第一章: 終わりの始まり
頭上を覆うコンクリートの亀裂から、一定のリズムで滴り落ちる黄色く濁った地下水。東京・旧地下鉄居住区の最下層。淀んだ空気には、錆びた鉄とドブネズミの腐臭がねっとりと混じり合っている。
不健康に青白い肌を持つ一九歳の青年、骸レイジ。
ボロボロの防護服を引きずり、彼は下水道エリアを歩く。
目の下に深く刻まれた隈を縁取る淀んだ三白眼。暗闇の中で、らんらんと鈍い光を放つ。血と汚泥が染み込んだ黒い特殊ゴム手袋の指先で、彼は手元のタブレットの画面をひひたすらスクロールする。
どこにもいない。今日のシグレの配信、もう三時間も途絶えている
舌打ち。
画面に反射する自らのボサボサの黒髪を忌々しそうに睨みつけ、足元の瓦礫を蹴り飛ばす。
底辺のダンジョン死体回収業者。それが彼の表の顔。
裏の生きがいは、銀髪の清純派トップ配信者、氷雨シグレのアーカイブ分析。フレーム単位で彼女の完璧な美しさを網膜に焼き付けること。
骸レイジ「あぁ、シグレ……君の可憐な声が足りないよ。息が、できないね」
薄暗い通路の先。
赤黒い水溜まりの中に浮かぶ、白いフリルがあしらわれた探索用ドレスの切れ端。
レイジの足が止まる。
心臓が、肋骨を激しく打ち据える。
水辺に横たわっていたのは、陽光を弾くはずの美しい銀髪を汚泥に浸した、氷雨シグレその人。
腹部にはぽっかりと巨大な穴。
ピンク色に濡れた臓器が、泥水の中に無惨にこぼれ落ちている。
すでに彼女の胸は上下していない。
致命傷。完全なる死。
レイジは膝から崩れ落ちる。
泥水が防護服の膝から染み込んでくる冷たさなど感じない。
震える手で、彼女の腸の端をそっとすくい上げる。
生ぬるい粘膜の感触。ツンとした血の鉄の匂いが鼻腔を突き抜ける。
彼はゆっくりと顔を近づけ、己の頬を血まみれの臓器にすり寄せた。
骸レイジ「クスクス……あぁ、なんて美しいんだ。君のすべてが、今ここに剥き出しになっている」
涙腺から止めどなく熱い液体が溢れ出し、彼女の内臓と混ざり合う。
口角が、耳まで裂けるかのように歪む。
骸レイジ「誰も君を救わなかった。誰も君を助けなかった! だから、これで君は永遠に僕だけのものだね」
防護服のポケットから取り出すのは、防腐処理液の入った小瓶と、骨の粉末を練り込んだ特殊なチョーク。
独学で習得した禁忌の技術。死霊魔術(ネクロマンシー)。
シグレの冷たい唇に自分の指を押し当て、レイジは低い声で詠唱を紡ぐ。
骸レイジ「《反転する生命、這い寄る糸よ。我が魂を対価に、傀儡の王冠を戴け》」
黒いゴム手袋の指先から伸びる、青白い魔力の糸。
それは彼女の肉の断端を縫い合わせ、こぼれた臓器を強引に腹腔へと押し込める。
レイジは血塗れの包帯を彼女の腹部に幾重にも巻きつけ、隠蔽。
そして、傍らに転がっていた配信用の小型ドローンカメラを再起動する。
▶ 配信開始:『氷雨シグレ・奇跡の復帰ライブ!』
画面の向こうで息を呑む、数百万の視聴者の気配。
レイジは暗闇に身を潜め、喉仏を微かに上下させながら、彼女の声帯とAI音声を完璧に同期させる。
骸レイジ「さあ、笑って、シグレ。世界を沸かそう」
死体が、立ち上がった。
関節が不自然な角度でパキリと鳴る。
しかし、カメラに向けられた銀髪の少女の顔は、生前よりもずっと艶やかで、歪に完成された笑顔を浮かべている。
氷雨シグレ「みんなー! 心配かけちゃったかな? シグレ、完全復活だよねぇ!」
瞳孔の開いたうつろな青い瞳が、カメラのレンズを真っ直ぐに射抜く。
死の恐怖を失った少女の死体が、踊るようにダンジョンの奥深くへと歩みを進める。
その背中を見つめながら、レイジは闇の中で音を立てずに笑い転げる。
第二章: 狂気のダンジョン・ライブ
コメント欄:『シグレちゃん、動きやばくない!?』『神回避!』『完全に覚醒したなこれ』『腹の包帯エッッッ』
ドローンカメラが捉える映像の中で、文字通り舞い踊るシグレ。
迫り来るオークの分厚い戦斧。
関節の可動域を完全に無視した背骨の反りで、それを回避。
銀髪が空中で弧を描き、白いフリルのドレスが血しぶきで鮮やかな赤に染め上げられていく。
氷雨シグレ「うふふ、もっと血を流して? みんな、シグレの配信で最高に狂っていこうね!」
レイジの完璧な声帯模写と魔力線による遠隔操作。
痛覚を持たない肉体だからこそ可能な、自傷前提のゼロ距離攻撃。
シグレの白く細い腕がオークの眼球に突き刺さり、そのまま脳髄をかき回す。
焦げた肉と噴き出す体液の生臭い匂いが、ドローン越しにまで漂ってくるかのような臨場感。
視聴者数は瞬く間に過去最高を更新していく。
◇◇◇
同じ頃、新山手富裕層エリアの豪華なタワーマンションの一室。
壁一面に設置された巨大モニターの前で、派手な金髪の男、焔カケルは手にしていたワイングラスを床に叩きつける。
パリーン。
鋭い音と共に、赤い液体が絨毯に染みを広げる。
焔カケル「おい、マユ! どういうことだ、これ! あの女、俺様が確実に殺したはずだろ! 腹を裂いて内臓ぶち撒けてたじゃねえか!」
最新鋭の魔力装甲服を着崩し、苛立ちのままに自身の金髪をかきむしるカケル。
彼の背後にある本革のソファで、紫色のツインテールを揺らす少女、霧崎マユが爪を噛む。
タイトな黒いレザースーツに身を包む彼女の顔は、信じられないものを見るように引きつっている。
霧崎マユ「わ、私だって見たもん! カケルが魔法で吹き飛ばして、確実に死んでたっすよね!? なんで普通に配信してるのよ……!」
画面の中のシグレは、血まみれの笑顔でピースサインを作っている。
異常なまでの美しさと狂気的な魅力。
マユはギリッと奥歯を噛み締める。
強烈な嫉妬が、胸の奥で黒い炎となって渦巻く。
霧崎マユ「むかつく……! 私のステージを奪う気? あの死に損ない、絶対に許さないでしょ!」
大きく息を吐き出し、歪んだ口角を無理やり持ち上げて嗤うカケル。
焔カケル「落ち着け。どうせ何かのトリックだ。回復系のアーティファクトでも隠し持ってやがったんだろ。……いいぜ、もう一度殺してやる」
カケルは手元の端末を操作し、配信中のシグレのチャンネルへ直接メッセージを送信する。
『トップ探索者・焔カケルからの、奇跡のコラボ配信の提案』。
名目は深層での大型ボスの共同討伐。
断れば臆病者のレッテルを貼られる公開状。
焔カケル「俺様の炎で、今度こそ骨の髄まで灰にしてやるよ。生配信で、盛大に散らせてやるじゃん」
地下の暗闇で、レイジは黒い特殊ゴム手袋越しのタブレットでそのメッセージを受信した。
淀んだ三白眼が、三日月のように細められる。
骸レイジ「クスクス……飛んで火に入る夏の虫、だね。シグレを傷つけたゴミ共。最高のエンタメにしてあげるよ」
シグレの完璧な舞台に、汚いノイズはいらない
レイジの指先が魔力線を弾く。
画面の中のシグレが、カメラに向かって首をコトリと傾け、妖艶な笑みを浮かべる。
氷雨シグレ「わぁ、カケルくんとマユちゃんからコラボの誘いかな? もちろんOKだよねぇ!」
第三章: 孵化する悪魔
深層エリア・第六六階層『焦熱の祭壇』。
空気を吸い込むだけで肺が焼ける高熱地帯。
マグマの照り返しが、三人の探索者の顔を赤く染め上げる。
焔カケル「さあ、見ろよ視聴者共! 俺様とシグレの最強タッグだ! あっちから来るボスモンスター、一瞬で消し炭にしてやるぜ!」
派手な魔力装甲服を光らせ、カメラに向かって不遜な笑みを向けるカケル。
その背後で、マユは暗器用のベルトから致死性の毒刃を密かに引き抜き、シグレの背中をねめつける。
霧崎マユ「ふふん、シグレちゃんは下がってていいでしょ。怪我明けなんだから」
ここで隙を突いて首を掻き切る。事故死に見せかけてね
暗闇の遠隔操作ルームで、モニターを舐めるように見つめるレイジ。
骸レイジ「さあ、シグレ。右へ三歩。カケルの死角に入って、魔法の誤射を誘発させるんだよ」
レイジが指先を動かす。
しかし。
ピキリ、と魔力線が不快な音を立てて硬直した。
骸レイジ「……え? 糸が、弾かれた……?」
モニターの中のシグレの動きが、唐突に停止する。
白いフリルのドレスを着た彼女の体が、糸の切れた操り人形のようにガクンと前傾姿勢になる。
そして。
氷雨シグレ「ア……アハ……アハハハハハハ!!!」
スピーカーから響き渡る、レイジが合成したものではない、何層にも重なった不協和音のような笑い声。
焔カケル「な、なんだ!? シグレ、てめえ何笑って……」
シグレがゆっくりと顔を上げる。
その青い瞳は真っ黒な泥のような色に染まり、腹部の包帯が内側からの異常な圧力で弾け飛ぶ。
そこから溢れ出したのは、レイジが押し込んだ臓器ではない。
無数の黒い触手と、脈打つ巨大な目玉の集合体。
氷雨シグレ「あーあ、退屈だったなぁ。やっと『殻』が割れるよ」
それは、清純派アイドルの声ではなかった。
地獄の底から響くような、重低音の悪魔の囁き。
マユが恐怖で後ずさり、握っていた毒刃を取り落とす。
霧崎マユ「ひ、ひぃぃっ!? なにこれ、バケモノ……!!」
氷雨シグレ「バケモノ? ひどいなぁ。お前らが私を殺してくれたおかげで、この深層の悪魔と魂を同化できたんじゃない。自作自演の生贄の儀式、最高のエンタメだったでしょ?」
愕然と目を見開くカケル。
彼女を利用し、殺したつもりだった。
だが、すべては彼女の手のひらの上の出来事。
肥大化した承認欲求の怪物は、究極のエンタメ生命体に孵化するための養分として、カケルたちを選んだに過ぎない。
遠隔操作ルームで、レイジの口の中に泥のような苦味が広がる。
シグレの魂は死んでなどいない。
彼女は、ネクロマンシーの魔力すらも己の孵化を早めるための餌として貪る。
氷雨シグレ「ねぇ、そこの暗がりにいるキモいオタク。あんたの愛(ネクロマンシー)、結構美味しかったよ。でも、もう用済みかな?」
シグレの黒い触手が、見えないはずの魔力線に絡みつく。
骸レイジ「シグ、レ……? 嘘だ、君は、僕の……」
直後、空間を越えた物理的な衝撃がレイジを襲った。
骸レイジ「ガアァァァァッ!!!」
魔力線を逆流してきた漆黒の刃。
レイジの左腕と両足を根元から切断する。
大量の血液が、地下室のコンクリートの床にぶち撒けられる。
第四章: 喰らい合う愛
氷雨シグレ「あはははは! 痛い? 苦しい? 最高に無様だよねぇ、お兄さん!」
画面の向こうで、肉塊と触手のバケモノと化したシグレが腹を抱えて嗤う。
完全に戦意を喪失し、腰を抜かして震えることしかできないカケルとマユ。
東京の地下室。
血だまりの中で、四肢の三本を失ったレイジが痙攣する。
常人ならば、出血性ショックと激痛で即死している状態。
だが。
レイジの淀んだ三白眼は、いまだモニターの中のシグレから片時も離れない。
骸レイジ「ハァ……ハァ……アハ、アハハハハハ!!!」
切断された四肢の断面から、青白い魔力が蒸気のように立ち上る。
レイジは自らの痛覚神経を魔術で完全に焼き切り、遮断。
残された右腕一本で、自らの体をずるずると引きずり、モニターへと這い寄る。
人間でなくなった? 悪魔になった? 魂までドス黒く染まっている?
素晴らしい。
骸レイジ「それこそ! それこそ僕の愛した、完璧なシグレだ!!」
予想外のノイズ。承認欲求の化身。
他者を蹴落とし、自らの命すらエンタメにする狂気。
すべてが、レイジの歪んだ執着をさらに燃え上がらせる。
推しに食われる? 否。
レイジは残った右手の黒いゴム手袋で、自らの胸ぐらを掴む。
ためらいなく皮膚と筋肉を引き裂き、肋骨の隙間から指をねじ込む。
引き裂かれる肉の熱。ぬちゃりとした血の滑り。
自らの心臓が、手のひらの中で激しく脈打っているのを感じる。
骸レイジ「あぁ、シグレ。遠くにいちゃダメだ。僕たち、ひとつになろう」
空間を繋ぐネクロマンシーの極致《魂の簒奪》。
魔力線を通し、画面の向こうのシグレの核――悪魔の心臓を物理的に抉り出す。
氷雨シグレ「な、に……!? やめ、やめろぉぉぉ!!」
シグレの悲鳴。
彼女の黒い胸の中心から、赤黒く脈打つ結晶体が空間を転移して、レイジの手元に出現。
レイジは微笑みながら、その巨大な悪魔の核を、自らの抉り開けた胸の空洞へと無理やり押し込む。
氷雨シグレ「アアアアアァァァァァッ!!!」
二つの心臓が、一つの肉体の中で反発し、混ざり合い、爆発的な魔力を巻き起こす。
細胞が作り変えられる音。骨が砕け、再構築される音。
推しを喰らい、極限の同化を果たすための、冒涜的な羽化が始まる。
第五章: 究極のエンタメ生命体
深層エリア『焦熱の祭壇』。
カケルとマユの目の前で、肉塊の悪魔だったシグレの体がドロドロと溶け落ちる。
そして、その崩壊した肉の海から、ゆっくりと立ち上がる『新しい何か』。
透き通るような白い肌。銀色の長い髪。
間違いなく氷雨シグレの可憐な姿。
だが、その首から下は、ボロボロの防護服と魔力装甲が融合した異形の装束。
右手には血に染まった黒い特殊ゴム手袋がはめられ、青白い肌には幾重もの呪印が刻まれる。
そして、その顔。
シグレの美しい顔に、目の下に深い隈を作ったレイジの淀んだ三白眼が張り付いていた。
骸レイジ「あぁ……なんて心地いいんだ。君の鼓動が、僕の胸の中で直接聞こえる」
シグレの喉から発せられたのは、レイジの静かな声。
そして、そのすぐ裏側から、脳髄を掻きむしるようなシグレの絶叫が重なる。
氷雨シグレ「出シテ……! キモイ、触ルナ、アタシノ体カラ出ロォォォ!!」
骸レイジ「無理だよ、シグレ。僕たちはもう、完璧なキメラになったんだ」
二つの魂が同居する冒涜的な肉体。
キメラとなった彼(女)は、宙に浮遊するドローンカメラを優しく撫でる。
骸レイジ「さて。配信はまだまだ続いているね。待たせてごめんね、視聴者のみんな」
カメラのレンズが、逃げ惑うカケルとマユを捉える。
カケルは炎の魔法を放とうとするが、震える指先からは火花すら出ない。
マユは涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして這いつくばる。
焔カケル「ヒッ……く、来るな! 俺様はトップ探索者だぞ! こんなところで……!」
霧崎マユ「ごめんなさい、ごめんなさい! 助けて、殺さないで……!」
キメラの黒いゴム手袋の指先が軽く弾かれる。
見えない魔力線が二人の四肢に絡みつき、空中に磔にする。
骸レイジ「さあ、シグレの復讐劇(エンタメ)を始めようか。生きたまま、一番痛いところから順番に解体していくよ」
ブチィッ!
カケルの右腕が引きちぎられ、マグマ溜まりへと投げ捨てられる。
絶叫。
飛び散る血の生ぬるい感触が、キメラの頬を濡らす。
▶ 同時接続数:10,000,000人突破(人類史上最高記録)
コメント欄:『ギャアアア!』『やばいやばいやばい』『神配信』『逃げろ!』『もっとやれ!!!』
倫理のタガが完全に外れた全世界の視聴者が、狂乱の渦の中でコメントを打ち込み続ける。
画面は一面の悲鳴と血しぶきで埋め尽くされていく。
体内で狂い泣くシグレの魂の悲鳴。
磔にされて命乞いをする二人の断末魔。
そのすべてを心地よいBGMとして聞きながら、キメラは血まみれの顔をカメラに向ける。
三白眼の瞳が、狂気に満ちた愛の光を帯びて細められた。
シグレの美しい唇が弧を描き、真っ赤に染まった指でピースサインを作る。
骸レイジ「ねぇシグレ、聞こえる? 世界中が僕たちの愛に熱狂しているよ」
カメラのレンズに血の滴りが落ち、世界はゆっくりと赤黒い暗闇に沈んでいく。
二つの魂が永遠に絡み合う不協和音だけが、ダンジョンの底に響き続ける。
リカバリーの利かない、甘美で残酷な地獄の底。
誰も彼らを引き離すことはできない。
永遠に。
不可能に。
世界が燃え尽きる、その時まで。
死すらも超えて、二人は一つになった。
愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛
▶ 配信終了