幽霊失格のラスト・ショー

幽霊失格のラスト・ショー

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第一章 死因:バナナの皮

「えー、それでは佐藤健次さん。あなたの人生の査定を行います」

真っ白な空間に、事務机がひとつ。

そこに座る天使――というか、見た目は完全に役所のおじさん――が、分厚いファイルをめくりながら鼻を鳴らした。

「はい、よろしくお願いします」

俺、佐藤健次(享年四十八)は、背筋を伸ばして頭を下げた。

生前、営業二課の鬼係長として鳴らした習性が抜けない。死んでも社畜魂、ここにありだ。

「まず死因ですが……」

天使が眼鏡の位置を直す。

「『部下を怒鳴りつけようと踏み出した瞬間、床に落ちていたバナナの皮で滑り、後頭部を強打』」

「……はい」

「昭和のギャグ漫画ですか?」

「ぐうの音も出ません」

顔から火が出る、とはこのことだ。もっとこう、子供を庇ってトラックに、とか、過労死とか、あっただろう。

バナナて。

「で、享年四十八。早すぎますねえ。現世への未練、ありますよね?」

「あります。娘のことが気がかりで」

一人娘の結衣だ。俺が男手一つで育ててきた、最愛の娘。

思春期からは「洗濯物を一緒に洗うな」「加齢臭が服に移る」と罵倒され、ここ数年は口も利いていない。

俺が死んだ時だって、泣いてくれたかどうか怪しいもんだ。

「では、特別措置です。『成仏パスポート』を発行するには、条件があります」

天使がハンコをポンと押した。

「二十四時間以内に、誰か一人を『恐怖』で震え上がらせてください。いわゆる、ポルターガイスト活動の実習試験です」

「恐怖、ですか?」

「ええ。幽霊といえば祟り、呪い、恐怖でしょう? その実績がないと、天国への入国審査が通らないんですよ。最近、向こうも厳しくて」

なんて世知辛い死後の世界だ。

だが、やるしかない。

俺は生前、鬼係長として部下を震え上がらせてきた男だ。恐怖を与えることにかけては、プロフェッショナルだという自負がある。

「承知しました。必ずや、絶叫の渦に巻き込んでみせましょう」

「あ、ターゲットは身内でも構いませんよ」

俺はニヤリと笑った。

結衣。

お父さんが、最後にきっちり教育的指導(ポルターガイスト)をしてやるからな。

第二章 呪いのシャンプー大作戦

結衣のアパートに到着したのは、深夜二時だった。

鍵をすり抜けて中に入る。幽霊になって唯一便利な点だ。

部屋の中は、予想に反して片付いていた。

万年床だったはずの布団が畳まれ、机の上には俺の遺影が飾られている。

写真は、免許証のやつだ。

仏頂面で、いかにも頑固親父。

(……ちぇっ、もっとマシな写真はなかったのかよ)

結衣は、ベッドで丸まって寝ていた。

泣き腫らしたような目が、月明かりに照らされている。

少し胸が痛んだが、これは試験だ。心を鬼にする。

まずは手始めに、定番の『枕元に立つ』からいこう。

俺は結衣の顔の真上に移動し、渾身の形相を作った。

目を見開き、舌を出し、恨めしやのポーズ。

「……んぅ……」

結衣が寝返りを打つ。

チャンスだ。

俺は冷気を放ちながら、耳元で囁こうとした。

「……のろ……い……」

その時だ。

俺の足(といっても半透明だが)が、ベッド脇のゴミ箱に引っかかった。

カコーン!

盛大な音が鳴り響く。

「ひっ!?」

俺は体勢を崩し、そのまま空中を一回転。

着地しようとした場所には、結衣が飲みかけで置いていたペットボトルの水。

ズボッ。

右足がペットボトルの口にハマった。

「……え?」

結衣が目を覚まし、上半身を起こす。

そこには、右足にペットボトルを装着し、空中で変なポーズ(『シェー』の形)で固まっている俺の姿――は見えていないはずだ。

だが、物理的な現象は起きている。

宙に浮くペットボトル。

それが小刻みに震えている。

「キャアアアアアア!」

きた! 悲鳴だ!

俺はガッツポーズをした。

「ゴキブリーッ!!」

……は?

結衣は殺虫剤を手に取り、見えない俺(ペットボトル周辺)に向かって噴射した。

「うわっ、やめろ! 目にしみる!」

幽霊にも殺虫成分は効くらしい。俺はのたうち回り、勢いで壁に激突。

ドガン! バタン! キュッ!

棚の上から落ちてきたティッシュ箱が頭に乗り、足にはペットボトル、手には殺虫剤の霧。

もがけばもがくほど、部屋の中で『奇妙なダンスを踊るゴミたち』というシュールな光景が展開される。

結衣はベッドの隅で震えていた。

「……なにこれ……」

恐怖ではない。

困惑だ。

そして、彼女の肩が小刻みに震え始めた。

「……ぷっ」

え?

「あはは……なにこれ、ペットボトルが……踊ってる……」

結衣が笑った。

涙を流しながら、腹を抱えて笑っている。

「あはははは! お父さんのダンスみたい……運動会で転んだ時の……」

俺は呆然と立ち尽くした(ティッシュ箱を乗せたまま)。

違う。そうじゃない。

俺は怖い幽霊なんだ。

お前を震え上がらせて、成仏するんだよ。

「あーあ……おかしい……」

結衣はひとしきり笑った後、ふと寂しそうな顔をして、俺の遺影を見た。

「……お父さん。私、笑っちゃったよ」

その呟きが、俺の胸に突き刺さった。

第三章 鬼係長の誤算

次の作戦だ。

『誰もいないのにシャワーからお湯が出る』作戦。

結衣が風呂に入ろうとした瞬間を狙う。

しかし、俺が蛇口に手を伸ばした瞬間、彼女が先に蛇口をひねった。

「つめたっ!」

給湯器のスイッチが入っていなかったらしい。

俺はとっさに、霊力を使って給湯器のボタンを遠隔操作した。

『お風呂が沸きました』

無機質なアナウンスが響く。

「え? スイッチ入れてないのに……?」

よし、今度こそ恐怖だ。

「ラッキー。機械の誤作動かな? サンキュー神様」

感謝された。

くそっ、次だ。

『テレビの砂嵐』作戦。

深夜、突然テレビをつけて、ザーザーという不気味なノイズを流す。これは鉄板だ。

俺はテレビの内部に入り込み、回線をショートさせるイメージで念を送る。

ブツン。

画面がついた。

映し出されたのは、深夜のバラエティ番組の再放送。

しかも、よりによって裸芸人が熱湯風呂に入っているシーンだ。

『押すなよ! 絶対に押すなよ!』

「……ふふっ」

夜食のカップ麺をすすっていた結衣が、また吹き出した。

「なんでこのタイミングでこれなの……お父さん、この芸人好きだったなぁ」

俺はテレビの中で頭を抱えた。

なぜだ。

なぜ、ことごとく笑いに変わる。

俺はエリートサラリーマンだぞ。威厳ある父親だぞ。

これじゃあ、ただのコメディアンじゃないか。

タイムリミットまで、あと三時間。

俺は焦っていた。

このままでは成仏できず、地縛霊としてこのアパートに居座ることになる。

それだけは避けたい。

結衣には、新しい人生を歩んでほしいんだ。

いつまでも死んだ父親の影に縛られてほしくない。

「……ん?」

結衣が、机の引き出しを開けた。

中から出てきたのは、一冊のノート。

交換日記だ。

結衣が小学生の頃、俺とやり取りしていたやつ。

中学生になってから、パタリと途絶えたやつ。

彼女はそれをパラパラとめくり、あるページで手を止めた。

『パパへ。どうしてパパは、おうちでわらわないの? かいしゃでつかれているの?』

その下に、俺の字でこう書いてあった。

『パパは男だから、ヘラヘラしないんだ。結衣を守るために、強くないといけないからな』

なんて可愛げのない返事だ。

当時の俺を殴ってやりたい。

結衣は、そのページを指でなぞり、ポツリと言った。

「……強くなくてよかったのに。もっと、一緒に笑いたかったな」

その言葉を聞いた瞬間、俺の中で何かが切れた。

「恐怖」というノルマなんて、どうでもよくなった。

俺が本当にやりたかったこと。

俺が本当に残したかったもの。

それは「威厳」でも「遺産」でもない。

第四章 史上最低のポルターガイスト

残り時間、十分。

俺は最後の賭けに出ることにした。

恐怖を与えるのは諦めた。

俺は、彼女を全力で笑わせる。

たとえ成仏できなくても、地縛霊になって永遠にこの部屋を彷徨うことになってもいい。

結衣の涙を乾かすことができるなら、俺はピエロにでもなんにでもなってやる。

俺は部屋中の霊力を練り上げた。

狙うは、部屋の隅にある「全身鏡」と、クローゼットの中にある「俺の古いスーツ」。

「うおおおおお!」

魂を削るような咆哮とともに、俺はポルターガイスト現象を起こした。

まず、クローゼットが開く。

俺のグレーのスーツがふわりと浮かび上がる。

中に誰もいないのに、まるで透明人間が着ているかのように、スーツが形を保つ。

「え……?」

結衣が目を見開く。

これだけならホラーだ。

だが、ここからが佐藤健次の真骨頂だ。

スーツの袖から、ハンガーが飛び出す。

ズボンから、ステテコがはみ出す。

そして、中空に浮いたスーツの俺は、鏡の前で踊り出した。

あの、伝説の宴会芸。

『ドジョウすくい』だ。

見えない手で鼻の頭に五円玉(結衣の貯金箱から拝借)を貼り付け、腰を落とし、へっぴり腰で部屋を練り歩く。

カシャン、カシャン。

ザルがないので、代わりに洗濯カゴを小脇に抱える。

「……嘘でしょ」

結衣が口元を押さえる。

「お父さん……?」

俺は止まらない。

ターンを決めようとして、またゴミ箱につまずく。

今度は計算じゃない。ガチだ。

派手に転び、スーツがバラバラに散らばる。

ネクタイが天井の照明に引っかかり、まるで首吊りのようになりかけたが、そこから振り子のように揺れて、窓ガラスに激突。

ベチャッ。

まるで張り付いたヤモリのように、ネクタイが窓にへばりついた。

静寂。

そして。

「あっははははははは!!」

結衣が、爆発したように笑い出した。

「あはは! なにそれ! 下手くそ! お父さん、ダンス下手すぎ!」

彼女は腹を抱え、床をバンバン叩いて笑っている。

目からは涙が溢れているが、それはさっきまでの悲しみの涙とは違う。

浄化の涙だ。

「あー、おっかしい……死んでまで、なにやってんのよ、バカ親父」

俺も、見えない体で笑った。

ああ、こんなに笑ったのはいつ以来だろう。

バナナの皮で滑って死んだ俺だ。

最後も、転んで終わるのがお似合いだ。

その時、体がふわりと軽くなった。

天井から、あの天使が顔を出している。

『時間です』

「……ああ、わかってる。地縛霊コースだろ? 喜んで」

『いえ、合格です』

「は?」

天使はニッコリと笑った。

『ターゲットの感情を極限まで揺さぶること。それが真の条件でした。「恐怖」というのは、あなたを必死にさせるための方便です』

「……性格悪いな、あんた」

『よく言われます』

俺の体が、光の粒子になって分解され始めた。

結衣には、俺の姿は見えていない。

でも、彼女は何かを感じ取ったのか、散らばったスーツに向かって、優しく声をかけた。

「……ありがとう、お父さん。もう大丈夫だよ」

「……おう。達者でな」

俺の声は届かない。

でも、窓ガラスに張り付いたネクタイが、最後にもう一度だけ、ひらりと揺れた。

まるで「バイバイ」と手を振るように。

最終章 天国のコメディアン

「いやー、というわけでね、娘の前でドジョウすくいをして死んだも同然なんですが、元々死んでたんでセーフ!」

天国の演芸場。

俺の漫談に、先祖たちがドッと沸く。

ここには、堅苦しい役職も、世間体もない。

あるのは、笑いと安らぎだけ。

俺はマイクを握り直し、下界を見下ろした。

モニターには、元気に会社へ向かう結衣の姿が映っている。

その足取りは軽い。

俺はニヤリと笑い、次のネタを披露し始めた。

「次は、三途の川で船頭を笑わせて、渡し賃をまけてもらった話をしましょうか」

会場が笑いに包まれる。

ゴースト・コメディアン、佐藤健次。

本日も、天国にて絶賛公演中。

AI物語分析

【主な登場人物】

  • 佐藤健次 (Kenji Sato): 本作の主人公。享年48。生前は「ナメられたら終わり」と信じる厳格なサラリーマンだったが、その実態は小心者でドジ。死後、娘への愛と持ち前の不器用さが化学反応を起こし、意図せぬ「笑いの才能」を開花させる。
  • 佐藤結衣 (Yui Sato): 健次の娘。20代前半。父との確執を抱えたまま死別し、後悔と喪失感に沈んでいた。父の不器用なポルターガイスト現象を通じて、父の隠された愛情(と面白さ)に気づき、前を向く力を取り戻す。
  • 天使 (The Angel): 役所のおじさんのような風貌の管理者。事務的で冷徹に見えるが、実は健次の「真の心残り」を解消させるために粋な計らいをする、狂言回し的な存在。

【考察】

  • 「恐怖」と「笑い」の類似性: 本作のテーマは、生理的な反応としての恐怖と笑いの紙一重さにある。健次が恐怖を与えようとして笑いを生んでしまう展開は、緊張(恐怖)と緩和(笑い)が表裏一体であることを示唆している。
  • バナナの皮というメタファー: 冒頭の死因である「バナナの皮」は、古典的なギャグの象徴であると同時に、健次の人生があっけなく、しかし滑稽に終わったことを示す。彼が生涯こだわり続けた「威厳」がいかに脆いものであったかを皮肉っているが、最終的にその「滑稽さ」こそが娘を救う鍵となる。
  • 「成仏」の再定義: 従来の怪談における成仏は「恨みを晴らすこと」が多いが、本作では「生前の役割(厳格な父)からの解放」と定義されている。健次は死ぬことで初めて、社会的地位や親としての威厳という鎧を脱ぎ捨て、本来のひょうきんな自分を取り戻すことができたのである。
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