第一章: 終わりの始まり
腹の底から湧き上がるような、甲高い笑い声。
末期ガンの少女は、シーツを真っ赤に染め上げながら腹を抱えていた。
口の端からドロリと溢れる赤い液体。それが病室特有の消毒液の匂いをかき消し、むせ返るような鉄の錆びた臭気を撒き散らす。
ボサボサの黒髪の隙間から、焦点の合わない俺の三白眼がその光景を捉える。
派手なカナリア色をしていたはずの舞台用スーツ。今や色あせ、少女が激しく咳き込むたびに飛沫を浴びて赤黒い斑点を作っていく。
指先が、小刻みに震え続ける。
笑太「あ、ハハ……ウケてる。めっちゃウケてるッスよ……!」
深夜のゴミ捨て場に転がっていた、奇妙にねじ曲がった『悪魔の顎骨』。
単なる拾い物。だが、それをポケットに入れてから、俺の絶望的につまらないギャグは変貌した。聞いた者の寿命を燃やし尽くし、強制的に脳内麻薬を分泌させる劇薬へ。
「ゲホッ、アハハハハハ! 苦しい、おかしい、アハハハハハハ!!」
異常な速度で上下する、少女の喉仏。
酸素を求める肺の動きとは裏腹に、彼女の唇は限界まで引き伸ばされ、不気味なほど幸福に満ちた三日月型を形成する。
笑太「さあ、もっと! 死ぬほど笑ってくださいッ!」
俺のネタで、人が笑っている。
初めての感覚。背筋を駆け上がる圧倒的な全能感が、脳髄を痺れさせる。
限界まで開く瞳孔。眼球がグルリと上を向く。
どさりと、細い腕がベッドから滑り落ちた。
完全に沈黙した病室。ぬるい血の匂いだけが漂う空間。制御不能なほど吊り上がっていく、俺の口角。
命を代償にしたスタンディングオベーション。この狂おしい快感からは、もう二度と抜け出せない。
第二章: 死神のプロデュース
◇◇◇
薄暗いホスピスの地下室。
冷たいコンクリートの床に、俺は胡座をかいていた。
笑太「いやー、今日の客も最高だったッスね! 全員、腹よじって血ィ吐いてましたよ!」
神宮寺 麗「うるさい。少し黙りなさい」
血返り防止の黒い医療用スクラブ。冷たい光を反射する銀縁メガネの奥で、神宮寺麗の瞳は爬虫類のように感情を欠いている。
振り返るたび、きつく結ばれたポニーテールが鋭く空気を切る。
神宮寺 麗「三〇二号室の胃ガン患者、四〇一号室の心不全患者。いずれも死亡確認。見事なものね」
カルテの束をパラパラと弾く、麗の細く白い指。
医者である彼女は、俺を告発しなかった。それどころか、俺の「殺人ギャグ」を『究極の安楽死』と称賛。末期患者の集まるこの隔離病棟に匿い、死のライブをプロデュースし始めた。
笑太「次は誰ッスか!? 俺、もっとウケたいッス! 命削ってでも、爆笑の渦を巻き起こしたいんですよ!」
神宮寺 麗「あなたの命は、とても滑稽ね。……でも、悪くないわ。次のステージの準備をしましょう」
ほんのわずかに引きつる、麗の唇の端。
微かなアルコールの匂い。冷え切った彼女の体温が近づいてくる。
異常者同士の共生関係。俺はただ、ウケたいだけ。彼女はただ、痛みのない死を与えたいだけ。
そう思っていた。この狂った歯車が、全く別の方向へ回っていることに気づくまでは。
一瞬だけ異常な熱を帯びて歪んだ、麗のメガネの奥の瞳。それを見落としていた。
第三章: 肉体という名の舞台
◇◇◇
揺れる視界。
強烈な薬品の匂い。口の中に広がる、自身の舌を噛み切ったような鉄の味。
手首と足首に食い込む硬い革ベルトの感触。
笑太「あ、れ……? 麗センセ……? 何やってんスか、これ」
手術台の上。派手な黄色のスーツは無残に切り裂かれ、腹部が冷たい空気に晒されている。
真上から見下ろす麗の手。そこには、冷たい銀色のメスが握られていた。
神宮寺 麗「勘違いしないでちょうだい。私が救いたいのは、患者なんかじゃない」
冷徹な声。彼女の視線の先には、車椅子に乗せられたひとりの少女がいた。
透き通るような白い肌。光の一切ない虚ろな瞳。清潔な白い病衣を着た彼女は、ピクリとも動かない。
神宮寺凪。麗の最愛の妹。
神宮寺 麗「凪はね、心を閉ざしているの。この世界は暗くて痛いものだと、そう思い込んでいる」
ツーッと俺の腹部を撫で下ろす、麗の冷たい指先。麻酔の気配はない。
ぞわりと、背筋に悪寒が走る。
笑太「ま、待って! 何する気ッスか! 俺たち、最高のコンビだったじゃないッスか!」
神宮寺 麗「だから、あなたが彼女の壁を壊すの。その『悪魔の顎骨』を、あなたの体に直接縫い込んで」
ブチィッ!!
「アアアアアアアアアアアアッ!!」
生肉を切り裂く鈍い音。焼けるような激痛が、脳髄を真っ白に染め上げる。
俺の傷口にねじ込まれる麗の指。硬い骨の塊を内臓の隙間に押し込んでいく。ぬるりとした血の感触。俺の耳元で甘く囁く、彼女の息遣い。
「さあ、笑わせて。あなたの寿命の最後の一滴まで絞り出して」
痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い!!
喉が裂けそうな悲鳴。だが、骨を埋め込まれた細胞が、強制的にギャグを練り上げようと沸騰する。
俺は人体実験のモルモット。
激痛の中で産声を上げる、地獄のコメディアン。
視界の隅。微動だにしない凪の虚ろな瞳が、俺の血まみれの姿をじっと見つめていた。
第四章: 狂気のスタンディングオベーション
◇◇◇
「動くな! 警察だ!」
ドアが蹴破られる爆音。
くたびれた灰色のトレンチコート、無精髭。獲物を狙う猟犬のような鋭い眼光を持つ男、笹山健。
何十人もの武装警官が、銃口を俺に向けている。
笹山 健「連続不審死事件。お前らが主犯だな。ふざけるな。笑い事じゃねえんだよ」
ドスを効かせた笹山の声。煙草のヤニとブラックコーヒーの混ざった、苦苦しい大人の匂いが漂う。
俺は腹部の傷口からどくどくと血を流し、血と煤でドロドロになったスーツを引きずりながら立ち上がる。
体内で、悪魔の顎骨がギリギリと軋む音。
笑太「アハ……アハハハハ! 警察!? ベテラン刑事!? 最高ッスね、極上の『フリ』だ!」
神宮寺 麗「やりなさい、笑太。これだけの観客がいるわ」
後ろから俺の背中を冷たく押す、麗の手。
痛覚はとうに麻痺していた。崩壊していく肉体の軋みすら、最高のドラムロールに聞こえる。
笑太「さあさあさあ! 命がけのショートコント『取り調べ』ッ!!」
ドクンッ!!
空間をぐにゃりと歪める、俺の口から放たれた言葉。
寿命を文字通り削り飛ばした、致死量のギャグの波動。
次の瞬間、警官隊の顔面に異変が起きた。
笹山 健「な、なんだ……!? お前ら、銃を下ろ……プッ」
「アヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!」
次々と腹を抱え、床に転げ回る屈強な警官たち。
「撃て!」という命令が「ウケて!」という歓声にすり替わる。
引き金を引く指が震え、天井や壁、仲間たちの体を無差別に貫く銃弾。
パァン! パァン!
血飛沫が舞う中。撃たれた者も、撃った者も、全員が顔を真っ赤にして爆笑している。
床に広がる血の池でタップダンスを踊るように、笑い狂いながら息絶えていく警官隊。
自身の頬を銃のグリップで殴りつけ、必死に笑いを堪えようと呻き声を上げる笹山。
倫理も常識も崩壊した、圧倒的な地獄絵図。
メリメリと音を立て、俺の体表から皮膚が裂け始めていた。
第五章: 究極のアンコール
◇◇◇
静寂。
硝煙と血のむせ返るような匂いが充満する病棟。
立っているのは俺と麗、そして膝をついて肩を震わせる笹山。
車椅子の凪だけがこの惨劇の中にあって、変わらず虚空を見つめている。
赤く染まる視界。目から流れ落ちる血の涙が、世界をぼやけさせる。
全身の皮膚が裂け、内側から燃えるような熱が俺を炭化させていく。
笑太「ハァ、ハァ……どうッスか。……まだ、笑えないッスか……?」
俺の命の残量。もう数秒。
ボロボロの喉から、最後の一滴を絞り出す。
この世で一番下らなくて、この世で一番純粋な、渾身の一発ギャグ。
「――――――――ッ!!」
空気を震わせる、声にならない音声。
その瞬間。
微かな光が宿る、凪の虚ろな瞳。
動かないはずの唇の端が、ゆっくりと、ゆっくりと持ち上がり。
神宮寺 凪「あ、はは……」
数年ぶりの、純粋な笑顔。
それを引き金に、呪いの連鎖が爆発した。
神宮寺 麗「ああ……凪、凪が笑った! フフ、アハハハハハハ!!」
笹山 健「ウヒャヒャヒャヒャ! クソッ、妻の仇が……アハハハハハ!!」
膝から崩れ落ち、凪を抱きしめながら狂ったように笑い転げる麗。
床を転げ回りながら、涙と血を流して爆笑する笹山。
憎悪も、悲しみも、異常な偏愛も。すべてが圧倒的な「笑い」に飲み込まれ、溶けていく。
「アハハハハハハハハハハ!!」
和音となり、病棟に木霊する三人の笑い声。
やがて激しい笑い声のまま、三人は同時に血を吐き、折り重なるようにして絶命した。
完全に静まり返った死体の山。
幸福に満ちた、三つの笑顔。
視界が、白くフェードアウトしていく。
パラパラとこぼれ落ちる灰。
指先から少しずつ、風に溶けて消えていく感覚。
笑太「あぁ……大爆笑だ……」
俺の顔に張り付く、満足げな微笑み。
拍手喝采の幻聴に包まれながら、俺の意識は虚空へと溶け去った。
残されたのは、血の海に浮かぶ不気味なほど平和な死に顔だけ。
誰もいなくなった病棟の窓から差し込む、異常なほど美しいオレンジ色の朝日。