第一章: 沸騰する銀の心臓
「開けなさい! 焼き切れる前に、早く!」
地下配管区の重厚な鉄扉が、爆発的な破砕音とともに蝶番ごと吹き飛ぶ。
煤煙と青白い蒸気が渦巻く闇の帳を裂いて転がり込んできたのは、純白の豪奢なフリルドレスを泥と黒錆のオイルで無残に汚した一人の女。
乱れ狂う白銀の巻き髪の隙間から、冷たく研ぎ澄まされた碧眼がまっすぐに射抜いてくる。
ドレスの胸元は無惨に引き裂かれ、露出した円形硝子窓の奥で、真鍮の心臓――帝国禁忌の兵器級エーテル・コアが、狂ったような赤熱光を明滅させながら超高周波の金属鳴動を響かせていた。
チチチチ、と皮膚を焦がす熱線が部屋の埃を焼き、焦げ付いた油脂の臭いが鼻腔を刺す。
ボサボサの黒髪を無造作に掻き上げ、クロム・ヴァンガードは油染みた作業台から気だるげに身を起こした。琥珀色の瞳を細め、真鍮と鋼で組まれた右腕の重装甲義手をギリリと軋ませる。
クロム・ヴァンガード「……おいおい、ノックの圧力が規格外すぎるだろ。心臓なんてただの循環ポンプだ。だが、てめえのその玩具は帝都の半分を灰にする気か?」
エレノア・フォン・シルフィード「無駄口を叩くな、野良技師! わたくしの鼓動を止められるものなら、止めてごらんなさい!」
エレノアがクロムの作業服の胸倉を掴み、至近距離で過熱蒸気の混じる熱い吐息を吐き出す。
噴出する高熱のエーテル波が、クロムの首元に刻まれた古い蒸気焼けの痕をチリチリと苛むように炙った。
喉仏が引き攣り、乾いた嚥下音が鳴る。
クロムは迷わず、冷たい真鍮の重装甲義手をエレノアの薄く華奢な胸郭の隙間へと強引に割り込ませた。
エレノア・フォン・シルフィード「あ……っ、熱い……壊れる、奥まで、触るな……っ!」
皮膚を焦がす鋭い金属音。硝子越しに義手の指先へと直に伝わる、狂乱の脈動。
指の神経接合部を灼熱のエーテル電流が逆流し、脳髄に痺れるような甘い痛打を刻み込む。
クロム・ヴァンガード「暴れるな。直結バイパスを噛ませる……わずかでも噛み合わせが狂えば、二人仲良く消し炭だ」
肉と金属が密着し、圧力弁の金属疲労音が甲高い悲鳴を上げる。
エレノアの白皙の肌に紅潮が広がり、引き結んだ唇から震える吐息が漏れた。
クロムがバイパス管を力任せに心臓の主弁へとねじ込むと、逃げ場を失った過熱蒸気が白い幕となって二人の肌を濃密に包み込んだ。
ドォンッ!
直後、地下工房の分厚い天井石が粉々に破砕され、鋼鉄の巨体が質量兵器となって降り注いだ。
第二章: 鉄の咆哮と最悪の真実

吹き飛ばされた地下から一転、瓦礫の連なる崩壊した大時計塔の最上階。夜の凍てつく冷気が、回転を止めた巨大な歯車の間を猛烈な勢いで吹き抜ける。
背中に二本の排気煙突を背負い、黒煙を撒き散らす鉄仮面の巨躯――バルザック・グレイブが、超重量の蒸気パイルバンカーを構えて地響きを立てた。
バルザック・グレイブ「脆き肉体は滅び、鉄と蒸気のみが永遠を刻むのだ。回収対象、エレノア・フォン・シルフィード。速やかにその機構を引き渡せ」
巨大な杭が蒸気圧で射出される。
クロムは義手を掲げて盾とし、パイルの直撃を真正面から受け止めた。
激しい火花が闇を焼き、クロムの真鍮装甲に無数の亀裂が走る。
火花が散り、砕けた歯車の破片が雨のように降り注ぐ中、バルザックの冷酷な重低音が響き渡った。
バルザック・グレイブ「貴族院議長はお前を娘として救ったのではない。帝都の全蒸気機関を過負荷自爆させるための生体起爆装置として、そのコアを埋め込んだのだ」
硝子の心臓が凍りつくように青白く発光した。
エレノアの碧眼から光が消え失せ、震える指先が無意識に自身の胸元へと伸びる。
浅く速い呼吸。血の気の引いた唇が小刻みに戦慄く。
エレノア・フォン・シルフィード「……わたくしは、最初から人間ですらなかったのね。愛されていたわけでも、生かされていたわけでもなく……ただの、火薬樽」
エレノア・フォン・シルフィード「ならば全て吹き飛べ! 帝都ごと、何もかも灰になればいい!」
絶望に歪んだ指先が胸部の過熱リミッターに掛かり、一気に引き抜こうとしたその瞬間。
バキリ、と骨と金属が引き千切れる破壊音が鳴り響いた。
クロムが自らの破損した真鍮義手を、左腕の力だけで肩口から強引にもぎ取ったのだ。
剥き出しになった神経端子――生身の肉と真鍮の配線が絡み合う接続部を、クロムはエレノアの胸部コアへ力任せに突き刺した。
第三章: 鋼殻に宿る血潮

クロム・ヴァンガード「誰が爆弾だと言った! お前の心臓は、俺が整備する最高傑作の機械だ!」
トクン、トクン、トクン!
クロムの生身の右肩から噴き出す鮮血が、真鍮の歯車を赤く濡らし、過熱するエーテル・コアの吸気口へと吸い込まれていく。
血液を冷却材として呑み込んだコアが、狂乱の超高周波から、力強く規則正しい重低音の鼓動へと変調する。
二人の脈拍が完全に同期し、心臓の拍動が天蓋を揺るがす轟音へと変わる。
視界を赤く染める熱気の中、エレノアの瞳に再び激しい光が宿った。
彼女は涙に濡れた頬を寄せ、クロムの首筋に両腕をきつく絡めつけた。
エレノア・フォン・シルフィード「……貴方の命を、わたくしに寄越しなさい、クロム! 誰にも、この鼓動を奪わせはしない!」
《過熱臨界・機巧抜刀》
クロムの全身の毛穴から、蒼白な過熱蒸気が爆散する。
限界を超えたエーテル圧力によって神経ごと駆動したクロムの左手が、腰の破断刀を一閃させた。
一閃。
夜空に刻まれた銀の軌跡。
バルザックの背部ボイラーが、基礎フレームごと真二つに両断されていた。
巨大な鉄塊が断末魔の蒸気と黒煙を噴き上げながら、内部圧力の崩壊とともに大爆発を起こす。
吹き荒れる炎と衝撃波が、時計塔の巨大な文字盤を深紅に染め上げた。
砕け散る硝子と真鍮の破片が夜風に舞い散る中、クロムとエレノアは赤熱する胸元を重ね合わせ、貪るように深く抱きしめ合う。
鉄と血とオイルの匂気。肌と肌が触れ合う極限の熱が、互いの存在を、命の輪郭を確かに刻み込む。
エレノア・フォン・シルフィード「……壊れたら、また直してくれますわね? 何度でも、壊れるまで……」
クロム・ヴァンガード「当然だ。真鍮と歯車が尽きるまで、何度でもな」
崩壊の連鎖を始めた時計塔の足場がきしむ。
二人は互いの体温を抱いたまま時計塔の縁を蹴り、立ち込める黒煙の底、帝都の果てしない暗がりへと身を投じた。