第一章: 鮮血のキャンバスと強欲な寄生虫たち
白石 悠真「ごほっ、げほっ……! ああ、ごめんね玲奈ちゃん、ペルシャ絨毯に血が……医者から『余命一ヶ月』って言われちゃってさ」
肺の奥底を掻きむしるような湿った咳が、豪華なリビングに響く。
色素の薄い黒髪を乱し、赤黒い染みが無数にこびりついた白シャツ姿の白石悠真(しらいし ゆうま)が、毛足の長い絨毯の上に崩れ落ちた。
吐き出されたばかりの鮮やかな赤が、繊細な文様をどろりと汚していく。
そのすぐ目の前に、網膜を焼くようなワインレッドのタイトドレスが揺れた。
黒崎玲奈(くろさき れいな)が、冷酷な金色の瞳を細め、鋭利なピンヒールの先端で悠真の震える指先を無造作に踏み抜く。
グリ、と体重が乗せられ、骨が軋む鈍い音が鳴る。
黒崎 玲奈「はあ? ふざけんなし! あんた、自分の市場価値わかってるの? 私の絨毯を汚すとか、ゴミ虫の分際でどういう神経してんのよ!」
頭上から降り注ぐ罵声と、鼻腔を突くきつい香水の匂い。
玲奈は汚物を見る目で顔をしかめ、さらに強くヒールを捻り込んだ。
橘 翔太「おいおい悠真、冗談きついっしょ! お前が死んだら、誰が俺のゴーストペインターやるんだよ? 滞納してる家賃三百万、死ぬまで寝ずに描いて返してもらうぜ!」
金髪オールバックを撫でつけ、悪趣味な成金スーツを着込んだ橘翔太(たちばな しょうた)が、手首のギラついた高級時計を誇示しながら歩み寄る。
そして、床に置かれていた描きかけのキャンバスを、革靴のつま先で容赦なく蹴り飛ばした。
木枠が砕ける乾いた音。散乱する絵の具のチューブ。
白石 悠真「ひっ……ご、ごめん、すぐ拭くから……! ごほっ、でも、もう指が震えて……」
浅い呼吸。冷え切った指先。
悠真は目の下のどす黒い隈を歪ませ、絨毯に広がる赤黒い塊を、潰されたばかりの素手で必死にすくい上げた。
そのまま這いつくばり、倒れたキャンバスの白地へと、自らの吐瀉物を狂ったように塗りたくっていく。
その惨めな姿を、玲奈と翔太は見下ろしながら、ゆっくりと下卑た笑みを浮かべた。
黒崎 玲奈「まあいいわ。あんたが死んだら『余命一ヶ月の彼氏を看取った悲劇のヒロイン』として嘘泣き配信して、万バズ狙ってやるから! 感謝しなさいよ!」
橘 翔太「マジ最高じゃん! 俺も『夭折した親友の遺作』ってことにしてコンクールに出品すればボロ儲けっしょ! これ、ビジネスの基本っしょ!」
二人の下品な高笑いが空間を満たす。
悠真は床に額を擦りつけ、土下座の姿勢のまま、視線だけを死角へ落とした。
指先に付着した粘り気のある赤い液体を、赤い舌先でちろりと舐め取る。
喉の奥で、くつくつと熱い塊が沸騰していた。
……あはっ。いいよ、すごくいい。♥強欲な豚どもが、自分から罠に首を突っ込んでくる……! もっと僕を踏みつけてくれよ、ゾクゾクするなぁ……!
その時、リビングの空気を切り裂くように、玄関のチャイムが鳴り響く。
返事も待たずに重い扉が開かれ、コツ、コツ、と規則正しい靴音が近づいてきた。
プラチナブロンドを寸分の狂いもなくタイトにまとめ、漆黒のパンツスーツを着こなした西園寺雅(さいおんじ みやび)が、冷ややかな風を纏って足を踏み入れる。
銀縁メガネの奥にある怜悧な瞳が、床に這う悠真と、その横で血に塗れたキャンバスを捉え、わずかに見開かれた。
一瞬の静寂。
雅の喉がごくりと鳴り、次の瞬間、氷の仮面が剥がれ落ちる。
西園寺 雅「この絵を……十億円で買い取りますわ!」
第二章: 狂乱の死神オークションと譲渡契約書

黒崎 玲奈「じゅ、十億ですってぇ!?」
裏返った玲奈の悲鳴が天井を揺らす。
橘 翔太「なっ、嘘だろ!? こんな血反吐の落書きが!?」
翔太の眼球が飛び出さんばかりに見開かれ、口端から唾液が飛んだ。
雅は無言のままダイニングテーブルの上に黒いアタッシュケースを置き、パチン、と金属製のロックを外す。
わずかに持ち上げられた蓋の隙間から、帯封のついた一万円札の山が、鈍い光を放ちながら顔を覗かせた。
本物の紙幣だけが持つ、インクと脂の混じった強烈な匂いが部屋中に充満する。
西園寺 雅「落書きではありませんわ。この筆致、間違いなく世界の富裕層が血眼で探している覆面画家『ブラッド・バンクシー』の真作。本物の狂気だけが、この値札を許されますわ」
雅は白手袋に包まれた指先で銀縁メガネの位置を直し、値踏みするような冷徹な視線を玲奈と翔太へ向けた。
そして、悪魔の囁きにも似た甘美な声音で続ける。
西園寺 雅「さらに……もし作者が余命一ヶ月で死亡すれば、遺作として価値は十倍の『百億円』に跳ね上がりますわ」
息が止まる。
百億。その途方もない数字が、二人の脳髄を直接焼き切った。
翔太の荒い鼻息が鳴り、玲奈の赤い唇が小刻みに痙攣する。
次の瞬間、二人はまるで長年連れ添った家族のような、吐き気を催すほど温かい笑顔を貼り付けた。
橘 翔太「ひゃ、百億……! おい悠真、俺たちは家族だろ!?」
黒崎 玲奈「そうよ悠真くん! あなたの絵の管理権は、彼女である私たちが持ってるの! ねえ、そうでしょ!?」
先ほどまで悠真を指先で踏み潰していた玲奈が、ドレスの裾が汚れるのも構わずに膝をつき、その痩せた頬を両手で包み込む。
翔太もまた、悠真の華奢な肩を骨が砕けるほど乱暴に抱き寄せ、スーツの内ポケットから一枚の紙切れを取り出してテーブルに叩きつけた。
橘 翔太「ほら、これ! お前が死んだ後の全著作権を俺たちに譲渡する契約書だ! サインすれば家賃の借金はチャラ、死ぬまで最高級の看病をしてやるよ!」
あらかじめ用意していた強奪用の書類。
翔太の目は血走り、悠真の後頭部を掴んで契約書へと無理やり顔を近づける。
白石 悠真「本当……? ありがとう、二人とも優しいね……ごほっ!」
悠真は瞳に大粒の涙を浮かべ、感動に震える声で頷いた。
そして、自らの赤い液体で濡れた親指を、契約書の署名欄へとぎゅっと押し当てる。
じわりと広がる、赤い拇印。
それを確認した雅は、満足げに深く一礼して踵を返し、重い扉の向こうへと姿を消した。
カチャン、と鍵が閉まる音。
その残響が消えるよりも早く、玲奈と翔太の顔から、貼り付けたような笑顔がごっそりと剥がれ落ちた。
橘 翔太「くくっ、バカが! 早く死ねば百億だぞ! 睡眠薬と覚醒剤を交互に盛って、24時間ぶっ通しで描かせろ!」
翔太が悠真の髪を鷲掴みにし、床へと乱暴に引き倒す。
黒崎 玲奈「一ヶ月なんて待てないわ! 今週中に過労死させなさいよ! ほら、さっさと筆を持ちなさい、この百億のATMが!」
玲奈が転がっていた筆を拾い上げ、悠真の口の中へと無理やり捻じ込んだ。
白石 悠真「う、うん……頑張るよ……」
獣のような毛並みの絨毯に顔を埋めながら、悠真は弱々しく答える。
だが、垂れ下がった前髪の奥で、その三白眼は底知れぬ歓喜に爛々と輝いていた。
……契約書の裏面に極小文字で刷り込んだ『特約条項』、誰も読まないんだね。僕がわざわざ用意してあげた紙だとも知らずにさ。来月、君たちがどんな顔で鳴くのか、今から股間が疼くよ。
第三章: 百億円の公開処刑と血の逆転劇

黒崎 玲奈「うっ、ぐすっ……最愛の悠真くんは、私にすべてを託して天国へ旅立ちましたぁ……」
橘 翔太「あいつは俺の最高の親友でした……! どうか、あいつの魂の結晶を買ってやってください!」
一ヶ月後。
世界中の大富豪や著名なコレクターたちが一堂に会する、特設オークション会場。
煌びやかなシャンデリアの下、ステージの中央に立った喪服姿の玲奈と翔太が、マイクの前でわざとらしく肩を震わせていた。
玲奈は目薬で濡らした瞳をハンカチで押さえ、翔太は胸ポケットの遺影を撫でながら天を仰ぐ。
その後ろには、赤黒く彩られた巨大なキャンバスが、神々しいスポットライトを浴びて鎮座していた。
会場の熱気は最高潮に達し、次々とパドルが掲げられる。
『現在価格、98億円! ……100億円の声がかかりました!』
オークショニアの興奮した声が響き渡る。
マイクから顔を背け、二人は互いに目配せをして、隠しきれない歓喜に唇の端を醜く歪めた。
橘 翔太「やったぜ玲奈、百億だ! 俺たちの勝ちだ!」
黒崎 玲奈「あいつを地下室に閉じ込めて、水もやらずに描き殺した甲斐があったわね!」
落札を告げるハンマーが振り下ろされようとした、まさにその瞬間。
ブツン、と重低音が響き、会場中の照明が一斉に落ちた。
暗闇。ざわめく観客。
次の刹那、ステージ背後の巨大スクリーンが、網膜を焼くほど激しく明滅した。
『早く過労死しろ!』『毒でも盛って今週中に殺せ!』
鼓膜を破らんばかりの大音量で、ノイズ混じりの怒号が会場の隅々まで轟く。
スクリーンに映し出されたのは、薄暗い地下室で鎖に繋がれた悠真を蹴り飛ばし、下卑た笑顔で罵倒し続ける玲奈と翔太の、生々しい隠し撮り映像だった。
黒崎 玲奈「ひっ……!? な、なにこれ!? 誰がこんな映像を……!」
玲奈の顔から一気に血の気が引き、持っていたハンカチが床に落ちる。
会場が怒号と悲鳴の渦に包まれる中、ステージの花道に一筋の白いスポットライトが落ちた。
白石 悠真「やあ。僕を殺して百億稼ごうとした感想はどうだい?」
澄み切った、よく通る甘い声。
光の先に、漆黒の最高級ブランドスーツを寸分の隙もなく着こなした悠真が、ワイヤレスマイクを片手に悠然と歩み出た。
オールバックに流された黒髪の下、かつての病的な隈は跡形もなく消え去り、三白眼の瞳には一点の曇りもない。
ただ、捕食者が獲物を嬲るような、残酷で不敵な笑みだけが浮かんでいた。
橘 翔太「お、お前、なんで生きてる!? 血を吐いて倒れたはずだろ!? それに著作権は俺たちのものだ!」
翔太がマイクを握り潰さんばかりに叫び、唾を飛ばしてステージの端まで詰め寄る。
だが、悠真は肩をすくめただけだった。
代わりにステージ袖から現れた雅が、拡大コピーされた一枚の書類を、中継カメラのレンズの前へと恭しく掲げる。
西園寺 雅「契約書の裏面、特約条項をお読みなさい。『作者が一ヶ月後に生存していた場合、著作権は白紙。さらに作者への虐待が発覚した場合は、見込み利益と同額の百億円を違約金として支払う』という計算になりますわ」
淡々と読み上げられる、死刑宣告。
スクリーンには、翔太と玲奈がろくに確認もせず署名した契約書の裏面が、鮮明に映し出されている。
橘 翔太「ひゃ、百億の違約金……!? 払えるわけねえだろそんなもん!!」
翔太の膝がガクガクと笑い、その場にへたり込む。
玲奈は口をパクパクと開閉させるだけで、声すら出せない。
悠真はステージの階段をゆっくりと上り、凍りつく二人の目の前で立ち止まった。
白石 悠真「払えないなら、君たちの人生ごと僕が買い叩くよ。……警備員さん、この殺人未遂犯たちをつまみ出して」
パチン、と悠真が指を鳴らす。
待機していた屈強な黒服たちが一斉にステージへ雪崩れ込み、二人の両腕を背後へ捻り上げた。
骨が軋む音と共に、翔太が血走った目で悠真を睨みつけ、喉から血を滲ませながら絶叫する。
橘 翔太「待てよ! お前が余命一ヶ月っていう医者の診断書は本物だったはずだ! あの大量の吐血はどういうトリックなんだよ!?」
第四章: 美しい飼犬たちの首輪と最後の吐血
数日後。豪華なシャンデリアが冷たい光を落とす、旧シェアハウスのリビング。
かつて悠真が血を吐いて這いつくばっていたペルシャ絨毯の上で、分厚い革の首輪を嵌められた玲奈と翔太が、四つん這いになっていた。
ジャラ、と鉄の鎖が擦れ合う音が響く。
黒崎 玲奈「あぁん、悠真ご主人様ぁ……♥ 私の舌で、ご主人様の革靴、もっとピカピカにしますからぁ……借金、ちょっとだけ減らしてくださいぃ……」
無惨に引き裂かれたブランドドレスの間から、汗ばんだ豊かな胸元を惜しげもなく晒し、玲奈が恍惚と潤んだ金色の瞳で悠真を見上げる。
赤い舌をだらりと垂らし、悠真の最高級革靴のつま先に、自らの頬と唇を卑屈に擦り寄せた。
荒い呼吸と、粘り気のある舐め音が部屋に木霊する。
白石 悠真「ははっ、いい子だね玲奈。あれだけ高飛車だった君が、首輪をつけられた途端に発情した雌犬みたいに尻尾を振るなんてさ」
悠真は革張りのソファに深く腰掛け、玲奈の整った顎先を靴底でぐりぐりと踏みつけた。
玲奈の喉から、苦痛と快楽が混ざり合った甘い吐息が漏れる。
悠真はその感触を楽しみながら、視線を隣でボロ雑巾を握りしめる翔太へと移した。
橘 翔太「う、うぅ……もう許してくれよ悠真……床の赤い染み、全部舐めて綺麗にするから……! なあ、結局お前の『余命一ヶ月』の診断書や、あの吐血は何だったんだよ……!?」
プライドを完全にへし折られ、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにする翔太。
その惨めな問いかけに、悠真はテーブルの上のワイングラスを手に取った。
中に注がれているのは、どろりとした粘度の高い真っ赤な液体。
悠真はそれを唇に運び、喉を鳴らして一口飲み干した。
白石 悠真「ん、やっぱりこの激辛トマトジュース、血そっくりで美味しいなあ。むせると本物の喀血みたいだろ? 絵の具に混ぜると、いい酸化具合になるんだ」
ペロリ、と唇の端にについた赤い雫を舐め取る。
翔太の身体がビクリと跳ね、信じられないものを見る目でグラスを凝視した。
橘 翔太「ト、トマトジュース……!? じゃあ、あの大学病院の診断書は……!?」
悠真はグラスをテーブルに置き、カチン、と澄んだ音を響かせる。
そして、床に這いつくばる二匹の飼犬を冷酷に見下ろし、三白眼を細めて唇の端を三日月形に吊り上げた。
白石 悠真「ああ、あれ? 僕がいつ『僕の身体が』余命一ヶ月って言った?」
黒崎 玲奈「え……?」
靴を舐めていた玲奈の動きがピタリと止まる。
悠真はソファから立ち上がり、二人の首輪に繋がれた鎖を、片手で乱暴に引き上げた。
革が首に食い込み、二人の喉からヒューヒューと乾いた喘ぎ声が漏れる。
白石 悠真「偽造診断書の名前欄、よく見なかっただろ? あれはね、『君たちが人間として生きられる余命が、あと一ヶ月』っていう、僕の処刑宣告だったんだよ」
耳元で囁かれる、氷のように冷たく、蜜のように甘い声。
百億円の負債。一生外れることのない首輪。人間としての尊厳の完全なる喪失。
すべてが最初から、この男の手のひらの上で踊らされていたのだと理解した瞬間、翔太の瞳から理性の光が完全に消え失せた。
橘 翔太「あ……あぁぁぁぁぁっ!!」
狂乱の絶叫がリビングを引き裂く。
悠真は歓喜に震えながら、部屋の隅に立てかけられた、真っ白で巨大なキャンバスへと視線を向けた。
その手には、鋭く研ぎ澄まされたパレットナイフが握られている。
白石 悠真「さあ、新しい百億円のキャンバスを用意したよ。トマトジュースはもう飽きたんだ。今度は君たちの本物の血で、最高の芸術を描こうか」
銀色の刃が、シャンデリアの光を反射してギラリと煌めいた。