絶望粉砕! ポジティブ・カタストロフィ

絶望粉砕! ポジティブ・カタストロフィ

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第一章 宇宙最強の石ころ

「痛っ!」

アスファルトにキスをする寸前、天真爛漫ポジ男(あまね・らんまん・ぽじお)は、重力を無視したかのような捻りで踏みとどまった。

足元には、無骨で灰色、どこにでもある砕石が転がっていた。

ごく普通の人間なら、舌打ちをして蹴飛ばすだろう。

だが、ポジ男は違った。

彼の瞳孔がカッと見開かれ、焦点の合わない瞳が虚空を見つめる。

「……ああっ!」

彼は震える手でその石を拾い上げた。頬ずりせんばかりの勢いだ。

「間違いない。このフォルム、この絶妙な歪み……宇宙の『ご機嫌』が凝縮された『スターダスト・クリスタル』だ! 見てごらん、呼吸しているよ!」

通りがかった幼馴染のリナは、スーパーの袋を握りしめたまま立ち尽くした。

まただ。

彼がこの「スイッチ」を入れるたび、リナの胃のあたりがキリキリと痛む。逃げ出したいのに、なぜか目が離せない。それは、災害現場を前にした人間の心理に似ていた。

「……ポジ男、それただの砂利よ。工事現場からこぼれただけの」

「違うよリナちゃん! 耳を澄ませて! この石が歌ってるんだ。最高にファンキーなビートで『君はツイてる』って叫んでる!」

「石は歌わない。無機物だから」

リナの冷ややかな指摘など、ポジ男の鼓膜には届かない。彼は石を太陽にかざし、恍惚の表情を浮かべている。

その時だ。

キキキーッ!!

大気を切り裂くような摩擦音。

交差点を曲がりきれなかった配送トラックが、制御を失って歩道へ突っ込んできた。

数トンの鉄塊が、蛇のようにのたうちながらポジ男の背中へ迫る。

「危ないッ!」

リナの声が裏返る。

距離は三メートルもない。逃げ場などどこにもなかった。

終わった、とリナは目を閉じた。

だが、ポジ男は振り返りもしない。

ただ、拾ったばかりの石を握りしめ、うっとりと呟いた。

「ああ、なんて素晴らしい風だ。この石が、僕の背中を押してくれている!」

彼は確信していた。

自分は絶対に大丈夫だ、と。

根拠? そんなものは凡人がすがる幻想だ。

彼の脳内では、すでに「最高の結果」以外は削除されていた。

ガガガガッ!

世界が一瞬、ぐにゃりと歪んだ。

リナが目を開けたとき、信じられない光景が目に飛び込んできた。

トラックのタイヤが、まるで透明な壁に弾かれたように、真横へスライドしたのだ。

摩擦係数を無視した、ありえない軌道。

トラックの車体はポジ男の鼻先、わずか数ミリの空間を滑り抜け、街路樹の横にピタリと静止した。

風圧でポジ男の前髪が揺れる。

しかし、彼自身には傷ひとつない。

「ふう。気持ちいいそよ風だったね、リナちゃん」

ポジ男は満面の笑みで振り返った。

リナはその場にへたり込んだ。アスファルトの冷たさが膝に染みるが、立ち上がる力が入らない。

心臓が早鐘を打っている。

恐怖か、それとも理解不能な現象への畏怖か。

「あ……ありえない……。今の動き、物理的に……」

「ん? どうしたの? 顔色が悪いよ。もしかして、この石のグルーヴを感じて踊りたくなったのかい?」

ポジ男は、泥のついた石をリナの鼻先に突き出した。

「やっぱりすごいよ、この石は! 今日から君は『ハッピーメイカー1号』だ!」

リナの背筋に、冷たい汗が伝う。

偶然? いや、違う。

トラックが避けた瞬間、ポジ男の周囲の空間が、真夏の蜃気楼のように揺らいだのを彼女は見た。

空気がねじれ、因果律そのものが書き換えられたような、吐き気を催すほどの違和感。

「……あんた、いつか街を滅ぼすわよ」

「ははは! リナちゃんは詩人だなぁ! 僕がするのは、世界を笑顔の渦に巻き込むことだけさ!」

ポジ男は高らかに笑い、石をポケットにねじ込んだ。

そのポケットの中で、ただの石ころがドクン、と心臓のように脈打ったことを、リナだけが感じ取っていた。

第二章 七色の豪雨とゾンビ商店街

それから数週間。

この街、「三日月市」の物理法則は、緩やかに、しかし確実に崩壊し始めていた。

天気予報が晴れでも、ポジ男が「今日は虹が見たい気分だ」と呟けば、雲ひとつない空から七色の雨が降った。

閉店寸前のラーメン屋で彼が「宇宙一うまい」と叫べば、翌日にはなぜか店内にパンダが迷い込み、そのシュールな光景がバズって行列ができた。

人々は囁き合った。

「この街には、おめでたい神様が住んでいる」と。

そして今。

街の寂れた商店街「サンセット通り」は、暗闇に沈んでいた。

「終わった……今年の祭りは中止だ……」

商店会長の爺さんが、懐中電灯の頼りない明かりの下で頭を抱えている。

老朽化した変電設備がショートし、一帯が完全停電してしまったのだ。

修理業者の到着は明日。

だが、今日は年に一度の「大感謝祭」の夜だった。

用意した焼きそばの材料は常温で痛み始め、子供たちが楽しみにしていたイルミネーションは黒い鉄クズと化している。

絶望的な沈黙。

そこへ、能天気な足音が響いた。

「こんばんはー! おや? 今夜は闇鍋パーティーかな? シックで素敵だね!」

ポジ男だ。

右手に例の石を握りしめ、暗闇の中をスキップしてくる。

「ポジ男……。今はアンタの相手をしてる余裕はないの」

リナが発電機を蹴飛ばしながら、疲労の色が濃い声で言った。

彼女はこの数週間、ポジ男が引き起こす奇跡の後始末に追われ、慢性的な寝不足だった。それでも彼の側にいるのは、監視のためか、あるいは――。

「えっ、電気がつかないの? なんだ、そんなことか」

ポジ男は配電盤の前に立つと、勝手に蓋を開けた。

中は黒焦げになった配線と、溶けた金属が絡み合っている。

「ちょっと! 危ないから触らないで!」

「大丈夫さリナちゃん。電気たちがちょっと喧嘩してるだけだよ。僕が仲直りさせてあげる」

ポジ男はポケットから、食べかけのガムと、道端で拾った赤いビニール紐を取り出した。

そして、あろうことか、焼き切れた高圧ケーブル同士をガムでくっつけ、ビニール紐で蝶々結びにしたのだ。

「これでよし! 赤い糸で結ばれたから、もう離れないね!」

「……正気?」

リナが口を開けたまま固まる。

導体ですらない。絶縁体とゴミだ。電気が通るわけがない。

だが、ポジ男は『ハッピーメイカー1号』を配電盤にかざし、ニカッと笑った。

「さあ、目覚めの時間だ! 踊り狂え、エレクトロン!」

彼は強烈にイメージした。

電気が通る理屈などどうでもいい。

ただ、この街が光に包まれ、みんなが笑っている「結果」だけを脳髄に焼き付ける。

ドクンッ。

配電盤が、有機的な音を立てて脈打った。

「ひっ!?」

近くにいたドクター・ガリ勉が、手にした測定器を見て悲鳴を上げる。

「バ、バカな! 電圧じゃない! これは『意思』の波動じゃ! 計測不能! 計測ふのボォォン!!」

測定器が爆発し、ドクターのアフロヘアがさらに膨張して黒煙を吐いた。

バチバチバチッ!!

次の瞬間。

街灯が、看板が、ショーウィンドウが、暴力的なまでの光を放った。

「うわあああ! まぶしっ!」

リナが腕で顔を覆う。

ただの電気ではない。

街灯のポールからは極彩色の光る苔が生え始め、電線はネオンのように発光しながらウネウネと動き出した。

スピーカーからは、なぜか陽気なサンバのリズムが大音量で流れ始める。

電力会社から供給された電気ではない。

ポジ男の妄想が具現化した、謎のエネルギーだ。

「わあ! すごい! まるでリオのカーニバルだね!」

ポジ男だけが、光の洪水の中で平然と手拍子をしている。

遠くの街から、光に引き寄せられた人々が津波のように押し寄せてきた。

「なんだあのオーロラは!?」「UFOか!?」「いや、最新のアートフェスだ!」

暗闇で死にかけていた商店街は、一瞬にして狂乱の宴会場へと変貌した。

「いらっしゃい! 暗闇熟成・発光焼きそばだよ!」

店主たちもヤケクソで商売を始めた。

リナは、光り輝く焼きそばが飛ぶように売れる光景を、ただ呆然と見つめていた。

「……もう、理屈なんてどうでもいいわ」

彼女の頬が、七色の光に照らされている。

めちゃくちゃだ。最低で、最悪で、そして最高に美しい光景。

リナは知らず知らずのうちに、口元が緩んでいる自分に気づいた。

この男の狂気は、劇薬だ。常識を破壊し、その瓦礫の上に、無理やり笑顔の花を咲かせてしまう。

「どうだいリナちゃん! これが僕らの『心の輝き』さ!」

ポジ男が振り返る。

その笑顔には、一点の曇りもない。

リナは小さく息を吐き、呟いた。

「……眩しすぎて、目が痛いっつの」

第三章 ピンク色の猛吹雪

季節は巡り、冬が牙を剥いた。

「観測史上最大級の寒波が接近中」

テレビの気象予報士が、青ざめた顔で伝えている。

三日月市は、白い地獄になろうとしていた。

気温は氷点下15度。

暴風雪警報が発令され、窓ガラスが悲鳴を上げている。

暖房器具はフル稼働しても追いつかず、水道管は破裂した。

「寒い……死ぬ……」

リナは布団を三枚重ねにして震えていた。

窓の外はホワイトアウト。自分の家の門すら見えない。

世界が、色を失っていくようだった。

その白い闇の中に、ふらふらと動く影があった。

「嘘……」

ポジ男だ。

アロハシャツに短パン。足元はビーチサンダル。

正気の沙汰ではない。即死レベルの軽装だ。

「ポジ男! あんた死ぬ気!? 入って!」

リナが窓をこじ開けて叫ぶ。

猛吹雪が室内に吹き込み、カレンダーを吹き飛ばした。

だが、ポジ男は雪の中に仁王立ちし、ガタガタと歯を鳴らしながらも笑っていた。

「だ、大丈夫だよリナちゃん! こ、これは寒さじゃない! 地球が僕らに『クールにいこうぜ』って囁いてるんだ!」

「唇が紫よ! バカなの!?」

「僕には見える……。この白いカーテンの向こうに、灼熱の太陽が! ここはハワイだ! ワイキキなんだよおおお!」

ポジ男は、ポケットからあの石を取り出した。

石は今や、彼の過剰な思い込みを吸収しすぎて、ドス黒く変色し、蒸気を上げていた。

「この石があれば、寒波なんて、サウナの前の水風呂以下さ!」

彼は雪の壁に向かって、石を突きつけた。

リナは見た。

ポジ男の周囲の雪が、ジュッと音を立てて蒸発するのを。

彼の体から、湯気のような陽炎が立ち上り、周囲の空間がねじれていく。

「変われ! 僕の情熱で! 世界を常夏に染めろおおおッ!!」

カッッッ!!!

石が、毒々しいほどのピンク色の閃光を放った。

近くの屋根の上で観測していたドクター・ガリ勉が、測定器を投げ捨てて絶叫した。

「逃げろおお! 現実改変レベル5! 論理が死ぬぞおおお!」

ドクターが雪山にダイブした瞬間。

上空の雪雲が、ありえない色に変色した。

もわっ。

冷たい風が止んだ。

代わりに、甘い匂いが漂い始める。

いちごシロップのような、綿菓子のような、人工的な甘い香り。

ボトッ。

リナの家のベランダに、何かが落ちた。

雪ではない。

ピンク色の、ふわふわした毛玉のようなもの。

ボトボトボトッ!

空から降ってきたのは、無数の「ピンクの綿毛」だった。

それは雪のように冷たくなく、むしろ人肌のように生温かい。

「なにこれ……気持ち悪っ……でも……」

リナが恐る恐る手を伸ばす。

綿毛に触れた瞬間、体の中からポカポカとした活力が湧いてきた。

まるで温泉に浸かったかのような多幸感。

街中の人々が、窓を開けて空を見上げた。

氷の世界は、一面のピンク色の温室へと書き換えられていた。

積もった雪は綿毛に変わり、道路はふかふかのカーペットになった。

「あはは! 見てよリナちゃん! 空が僕らの情熱に負けて、桃色の羽毛布団をプレゼントしてくれたよ!」

ポジ男が、綿毛の山から顔を出して笑った。

アロハシャツが、今や違和感なく風景に溶け込んでいる。

「……あんたってやつは」

リナはへなへなと窓枠に寄りかかった。

怒る気力も起きない。

ただ、この温かさが心地よかった。

彼のデタラメな理屈が、凍えた街を救ってしまったのだ。

「おい、ポジ男! お前のおかげで助かったぞ!」

「でも家の屋根がピンク色だぞ! どうしてくれる!」

住民たちが家から飛び出してきた。

口々に文句を言いながらも、彼らは笑っていた。

誰かが雪合戦ならぬ「綿毛合戦」を始め、大人も子供もピンク色の渦の中で転げ回る。

リナは、中心で揉みくちゃにされているポジ男を見た。

彼は何も考えていない。

反省も、計画もない。

ただ、その純粋すぎる「思い込み」だけで、世界を強引にハッピーエンドへねじ伏せていく。

それは恐怖であり、そしてどうしようもないほどの救いだった。

最終章 終わらないスパイラル

街は日常を取り戻した。

いや、「異常な日常」と言うべきか。

街の中央広場。

復興のシンボルである時計塔の前に、ポジ男とリナ、そして多くの住民が集まっていた。

「ポジ男、あの大寒波の時の綿毛、まだ下水道に詰まってるんだけど」

「え? 妖精さんの忘れ物じゃないかな?」

「……もうそれでいいわ」

リナは諦めて笑った。

最近、ツッコミを入れることすら野暮に思えてきた。この街に住む以上、彼の狂気と添い遂げるしかないのだ。

ポジ男はポケットから、例の石を取り出した。

表面はヒビだらけだが、内部からはドクドクと不気味な脈動が伝わってくる。

「ねえ、みんな。この時計塔、ちょっと堅苦しくないかな?」

ポジ男が唐突に言った。

「は?」

リナの笑顔が凍りつく。

「もっとこう、みんなが甘~い気持ちになれるような、とびきりスウィートなシンボルであるべきだと、僕は確信するんだ!」

嫌な予感が、広場を駆け巡った。

「おい、ポジ男、やめろ」

「石をしまえ! 頼むから!」

頭がアフロのままのドクター・ガリ勉が、物陰から必死に手でバツ印を作る。

だが、遅い。

ポジ男は石を時計塔にかざし、無邪気すぎる笑顔を向けた。

「時間はいつだって、おやつの時間! そう、世界は巨大なデザートだ!」

ズズズズズ……。

大地が震える。

時計塔のレンガが、ぐにゃりと波打った。

硬質な質感が消え、とろりとしたクリーム状に変化していく。

「まさか……嘘でしょ……」

リナが空を見上げる。

ボンッ!

間抜けな音と共に、高さ30メートルの石造りの時計塔は、瞬く間に「巨大な3段重ねのアイスクリーム」に変貌した。

バニラ、ストロベリー、チョコミント。

頂上には、サクランボの代わりに巨大な時計が刺さっている。

「わあ! 美味しそう! これなら時間を確認するたびに、お腹が空いて元気が出るね!」

ポジ男は両手を広げて叫んだ。

「溶けるだろおおおッ!!」

住民全員の絶叫が、青空に吸い込まれていく。

巨大アイスからは、甘いバニラの香りが漂い始めた。

子供たちが歓声を上げて駆け寄っていく。

大人たちも、額を押さえながら、結局はスマホを取り出して「映え写真」を撮り始めた。

「まったく……。退屈しない街だわ」

リナは隣で笑うポジ男の横顔を見た。

彼は何も学んでいない。

これからもきっと、彼は無自覚に世界を振り回し、常識を粉砕し続けるだろう。

でも、その横顔を見ていると、不思議と不安はなかった。

「さあ、リナちゃん! 次はあの市役所を、巨大なショートケーキに変えちゃおうか!」

「それは絶対阻止する!!」

リナはポジ男の首根っこを掴んで走り出した。

ポジ男のケラケラという笑い声が、甘い香りの風に乗って広がっていく。

この街に絶望が訪れることは、当分なさそうだ。

だってここには、宇宙一おめでたい、最強のトラブルメーカーがいるのだから。

AIによる物語の考察

ポジ男のポジティブ思考は、単なる楽観ではなく、世界を自身の「ご機嫌」に染め上げる強烈な「意思」と「妄想」の力。常に「最高の結果」を脳内に設定し、現実を上書きします。幼馴染のリナは、彼の常識外れの行動に辟易しつつも、災害現場を見つめるような心理で目が離せず、やがてその狂気が生み出す「最高に美しい光景」に魅了され、常識という檻からの解放を求め始めます。

伏線として、ポジ男の能力を増幅する「ハッピーメイカー1号」と呼ばれる石が、彼の過剰な思い込みを吸収し、ドス黒く変色・脈打つ描写は、能力の成長と異質性を示唆。ドクター・ガリ勉の「現実改変レベル5! 論理が死ぬぞおおお!」は、能力が科学を凌駕する物理現象であり、制御不能な危険性を警告します。

本作は、個人の「妄想」が現実を侵食し、常識を破壊するプロセスを描きます。絶望を粉砕するポジティブさは、同時に世界の秩序を混沌へと導く「ポジティブ・カタストロフィ」を生み出します。現実と幻想の境界を曖昧にし、閉塞した日常からの解放と、劇的な変化への誘惑という哲学的な問いを投げかけます。
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