時計台が刻む、忘れられた月曜日

時計台が刻む、忘れられた月曜日

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第一章 繰り返される月曜日の微熱

それは、ごく平凡な月曜日の朝だった。教室の窓から差し込む春の光は、少しだけ埃っぽい空気と、眠気を誘う教師の声に溶けていた。隣の席のユイが、くすくすと笑いながら消しゴムを貸してと囁く。その消しゴムは、昨日と同じく、先端が少し欠けていた。机の下では、スマホが一度だけ震える。確認すれば、幼馴染のハルトから「放課後、例のゲームの話な!」というメッセージ。うんざりするほど、いつもの月曜日だ。

「……あれ?」

だが、アオイの心臓は、なぜか微かに違和感を訴えていた。この光景、この会話、このメッセージ。全てが、あまりにも鮮明に、デジャヴのように繰り返されている気がしたのだ。気のせいだろうか。最近寝不足だから。そう思いながらも、彼女は授業中、ノートに書きつけた。

『今日、3月18日(月)。世界史の授業、先生は「ナポレオンの生涯」について話している。ユイは消しゴムを貸してと頼んだ。ハルトから放課後のゲームの話のメッセージ。』

翌朝、目覚まし時計の音で目を覚ましたアオイは、カレンダーを見た。3月18日(月)。昨日と同じ。心臓が跳ね上がった。冗談じゃない。テレビのニュース、ラジオから流れる天気予報、全てが昨日と同じ内容を告げている。まさか、そんな馬鹿な。

学校に行くと、昨日と寸分違わぬ光景が広がっていた。ユイはやはり、くすくすと笑いながら消しゴムを貸してと頼む。その消しゴムは、昨日と同じように、先端が少し欠けていた。机の下では、スマホが一度だけ震える。ハルトから「放課後、例のゲームの話な!」というメッセージ。アオイが昨日ノートに書き記した全ての出来事が、まるで巻き戻しのように、再び目の前で展開されている。

「ユイ、今日って何曜日?」

思わず尋ねると、ユイは不思議そうに首を傾げた。「月曜日に決まってるじゃん。アオイ、寝ぼけてるの?」

教室の誰もが、この異常な状況に気づいていない。アオイだけが、たった一人、完璧に繰り返される「月曜日」に取り残されていた。窓から見える空の色、吹き抜ける風の匂い、遠くで鳴る時計台の鐘の音。全てが美しく、そして恐ろしいほどに「いつも通り」だった。アオイは混乱し、孤独感に打ち震えながら、この繰り返される月曜日の微熱に、どう対処すればいいのか皆目見当もつかなかった。

第二章 時計台が見つめる秘密の影

アオイは、ループする月曜日から抜け出すため、様々な行動を試みた。初めは、ループに気づかせようと、友人たちに直接訴えかけた。「ねえ、私たち、同じ一日を繰り返してるんだよ!」しかし、彼らはただ笑い飛ばすか、心配そうにアオイの額に手を当てるだけだった。先生に相談しても、「疲れているんじゃないか」と諭される始末。誰も信じてくれない。当然だ。信じられるはずがない。

次に、アオイはこれまでと違う行動をしてみた。授業中に立ち上がって叫んでみたり、放課後、いつもは行かない繁華街へ繰り出してみたり。だが、夜が更け、眠りにつくと、次の朝はまた同じ3月18日の月曜日が始まるのだ。どんなに劇的な変化を起こしても、その日の終わりには全てがリセットされ、アオイの行動だけが、たった一人分の「記憶」として積み重なっていった。その孤独感は、まるで深い海の底に一人沈んでいくような感覚だった。

しかし、幾度となく同じ一日を繰り返すうち、アオイの視点は少しずつ変化していった。最初は絶望しか感じなかった「繰り返し」が、次第に、これまで見過ごしていた学校の細部に目を向けさせるようになったのだ。いつも通る廊下の、剥がれかけた壁紙の模様。体育館の裏にある、古びた錆びたバケツ。そして、学校のシンボルである、校舎の隅にそびえ立つ古い「時計台」。

時計台は、この高校の創立時からそこにあったという。重厚な石造りで、蔦が絡まるその姿は、まるで時を超えて全てを見守る老賢者のようだった。その時計の針は常に正確な時刻を刻んでいるように見えたが、アオイは何度か、その時計台の鐘の音が、他のどの音とも違う、どこか物悲しい響きを持っていることに気づいた。特に、夕暮れ時に鳴る最後の鐘の音は、アオイの胸に切ない痛みを残した。

ループの九度目の月曜日の放課後、アオイはハルトからのゲームの誘いを断り、一人で時計台の周囲を歩いていた。ふと、時計台の石段の陰に、何か古いものが隠されているのを見つけた。それは、長年雨風に晒され、色褪せた一枚の写真だった。セーラー服を着た数人の生徒たちが、満面の笑みで時計台を背景に写っている。その写真の裏には、墨で書かれた達筆な文字があった。

『この時計台と共に、私たちの時間も、思い出も、永遠に刻まれるように。』

その文字を見た瞬間、アオイの心に稲妻が走った。繰り返される月曜日。そして、時計台。この二つが無関係だとは、もはや思えなかった。時計台はただ時を刻むだけでなく、何かを「抱え込んでいる」ように感じられた。それはまるで、遠い過去の誰かの、忘れ去られた願いや、伝えきれなかった思いが、この場所に閉じ込められているかのような、そんな奇妙な予感だった。

第三章 時計台の心臓と過去の声

アオイは、その日から図書館に通い詰めるようになった。古い校史や卒業アルバム、当時の新聞記事などを読み漁る。そして、一枚の写真に写っていたセーラー服の生徒たちが卒業した年、約六十年前の記録に辿り着いた。その頃、この時計台は大規模な改修工事が行われていたという。そして、そこに奇妙な記述を見つけた。

「当時の生徒会会長、佐倉ユウ氏が、時計台の内部機構の設計に深く関与。しかし、卒業式直前に突如転校。その後消息不明となる。」

佐倉ユウ。写真の裏にあった達筆な文字と、この「時計台の内部機構の設計」という言葉が、アオイの中でピタリと繋がった。ユウは、この時計台に何か特別な想いを込めていたのではないだろうか。そして、その未練が、今のループの原因となっているのかもしれない。

ループの二十度目の月曜日。アオイは決意を固めた。この繰り返される日常の鍵は、時計台の内部にある。放課後、忍び込むように時計台の古い扉を開けた。ギィ、と錆びた蝶番が悲鳴を上げた。中はひんやりとして、機械油と埃の匂いが混じり合う。巨大な歯車と、複雑に絡み合う鎖が、薄暗い空間に鎮座している。その心臓部から、規則的なカチカチという音が響き渡っていた。

アオイは、機械の隙間や、壁の窪みを隈なく探した。すると、最も古い歯車の裏側、ほとんど朽ちかけそうな木製のパネルの奥に、手のひらサイズの小さな木箱が隠されているのを発見した。そっと開けると、中には色褪せた数枚の手紙と、一冊の小さな日記帳が入っていた。

それは、佐倉ユウの日記だった。

読み進めるにつれ、アオイの心臓は激しく高鳴った。ユウは、時計台の設計を通じて、友との友情、将来への希望、そして淡い恋心をそこに込めようとしていた。しかし、突然の親の転勤で、夢も、友人への感謝も、そして伝えられなかった「好き」という気持ちも、全て置き去りにして、この学校を去ることになったと記されていた。日記の最後のページには、震えるような文字でこう書かれていた。

『もう一度、あの日の放課後を。あの夕焼けを、君と見届けたかった。』

アオイの価値観は、根底から揺らいだ。自分だけの奇妙な体験だと思っていたループが、六十年前の、誰かの切ない未練と深く繋がっていた。それは、時間と空間を超えた、強い「願い」だった。この月曜日の繰り返しは、ユウの「もう一度、あの日の放課後を」という願いが、時計台という媒介を通じて、時間を歪めていたのだ。アオイは、この日記を手に、重く複雑な感情に包まれた。自分は、たった一人、この過去の願いを解き放つために、ここにいる。そんな使命感が、ふつふつと湧き上がってくるのを感じた。

第四章 終わらない夕焼けと繋がれた願い

ユウの日記を読んだアオイは、繰り返される月曜日を、もはや呪われた時間だとは思わなかった。それは、ユウの置き去りにされた願いを叶えるための、かけがえのない時間だった。アオイは日記と手紙を何度も読み返し、ユウが誰に、何を伝えようとしていたのかを丹念に探った。

手紙には、クラスメイトの「サキ」という名前が何度も登場した。ユウは、サキに「ありがとう」を伝えたかったこと、そして一緒に時計台から見える「特別な夕焼け」を見届けたかったことを綴っていた。だが、転校が決まり、その願いは果たされなかったのだ。

アオイは、ループの中で、サキを探す旅に出た。もちろん、今の学園にサキはいない。しかし、ユウが残した「もう一度」という言葉は、アオイに過去を再現させることを求めているように思えた。アオイは図書館の古い名簿を調べ、当時サキという名前の生徒がいたこと、そして彼女が卒業後もこの街に暮らしていたことを突き止めた。

ループの中で、アオイは何度も試行錯誤した。ユウの代わりにサキに会うことはできない。だが、ユウがサキに伝えたかった「感謝」の気持ちを、どうにかして「未来」に繋ぐことはできないか。

ある月曜日、アオイは思いついた。サキの当時の住所を突き止め、その家を訪ねた。もちろん、そこにサキはいなかった。しかし、その家の庭には、ユウが日記に書いた「サキが大切にしていた」という、小さな白い花が咲いていた。アオイは、その花をそっと一輪摘み取り、日記と共に時計台の最上階へと向かった。

時計台の最上階は、かつてユウが夢見たであろう、校舎全体と街並みを見下ろす絶景の場所だった。西の空には、もうすぐ日が沈もうとしていた。今日が何度目の月曜日かは、もう数えきれない。アオイは、白い花を日記の上に置き、夕焼けに染まる空を見上げながら、心の中でユウに語りかけた。

「ユウ先輩、あなたの願い、きっと届きます。私も、この夕焼けを、心に刻みますから。」

その瞬間、西の空が、これまで見たこともないような、鮮やかな茜色に染まった。黄金色、朱色、そして深い紫が、溶け合うように広がり、世界全体を包み込んだ。それは、言葉では表現できないほどの、息をのむような美しさだった。そして、時計台の鐘が、一度だけ、奇妙なほど澄んだ音色で、カーン、と鳴り響いた。その音は、まるで過去と現在が共鳴し、願いが成就したことを告げるかのように響き渡った。

翌朝、目覚まし時計の音が鳴り響き、アオイは跳ね起きた。カレンダーを確認する。3月19日(火)。

ループは終わっていた。アオイは、溢れ出す涙を止められなかった。

第五章 過ぎ去りし日の足跡、未来への一歩

火曜日が来た。そして水曜日、木曜日。アオイは、本当にループから抜け出したことを実感した。周囲の誰もが、月曜日を一度しか経験していない。アオイだけが、あの奇妙で濃密な日々を心に刻んでいる。その事実は、アオイの見る世界を完全に変えていた。

いつもの通学路、いつもの教室、いつもの友人たち。全てが以前と同じなのに、アオイの目には、一つ一つの風景が、一瞬一瞬の時間が、かけがえのないものとして映った。ユイが貸してくれた消しゴムは、もう欠けていない。ハルトからのメッセージも、新しいゲームの話題。全てが、一度きりの「今」なのだ。

アオイは、もう時計台の内部に入ることはなかった。しかし、授業の合間や放課後、ふと窓の外に目をやると、必ず時計台の姿を探していた。古い石造りの時計台は、相変わらずそこに静かに佇み、正確な時刻を刻んでいる。しかし、アオイには、その時計台が、今もなお、過去の優しい記憶と、未来への希望を繋ぐ象徴のように見えた。

時計台の鐘が、夕暮れの時刻を告げて鳴り響く。その音は、もうあの物悲しさを帯びてはいなかった。どこか温かく、遠い日の願いを優しく見守るような響きに聞こえた。アオイは、心の中でユウに語りかける。

「先輩、ありがとう。あなたのおかげで、私は『今』を生きる大切さを知りました。」

アオイは、時計台を見上げながら、深い呼吸をした。あのループの中で得た経験は、彼女の内に深く刻まれている。一度きりの日々を大切に生きること。見過ごしがちな日常の中に隠された、ささやかな美しさや、人々の思いに気づくこと。そして、過去の誰かの願いが、今の自分の行動を通じて未来に繋がっていくこと。

アオイの心には、過去の切ない願いが残した温かい余韻と、未来への確かな希望が満ちていた。彼女は、これからも、この一度きりの日々を、誰かの心に残るような、意味のあるものにしていこうと、静かに、しかし強く決意した。時計台は、今日も、止まることなく時を刻み続けている。

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