すべてを身代わりに吐血する無口な賢者は、狂信的な少女たちの「激重感情」から絶対に逃げられない

すべてを身代わりに吐血する無口な賢者は、狂信的な少女たちの「激重感情」から絶対に逃げられない

主な登場人物

エルツ・ヴァイン
エルツ・ヴァイン
24歳 / 男性
漆黒の外套に身を包み、常に冷徹で鋭い三白眼を持つ。病的なまでに青白い肌と、端正だが威圧感に満ちた容貌。首元には呪いを抑える黒い包帯が巻かれている。
アルトワ・フォン・ローゼンバーグ
アルトワ・フォン・ローゼンバーグ
21歳 / 女性
眩い黄金の甲冑を纏う、凛とした聖騎士。プラチナブロンドの長い髪をハーフアップにし、意志の強いサファイアブルーの瞳を持つ。常に毅然とした態度を崩さない。
ミリア・グレイス
ミリア・グレイス
19歳 / 女性
サイズの合わない大きめの魔導ローブを羽織り、紫色の髪をラフにお団子にまとめている。丸い眼鏡の奥の瞳は知性に満ちているが、エルツを見つめる時だけは異様な熱を帯びる。

相関図

相関図
拡大表示
0 17 10386 文字 読了目安: 約21分
文字サイズ:
表示モード:
自動スクロール:

第1章:漆黒の沈黙と黄金の超解釈

Scene Image

鉄と腐肉の入り混じった悪臭が、湿(しめ)った大気を重苦しく満たしていた。

黒樹(くろき)の森の奥深く。

神聖帝国の精鋭騎士団は、暗闇の中でうごめく数万の魔獣の爪牙に囲まれ、退路を完全に断たれていた。

乾いた風が木々の隙間を吹き抜けるたび、甲冑の擦れ合うカチャカチャとした金属音と、死兵と化した兵士たちの荒い呼吸が重く、冷たく響く。

その最前線。

群青色の月光を浴びて、漆黒の外套を羽織った男が、微動だにせず立っていた。

エルツ・ヴァイン。

病的に青白い肌。

獲物を射殺すかのように鋭く冷徹な、光なき三白眼(さんぱくがん)。

首元には異様な黒い包帯が、まるで彼の皮膚に直接食い込むように、幾重にも、執拗に巻き付けられている。

[Think](嘘だろ……。なんで、なんでこんなことになってるんだ。何が『深淵の賢者』だ! 俺はただ、お家でハーブにお水をあげて、可愛いウサギの絵を描いて、温かいお茶を飲んで、お布団のぬくもりに包まれて眠りたいだけなのに……!)[/Think]

エルツの足は、極限の恐怖によって完全に石のように硬直していた。

一歩も、指先一つすら動かせない。

極度のストレスと迫り来る死への恐怖により、持病の喉の病が激しく悪化し、声帯は熱い鉛を流し込まれたかのように固まり、悲鳴すら紡げなくなっていた。

彼は、せめて降伏の意思を示したかった。

「頼むから、お願いだから誰か助けてくれ」と、心の中で泣き叫びながら、哀れな懇願のために、かすかに震える右手を前方へとそっと差し伸べた。

だが。

限界寸前の精神から生じた、彼の青ざめた死人のごとき美貌は、周囲の者たちの目には「一切の妥協を許さぬ冷酷無比な覇王が、世界を掌握せんとする挙動」に映っていた。

その背後。

黄金の甲冑を纏(まと)い、プラチナブロンドのハーフアップの髪を戦風に揺らし、サファイアブルーの瞳を潤ませた聖騎士が、その姿を見て激しく息を呑む。

アルトワ・フォン・ローゼンバーグは、最愛の主が示したその沈黙の挙動を、神聖なる大いなる意思として、刹那のうちに、独自の信仰フィルターで脳内変換した。

[A:アルトワ・フォン・ローゼンバーグ:興奮]「……ッ! エルツ様の、あの神聖なる『沈黙』……! あれは我々に『これ以上語る必要はない、己の正義を貫け』という、言葉を超越した、深き慈愛の教えに他ならない!」[/A]

アルトワの全身から、夜闇を昼に変えるほどの、眩(まばゆ)いばかりの光の闘気が吹き荒れる。

彼女は聖剣を、一点の曇りもない天へと真っ直ぐに掲げ、凶悪な魔力の奔流をその華奢な身に宿した。

ドォォン、と大地が派手に震動し、黄金の鋭い輝きが魔獣たちの包囲を文字通り切り裂いていく。

[A:アルトワ・フォン・ローゼンバーグ:怒り][Shout]「我が命を、我が魂を賭して、主の切り開く聖なる道を清めん! 散れ、有象無象(うぞうむぞう)ども! 《レイ・グランツ・ブレード》!」[/Shout][/A]

眩死(げんし)せんばかりの黄金の斬撃。

それが、うねる魔獣の大群を、大地ごと一文字に、根こそぎ消し去った。

ゴオォォ, と凄まじい爆風が吹き荒れ、エルツの黒い外套をバタバタと激しくはためかせる。

エルツは、爆風が巻き上げた砂埃を容赦なく目に浴びながら、視界を涙で滲ませ、心の中で大粒の血の涙を流していた。

[Think](違う……。違うんだアルトワ。俺はただ『お家に帰りたい』って手を振っただけなんだ……。というか今の一撃、反動が凄まじすぎて普通なら君の腕の骨, 粉々になってるからね!?)[/Think]

[Pulse]ドクン、と。[/Pulse]

不吉な脈動。

エルツの首元、あの黒い包帯の下で、どす黒い呪印がドロドロとした熱を伴って拍動する。

アルトワが今放った、身の丈に合わない聖剣の絶大な魔力反動。

その「肉体を崩壊させるべき破壊のエネルギー」の全てが、因果を捻じ曲げてエルツの背中に不可視の鎖となって巻き付き、彼の肉体を裏側から、じりじりと、激しく焼き焦がした。

『絶対身代わりの呪印』。

他者の被(こうむ)るべきあらゆるダメージ、呪い、苦痛を、無条件で我が身に強制転送する因果の楔(くさび)。

背中の皮膚が、じわじわと炭化していく壮絶な激痛。

エルツは白目を剥(む)いてその場に卒倒しそうになりながらも、ただ、奇跡的なまでの精神力で仁王立ちを維持する。

ここで、もし自分が一歩でも膝を折れば。

この頼もしくも、あまりに勘違いの激しい部下たちが絶望し、戦意を失って死んでしまう。

エルツは、喉の奥からせり上がる、鉄の味がする黒い血を、ごくりと強引に飲み下した。

冷徹で、氷の彫刻のようなポーカーフェイスを張り付けたまま、静かに、肯定を示すように首を縦に振る。

[A:エルツ・ヴァイン:冷静]「……問題ない」[/A]

その地響きのような、極めて低く、掠(かす)れた声音。

それは、凄絶な戦いを見届けて生き残った戦士たちの魂を震わせた。

彼らは一斉に地面に膝をつき、感謝と感涙の嗚咽(おえつ)を漏らし、祈りを捧げる。

だが。

歓声と崇拝の渦の中、エルツの胸裏には、誰にも見えない本物の黒い血が、静かに滲み続けていた。

彼の命の蝋燭(ろうそく)が、また一本、確実に、そして残酷に削り取られた瞬間だった。

第2章:深淵の狂信と、歪んだ奇跡の創造

Scene Image

翌晩、聖王領にそびえるエルツの個人書斎。

胃に錆びたドリルで直接穴を開けられているような、凄まじいストレスに苛(さいな)まれながら、エルツは羽ペンを握っていた。

[Think](もう無理。今度こそ辞表を書く。ここに『私はただの無能です、人違いです』と書いて、明日の朝一番に置いて逃げよう。そうしよう。そうしなければ、本当に死んでしまう)[/Think]

しかし、掠れた指先は激痛で痙攣(けいれん)し、まともに文字を結べない。

喉を焼くような激痛を抑える、あの穏やかな薬草の調合を必死に思い浮かべながら、彼は掠れたペン先で、ただ喉の痛みを抑えるための、自分用の買い物メモを走り書きした。

『トイレットペーパー、りんご、カモミール』

かすれた文字。

そのまま限界を迎え、エルツはベッドに泥のように倒れ込み、気絶するように意識を失った。

数時間後。

静まり返った書斎の扉が、音もなく、滑らかに開いた。

紫色の髪をラフなお団子にまとめた少女、ミリア・グレイスが忍び込む。

丸い眼鏡の奥。

知性と狂気に満ちた、妖しく光る紫色の瞳が、机の上のメモを発見した瞬間に、異様な熱を帯びてギラリと輝いた。

[A:ミリア・グレイス:狂気][Whisper]「これは……ッ! ただの、買い物メモではない……! まさか、帝国の多重結界魔術の配列の欠陥を突いた、古代ルーンの隠秘(いんぴ)術式……!?」[/Whisper][/A]

ミリアは、はぁはぁと荒い吐息を漏らしながら、メモを掠め取り、両手で押し抱いた。

紙片に残るエルツの匂いすら、肺腑(はいふ)いっぱいに吸い込もうとする。

彼女の異常なまでに発達した魔導脳髄が、超高速で、そして完全に間違った方向へと回転し始める。

[A:ミリア・グレイス:興奮]「『りんご』は生命の果実、すなわち因果の収束点……! 『カモミール』は逆流する魔力の鎮静……! ああ、エルツ様は私に、この不完全な世界の魔律を、根底から再構築しろと仰(おっしゃ)っているのですね!」[/A]

ミリアは不眠不休で、床に散らばる禁忌の魔導書を貪(むさぼ)り、一晩中、怪しげな光を放つルーンを部屋中に、壁に、床に書き殴った。

それは。

世界を揺るがしかねない、神をも畏れぬ禁忌級の絶対防御魔術の完成を意味していた。

翌朝、エルツが這(は)いずるようにして起き上がると。

目の前には、徹夜の興奮で顔を赤く紅潮させたミリアが、巨大な立体魔術陣を部屋いっぱいに浮かべて待っていた。

[A:ミリア・グレイス:喜び]「エルツ様! ご指示の通り、因果律を強引に歪めて物理的な破壊を完全に無効化する、第9階梯の防御結界を編み上げました!」[/A]

エルツは、目の前に浮かぶ不気味に明滅する紫色の術式を見て、開いた口が塞がらなくなり、魂が口から抜けかけた。

[Think](何これ。何を作っちゃってるの。俺、ただハーブティーの材料とお尻を拭く紙のメモを残しただけなんだけど……!? なんでこんな禍々しいものが出来上がってるの!?)[/Think]

あまりの恐怖と驚愕に、エルツの表情は鉄の仮面のように、冷酷に凍りつく。

何も言えず、ただ、諦めたように天を仰ぐ。

だが。

狂信者であるミリアには、その絶望の表情すらも「全知の神が我が偉業を全肯定した、あまりにも崇高で神聖なる眼差し」に見えていた。

[A:ミリア・グレイス:愛情][Whisper]「ああ、なんて美しい脳髄をしていらっしゃるの……。エルツ様、私は一生、あなたの忠実な影として、真理を追い求めます」[/Whisper][/A]

ミリアが、恍惚(こうこつ)とした表情で彼の足元に跪(ひざまず)いた、まさにその瞬間。

[Impact]ゴホッ、と。[/Impact]

エルツの背中の皮膚が、内側から激しく弾けた。

ミリアがその常軌を逸した禁忌魔術を構築した代償。

世界の因果を歪めてしまったことによる、凄絶な「世界からの反動の呪い」。

そのすべてが、冷酷な『身代わりの呪印』を通して、エルツの脆弱な脊髄(せきずい)へと一気に流入したのだ。

背中が、まるで沸騰したドロドロの鉛を直接流し込まれたように熱い。

肉が、みしりと音を立てて炭化し、崩れていく。

それでもエルツは、冷徹な三白眼をわずかも崩さず、鉄のポーカーフェイスで静かに立ち尽くすことしか、彼には許されて成し得なかった。

第3章:剥がれ落ちる神聖、露わになる血肉

Scene Image

事態は、最悪という名の坂道を転がり落ちるように、加速していく。

深夜、しんと静まり返ったエルツの寝室に、無音で忍び寄る影があった。

隣国が放った、超一流の「影の暗殺団」の精鋭たち。

研ぎ澄まされた冷たい刃が、月光を反射して、不気味に、鋭く光る。

ベッドの上で横たわっていたエルツは、彼らの殺気に気づいた瞬間、あまりの恐怖に身体が、指先一つ動かせないほど完全に硬直した。

呼吸がピタリと止まる。

顔が、獲物を惨殺せんとする狂暴な肉食獣のように、恐ろしく、冷酷に引き締まる。

[Think](ひ、ひぃぃぃ! 死ぬ! 殺される! なんで俺の寝室に刃物持った怖い人がいっぱいいるの!? 誰か助けてえええ! 警察とかいないのこの世界!?)[/Think]

暗殺者たちは、その凄まじいプレッシャーを全身から放つエルツの「鋭い睨み」と対峙し、背筋に氷水を直接流し込まれたような、圧倒的な戦慄(せんりつ)に陥った。

[A:エルツ・ヴァイン:冷静]「……何者だ」[/A]

[Tremble]「な、なんだこの尋常ならざる威圧感は……! 我々の、世界最高峰の隠密術式が、ミリ単位で完全に見破られているというのか……!?」[/Tremble]

焦った暗殺者の足元が、前日にミリアが(勝手に)部屋へ仕掛けていた防御結界のトリガーを、不運にも踏み抜いた。

[Flash]紫の雷光[/Flash]が、狭い室内に容赦なく炸裂する。

暗殺者たちは、悲鳴を上げる間すら用意されず、瞬時に自滅し、炭化してボロボロの灰となり床に転がった。

ただならぬ騒ぎを聞きつけたアルトワとミリアが、扉を勢いよく蹴り開けて飛び込んでくる。

[A:アルトワ・フォン・ローゼンバーグ:冷静]「エルツ様! ご無事ですか!」[/A]

床に転がる、見るも無惨な炭化した死体。

そして、ベッドの上に微動だにせず、冷徹に座るエルツ・ヴァイン。

二人はその光景を見て、やはり主は無敵だと、確信に満ちた誇らしげな笑みを浮かべようとした。

だが。

[Pulse]「ガハッ……、ゴホッ……ッ!!!」[/Pulse]

エルツの口から、どす黒い血液が、噴水のように激しく吐き出された。

純白だったシーツが、一瞬にして、おぞましくも美しい赤黒い薔薇の花園へと染まる。

エルツの身体が、糸の切れた壊れた人形のように、前方にぐらりと倒れ込んだ。

[A:ミリア・グレイス:驚き][Shout]「エルツ様!?」[/Shout][/A]

[A:アルトワ・フォン・ローゼンバーグ:驚き][Shout]「主よ! 何事ですか、エルツ様!」[/Shout][/A]

アルトワが、血相を変えてその痩せた身体を抱き起こす。

ミリアが、震える手で彼の胸元を乱暴にはだけさせた。

衣服を引き裂いた瞬間。

二人は、言葉を失って、ただ絶句した。

エルツの、病的に痩せ細った、痛々しいほどに白い肌。

そこには、全身をがんじがらめに縛り上げるように、赤黒く脈打つ「呪印の鎖」が皮膚を無惨に食い破って、びっしりと刻まれていた。

至る所が焼けただれ、ただれ、骨が見えそうなほどに、黒い肉の壊死(えし)が始まっている。

[System]《警告:個体名『エルツ・ヴァイン』の生命維持能力が限界値を下回っています。蓄積された他者代償ダメージ:99.8%》[/System]

[A:アルトワ・フォン・ローゼンバーグ:絶望][Tremble]「これは……何だ、この悍(おぞ)ましい傷は……。この、酷く焼け焦げた痕は、私が放ったあの聖剣の……?」[/Tremble][/A]

[A:ミリア・グレイス:絶望][Blur]「この、ドロドロとした魔力の侵食痕は、私が昨日作った、あの術式の反動……? そんな, まさか、まさかそんなはずは……」[/Blur][/A]

二人の視界が、信じがたい、残酷極まりない真実に激しく揺らぐ。

自分たちが「無敵の深淵の賢者」と崇め奉っていた男は。

無敵などでは、決してなかった。

自分たちが華々しく戦場で戦い、その力を誇示し、無茶な魔術を誇示する、そのすべての裏で。

その「全ての代償と呪い、致命的なまでの傷」を、この脆弱な、ただの痩せ細った男一人が、すべて裏で引き受け、一人きりで耐え続けていたのだ。

彼の「沈黙」は、高潔な神の教えなどではなかった。

あまりの激痛に、声すら出すことができなかった、ただの「か弱き人間の悲鳴」だったのだ。

第4章:虚飾の終焉と、血に染まる王都

Scene Image

[Sensual]

薄暗い、血の臭いの立ち込める寝室の中に、エルツの弱々しい、今にも途切れそうな呼吸の音だけが、ひゅうひゅうと寂しく響いていた。

アルトワは、エルツ의血に濡れた冷たい手を、自身の分厚い手袋を外した、震える両手でぎゅっと握りしめた。

その皮膚の、まるで死人のような冷たさに、彼女のサファイアの瞳から大粒の涙が溢れ落ち、彼の甲にポツポツと、温かい染みを作っていく。

[A:アルトワ・フォン・ローゼンバーグ:悲しみ][Whisper]「私は、あなたを救う盾だと思っていた……。あなたのための剣だと信じていた……。なのに、私が剣を振るうたびに、あなたを裏で切り刻んでいたなんて……。私は、なんて愚かな、呪われた人殺しの刃なのだ……!」[/Whisper][/A]

ミリアは、ベッドの脇に力なく崩れ落ちた。

エルツの、包帯の解けた焼けただれた胸に額を押し当てて、まるで幼子のように、獣のように咽(むせ)び泣いていた。

彼女の指先が、エルツの壊死しかけた皮膚に触れるたび、その狂おしいほどの執着と、自身の傲慢さへの激しい嫌悪が、彼女の優秀な脳髄をズタズタに逆なでする。

[A:ミリア・グレイス:悲しみ][Whisper]「ごめんなさい、ごめんなさいエルツ様……! 私の浅はかな知識が、私の醜いエゴが、あなたをこんな、こんな痛々しい肉体にしてしまった! 私の脳髄なんて、全部、今すぐ潰れてしまえばよかったのに……!」[/Whisper][/A]

[/Sensual]

しかし。

残酷な運命は、彼らに絶望の底で立ち止まることすら、一秒たりとも許さない。

王都の防壁の向こうから、大地を真っ二つに裂くような地響きと、不気味で凶悪な魔力の咆哮が書斎へ届いた。

夜空が、血のような不快な赤色に染まっていく。

魔王軍の残党にして、冷酷無比な智将、魔将アスタロトの数百万の軍勢が、すでに王都を完全に包囲したのだ。

アスタロトの、耳を劈くような耳障りな声が、拡声の魔術によって王都中に響き渡る。

「ハハハ! ついに気づいたぞ、愚かな人間ども! お前たちの『聖王』、あのエルツ・ヴァインの正体をな! 奴は無敵などではない! お前たちの受けるべきダメージを、ただ代わりに背負うだけの、ただの哀れな身代わり人形だ!」

ドガァァン! と王都を囲む防壁の結界に、無数の魔術砲弾が激しく着弾し、激しい爆音が市街地を震わせる。

「全軍、人間どもを容赦なく痛めつけろ! 人間が、たった一人傷つくたびに、あの沈黙の聖者は、何の抵抗もできず勝手に血を吐いて死に近づく! さあ戦え! 戦えば戦うほど、お前たちの崇める神は、自ずと自滅するのだ!」

最悪の、あまりに絶望的な膠着。

アルトワは、襲いくる魔獣を前にして聖剣の柄に手をかけるが、その手が激しくガタガタと震えて、どうしても剣を抜くことができない。

自分が敵を斬れば、その代償の反動が。

あるいは、敵の反撃による、かすり傷一つが。

すべて、あの静かな寝室で横たわる、愛する主の細い命を、確実に削り殺してしまう。

[A:アルトワ・フォン・ローゼンバーグ:絶望][Shout]「う、うああああ! 私は……私は、一体どうすればいい! 剣を握れば、主が死ぬ! だが、剣を引けば、民が死ぬ! エルツ様、エルツ様……っ!」[/Shout][/A]

ミリアもまた、魔術式を展開しようとするたびに、自分の術式が、エルツの細い神経を無残に焼き切る凄絶な幻影を見て、完全にパニックに陥り頭を抱える。

防壁の結界は次々と無残に破られ、民の悲鳴と紅蓮の炎が、王都の夜を地獄絵図へと変えていった。

第5章:世界で最も臆病な聖者の反逆

Scene Image

燃え盛る大通りの中心。

アルトワとミリアは、押し寄せる魔獣の鋭い爪を、ただ自身の生身の身体で受け止め続けていた。

防具は砕け散り、全身から赤い血を流しながらも、彼女たちが武器を振るうことはない。

反撃など、一切行うはずもなかった。

[A:アルトワ・フォン・ローゼンバーグ:悲しみ][Shout]「皆、手出しをするな! 絶対に、反撃してはならない! 私たちが誰かを傷つければ、あるいは私たちが傷つけば、エルツ様が……エルツ様の命が、今度こそ完全に消えてしまう!」[/Shout][/A]

[A:ミリア・グレイス:悲しみ][Shout]「嫌ッ、もう誰も魔術を使わないで! お願いだから、お願いだからこれ以上、これ以上エルツ様から奪わないで……っ!」[/Shout][/A]

その、血を吐くような悲痛な慟哭を。

意識が遠のき、朦朧(もうろう)とする闇の中で、エルツは確かに聞いていた。

薄暗い寝室のベッドの上。

彼は、ぜーぜーと喘(あえ)ぐ細い呼吸の合間に、壁に掛けられた鏡に映る、己の無様な姿を見る。

そこにいるのは。

病気がちで、痩せ細って、ただ死ぬのが怖くて怯えている、どこにでもいる臆病な、一人の哀れな男だった。

[Think](ああ……本当に、本当に馬鹿な奴らだ。俺が黙っていたのは、ただ単に、無能だとバレるのが怖かったからだ。見捨てられて、怒られるのが怖かっただけなのに。それなのに、あいつらは……)[/Think]

エルツは、腕に刺さっていた点滴の管を、容赦なく、ブチリと力任せに引きちぎった。

床に細い足を下ろすと、ガタガタと膝が、生まれて立て立ての小鹿のように震える。

一歩進むたびに、肺腑からせり上がる熱い血が、彼の青白い唇を赤く濡らす。

[Think](だけど……だけど、あんなに俺を信じて、あんなにボロボロになって、無抵抗で殴られている奴らを……このまま見殺しにするなんて……。そんなことしたら、後で胃が痛いどころの騒ぎじゃ、済まないだろうが……ッ!!)[/Think]

ゆっくりと立ち上がった彼の、死んでいようだった三白眼に。

かつてない、冷徹だが、同時に烈火のごとく赤々と燃え盛る、強固な、絶対の意志が宿る。

血に染まる、地獄のごとき戦場。

魔獣の巨大な爪が、無抵抗で満身創痍のアルトワの喉元に迫った、まさにその瞬間。

[Impact]「……そこまでだ」[/Impact]

地を這うような、だが、その場のすべての生き物の鼓膜に等しく、重く響く、極低の掠れた声が、戦場全体を支配した。

漆黒の外套を、己の赤い血に染め、ボロボロになりながらも。

エルツ・ヴァインが、その戦場の中心に、凛として立っていた。

[A:アルトワ・フォン・ローゼンバーグ:驚き][Shout]「エルツ様!? だめです、来ないでください! 術を使っては、だめです!」[/Shout][/A]

エルツは、彼女たちの必死の制止の声を、完全に無視した。

ボロボロの喉を、命を、限界まで絞り出す。

首元の包帯が、パツンと音を立てて引きちぎれ、露出した悍ましい呪印が、今や真っ赤な、激しい炎のように発光している。

[A:エルツ・ヴァイン:冷静][Shout]「……恐れるな。我が背中を見よ。そして、進め」[/Shout][/A]

それは、魔導による拡声などではない。

ただの脆弱な一人の人間が、己の細い命の残量を、すべて燃料として一気に燃やして放った、最初で最後の「命令」だった。

[System]《警告:最終禁忌術式『絶対因果身代わり・境界遮断』を起動します。この術式の行使は、術者である個体名『エルツ・ヴァイン』の、存在の完全な消滅を意味します》[/System]

[Magic]《全因遮断・道化の聖櫃(アルカ・ブッフォ)》[/Magic]

[Flash]エルツの身体から、無数の眩い光の鎖が解き放たれ、王都にいるすべての人間、すべての傷ついた戦士へと繋がった。[/Flash]

魔将アスタロトの軍勢が放つ、すべての炎、すべての刃、すべての呪いが。

その軌道を、強制的にエルツ一人へと変え、一斉に、凄まじい速度で収束していく。

ドスッ、ドスッ、ドスッ、と。

エルツの肉体が、目に見えない無数の衝撃に貫かれ、空中へと鮮烈な血飛沫(ちしぶき)が舞う。

だが。

彼のその青ざめた顔には、これまで見せたことのない、最高に晴れやかな、本物の優しい笑みが浮かんでいた。

[A:エルツ・ヴァイン:喜び]「……これで、ようやく……怒られずに、あたたかいお布団で、眠れるな……」[/A]

彼の身体が、膨大な光を放つ奈落の、底なしの裂け目へと、ゆっくりと、静かに沈んでいく。

第6章:奈落から引きずり戻す「激重の愛」

[Sensual]

光の奈落へと、深く、深く落ちていくエルツ。

すべてを出し切り、自分の嘘まみれのハリボテの人生が終わり、ようやく、不器用ながらも大切な者たちを守れたという深い満足感に包まれながら、彼はそっと、永遠の眠りにつくように目を閉じようとしていた。

だが。

彼のその安らかな想定は。

彼のことを、狂気的に愛してやまない狂信者たちの「愛の重さ」を、あまりにも、あまりにも過小評価していた。

[A:アルトワ・フォン・ローゼンバーグ:狂気][Shout]「おのれ……ッ! おのれ、エルツ様を奪う世界め! 主のいない世界など、私にとってはただのゴミクズだ! このような世界、私の手で叩き潰してやる!」[/Shout][/A]

アルトワの、かつて澄み渡っていたサファイアの瞳から、完全に理性という名の光が消え去る。

代わりに宿ったのは、底なしの、暗黒の執着。

彼女の放つ、黄金の聖剣の光が、ドス黒く変色し、世界の境界そのものを、バリバリと物理的に斬り裂き始めた。

[A:ミリア・グレイス:狂気][Shout]「エルツ様が私に残してくださった、あの『神託のメモ』の、裏に隠された真の次元理論……! 因果の逆流、時空の再編、魂の強制物質化! すべて今ここで、私の脳髄と、命のすべてを燃料にして完成させてみせます!」[/Shout][/A]

ミリアは、自らの全身の血管を強引に魔力回路として暴走させ、全身の穴という穴から血を流しながら。

時空そのものを、強引に逆流させる超巨大な禁忌魔法陣を、その場で、狂気的な速度で完成させた。

彼女たちは。

エルツの自己犠牲を、美しい悲劇として終わらせることを、一ミリたりとも、絶対に許さなかった。

[A:アルトワ・フォン・ローゼンバーグ:愛情][Shout]「戻ってきてください、エルツ様! あなたの負った傷は、私たちのすべての傷! あなたを、私たちを置いて、一人で逝くなど絶対に許しません!」[/Shout][/A]

[A:ミリア・グレイス:愛情][Shout]「あなたのその、冷たくて美しい沈黙の温もり……。地獄の底、世界の果てだろうと、必ず追いかけて、捕まえて、二度と、死んでも離しません!」[/Shout][/A]

二人の、もはや神すらも恐れおののく常軌を逸した「激重感情」の奔流が。

空間の、そして因果の絶対法則を、力任せにバキバキと破壊した。

奈落の底から、安らかに眠ろうとしていたエルツの魂が。

アルトワの放つ、実体化した物理的な光の鎖によって、無理やり、強引に引きずり戻される。

[/Sensual]

……数日後。

エルツは、見覚えのある、あの静かで、ハーブの香りが漂う個人寝室のベッドの上で、ゆっくりと目を覚ました。

窓の外からは、穏やかな小鳥のさえずりが聞こえる。

身体を動かそうとするが、これまでにない凄まじい全身の疲労感で、指一本動かせない。

ただ。

自分の左右の手の、異様な温もりと、ずっしりとした重さに気づいて、ゆっくりと視線を落とすと。

そこには。

寝不足によって、目の下に色濃い真っ黒なクマを作り、泣き腫らした顔のまま。

彼の右手を、両手で、骨がきしむほど不気味に強く握りしめている、狂気に満ちた瞳のアルトワがいた。

そして、ベッドの左側には。

同じくボロボロの、血に染まった禁忌魔導書を抱え、虚ろな、だが尋常ではない、ギラギラとした熱を帯びた瞳で彼を凝視するミリアが、今にも唇が触れそうなほど顔を寄せていた。

[Think](……あれ? 俺、死んでない。というか、あの……二人の目が、奈落に落ちる前よりも何倍も、何十倍も怖くなってる気がするんだけど。目が、なんか、一度食らいついた獲物を絶対に逃さない深海魚みたいになってる……。怖い、めちゃくちゃ怖い!)[/Think]

エルツは、本能的な恐怖のあまりに、全身をガクガクと小刻みに震わせた。

声の出ない掠れた喉で、「ひっ」と短い、情けない引きつった息を漏らす。

だが。

アルトワはその、怯えるような彼の潤んだ瞳を見て、深く、深く、恍惚とした表情で頷いた。

[A:アルトワ・フォン・ローゼンバーグ:愛情][Whisper]「伝わっております、エルツ様。『もう二度と、私から離れるな。私だけを見ていろ』……そう仰りたいのですね? ええ、ええ、わかっておりますとも! この命、この肉体、すべてをあなたに監視され、支配されるために、今ここに捧げます」[/Whisper][/A]

ミリアもまた、エルツの震える左手の指先を、自分の頬に、そして自身の唇にぴったりとすり寄せ、狂気的な笑みを浮かべて微笑む。

[A:ミリア・グレイス:愛情][Whisper]「ふふ、ふふふ……。もう、エルツ様のシーツも、吐き出した呼吸の成分も、その一滴の汗すらも、すべてこの私が24時間体制で管理します。次の『神託』は、何ですか……? 私たちは、どこまでも、奈落の果てまで、あなたと共に行きますよ」[/Whisper][/A]

エルツは、すべてを理解し、諦めたように。

心の底から、深いため息を、そっと吐き出した。

[Think](あ、これ、前より格段に、絶対に逃げられなくなってるやつだ……。俺の安眠生活、完全に終わったな……)[/Think]

しかし。

そんな彼の、青ざめた、だが少しだけ血色の戻った顔には。

ほんの少しだけ、本物の、愛おしそうな苦笑が浮かんでいた。

彼の、勘違いと狂信に満ちた、あまりにも騒がしい「深淵の賢者」としての人生は。

この、世界で最も重く、世界で最も愛しい彼女たちの狂愛と共に、これからもずっと、どこまでも続いていく。

クライマックスの情景

【物語の考察】

本作は「勘違いコメディ」の構造を用いながら、その裏にある「自己犠牲」と「献身」の悲痛なエゴイズムを解体する極めてエモーショナルな人間ドラマです。エルツの「沈黙」はコミュ障と激痛に起因するものですが、周囲がそれを「絶対的強者の余裕」と超解釈する歪みは、他者を都合の良い偶像(アイドル)として消費する現代的な関係性の歪みを鋭く突いています。彼の孤独は、真実が暴露された瞬間に劇的な「共犯関係」へと昇華され、より深い歪んだ愛の形へと着地します。

【メタファーの解説】

エルツの体に刻まれた「身代わりの呪印」は、彼が背負う「他者からの過度な期待」と「お人好しな責任感」の具現化です。それは肉体的な死をもたらす呪いでありながら、彼を他者と繋ぎ止める唯一の絆でもあります。また、結末でアルトワとミリアが「因果律を破壊してまで彼を蘇生する」行為は、世界を救う「自己犠牲」という美しい美徳に対する、人間の剥き出しのエゴと狂信の勝利を象徴しています。神聖化された救世主を、泥臭い人間の情念が地上の揺り籠(お布団)へと引きずり下ろす、暴力的なまでに美しい愛のメタファーです。

あなたのアイデアで「続き」を書こう!

「もしもあの時...」「この後二人は...」
あなたの想像をAIが形にします。

0 / 200
本日、あと...

この作品はいかがでしたか?

毎日のAI創作活動を応援していただけると、今後の開発の励みになります!
よろしければ、運営へチップを送っていただけませんか?

運営へチップを送る
TOPへ戻る