし、その極限の緊張によって引き締まった鋭い表情と、極度の寝不足による深い隈に彩られた三白眼の眼光。
それは、ひれ伏す並み居る強者たちにとって、「人類を、魔族を、世界のすべてを冷徹に見下ろし、次の世界の覇権を睨む、絶対の覇王の眼光」そのものとして受け止められていた。
[Sensual]
ルシアンのすぐ右隣には、純白の美しい礼服を纏ったエリザが、熱い視線を送りながら寄り添っている。
[A:エリザ・アークライト:愛情][Whisper]「ルシアン様。これより、あなた様は世界の総督、創世聖皇となられます。この世界は全て、あなた様のもの。私も、我が身、我が魂のすべてを捧げ、生涯あなた様の傍でお仕えいたします」[/Whisper][/A]
彼女の熱く、少し濡れた吐息が、ルシアンの過敏な耳の裏をくくすぐるようにかすめた。
[Pulse]ビクンとルシアンの身体が大きく跳ね、全身のカンスト魔力が一瞬、部屋全体を激しく振動させる。[/Pulse]
[/Sensual]
[A:冥王ハデス:冷静]「我が新たな君主よ。魔界の全領地も、すべてあなた様に捧げましょう。いつでも、お好みの生贄や奴隷をお申し付けください」[/A>
玉座の左側では、冥王ハデスが優雅に跪き、冷徹な笑みを浮かべながら、絶対の忠誠を誓っている。
[Think]頼むから、本当にお願いだから、私を一人にしてくれ!
世界なんて支配したくないし、総督にも皇帝にもなりたくない!
薄暗い墓場で、静かに骨の標本を削る静かな日常を返してくれ!
なんで私が世界の皇帝になってるんだよぉぉぉぉ!![/Think]
あまりの胃の激痛と精神的限界に耐えかね、ルシアンは震える手で深く頭を抱えた。
その、世界の行く末を憂うかのような「苦悩する美しい仕草」を見た聴衆から、水を打ったような静けさの後、すすり泣くような深い感動の声が漏れ伝わる。
「おお……! ルシアン様が、世界の未来のために、また私達の想像も及ばぬ深遠なる思考を巡らせておられる……!」
「なんと世界のすべてを背負う、責任感の強いお方なのだ……!」
[A:ルシアン・ヴァレンタイン:絶望]「(もう……どんな胃薬も、私には効かない……)」[/A>
彼の「ただ、カビのない部屋で静かに暮らしたい」というささやかな願いは、その圧倒的すぎる規格外の実力と、周囲の狂信的な誤解の連鎖によって、永遠に、永久に叶うことはない。
全人類と魔族の頂点――胃痛の王座に君臨する、無自覚な聖皇の伝説は、今、華々しく始まったばかりである。