第一章: 理性の崩壊
肺を刺す冷気。
海風に混じる錆とオゾンの臭気。孤島の矯正施設「箱庭」。その謁見室は、極北の無機質な神殿を思わせる。
かつて国家憲兵隊のエリートとして鳴らした氷室レイ。いまや手錠を嵌められ、囚人服の襟元から覗く白磁のような肌を寒気に晒している。色素の薄い銀髪が乱れ、縁なし眼鏡の奥にある知的な瞳は、屈辱と焦燥に揺らいでいた。
[A:氷室 レイ:冷静]「……誤認逮捕だ。私が『Sub(従属者)』などというふざけた判定が出るはずがない」[/A]
[A:氷室 レイ:怒り]「おい、聞いているのか。私のIDを照合しろ!」[/A]
返答はない。響くのは、石床を叩く軍靴のリズムだけ。
カツ、カツ、カツ。
闇の奥から現れた、夜そのものを纏ったような男。
黒髪をオールバックになでつけ、威圧的な黒の軍服に身を包む看守長、クロウ・ヴァレンタイン。革手袋に包まれた手には、細くしなやかな乗馬鞭が握られている。
[A:クロウ・ヴァレンタイン:冷静]「騒々しいな、新入り(ニュービー)」[/A]
クロウの声。それは低く、鼓膜を直接撫でるような磁力を帯びていた。
[A:氷室 レイ:驚き]「貴様が責任者か。即刻この拘束を解け。私は――」[/A]
[A:クロウ・ヴァレンタイン:冷静]「[Shout]跪け[/Shout]」[/A]
思考よりも早く、筋肉が裏切った。
[Sensual]
ガクン、と膝から力が抜ける。
レイの身体は糸の切れた操り人形のように崩れ落ち、硬い床に膝をついた。
「な……?」
何が起きた? 脳が理解を拒む。だが、下腹部の奥底、丹田のあたりから湧き上がった熱い痺れが、背骨を駆け上がり脳髄を焼き尽くす。
恥辱ではない。恐怖でもない。
絶対的な上位存在からの《コマンド(命令)》を受信した瞬間に爆ぜる、脳内麻薬(エンドルフィン)の甘い奔流。
背筋が震え、太腿の内側がじわりと熱く、蜜のような粘り気で濡れる感覚。理性が悲鳴を上げる一方で、本能が歓喜の声を上げていた。
[/Sensual]
[A:氷室 レイ:驚き]「あ……ぐ、ぅ……身体が、動か……」[/A]
クロウがゆっくりと歩み寄り、革靴の爪先でレイの顎をくい、と持ち上げる。
冷酷な瞳が、レイの震える瞳孔を覗き込んだ。
[A:クロウ・ヴァレンタイン:興奮]「素晴らしい反応だ。国家の犬が、私の犬に成り下がる瞬間か。……ゾクゾクするな」[/A]
[A:氷室 レイ:絶望]「ふざけ、るな……私は、屈しな……い」[/A]
[A:クロウ・ヴァレンタイン:冷静]「まだ口が減らないか。いいだろう」[/A]
クロウは鞭の柄をレイの唇に押し当て、裂け目のような薄い笑みを浮かべた。
[A:クロウ・ヴァレンタイン:冷静]「私の許可なく呼吸をするな」[/A]
世界が、閉じた。
レイの肺が機能を停止する。吸うことも、吐くことも許されない。
酸素を求める本能が暴れるが、喉の弁が鋼鉄の意思によってロックされている。視界が明滅し、チカチカと白い光が弾けた。
苦しい。熱い。
だが、その窒息感の中に、かつてないほどの「安堵」が混じっている事実に、レイは戦慄する。
[Think](殺してくれ……これ以上、私を壊さないでくれ……!)[/Think]
意識がブラックアウトする寸前、耳元で悪魔の囁きが落ちてきた。
[A:クロウ・ヴァレンタイン:愛情]「……息をしていいぞ、レイ」[/A]
「かはッ、ぁ、あぁッ……!」
貪るように空気を吸い込み、レイは無様に床へ突っ伏した。
尊厳は粉砕された。ここから、甘美な地獄が幕を開ける。
◇◇◇
第二章: 躾と焦らし
「箱庭」の朝は早い。
だが、囚人たちに目覚める権利はない。看守長が「起きろ」と命じるまで、彼らは微睡みの中で待機し続けなければならないのだ。
無機質な個室。レイはシーツを握りしめ、冷や汗に濡れた身体を震わせていた。
[A:氷室 レイ:恐怖]「……はぁ、はぁ……」[/A]
排泄すら管理される。
「トイレに行きたい」という生理現象さえ、クロウへの申請と許可が必要なのだ。
一週間。たったそれだけで、レイの潔癖な理性は摩耗し、代わりに「許可を待つ」という行為そのものに依存し始めていた。
ガチャリ。重厚な電子ロックが解除される音。
[A:クロウ・ヴァレンタイン:冷静]「検診の時間だ。立て」[/A]
クロウが入室してくる。それだけで、レイの肌が粟立つ。
条件反射。パブロフの犬。
銀髪の元憲兵は、無言でベッドの端に座り、囚人服の前をはだける。肋骨が浮き出た白い肌に、聴診器の冷たい円盤が押し当てられた。
[Sensual]
「……心拍数が早いな。何を想像していた?」
クロウの指先が、レイの首筋を這う。
ただの脈拍確認。それだけのはずなのに、革手袋の摩擦が電流のような火花を散らす。
「っ、ふぅ……」
レイの喉から、甘い吐息が漏れた。
敏感な首筋。そこはSubにとっての急所であり、最大の性感帯。
クロウはわざと、頸動脈の上を親指でゆっくりと、ねっとりと擦り上げた。
「んッ、あ……触る、な……」
口では拒絶しながら、レイの腰は無意識に跳ね、シーツを擦っている。
下腹部に集まった血液が、熱を持った塊となって疼く。
解放されたい。命令されたい。
「いじってよし」と言われたなら、どれほど楽になれるだろうか。
クロウの視線が、レイの膨らんだ股間を冷ややかに見下ろした。
[Heart]ドクン、ドクン。[Heart]
心臓の音がうるさい。
[/Sensual]
[A:クロウ・ヴァレンタイン:冷静]「ふん。口ほどにもない身体だ。……だが、まだ早い」[/A]
[A:氷室 レイ:驚き]「な……に?」[/A]
[A:クロウ・ヴァレンタイン:狂気]「お預けだ。その熱が脳を溶かすまで、焦がれ続けろ」[/A]
クロウは聴診器を外し、背を向けた。
放置(プレイ)。
出口のない欲望の檻に取り残され、レイはシーツに爪を立てる。
その時、ドアの向こうから場違いなほど明るい声が響く。
[A:ナギ:喜び]「あははっ! 新入りさん、顔真っ赤〜! 壊れちゃいそう!」[/A]
ボサボサのピンク髪、萌え袖の囚人服を着た少年・ナギが、鉄格子の隙間から覗き込んでいた。
その瞳の奥にある、底知れない昏い光に、レイは本能的な寒気を覚えた。
◇◇◇
第三章: 裏切りとSubスペース
希望は、最も残酷な毒だ。
レイはナギという「協力者」を得て、脱獄計画を練っていた。施設のセキュリティホール、看守の交代時間。ナギの情報は正確で、レイの論理的思考は復活しつつあった。
だというのに。
[A:氷室 レイ:驚き]「……どういうことだ、ナギ」[/A]
執務室の床。
レイの手足は拘束具で縛り上げられ、視界は目隠しで奪われている。
その横で、ナギがクスクスと笑いながら、クロウの足元に擦り寄っていた。
[A:ナギ:冷静]「あーあ、バレちゃった? 氷室さんのデータ、すごく面白かったよ。特に、クロウ様に睨まれた時の脈拍の変化とか」[/A]
[A:クロウ・ヴァレンタイン:冷静]「ご苦労、ナギ。下がれ」[/A]
ナギはクロウのスパイ。すべてはレイのSubとしての深度を測るための実験だったのだ。
足音が遠ざかり、重い扉が閉まる。
完全な静寂。
視覚も聴覚も奪われた、感覚遮断(センサリーデプリベーション)の状態。
[Think](私は……踊らされていただけか? 最初から、彼の手のひらで?)[/Think]
一時間、二時間、あるいは永遠。
時間感覚が消失する。自分の身体の輪郭さえ曖昧になっていく。
暗闇の中で、レイの自我(エゴ)が崩れ落ちていく音がした。
誰か。誰でもいい。私を認識してくれ。私に「ここにいろ」と命じてくれ。
孤独への原初的な恐怖が、理性を食い破る。
カツン。
靴音がした瞬間、レイは弾かれたように床を這った。
[Sensual]
「あ、あぁ……ッ!」
レイはクロウのブーツに縋り付いた。
高級な革の匂い。靴底の泥の感触。それさえもが、今のレイには救いだった。
「いかないで……置いていかないでくれ……」
涙と涎で顔をぐしゃぐしゃにして、かつてのエリート憲兵は懇願する。
完全に堕ちた。
深いトランス状態――『Subスペース』の底で、彼はただの、愛を乞う生き物に変貌していた。
「命令を……私に、命令をください……ご主人様(マスター)……ッ!」
[/Sensual]
クロウがしゃがみ込み、レイの目隠しを乱暴に剥ぎ取る。
そこには、虚ろで、しかし熱狂的な瞳があった。
[A:クロウ・ヴァレンタイン:絶望]「……そうか。そこまで壊れたか、レイ」[/A]
クロウの声は、なぜか泣いているように聞こえた。
◇◇◇
第四章: 支配の真意
幼児のようにクロウの膝に顔を埋めるレイ。
その銀髪を、クロウの手が優しく梳く。今までの暴力的な接触とは違う、壊れ物を扱うような手つき。
[A:氷室 レイ:混乱]「……ますたー? ……あたたかい……」[/A]
[A:クロウ・ヴァレンタイン:悲しみ]「ああ。ここにいる。もうどこにも行かない」[/A]
クロウはレイの身体を抱き上げ、執務室のソファへと運ぶ。
その視線は、狂気的なまでの庇護欲に歪んでいた。
[A:クロウ・ヴァレンタイン:冷静]「思い出せ、レイ。十年前、帝都のスラムで……泥水を啜っていたガキを拾った士官候補生を」[/A]
レイの意識の霧がわずかに晴れる。
燃える街。瓦礫の下。手を差し伸べてくれた、白銀の髪の青年。
「……まさか、あの時の?」
[A:クロウ・ヴァレンタイン:愛情]「貴方が助けたゴミ屑だ。……皮肉なものだな。貴方がSubとして覚醒したという情報を傍受した時、私は憲兵隊を動かして貴方を『確保』した」[/A]
クロウはレイの眼鏡を指先で直し、痛ましげに微笑んだ。
[A:クロウ・ヴァレンタイン:冷静]「外の世界では『Sub狩り』が横行している。覚醒したばかりの貴方が放り出されれば、待っているのは家畜以下の扱いだ。……だから、私が檻を作った」[/A]
「貴方を守るには、貴方を私の所有物として登録し、この閉ざされた島に閉じ込めるしかなかった」
支配の裏にあったのは、歪みきった愛。
サディスティックな視線は、世界で最も強固な監視(ガード)だったのだ。
[Sensual]
レイの目から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
恐怖の檻だと思っていた場所が、実は嵐から守るための揺り籠だったと知った瞬間。
張り詰めていた心の弦が、ぷつりと切れた。
「……私は、守られていたのか……この、鉄鎖に……」
レイはクロウの首に腕を回し、その胸に顔を埋める。
軍服の硬い生地越しに伝わる鼓動。それは、何よりも力強く、レイの存在を肯定していた。
[/Sensual]
だが、安らぎは長くは続かない。
館内放送が無機質に告げる。
『緊急通達。監査官一行、到着まであと三十分』
[A:クロウ・ヴァレンタイン:冷静]「……時間がない。レイ、立て。お前をここから出す」[/A]
クロウはレイを突き放し、扉を指差した。
[A:クロウ・ヴァレンタイン:冷静]「私のデータ改竄で、お前は『完治』したことになっている。今すぐ出ていけ。……二度と、私の前に現れるな」[/A]
◇◇◇
第五章: 首輪の誓い
重厚な鋼鉄の門が、地響きと共に開いていく。
その向こうには、青すぎる空と、レイを迎えるための監査官たちの車列が見えた。
自由。
一歩踏み出せば、元のエリートとしての生活が戻ってくる。クロウのいない、清潔で、退屈で、孤独な世界。
クロウは背を向け、直立不動で立っている。
その背中は、拒絶を示していた。
[A:クロウ・ヴァレンタイン:冷静]「行け。振り返るな」[/A]
レイは一歩、足を前に出した。
眩しい日差し。
だが、身体が鉛のように重い。
(自由とはなんだ? 誰にも所有されないことは、幸福なのか?)
脳裏に蘇るのは、クロウの冷たい指先、低く響く命令、そして隠された不器用な愛。
この男のいない世界で呼吸をすることに、何の意味がある?
[A:氷室 レイ:冷静]「……いや、違う」[/A]
レイは足を止めた。そして、ゆっくりと踵を返す。
[A:クロウ・ヴァレンタイン:怒り]「何をしている! 早く行け!」[/A]
[A:氷室 レイ:怒り]「[Shout]黙れ![/Shout]」[/A]
レイは監査官たちの目の前で、クロウの足元へと疾走した。
そして、躊躇いなく石畳に膝をつく。
衆人環視の中、誇り高き元憲兵は、自らの首を差し出した。
ポケットから取り出したのは、独房に残されていたはずの、黒革の首輪。
[Sensual]
「はぁ、はぁ……愚かな主だ。犬を野に放そうなどと」
レイは震える手で首輪をクロウに押し付け、上目遣いに彼を睨み上げた。
その瞳は、従属の喜悦と、執着の炎で爛々と輝いている。
「私に命令を。……一生、貴方の犬であるという命令を」
「社会的な死などどうでもいい。貴方のいない自由より、貴方のいる地獄がいい……!」
[/Sensual]
クロウの瞳が見開かれ、やがて歪んだ歓喜の笑みが浮かぶ。
彼はレイの手から首輪を奪い取ると、カチリ、と音を立ててレイの首に嵌めた。
[A:クロウ・ヴァレンタイン:愛情]「……後悔するなよ、レイ。もう二度と、人間には戻れない」[/A]
[A:氷室 レイ:喜び]「望むところです……ご主人様(マスター)」[/A]
門が閉ざされる。
監査官たちの呆然とした視線を遮るように、二人は閉ざされた楽園へと消えていく。
愛という名の鉄鎖、命令という名の福音。
永遠に続く主従の愛が、今、完成した。