第一章: 真夜中の密会と白い悪魔
錆びたトタン屋根を、鉛色の潮風が叩く。軋む鉄骨の悲鳴に混じり、重厚な革靴の足音がコンクリートを削るように響いた。
龍崎 鉄心「おい……てめえが噂の『密輸屋』か」
闇を裂いて現れたのは、黒漆の仕立て良すぎるスリーピースに身を包んだ巨躯。裂けた左頬から顎へと走る赤黒い古傷が、外灯の明滅に合わせて獰猛に蠢く。
猫宮 彗「ひ、ひぃぃっ! あ、はい! 猫宮です! 食材調達の……いや、バイヤーやってます!」
ずぶ濡れのトレンチコートの下で、猫宮の膝が小刻みにぶつかり合う。乾いた喉が鳴り、指先は氷のように冷え切っていた。
龍崎 鉄心「挨拶はいい。単刀直入にいこう。例の『極上のシロ』は用意できたんだろうな?」
ドクロを象ったプラチナリングが鈍く光り、龍崎の太い腕がジュラルミンケースを無造作に投げ落とす。床を叩く金属音が、処刑宣告の鐘のように鼓膜を揺らした。
(シロ!? この人、本物の極道だ! 僕が持ってきたのはパティシエ界の闇ルートから引っ張ってきた『超微粒子・極上粉糖』なのに、ヤバい薬の密売人と完全に勘違いされてる!? ここで『ただの砂糖です』なんて言ったら、嘘つきとして東京湾の底へ沈められる……!)
胃が捩れるほどの吐き気を押し殺し、猫宮は貼り付いた笑みを浮かべてみせた。声の震えを隠すため、あえて甲高い営業トーンを絞り出す。
猫宮 彗「も、もちろんっす! 極秘ルートから仕入れた、混じり気なしの純度百パーセント! 鼻に抜ける香りと粒子の上品さがケタ違いの最高級品っすよ!」
龍崎 鉄心「ほう……鼻に抜けるだと? そいつは上等だ。うちの『お嬢』が明日、十歳の節目を迎えるんでな。どうしても世界一キマる最高のやつをキメさせてやりてえんだ」
龍崎の双眸がギラつき、凶悪な笑みが口元を歪めた。
(十歳の子どもにシャブをキメさせる気かこの外道親父ーーーっ!? 児童虐待どころか国家転覆レベルの凶悪犯罪だろこれ!!)
奥歯を激しく噛み鳴らす猫宮の額から、大粒の脂汗が滴り落ちてアスファルトに染みを作る。視線が泳ぎ、呼吸が浅く乱れる。
龍崎 鉄心「おい、出し渋ってんじゃねえぞ。そのトランクの中身を見せろ。少しでも粗悪品を混ぜてみろ……てめえの指、全部切り落としてケジメつけさせるからな」
猫宮 彗「ひゃ、百パーセント本物ですからぁぁ! 今お見せしますぅぅ!」
震えの止まらない指先が、トランクのダイヤルロックへ触れる。カチャリと噛み合わさった金属が弾け、重厚な革張りの蓋が跳ね上がった。
闇の底に浮かび上がったのは、厚手の真空パウチに密閉された、眩いばかりの純白の粉末だった。
第二章: 純度百パーセントの致死量

龍崎 鉄心「ほう……これがそうか」
桐の木箱に鎮座する透明パウチを、猛禽のような眼光が見下ろす。龍崎の纏う血生臭い威圧感に、周囲の空気が凍りついた。
猫宮 彗「へ、へい! 粒子をミクロン単位で均一化し、湿気を極限まで遮断した至高の粉末っす! 舌に乗せた瞬間に脳天まで痺れる感覚が広がるはずです!」
恐怖で引き攣った筋肉をどうにか動かし、猫宮は必死でセールストークを捲し立てる。嘘は言っていない、すべて製菓素材としての真実だ。
龍崎 鉄心「……舌に乗せるだと? 試していいんだな」
無言のまま、龍崎の懐から白刃が抜かれた。冷酷な刃文を描くドスの切っ先が、パウチの表面を軽やかに一文字に切り裂く。銀の切っ先に乗せられた純白の結晶が、男の太い舌先へと吸い込まれた。
(ドスでテイスティングした!? 映画の麻薬取引そのものじゃないか! 頼むからただの上品な甘さに気づいてくれ……!)
静寂が倉庫を支配する。龍崎の喉仏が一度、大きく上下した。直後、その筋骨隆々の肉体が異様な緊張で強張る。
龍崎 鉄心「ぐっ……!? な、なんじゃこりゃあ……!!」
猫宮 彗「ひぃぃ! すいません許してください!」
床に額を擦りつけんばかりに縮こまる猫宮の頭上で、龍崎の肺が激しく波打った。
龍崎 鉄心「す、すさまじい……舌に触れた瞬間、雑味のない純粋な甘みが広がり、スーッと雪のように溶けて消え去りやがった! 後味に一切のトゲがねえ! これなら……うちの結愛の繊細な舌も完全にイカせられる!!」
猫宮 彗「き、気に入っていただけましたか……?」
龍崎 鉄心「ああ、極上だ。だが待て……この横にある、厳重に保冷パックに包まれた『真っ赤なブツ』は何だ? おい……まさか、新鮮な『心臓』じゃねえだろうな?」
龍崎の視線が、トランクの隅に収められた銀色の特殊保冷容器へと突き刺さる。結露したケースの隙間から、ドス黒いまでの深紅が覗いていた。
猫宮 彗「違いますぅぅ! 朝摘みの『幻の白いちご』と『超高糖度真紅イチゴ』です! 市場には絶対に出回らない裏ルートの特級果実っす!」
龍崎 鉄心「……酸味と糖度のバランスはどうなんだ? 中途半端なシロモノなら、お前のタマを取るぞ」
切り落とされたドスの刃先が、猫宮の喉仏へとミリ単位で迫る。冷たい切っ先が皮膚に触れ、鳥肌が全身を駆け抜けた。だが、職人としての矜持が、恐怖の隙間から猫宮の喉を突き動かす。
猫宮 彗「酸味はわずか零点二%、糖度は驚異の十八度超え! 一口噛めば果汁がドバドバ溢れます! 生クリームという名の純白の泥沼に沈めれば、大人も子どもも廃人確定の代物です!」
龍崎 鉄心「ハッ……ハハハ! 泥沼に沈めて廃人にするだと? 気に入ったぜ、小僧! 今すぐここで、その最高のブツを『調合』してみせろ!」
猫宮 彗「ええっ!? こ、ここでですか!? ボウルなら車に積んでありますけど……!」
龍崎 鉄心「当たり前だ! ブツの効能をこの場で完成品として確かめねえで、誰が金を払うかよ!」
ドスが床の木箱に深々と突き立てられ、冷たい裸電球の下で鈍利な光を放った。
第三章: 強襲!麻薬取締官の絶対包囲網

頭上の強化ガラスが爆圧で四散し、無数のガラス片が雨となって降り注ぐ。
舞い散る粉塵を貫き、紅蓮のレーザー照準器が龍崎と猫宮の眉間を同時に捕捉した。
氷室 摩耶「動くなッ! 厚生局麻薬取締部だ! 全員その場で手を頭の後ろで組めッ!!」
ラペリングロープからしなやかに着地したのは、黒のタクティカルベストで豊満な胸元を締め上げた女。乱れぬ黒髪のポニーテールを揺らし、グロックの銃口を一切のブレなく突きつける。
猫宮 彗「ひ、ひええええええええっ!? サツだああああああっ!!」
龍崎 鉄心「チッ……サツの犬が嗅ぎつけてきやがったか!」
舌打ちを鳴らす龍崎は、動じるどころかドスを引き抜き、獰猛な笑みを浮かべて身構えた。
氷室 摩耶「龍崎鉄心! 言い逃れはさせないわ! 盗聴班は全て聞いていたのよ!『十歳の子どもを完全にイカせる』『純度百パーセントのシロ』『純白の泥沼に沈めて廃人にする』……なんておぞましい幼児向け薬物密売計画なの!」
氷室の切れ長の瞳に、正義の炎が冷徹に燃え盛る。
龍崎 鉄心「あぁん!? 何言ってんだこのアマ! 十歳の誕生日に最高のモン食わせて何が悪いってんだよ!」
氷室 摩耶「開き直る気!? その凶器に付着した『白い粉』、そして木箱の上の『赤い劇薬』……現行犯で即刻逮捕よ!」
猫宮 彗「ま、待ってください警察官さん! それは砂糖とイチゴなんです! 最高に美味しいバースデーケーキの素材を吟味してただけでぇ!」
氷室 摩耶「黙りなさい売人! 苦し紛れの隠語を並べ立てても無駄よ! 『イチゴ』とは赤く着色された新型危険ドラッグの暗号ね!? そして『生クリームの泥沼』とは、薬物を溶かして投与する特殊溶液のことね!?」
猫宮 彗「話が通じねええええええっ!! 隠語じゃなくて本当にケーキなんだよぉぉっ!!」
龍崎 鉄心「うるせええええええっ!!」
龍崎の腹底からの咆哮が吹き荒れ、錆びた鉄骨がビリビリと激しく共振した。
龍崎 鉄心「明日の朝八時、愛娘の結愛が目を覚ました時、テーブルの上に『世界一のショートケーキ』が鎮座していなきゃならねえんだよ! 娘の笑顔を邪魔する奴は、国家権力だろうがブッ殺す!!」
氷室 摩耶「狂ってるわ! 完全に脳が冒されているのね! 突入班、容疑者を確保しなさい!」
後続の特殊部隊員が踏み込もうとした瞬間、龍崎の怒声が遮った。
龍崎 鉄心「待てッ!! おい、小僧! 今すぐそのイチゴとシロを使って、このアマの口に『証拠』をねじ込んでやれ! 言葉で分からねえなら、舌で解らせるしかねえだろうが!!」
猫宮 彗「ええええっ!? この銃撃戦の真っ只中でケーキ作れって言うんですかぁぁぁっ!?」
命の危機が極限まで跳ね上がった瞬間、パティシエとしての狂気じみた血が猫宮の全身を駆け巡った。
第四章: 至高の甘美、そして深まる業の罠
猫宮の手元が霞む。車載用バッテリーに直結された電動ミキサーが倉庫にけたたましい甲高い唸りを響かせ、純白の生クリームが渦を巻いた。
計算し尽くされた微小空気の抱き込み。極上粉糖が微塵のダマも残さず乳脂肪と融合し、そこへ薄氷のようにスライスされた幻の白いちごが投じられる。立ち上る芳醇な香気が、硝煙の匂いを暴力的に塗り替えていった。
猫宮 彗「で、できたぁぁぁっ! 即席・幻の白いちごと純白粉糖のエスプーマ・グラス仕立てぇぇっ!」
ガラスの小瓶に盛り付けられた芸術品を掲げ、猫宮の息が荒く弾む。
龍崎 鉄心「食え、マトリ。これがてめえらの言う『毒』かどうか、その自慢の舌で確かめてみろ!」
龍崎の手から奪い取られた銀のスプーンが、切っ先のように氷室の眼前へと突きつけられた。
氷室 摩耶「殉職上等よ、受けて立つわ……!」
覚悟を決めた氷室の艶やかな唇が、微かに開かれる。
銀のスプーンに乗った純白のエスプーマが、熱を帯びた舌の上へと滑り込んだ。
ドクン、と氷室の頸動脈が狂おしく跳ね上がる。
氷室 摩耶「んんっ……!? あ、あぁぁぁぁぁぁっ!?」
脱力した指先から無残に拳銃が滑り落ち、硬質な床を跳ねた。タイトスカートに包まれた膝が、内側から崩れるように折れる。白磁の頬が一瞬で真紅に染まり、浅い吐息が唇の隙間から漏れ出した。
氷室 摩耶「な、何これ……舌の上で淡雪のように溶ける極限のミルキーさ……絡みつく、濃厚なイチゴの甘み……脳が、抗えない快楽で溶かされていく……ッ!」
背筋を未知の痺れが駆け上がり、全身の毛穴という毛穴が粟立つ。経験したことのない糖分と香気の奔流に、瞳の焦点が定まらない。
猫宮 彗「ほら見ろ! だからただのスイーツだって言ったじゃないですか!」
龍崎 鉄心「フッ……どうだマトリ。この『シロ』の破壊力、思い知ったか」
勝ち誇る二人の前で、床に手をついた氷室の肩が激しく震えていた。潤んだ瞳が、恐れと異様な執着を帯びて猫宮を睨み上げる。
氷室 摩耶「恐ろしい男……! 合法的な食材の組み合わせだけで、人間を一瞬で快楽の虜にし、理性を完全に破壊する『精神操作スイーツ』を開発したというの……!?」
龍崎 鉄心「は……? 何を言ってんだこのアマ」
氷室 摩耶「記録しなさい! 黒龍会は麻薬を超える『合法甘味兵器』を用いた国家転覆を企んでいるわ! そしてこの青年は主任研究員よ!」
猫宮 彗「なんでえええええええええっ!? 余計に罪状が重くなってるぅぅぅっ!!」
腕時計をちらりと確認した龍崎が、獰猛な顎をしゃくった。
龍崎 鉄心「チッ、もう三時か。小僧、撤収だ! 結愛が起きる前にうちの台所でホールケーキを仕上げるぞ!」
丸太のような腕が猫宮のトレンチコートの襟首を鷲掴みにし、問答無用で米俵のように担ぎ上げる。
猫宮 彗「ひぃぃっ! 僕を巻き込まないでくださぁぁぁい!」
氷室 摩耶「逃がさないわよ龍崎! その悪魔のケーキ、私も一口……じゃなくて、国家の威信にかけて押収して解明してみせるわ! 全隊、追跡開始ィィィッ!」
けたたましいサイレンと赤色灯の渦巻く臨海道路へ、黒塗りの最高級セダンが白煙とスキール音を残して闇を切り裂いていった。