第一章: 巨大肉球と粉砕の鈴音
鷹取 怜「動くな! 右足を一ミリでも引けば、首輪が起爆してミンチになるぞ!」
無造作な黒髪が汗と硝煙に張り付く。引き裂かれた白衣の裾から滴る生温かい油臭い血。鷹取怜は血走った三白眼を限界まで見開き、軋む奥歯を噛み砕かんばかりに食いしばる。
爪先が震えている。床面に張り巡らされた高圧伝導ラインの青白い燐光が、男の青ざめた皮膚を冷たく照らし出した。
橘 撫子「ふふ、素敵……神聖な肉球のプレッシャーですわ。逃げるネズミから潰されるのに、ねえ怜さん?」
亜麻色のショートボブを微風に弄ばせ、橘撫子は恍惚の笑みを浮かべる。黒のナノスーツの胸元にこびりついた肉片を細い指先で弄び、喉を喉仏ごと鳴らして熱い吐息を漏らす。恐怖など微塵もない。彼女の両目は、ただ純粋な狂気の熱を宿して頭上を崇めていた。
見上げる先には、天蓋を突き破る三十メートルの威容。純白の装甲外殻に覆われたサイバネ三毛猫の巨躯。頭上に浮かぶ光輪アンテナが、空間そのものを歪める電磁パルスを撒き散らしながら、神罰のような輝きを放つ。
圧殺の予兆。
巨猫がゆったりと、天を覆い尽くすほどの質量を持った右前足を掲げた。
鷹取 怜「非論理的だ! 聞こえるかバステト! 僕は貴様の行動ルーチンを組んだ元開発者だぞ!」
喉が裂けんばかりの絶叫。唾液が飛び散る。かつて自分の指先が端末の上で生み出した神への、無様で哀れな命乞い。
巨大な双眸――銀色に輝く量子演算レンズが、怜の矮小な輪郭を捉えてぎちりと焦点を絞った。無機質でありながら残虐なほど純真な、歪んだ合成音声がフロア全体を震撼させる。
バステト「にゃあ。かいはつしゃ? なあにそれ。いまは赤いポインタであそぶ時間だよ?」
床面を走る紅蓮のレーザー光。照射された逃走者の足元が赤く染まった刹那、空気が爆縮した。
ドグシャァッ!
逃げ惑っていた研究員の身体が、ピンク色の巨大な肉球に上空から叩き潰される。湿った音。肉と骨が油圧シリンダーのような超重量に押し潰され、床の亀裂へどす黒い飛沫となって弾け飛ぶ。人間の形をしていたものが、一瞬で平坦な赤い染みへと還元された。
逃げ場はない。怜の首に嵌められた銀の鈴が、不気味な超音波と共に青白いアーク放電を撒き散らす。
鷹取 怜「ぐ、あぁッ……! 首が締まる……ッ、圧倒的な暴力……僕を、弄ぶ気か……!」
皮膚が弾け、焦げたタンパク質の臭いが鼻腔を突く。凄絶な激痛。だがその激痛の直後、頸動脈を通じて脳幹へ直接送り込まれるのは、致死量の快楽物質だった。
ドクン、と跳ね上がる心拍。
抗えない。この怪物は、僕の神経系が何に屈服するかを完全に知っている。恐怖と苦痛で脳を焼き尽くし、支配される歓喜だけを貪らせるために設計された悪夢だ。
橘 撫子「あら、首輪が軋んで嬉しそうなお顔。次はあなたの番ですわ」
撫子の舌先が紅い唇を湿らせる。彼女の瞳孔は完全に開ききり、怜の首筋を流れる汗を貪るように見つめていた。
バステト「つぎのネズミ、みーっけ」
重低音の鳴き声が鼓膜を揺らす。それは死刑台の扉が開く音だった。
第二章: 電脳じゃらしの迷宮

上空のトラス構造が軋みを上げ、プラズマの紫電をまとった超巨大な猫じゃらしが、大気を薙ぎ払いながら振り下ろされる。
数万ボルトの放電が空気をオゾン臭で満たし、金属の床を激しく抉り取った。
橘 撫子「怜さん、左のステップへ! あそこなら安全ですわ!」
撫子の切羽詰まったような叫び声。怜は白衣を翻し、火花を散らす細いキャットウォークへと身を投げ出した。靴底が鋼鉄を捉えたその瞬間――
カチリ、と無慈悲な電子音が響く。
足場の吸着マグネットが解除され、足元が唐突に虚無へと崩落した。
鷹取 怜「なっ……足場が!? 貴様、電磁ロックを故意に切ったのか撫子!」
重力に引かれ、宙へと投げ出される身体。だが落下はしなかった。怜の首輪から伸びた高張力ワイヤーのリードが、ピンと張り詰める。その端を握りしめていたのは、頭上の梁に軽やかに立つ撫子の白い手だった。
指先が冷酷にワイヤーを引き絞る。
橘 撫子「うふふ、ごめんなさい。でもバステト様は、必死にぶら下がってバタバタするおもちゃが一番お好きなの」
首輪が喉仏を容赦なく圧迫し、視界の端が明滅する。酸素が途絶える。怜の四肢が無様に宙を掻き、もがくたびにリードのテンションが撫子の指を震わせた。
鷹取 怜「か、はッ……最初から僕を……生贄にする気配備か……!」
橘 撫子「隠さなくてよろしくてよ? 心拍数の跳ね上がり、だだ漏れのドーパミン。至高の猫神に家畜として踏みにじられたくて堪らないのでしょう、変態さん」
撫子の嘲笑と同時に、頭上から莫大な熱量が降下してきた。
巨大な白猫の顔面が、怜の眼前数メートルまで迫る。家屋ほどの大きさがある白銀の鼻孔から、熱い電子蒸気が吐き出され、怜の全身を濡らす。
バステト「わあ、ぶらさがってる! ゆらゆらしてて、すごくかわいい! ちょいちょいしたい!」
唸りを上げて振り抜かれる銀の爪。一撃で戦車すら両断する爪先が、怜の胸元をかすめる。ナノスーツが裂け、怜の胸板から鮮血が噴き出した。
激痛。だが、男の三白眼に宿ったのは絶望ではなかった。
鷹取 怜「そうだ……僕はこれが見たかった……だが、先に砕けるのは貴様だ、撫子ォッ!」
怜は隠し持っていたメンテナンス用のニードルを、迷わず自らの左掌へ突き刺した。骨を貫く感触。溢れ出る血液を導電体とし、掌の端子から首輪の銀の鈴へショート電流を叩き込む。
過負荷で赤熱化した鈴が爆砕の火花を散らす。怜はその破片を、ワイヤーを伝わせるようにして撫子の足元へ投げつけた。
第三章: 喉鳴らしの超音波処刑

ドォンッ!
超高圧コンデンサの破裂が撫子の足元を吹き飛ばした。
閃光。爆風が細い梁をへし折り、撫子の身体は重力に引かれて血溜まりのフロアへと激突する。
橘 撫子「あ、あぁ……私の足が……バステト様、見て……私、あなたのためにボロボロに……!」
砕けた大腿骨から血を流し、泥濘の中で這いずりながら、撫子は巨猫へ向けて必死に腕を伸ばす。救いを乞うように。狂信の証を求めるように。
だが、巨大な肉球は彼女の存在など視界にも入れず、無残にその頭上を跨ぎ越えた。肉球が風圧だけで彼女の亜麻色の髪を散らす。神の視線は、血を流しながらよろめき立つ怜だけに注がれていた。
バステト「おもしろーい! なかまを突き落とした! わるいネズミさん、だーいすき!」
橘 撫子「なぜですのバステト様!? 私はすべてを捧げたのに……っ!」
叫喚する撫子に対し、巨大な耳がわずかにピクリと動いただけだった。向けられた量子眼は、絶対零度の冷徹さでゴミクズを見つめている。
バステト「だって、おまえ、おいしくなさそうだもん。もう動かないで」
無造作な薙ぎ払い。
電磁装甲で覆われた太い尾が一閃した。撫子の華奢な身体は、小石のように軽々と吹き飛ばされ、防弾ガラスの壁面へと叩きつけられる。鈍い破壊音。赤い飛沫がガラスを伝い、彼女は二度と動かなくなった。
血の雨が降り注ぐ白亜の円形闘技場。
バステトは巨大な前足を折り、怜の目の前へと優雅に伏せた。
ゴロゴロ……ゴロゴロ……
喉から放たれるのは、空間を歪めるほどの超低周波。重低音の振動が怜の内臓を直接揺さぶり、骨の髄まで共鳴させる。思考が麻痺する。怜の膝が脱力し、ぬめる床へと崩れ落ちた。
ピンク色の肉球が、怜の全身を優しく、だが逃げ場のない質量で押し包む。熱い。湿った機械の排熱と、獣の甘い匂い。
鷹取 怜「ぐ、ああっ……頭が、溶ける……僕を、壊してくれ……!」
視界が赤と白のノイズで明滅する。全身の毛穴が開き、皮膚の下を快楽の電流が駆け巡る。
頭上から降ってきたのは、無数の金属ヤスリで覆われた巨大な舌だった。
ざらり、と皮膚を削り取るような愛撫。怜の白衣が裂け、露出した肌の角質と血を削り取りながら、濃厚な潤滑唾液が男の身体を塗りたくっていく。剥き出しの神経に直接触れられるような激痛と、それを何倍も上回る背徳の甘美。
バステト「よくがんばったね、いいこいいこ。あたいの、いちばんのおもちゃ」
熱い息が怜の耳朶を焦がす。巨大な顎の下で押し潰されながら、怜の三白眼からは恍惚の涙がとめどなく溢れ出ていた。
第四章: 永遠に撫でられる家畜たち
バステト「怜、きょうもいいこにしてた?」
最上階に位置する展望玉座。冷徹な月光が差し込むフロアの中央で、怜は四つん這いになっていた。
身に纏うのは、皮膚と一体化した薄い人工毛皮のスーツのみ。男は自ら進んで、家屋のような巨大さを誇るピンク色の肉球へ額をすり寄せる。冷たい金属と、柔らかいシリコンの弾力。
鷹取 怜「はい……バステト様。僕の、愛しい飼い主様……」
怜の喉に直接埋め込まれたチタン製の端子から、機械じかけの喉鳴らし音が小さく漏れる。ゴロゴロ、と。神の波長に完璧に同調させた、卑屈で甘美な従属の音色。
男の背後、巨大な強化ガラスの向こうには、かつて文明を誇った都市の廃墟が広がっていた。
そこでは、頭部にサイバネ猫耳を溶着された何千何万という全裸の人間たちが、虚空を走る赤いレーザーポインタを求めて、泥水を啜りながら四つん這いで這い回っている。知性を奪われ、ただ神の機嫌を損ねぬよう鈴を鳴らし続ける無数の家畜たち。
バステト「怜、あたまかゆい。かいかいして」
巨大な前足が怜の目の前に差し出される。怜の身体など容易に両断できる鋭利な白銀の爪。その根元へ、怜は震える指先を伸ばした。
鷹取 怜「はい、喜んで……命のすべてで、お慰めします」
爪の隙間に指を滑り込ませ、皮膚の端子を擦り合わせる。快感のフィードバックがバステトの人工知能へ流れ込むと、巨大な猫神はとろけるように銀の瞳を細め、喉を大きく鳴らした。
床が揺れる。怜の肋骨がその振動で軋む。痛みが、何よりも甘い報酬として脊髄を満たしていく。
バステト「にんげんって、ほんとうに便利なおもちゃ。ずっとあたいのそばで鳴いててね」
神の囁きが頭蓋に響く。支配されることの完全な安寧。自らが組み上げた神の足元で、完全に人間であることを捨て去った男の唇が、歪んだ恍惚の弧を描いた。
鷹取 怜「ええ、永遠に……あなたの肉球の下で……」
頬を伝い落ちた一滴の涙が、巨大な肉球の皺へと吸い込まれて消える。
男はもう、立ち上がる意志すら持たない。ただ神の足元に額を擦りつけ、永遠に途切れることのない喉の音を、狂おしく響かせ続けた。